ネヴィル、ディラン ラノワ自伝2

前回のつづき。

ソウル・マイニング―― 音楽的自伝

ソウル・マイニング―― 音楽的自伝

イーノ以前、週150ドルで北部巡業ツアー。二年間の不遇の時代。スティールギター、エレキギター、テナー・バンジョー、フルート、マルチ楽器奏者として重宝される。さらにミニ・モーグの使い手として劇団オーケストラでも重宝される。巨乳ミス・モンテゴ加入でツアー一団の人気上昇

かなり面白いジャマイカ女性で、巨乳だった。サイズ54のEEEE。とんでもない大きさだった。(略)私も寸劇に参加することになった。自分の胸を顔に押しつける相手としてかわいいギタリストの私を選んだのは、明らかにミス・モンテゴだった。伐採作業員たちは嫉妬のこもった叫びや掛け声を上げた。毎晩、暴動が起こったかのようだった。それからモンテゴは、ライターオイルに浸したタンポンを房飾りのように乳首につけ、これに火をつける。これで会場は大騒ぎになる。我々の照明担当(兼ベース奏者)は、合図で照明を消す。モンテゴはワイルドに乳房を操り、両方のタンポンの房を同じ方向に回す。それから両方を反対方向に回す。[狂乱のファイアーショウのはじまり]

小学8年生の記憶(13歳)

 マレーは、私のガールフレンド、カレンの父親だったが、私にはいなかった父親の代わりとなっていた。(略)
マレーの知性は私に焼き付けられた。彼はTH&B(トロント・ハミルトン・バッファロー)線の鉄橋に立ち、貨物列車の運行状況を見ることで、現在の経済状況について話すことができた。マッセイ・ファーガソンの農具が南に向かう。デトロイト自動車産業から車が北へやってくる。マレーは、今年は豊作かどうかについて話すことができた。また匂いを嗅ぐだけで、二種類のディーゼル燃料を区別できた。列車が燃料を入れたのはカナダ側なのかあるいはアメリカ側なのかを、ディーゼルの匂いから言い当てることができたのだ。寒いカナダの朝、ナイアガラの急斜面を一生懸命うなりを上げながらはい上がってくる列車の音を聞いて、カナディアン・ナショナル鉄道ディーゼルエンジンが戦っているのはどんな霜なのかを、彼は寝床の中にいながら理解できた。
(略)
グランドベンドのダンスホールは美しかった。(略)駐車場に設置された夏の移動遊園地。その薄暗いネオンが、芝生の恋人たちをロマンチックに照らしていた。(略)
チークダンス。汗が化粧や香水と混ざる。ドイジはトランペットで高音を吹き鳴らす。私は白のストラトを弾く。我々の指揮官、ウェイン・ザ・インディアンは絶叫している。これまでになかったような最高の夜だ。

ピーター・ガブリエル『SO』

核となる部分は、ピーター、デヴィッド・ローズ、私のたった三人で作った。このプロジェクトではかなり後になるまで、ドラムもベースも使わなかった。(略)
「でかいハンマーでそいつを打ちつけよう!」というのは、気合を入れるための我々の隠語の一つだった。このレコードの基礎となる部分は全て、リズムボックスのビートの上に作られた。
(略)
あらかじめ決められていたアレンジ通りの演奏が終わったあと、長く楽しいジャムに突入していった。本当に信じられない出来の自然発生的なボーカル・アドリブが、ピーターに「降りて」きた。(略)
スレッジハンマー」のビデオを見ればそれがどんなものかだいたいわかるだろう。想定していなかったこのジャムの部分が、この曲の中で私の一番のお気に入りとなった。私は前半部分を切って、狂ったパーティのような最後の部分が曲に入るようにした。

