Cut 91年1月号 プリンス、いがらしみきお

Cut 1991年1月 Vol.7
MIKE TYSONマイク・タイソン
半年以上の沈黙を破り、タイトル奪還に賭ける新境地を赤裸々に告白。
DON KING ドン・キング
世界のリングを動かす、ボクシング界最大のプロモーターが語る金、名誉、人種差別。
PRINCEプリンス
『ブラック・アルバム』以降に訪れた心境の大変化を、プリンス自身の口から語る。
MARTIN SCORSESE マーチン・スコセッシ
闘う男たちを描き続ける映画作家が、そのパッションに満ちた半生を振り返る。
筒井康隆
遂に登場、文学部唯野教授による筒井康隆解説。
いがらしみきお
ぼのぼの』の作者が、ネ暗とは程遠いトレンド渡り歩き人生を明かす。

プリンス/グラフィティ・ブリッジ 特別版 [DVD]

プリンス/グラフィティ・ブリッジ 特別版 [DVD]

『ブラック・アルバム』以降に訪れた心境の大変化を、プリンス自身の口から語る。

(略)まだ真新しいスーパースターの座に、居心地の悪さを感じている兆候をプリンスが全く示さなかったわけではない。独りきりなると彼は活気づき、ファニーで自信たっぷりだった。しかし人前に出ると、たとえそれがミネアポリスのファースト・アベニューのような気安い場所であっても、誰かが無神経な一瞥をくれたその瞬間、彼は花崗岩のように表情を硬直させ、その声もはっきりとは聞き取れなくなってしまった。
 今のプリンスはずっとオープンで気軽そうだ。ヒステリーを起こす気配はない。「ああいう立場だと、選択の余地がほとんどないんだ」と彼は、『パープル・レイン』に続く最初の一年間を回想する。「自分の殼に閉じ籠もって周囲を呪いつづけるか、それともこれが人生なんだと割り切って、精一杯楽しもうとするか。(略)
前よりずっといい奴になれたと思うよ」
(略)
 その毒舌も健在だ。(略)「僕は他の誰よりも優れてるって言うつもりはないけど、グラミーに出てU2に負けたりしたら、思わずこう口走るだろうな。『ちょっと待って。僕だってあの手の音楽はプレイできるよ。若い頃は、ラ・クロッスでもプレイしてたんだ。僕だってやり方は知ってるってことさ。おわかり?けど君たちに“ハウスシェイク”は出来ないだろ』って。
 歴史や現在の出来事に関する知識には、相変わらずかなりのムラがある。リトル・リチャードやジェリー・リー・ルイスバイオグラフィーをほとんど空で言えるプリンスだが、数年前、イギリスの音楽ジャーナリストが彼自身のライフ・ストーリーをものしたことはまったくご存じなかったらしい。
(略)
 精神的な苦痛は、今もいくらか残っているようだ。「僕の回りの人たちが、みんないなくなったらどうなる?」彼は訊ねる。「残るのは僕ひとり。やりくりするのも僕一人だ。だから僕は自分を護らなきゃなんない」
(略)
プリンスが賛美する監督として、まっさきに名前を挙げたのはウッディ・アレン。「だって僕、ファイナル・カットの権利を持っている監督はみんな好きなんだ」(略)
バットマン』ヘの参加は、メガトン級ヒット作の製作現場をスパイする機会を彼に与えてくれた。ロケ先で作曲したプリンスは、ほとんどの時間、脇に留まり、じっと現場を観察していた。(略)
 バートンは、長年のプリンス・ファンであるジャック・ニコルソンの推薦で彼を起用した。ニコルソンとは一度も会ったことのなかったプリンスだが、セットでこの俳優の演技を見るなり、「パーティマン」の着想を得たそうだ。「彼はただこっちに歩いてきて、腰をかけ、テーブルに足をドカッとのせた。すっごくクールだった」とプリンス。「その態度には、モーリス(・デイ)を思わせるところがあった。で、あの曲が出来たんだ」
(略)
[『グラフィティ・ブリッジ』は]再生したザ・タイムのために企画されたもので、プリンスは裏方に徹する予定だった。しかしワーナー・ブラザーズは納得せず、そのためプリンスは彼自身も登場する新しい脚本を書き上げた。
(略)
「モーリスにはこの映画をさらって欲しいんだ」彼は『パープル・レイン』後のいさかいを回想していた。「あいつ、今でも僕を叩きのめすつもりでいるのさ!」(略)
 最初のうち、デイと彼のバンドについてかくも好意的かつノスタルジックに語るプリンスが、奇異に思えてならなかった。『パープル・レイン』の直後、デイは彼のボスの独裁的なやり方を口汚なく罵り、そのままミネアポリスを後にした。そして今、プリンスは「どうやって僕らがよりを戻したのか、正直言って思い出せない」と言う。
 しかし、デイのプリンスはボス面しすぎるという往時の告発が、さらに苦々しい記憶を呼び覚ましたようだ。
(略)
 とうに語り尽くされた話の一つに、プリンスが1982年、当時はまだ無名だったテリー・ルイスとジミー・ジャムをザ・タイムから解雇したというのがある。当事者全員が認める通り、ジャムとルイスはザ・タイムのツアーのオフ日を利用して、SOS・バンドのレコードを初プロデュースした。突然の風雪により、彼らはさらに一日アトランタで足止めされ、その結果、ライヴを欠席してしまった。ジャムとルイスは、その場で解雇された。
