ボブ・ディラン自伝・その3 ダニエル・ラノワ、ニューオーリンズ

前回の続き。

ボブ・ディラン自伝

ボブ・ディラン自伝

オー・マーシー(紙ジャケット仕様)

オー・マーシー(紙ジャケット仕様)

オー・マーシー

 1987年のことだった。珍妙な事故で重傷を負った手が快方に向かっていた。傷は大きく骨まで達していて、安心はできない段階だ――まだ自分の手という感覚がない。どうしてこんな目に遭わなくてはならないのかわからないが、これが奇妙な運命のひと区切りとなった。
(略)
 大衆はまだわたしのレコードを買いつづけていたが、わたしのパフォーマンスはもう、歌にこめられた魂をうまくとらえることができなくなったように思われた――歌に解釈を与えて歌うということができなくなっていた。とりわけ、自分を大きくかかわらせて歌うということができなくなっていた。聞き手にとっては、うち棄てられた果樹園や枯れ草のなかを歩くも同じだったろう。わたしはこれから新たな畑を耕すはずだった。しかしわたしの聞き手が――その畑を歩くことはおそらくない。それにはたくさんの理由がある。ウイスキー一本が空いてしまうぐらい、たくさんの理由がある。
(略)
数カ月前、非日常的なあるできごとをきっかけにして、わたしは自分のパフォーマンスを根本から変える有力な原則に目覚めた。たがいに相乗効果を持つ、ある種の技法を組み合わせることによって、パフォーマンスに対する意識のレベルや時間の枠組みやリズムのシステムを変えることができるのだ。そうすることによって生気を与えて、歌を墓から呼びだしてやれる
(略)
 同時に、これまでの自分が、演奏する音楽のスタイルを完璧に引きたてようとして歌詞を書いていたことにも気がついた。この十年間のわたしは、形を整えることにこだわり、プロとしての腕を落としていた。演奏を始める前のステージの近くで、詞が浮かんだのに忘れてしまったと感じている自分に気がつくことが何度もあった。
(略)
ハウスボートでゆっくりと航行し、夜には森に抱かれた浜に停泊した――へら鹿や熊や鹿のすぐ近くに。静かな夏の夕べ、近くに狼がいるのを感じながら、水潜り鳥の声に耳を傾けた。考えぬいて答えをみつけようとした。しかし、わからなかった。自分はもう終わりだ。燃えつきてしまったうつろな残骸だと感じた。(略)
わたしは1960年代の吟遊詩人、フォークロックの遺物、過ぎ去った日々のことばの紡ぎ手、どこにあるのかをだれも知らない州の架空のリーダーでしかない。わたしは、忘れられた文化という底なし沼にはまっている。(略)
 トム・ペティ・アンド・ザ・ハートブレーカーズとの十八ヵ月におよぶツアーの途中だった。これが最後のツアーになるだろう。わたしはもう、やる気をなくしていた。当初感じていたものは、しぼんで消えてしまっていた。トムは絶好調で、わたしはどん底にいた。彼との差を埋められなかった。何もかもが砕け散った。自作の曲が遠いものとなり、わたしは曲が持つ本質的な力を刺激して生かす技術を失い、上っ面をなぞることしかできなくなっていた。もうわたしの時代は終わった。心のなかでうつろな声がして、引退してテントをたたむのが待ち遠しかった。ペティとの残りのツアーをやってまとまった金を手に入れ、それで終わりだ。