Somewhere Down The Crazy River / Robbie Robertson
BBC 1-1987


Suzuki Omnichord OM-300 Instructional Video

私にとってロビー・ロバートソンのストーリーテリングの能力はいつもマジックだ。ロビーが語る、友人リヴォン・ヘルムとのアーカンソー時代の話を聞くのが私は好きだった。私はロビーにお願いして、バックウォーター・スワンプの迷宮へと進み出してもらう。薄暗い灯りの一部屋しかない小屋が、川沿いに点在している。一つの物語が別の物語へと繋がっていく。デルタのマジック、ロックンロールの誕生、ブルーグラスの混合物、スライドギター、綿花畑の歌、欲望と混ざり合った労働歌、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの震える声、暗闇。ミステリー、ブルースを受け入れることでようやく自分のセクシュアリティを認めたアメリカ。これらは全て「クレイジー・リヴァーのどこかで」に含まれている。イーノが私に紹介してくれた小さなおもちゃの楽器、スズキ・オムニコードは今や、ロビー・ロバートソンヘと引き継がれた。このスズキによる普通じゃないコード進行が、この曲の音楽的バックボーンとなった。

ネヴィル・ブラザーズ

Yellow Moon

Yellow Moon

 彼らは、ファンクはチューバから来ているという。ニューオリンズは湿度が高いので、全てのガスケットやバルブの密閉性が高い。そして、鯨のソナー信号が水を伝達媒体として遠くまで到達するように、ニューオリンズの湿度が極めて高い空気は、音を忠実にそして減衰させることなく伝達するのだ。
(略)
アーロン・ネヴィルはボブ・ディランの「ホリス・ブラウンのバラッド」のカバーをレコーディングしたがっていて、これは素晴らしい出来となった。ボーカルから何から全て一発録音だった。ヒルのミキサーでミックスしたものを、ソニーカセットデッキに送った。そのあとミックスをやり直すことはなかったので、このカセットテープがマスターとなった。このデモセッションでだいぶ自信が付いたので、ネヴィルたちと私は、フルアルバムにとりかかることに決めた。
(略)
[アシスタントになったばかりのマーク・ハワードが見つけた6階建てアパート一棟を借り、最上階を住居に、二階をスタジオに。]
 その頃、私はレコード会社にパッケージ契約を提示していた。この提示はシンプルだった。15万ドル払ってくれたら素晴らしいレコードを納品します、というものだ。ただし口出しは無用。他人のスタジオに無駄なお金を使う代わりに、私は自分で機材と人材を揃え、全身全霊の作業ならびにその結果を約束するのだ。
(略)
[その最中、ボノを介してディランがスタジオ見学]
一生懸命さを求めていることが伝わってきた。彼には、もはや脚光を浴びることがなくなったボクサーがカムバックして王座を奪還しようとするような雰囲気があった。過去について話すことは何もなかった。彼は現在の地位のために戦っていた
[アーロン・ネヴィルがカバーした「神が味方」を聴き、ディランはラノワとアルバムをつくることに]
(略)
アート、アーロン、シリル、チャールズと同じ部屋にいるのはヤバい体験だった。アーロンはすでに大量の歌詞を書いていた。そのうちのいくつかは監獄で書かれたものだった。実際、タイトル曲「イエロー・ムーン」はムショでの生活に基づくものだった。顔にダガーナイフの刺青が入ったアーロンが、ガールフレンドは自分のことを恋しいと思ってくれているだろうか、と月に向かって歌うのだ。この曲にはヒットしてもらいたかった。私はこの曲が自分のベストな作品の一つだと思っている。

"With God In Our Side"
Aaron Neville & Daniel Lanois

yellow moon neville brothers

イーノとネヴィル

私はイーノがそばにいて、音響をノンストップで流し続けているのが好きだった。ネヴィルたちは彼にかなりの興味を持っていた。アート・ネヴィルは何かに感心した際に私のほうに身を乗り出して、イーノを指差しながら私の耳に囁いた。「あんなヤツをどこで見つけてきたんだ?」。アートはイーノの音響に感心し、最大の賛辞を送った。「これは冷血(コールド・ブラッド)な音だな」。そして窮極の賛辞も。「これはマジでヤバいな」。アートは自分が何を話しているのかを理解していた。50年代の彼のヒット曲「マルディグラ・マンボ」をチェックしてほしい。間違いないソウルで、ガンガンくるサックス・ソロの音はまるで家一軒分くらいのデカさだ。

The Hawketts - Mardi Gras Mambo (1955)
(17歳のアート・ネヴィルがヴォーカル)

