機械より人間らしくなれるか? AIとの対話が〜

《クレバーボット》はユーザーの知識を借りている

[開発者のロロ・カーペンターは]これを「会話のウィキペディア」と呼んだ。その仕組みはこうである。(略)
[「こんにちは」へのユーザーの返答は]すべて巨大な言葉のデータベースに格納され、「こんにちは」に対する人間の返答というタグがつけられる。それ以降の会話では、《クレバーボット》に「こんにちは」と言うユーザーに対して《クレバーボット》は「よう」(最初のユーザーがどう答えるかによって変わる)という返答をいつでも用意しておくことができる。
(略)
数年間にわたり常時数千人というユーザーが《クレバーボット》にログインして絶え間なく会話をしてきたため、《クレバーボット》のデータベースには意味不明に思える言葉(「スカラムーシュスカラムーシュ」など)に対する適切な返答までもが蓄えられたのだ。(略)
結果的にユーザーは、本物の人間でできたピューレのようなものとチャットをしていることになる(略)要するに過去の会話のこだまと会話しているだけなのだ。
 これは、《クレバーボット》が一般常識を問う質問(「フランスの首都はどこ?」「パリはフランスの首都」)や大衆文化(雑学、ジョーク、曲の歌詞)――だれが話しているかに関係なく正しい答えがある事柄――に滅法強い理由の一つである。(略)だが《クレバーボット》にどこに住んでいるかを尋ねた場合、その返答は数千人という人々が話してきた場所に関する数千という会話の寄せ集めから無作為に選ばれる。話しかけたほうは、相手が人間ではないというよりも、相手が一人の人間ではないと気づくことになる。

逆ギレでごまかすボット

[マーク・ハンフリーズは]以前からあった話す内容をユーザー任せにして聞き上手を装う「非指示型」のチャットボットの仕組みにひと工夫を加え(略)
《Mゴンズ》は次になにを話せばいいのかわからなくなると、セラピストの決まり文句「それについてどう思いますか?」「それについてもっと話してください」を繰り出す代わりに「あんたは明らかにくそったれだ」「さあもうおしまい、あんたと話すことなどなにもない」「ああ、面白いことが入力できないのなら黙れ」といった発言をする。実に天才的な仕掛けである。

機械翻訳

『あなたはこう言ったけれど、それは同じ意味で、こんなふうにも、こんなふうにも、こんなふうにも、こんなふうにも表現できますね』(略)こういった言い換えは、コンピュータにとって凄く難しいはずだ」と数理言語学者ロジャー・レヴィは言う。(略)
[「語用論的推論」とは]
『ジョンは横柄で無礼な音楽家の子どもの世話をした』さて、無礼なのはだれだろうか?」僕は音楽家だと思うと答えた。「よろしい、では、『ジョンは横柄で無礼な音楽家の子どもが大嫌いだった』では?」今度は、子どもが無礼に思えると僕は答えた。「その通り。このような判断が下せるコンピュータシステムは存在しないんだ」
(略)
 多くの研究者は、類語集や文法規則に従って言語を分析しようとしても、翻訳の問題は解決できないと考えている。そこで、こうした従来の作戦をほとんど放棄した新しい手法が生まれた。たとえば2006年の米国標準技術局の機械翻訳コンテストでは、グーグルのチームが圧倒的な差で優勝し、多くの機械翻訳の専門家を驚かせた。グーグルのチームでは、コンテストで使用された言語(アラビア語と中国語)をだれも理解していなかった。そして、ソフト自体も同じように理解していなかったと言えるかもしれない。このソフトは、意味や文法規則をなに一つ知らなかったのだ。ただ人間による質の高い翻訳(ほとんどは国連の議事録からのもの(略))の膨大なデータベースを利用して、過去の訳文に従って語句をつなぎ合わせたのである。それから五年後のいま、こうした「統計的」な技法はまだ完全ではないものの、ルールベースのシステムを完全に圧倒している。