(略)
 わたしはいままでに多数の曲をつくってレコードにしていたが、ライブで歌う曲はあまり多くはなかった。たしか二十曲程度だったと思う。それ以外の曲は、あまりに暗号めいていたり暗かったりして、わたしにはもう、それらの歌に豊かな創造性を与えて歌う能力がなかった。重たい腐肉の包みを運んでいるも同じだった。それらの歌がどこから生れたのかがわからなかった。光は消え、マッチ棒は端まで燃えきった。わたしは形だけの歌と演奏をしていた。いくら努力しても、エンジンはかからなかった。
 ペティのバンドのメンバーであるベンモント・テンチはずっと前から、ステージでもっとちがう曲をやりたがっていた。まるでせがむように、わたしにそう言ってきていた。「自由の鐘」をやれないかな?「マイ・バック・ペイジズ」はどうだろう?「スパニッシュ・ハーレム・インシデント」は?そのたびにわたしは、苦しい言い訳をして逃れた。
(略)
[ペティとのツアーの間にグレイトフル・デッドのジョイントツアーがあり、デッドたちは]自分たちが好きな曲をすべて、あまり有名でない曲も含めて、練習したがっていた。(略)その多くはレコーディングのときに一度歌っただけのものだった。あまりにも数がたくさんあって、わたしにはどれがどれだかわからなかった――歌詞をほかの歌と混同しているものもある。デッドたちが話していることを理解するには、歌詞を見る必要があり、そしてその歌詞を見たとき、とくに大昔につくった有名でない曲の歌詞を見たとき、自分がどうしてそのような感情を綴ったのかが理解できなかった。
 自分が犯罪者のように思えて、その場にいたくなかった。(略)
[通りをさまよい、入った小さなバーで年配の無名ジャズシンガーが歌っていた]
リラックスしてのんびりと、しかし、生まれつき賦与された自然な力をこめて歌っていた。
 何の前触れもなく突然のことだった。まるで、そのシンガーがわたしの魂に向かって、心の窓を開いてみせたように思った。「こういうふうにやるんだよ」と語りかけているようだった。その瞬間、わたしはこれまで経験したことがないほどすばやく、それを理解した。どんなふうにして彼が力を得ているのか、そのために何をしているのかを感じとった。わたしはその力がどこから来るのかを理解した。彼の声自体が重要なのではなく、彼の声をきっかけに、わたしは自分を取りもどしたのだった。自分も前はこんなふうにやっていたとわたしは考えていた。それはずっと昔のことで、そのころはそれが自然にできていた。
(略)
 わたしは何ごともなかったようにリハーサル場にもどり、中断していた箇所から始めた。早くやってみたかった――彼らが演奏したがっている曲を取りあげて、年配のシンガーがやっていたのと同じ技法で歌えるかどうか試したかった。何かが起こりそうな予感があった。最初はなかなかうまくいかず、れんがの壁に穴を開けているようだった。やることすべてが埃の味がした。しかしまもなくして奇跡が起こり、内側にあるものの鎖が解かれた。最初に出たのは、咳のような途切れ途切れの小さな声でしかなかったが、それは首から下のわたしが発したものであり、脳を経由してはいなかった。前にはなかったことだった。その声は熱く燃えていたが、わたしは冷静だった。