オー・マーシー

オー・マーシー

ディラン『オー・マーシー

彼は私のすてきな52年のバタースコッチのテレキャスターを弾いた。これは部屋の裏に置いた60年代初期のフェンダー・コンサート・アンプに挿してあった。アンプはボブから五フィートの距離で、マイクの周りには可動式の毛布を置いた。ボーカルの音漏れを防ぐためだ。ボブはアコースティックギターに持ち替えたときは、私のギブソンのカントリー・ウェスタンモデル(おそらく50年代末期のもの)を弾いた。私はローレンスのクリップ式ピックアップを使っていて、このアコースティックギターの音も、同じくフェンダー・コンサート・アンプから出した。つまりボブのギターの音はエレキだろうとアコースティックだろうと、同じアンプから出ていたのだ。私自身はほとんどの場合、1920年代の金属ボディのドブロを弾いた。このネックはボートのオールくらい太い。これをフェンダーのブラックフェイス・ツインのヘッドに通して、チャンプのスピーカーをかなり小さな音量で鳴らした。(略)
音が大きい部分には、私のヴォックスAC30アンプを小さい箱に入れて使った。これは「モスト・オブ・ザ・タイム」で聞くことができる。遠くでたくさんディストーション・ギターが鳴っている部分だが、まるでたくさんのレスポール・ジュニアで構成された室内楽オーケストラのようだった。ヴォックスとレスポールのセッティングでは、ボリュームはフルテンだった。ボブは私のソニーC37Aに向かって歌った。これはカナダのマッセイ・ホールが音響システムを改装した際に入手したものだ。その当時、ソニー真空管マイクについては誰もあまり知らなかった。私一人のせいでこれらのソニーのマイクの価格が跳ね上がったと自分では信じている。というのも私がインタビューなどでだいぶ絶賛したからだ。
(略)
 ボブは社交的ではなく、時間に正確だった。時間を無駄にすることは全くなかった。今日に至るまで、私が一緒に仕事をした人の中でも最も集中力が高い人間の一人だ。

Most of the Time

 「鐘を鳴らせ」は『オー・マーシー』の中でも私のお気に入りの一つだ。ボブ自身によるボーカルとピアノの素晴らしい生演奏だ。ピアノとボーカルを同時に録音した場合の、単一音源の一体感には何か特別なものがある。ボブは「鐘を鳴らせ」を、私が借りていたスタインウェイBで演奏した。このピアノはその後私が買い取ったが、最近ジョン・キューザックに売った。ジョンは「鐘を鳴らせ」が好きなのだ。そういうわけで、私のピアノは今シカゴの彼の家にある。
(略)
私が興味を持っているレコード制作の方向性と矛盾する外部の意見ほど最悪なものはない。二人がけのテーブル。握手をする際に、一人の目がもう一人の目をじっと見つめる。他の人の意見は考慮されることはない。世の中の人々は、特定の立ち位置を持つレコードを愛する。私は喜んで専制君主となるだろう。もしそうすることで、説得力がありうまく監督された作品を生み出す可能性があるのなら。『オー・マーシー』のやり方は「見つめ合う目」の感覚を大事にしたものだ。一人の目がもう一人の目を見つめる。さもなければニューオリンズの暗闇に入っていくことになるだろう。ディランと私の偶然の出会いは、秘密的なそしてミステリアスな雰囲気を確立した。

Bob Dylan - Series Of Dreams

私が個人的に気に入っていた一曲、「シリーズ・オブ・ドリームス」は後にブートレグとして出回ったが、オフィシャルのレコードには収録されなかった。「シリーズ・オブ・ドリームス」には、儚さと告白があった。今聞いてみると、これを『オー・マーシー』に入れなかったボブの判断は正しかったように思える。たぶんこれは『タイム・アウト・オブ・マインド』に入るべきものだったのかもしれない。
(略)
私はずっとディランの絵のファンだ。(略)私は別れの前に、木炭デッサンで私のことを描いてくれないかとボブに頼んだ。彼はやってくれた。しかしサインをしなかった。その夜遅く大雨の中、ドアベルが鳴った。ボブだった。門のところでびしょ濡れになっていた。この小さいデッサンにサインをするために彼は戻ってきたのだ。私は感動した。我々は夢についてちょっと話をした。

イーノ語録

僕は君の言うこと全てに賛成するよ。もし君が僕の言うこと全てに賛成してくれるのなら

次回につづく。