チェスとナンパの共通点

 《ディープブルー》の勝利がAIのターニングポイントだったと考える人もいれば、あれでなにかを証明したことにはならないと主張する人もいる。この対決とそのあとに巻き起こった論争は、不安定に変化し続ける人工知能と人間の自意識の関係にとって、最大の事件の一つである。(略)
 ほぼ同じ頃、ニール・ストラウスという記者が、世界的なナンパ師のコミュニティに関する記事を書いた。長期的に取材をするなかで、ストラウスは最終的に自らがコミュニティのリーダーの一人となり、最も発言力のあるメンバーの一人になってゆく。彼の実体験は2005年のベストセラー『The Game』(『ザ・ゲーム 退屈な人生を変える究極のナンパバイブル』)に詳しく記されている。最初こそ、彼はナンパの師匠である「ミステリー」の「実社会を操るアルゴリズム」に畏敬の念を抱くが、ページが進むにつれて、「ミステリー」のメソッドに忠実に従う「社会性ロボット」の群れが夜のロサンゼルスに繰り出していると感じるようになると、彼が最初に覚えた驚嘆はやがて恐怖へと変わり、コンピュータがチェスを「殺した」と宣言したボビー・フィッシャーと同じように(略)ナンパは「死んだ」と宣告している。
(略)
[チューリングテストで]人間であると示せるかどうかは、チェス棋士の言う「定跡から外れる」かどうかにかかっているのだ。(略)どうすれば定跡から外れることができるのか、定跡から外れなかったらどうなるのか、それをこれから見ていくことにしよう。
(略)
 ガルリ・カスパロフは「わたしは確かに最後のゲームで敗れたかもしれない。だが《ディープブルー》が勝ったわけではない」と述べている。
 実に不思議な言葉であり、この主張こそが、僕が最も興味を惹かれ、これから語ろうとしていることだ。
(略)
[実況解説]
セイラワン (略)ガルリ・カスパロフがきょう負けるとしても、このサクリファイスなどの手筋は、すべて《ディープブルー》のライブラリ、つまり序盤定跡のライブラリにあるだけであって、《ディープブルー》自体はなにもしていないと考えられるということだ
(略)
 これこそが、カスパロフが第六局はノーカウントだと述べた理由である。(略)
[カスパロフは]実質的には定跡のなかで敗れた(略)
 形而上学的な言い方をすれば、カスパロフに勝てる盤面を作り出しだのは《ディープブルー》ではなかった(略)
 本物の《ディープブルー》と言えるのは、定跡から外れたあとのことだ。定跡から外れる前は、なにものでもない。単なる過去の対局の焼き直しである。(略)
[ただ定跡を丸暗記するだけで、なぜそうなるかを考えていない若い棋士を憂慮するカスパロフ。一方、ナンパした女性二人と3Pに持ち込んだニールは]
 俺は、そのあとは自然にセックスに流れていくものだと思っていた。しかし、彼女はただそこに膝をついているだけで、なにもしていない。背中を流せと言ったあとにどうしたらいいかなんて、「ミステリー」から聞いていなかった。(略)俺はそこからセックスが自然に展開していくものだと思っていたのだ。どうやって移行していったらいいのかなんて聞いてないし(略)俺にはわからない。
(略)
増加の一途をたどるデートに関するウェブサイトや書籍では、お決まりの会話の切り出し方を紹介し、丸暗記と反復に重点を置いている。「一つの話や一つのやり方をひたすら繰り返せば、自分がなにを話しているか考える必要もなくなる。それだけ、次の行動を考えるとか、他のことに頭を使える。どう切り出せば会話がどうつながるかは十分にわかっている。未来が見えているようなものだ」
(略)
 チェッカーが地に落ちたのは1863年(略)
チェッカーの世界チャンピオン決定戦は、40局のうち21局が最初から最後までまったく同じ展開となった。残りの19局も、序盤は「グラスゴー・オープニング」とあだ名されるようになった同じ展開ではじまり、40局すべてが引き分けに終わった。
 チェッカーのファンにとっても主催者にとっても(略)我慢の限界を超えていた。序盤の理論が確立されたことと、トップ棋士たちのリスクを負わない態度が相まって、トップレベルのチェッカーは行き詰ったのだ。
 では、どうすればいいのだろう。(略)
ただ駒の初期配置を毎回変えればいい。これこそ、まさにチェッカーの統括組織が講じた措置だった。
 1900年頃のアメリカで、大きなトーナメントでは「二手制限」と呼ばれるルールが採り入れられはじめた。対局に先立って最初の二手が無作為に選ばれ、その配置から二人の棋士が先手と後手を互いに入れ替えながら一局ずつ対局するのだ。これにより、定跡にあまり頼らないダイナミックな展開となり、しかも――ありがたいことに――引き分けも減る。(略)
1934年には初期配置が156通りある三手制限に引き上げられた。その一方で、奇妙なことに、駒の初期配置がそのままのクラシックなチェッカーはそれ自体がチェッカーのバリエーションの一つと考えられるようになり、「勝手気まま」と名づけられた。
(略)
 コンピューター同士の対局では序盤定跡の影響があまりに強く、多くの場合はそれで勝負が決まるため、チェス団体は定跡に頼ったコンピュータ同士の対局の結果に疑問を持ちはじめている。
(略)
 21世紀はじめ、かつての世界チャンピオン、ボビー・フィッシャーも同じような懸念を抱き、若い世代の棋士がコンピューターを使って数千という序盤定跡を丸暗記するだけで、本当に分析能力に長けた棋士に勝ってしまっている状況に愕然とした。チェスは序盤の理論ばかり、「丸暗記と下準備」ばかりになってしまったと彼は語った。「双方の棋士が本当の意味で考えはじめるタイミングがますます遅くなっている」と彼は話した。しまいには、カスパロフやナンよりもさらに極端な結論に達している。「チェスは完全に死んだ」と述べたのだ。
 だが、こうした状況に対する彼の解決策はきわめてシンプルだった。初期配置で駒の位置をめちゃくちゃにするのだ。(略)まだ初期配置は960通りある。序盤定跡をほとんど無意味にするには十分だ。
(略)
[解説のセイラワンはこうカスパロフを批判]
コンピュータにはこんなに素晴らしいデータベースが山ほど積まれているのだから(略)人間がすべきことはすぐにコンピュータを序盤のライブラリから外れさせることだと信じられている――(略)わたしは、王道とされている手筋で序盤を指すのがいいと思う。(略)[コンピュータが序盤定跡を使うのは]ガルリ・カスパロフのような棋士がこうした優れた手をかつて指したことがあり、それが序盤の最善の手筋として確立されているからだ。それなのに、ガルリは常に序盤定跡の改良を試みている。したがって、もしわたしがガルリなら、「さあ、こちらは王道とされている手筋で指すぞ。コンピュータが指すような手を指すのだ。まずは――まずは無難な手筋で指そう」と見せかけて、だれもが初めて見るような斬新な手を指して、コンピュータに不意打ちを食らわすね。だが彼はそうしない。それどころかガルリは「わたしはできるだけ早い段階から、類を見ないほど個性的で独創的な手を指す」と言っている。
(略)
僕らは古い友人とのお喋りを(略)[「やあ」といった]序盤定跡から始めるが、これ自体は会話とは言えず、会話にたどり着くための手段である。(略)
[僕たちが求めるのは]気配を感じると同時に定跡から外れ、本題に入る方法である。

次回に続く。