ダニエル・ラノワ、ニューオーリンズ

[ボノの推薦で会うことに]
中庭には友好的な雰囲気があふれ、バラとラヴェンダーのほのかな香りが漂っていた。ラノワが腰を下ろした。全身が黒の男だった――黒いソンブレロ、黒の乗馬ズボン、丈の長いブーツ、手袋――全身が暗い影に見えた――、黒い山からやってきた黒い鎧の王子だ。ぴかぴかでしみひとつ、汚れひとつない。(略)
 一時間ほど経つと、この男とならうまくやれる、信頼できるとわかってきた。自分がどんなレコードをつくるつもりでいるのか、わたしにはわかっていなかった。つくった歌のできばえも、わからないのだ。ボノに見せたあと、眼を通してもいなかった。ボノは気に入ってくれたようだが、本当に気にいっていたのかどうかはわからない。ほとんどの歌にはメロディさえついていない。ダニーは「本当につくりたいと思っているなら、かならずいいレコードになりますよ」と言った。わたしが短く「もちろんきみの手伝いが要る」と言うと、彼はうなずいた。
(略)
ニューオーリンズにはまだ、たくさんの魔法がある。夜は人をおおいつくし、しかも悲しませることがない。どの角にも、新しくてすばらしいものの可能性があり、すでにそれが進行中だ。すべてのドアの奥にみだらな歓喜があるか、両手で頭を抱えて泣く人がいる。夢のような空気のなかからゆったりとしたリズムが立ちあがる。過去の決闘や過ぎ去ったロマンスや応援を求める戦友たちの願いをはらんだ空気が、脈動を繰り返す。(略)だれもが古風な南部の一族の出であるか、外国人であるように思える。わたしはこの街のそういうところが好きだった。
(略)
樹木の柱から慢性の憂鬱がぶらさがっていて、いつまでも悲しく沈んだ気持ちでいられる。(略)ナポレオンの配下の将軍、ララマンはこの街で、ワーテルローで敗退したナポレオンの隠れ場所を探したと言われている。ララマンはあたりを偵察したあと、ここでは悪魔も現われている、ほかの人と同じように、しかしもっと強く呪われていると言って去っていった。悪魔も嘆く街。ニューオーリンズ。このうえなくすばらしい旧弊な街。別人になって暮らすには絶好の場所。何をしても変わりがなく、決して傷つくことがなく、何かをみつけるにはうってつけの場所。ここでは、差しだされたものを飲めば、それでいい。(略)
レコーディングには最高の場所。そうであるはずだった――とにかくわたしはそう思っていた。
(略)
 つぎの日、スタジオに行くと、新しいテープを聞かされた。新しいテープはさらにファンク色が強くなっていた。わたしが帰ったあと、多くの作業がおこなわれたのだった。ラフナーの魚雷のようなリックが、わたしの無駄を抑えたテレキャスターのリズムにオーブァーダブされていた。わたしのギターはミキシングで完全に消されていた。わたしの声は音に囲まれて、どこにも行き場所がないかのように浮いていた。歌が誘拐されてしまったような気がした。
(略)
 「驚いたな、わたしが帰ったあとにこうなったのか?」わたしはラノワに聞いた。
 ラノワが言った。「どう思います?」
 「失敗だと思う」
(略)
なんということだ、まだ一曲目でしかないのに。こんなにたいへんになるとは思っていなかった。ラノワはできあがったテープのトーンが気に入っていて、どこがまずいのかと訊いてきた。この歌はこんなふうにのびのびとした、はなやかなものになってはいけないのだとわたしは説明した。そのあと、余計なものを削り落とす作業にかかった。わたしはラノワといっしょにこの曲を羽ばたかせようとしたが、何をしてもだめだった。(略)
 失敗を繰り返して二、三日が無駄になった。(略)
ダニーはファンク調のヴァージョンに強い自信を持っていた。わたしはダニーにうまく話が通じないように感じて悩みはじめた。やがて状況が煮詰まって、どうしようもなくなった。ダニーがあまりのいらだちに怒りを爆発させ、金属製のドブロギターをおもちゃのように振りまわし、ものすごいいきおいで床に叩きつけた。一瞬、部屋は静まりかえった。録音トラックのリストづくりや記録を付ける仕事をしている若い女性が、微笑むのをやめ、涙を浮かべて部屋を出ていった。かわいそうに。彼女が気の毒だった。すべてが崩れはじめているのに、わたしたちはまだスタートもしていなかった。結局、この曲はあとまわしにするしかなくなった。「ポリティカル・ワールド」は時期が早すぎたか、遅すぎたのかのどちらかだった。
 つぎに取りかかったのは「モスト・オブ・ザ・タイム」だ。メロディがまだなかったので、わたしはギターを弾いてメロディを探さなくてはならなかった。

ラッパー

 ダニーが、最近だれの音楽を聞いているのかと訊いてきたので、わたしはアイス・Tだと答えた。彼は驚いたが、驚くほうがおかしかった。(略)[数年前、カーティス・ブロウのレコードに参加した]おかげでアイス・T、パブリック・エネミー、NWA、RUN‐DMCといった音楽になじむようになった。連中はただ突っ立ってわめいているわけではない。彼らはドラムを叩き破り、そして崖の上から馬を投げ捨てる。彼らの全員が詩人であり、世のなかで起こっていることを正しく理解している。
 遅かれ早かれ、必ずべつのだれかが現れる。世界を知り、そのなかに生まれ、そのなかに育ち、その世界そのもの、あるいはそれ以上の存在であるだれかが現れる。まったく新しい頭脳と社会への影響力を持つだれかが。(略)
ダニーとわたしがつくっている種類の音楽は古くさい。ダニーにはそれを言わなかったが、わたしは真剣にそう感じていた。アイス・Tやパブリック・エネミーが敷いた軌道の上に、かならず新しいパフォーマーが現れる。プレスリーと同じタイプではない。新しいパフォーマーは腰を振ったり、若い娘をみつめたりはしない。厳しいことばで同じ効果を上げ、一日に十八時間働く。

次回に続く。

 

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