[その後、二人はプロデューサー・チームとしてブレイク、ミネアポリスのもう一つの柱に](略)
「僕が、悪者にされてるのさ」とプリンス。
「けどテリーとジミーをクビにしたのは僕じゃない。モーリスが、僕が彼の立場ならどうするだろうって訊いてきたんだ。あれは彼のバンドだったってことを忘れないで欲しいな」(略)
[二人に]プリンスは何ら悪意を抱いていないと言う。「僕らは友だちだよ」と彼。「兄弟のようにお互いをよく知り合っている。ジミーはいつも、ミネアポリスに音楽シーンが確立されたのは、僕の力だと言ってくれるんだ。感謝してるよ。テリーはもっと超然としてるけど、その辺は承知してるから」。彼らの音楽については?「テリーとジミーはミネアポリスサウンドにそれほど入れ込んでないんじゃないかな。それより、自分たちの手がけたレコード全部をヒットさせたがってる。それが悪いって言ってるんじゃないよ。ただ、僕らのやり方は別物だってこと」
(略)
[再結成してザ・タイムが素晴らしくなったため、同様の効果を狙いレヴォリューションを解散させた]
 レヴォリューションの解散がすんなりと受け入れられたわけではない。かつての親友だったウェンディ・メルヴォイン、リサ・コールマンとの関係は、どことなくぎくしゃくしてしまっている。(略)
 「今だにずいぶん泣き言を聞かされるんだけど、あれは堪らないな。僕が知ってた頃の二人は、やる気満々の素晴らしい人間だった。正直言って、何でああまで傷ついてるのかわからない」
(略)
[“BLACK ALBUM”が]がオクラ入りした理由は、レコード会社のプレッシャーや、曲のクオリティとはまったく関係がなく、プリンスによると、「多くのことがらが数時間の内に起こった」とある暗い夜が契機となった。具体的には話してくれなかったが、とにかくその晩、彼は「神」という言葉を見たという。「僕の言う神は、ケープをまとって地上に降りてくる髭面の男のことじゃない、その気になれば、ありとあらゆる物の中に見出せる存在なんだ」「あの頃は、終始怒り狂ってた」彼は続ける。「それがあのアルバムにも反映されていた。僕は突然、自分たちがいつ死ぬともしれない存在であること、そして最後に残した物で審判が下されることに気がついたんだ。あの、怒りに満ちた苦々しいアルバムが最後の作品になるなんて耐えられなかった。いろいろと勉強になったけど、もうあそこには戻りたくない」
(略)
 プリンスとスプリングスティーンは、折にふれて書簡を交換している。数年前、バック・ステージから観たスプリングスティーンのコンサートを回想する際、プリンスは、他人の軍隊を評する将軍のような敬意を示した.
 「観客の心をつかむ彼のやり方には、ほとほと敬服した。あのファン層だけは、絶対かっさらえないだろうな」とプリンスは笑みを浮かべる。(略)途中、バンドの演奏が散漫になってきてね。スプリングスティーンは振り返ると、すごい目でバンドを睨んだんだ。彼ら、その場でピシッとしたよ!」
(略)
「雨が降ってる」とデヴィソンがプリンスに 話しかける。「雨が降ってる」とプリンスはくぐもった声でオウム返しに答える。その目は、1000ヤードも向こうを見やっていた。その数秒後、雨に濡れながら歓声を上げるスイスのティーンエイジャーたちは、「1999」の最初のビートを耳にする。
(略)
[ショウを終え、次の国へ向かう機中で]
「神様にお祈りする時、僕はこう言うんだ。すべてはあなたの思し召しです。召される時には、歓んで召されましよう。けれど、この地にいるのを許していただけるうちは」――そこで彼は手を打った――「せいぜいヤンチャさせてもらいます!」
 バンド仲間とサポート・スタッフの鼾に囲まれて、プリンスは今、席に備付けのちっぽけなスポットライトの下、独りでジャムし続けている。その日のステージのテープを聴きながら、ロンドン到着まで、プリンスは夜通し起きているのだ。

フーテン―青春残酷物語 (シリーズ黄色い涙)

フーテン―青春残酷物語 (シリーズ黄色い涙)

[家が床屋でマンガに囲まれていた。原体験は]やっぱり『巨人の星』とか、スポ根ものですよね。で、残念なことに、手塚治虫さんのマンガに夢中になったというのが、あんまり記憶にないんですよね。いきなりスポ根になっちゃった(略)少年的な、いかにもマンガ的なものを読んだっていう記憶がほんとどないですよね。(略)
[やがて『ガロ』の時代が来て]
トラウマとして永島慎二のマンガっていうのは残ってますよ(略)根はあの辺でもう作られちゃったのかもしれませんね(略)この前、復刻版が出たんですよ、『フーテン』の。であれを見てですね、こう、さめざめ泣いたりして(笑)(略)
動かし難いですよやっぱり、ルーツはあの辺だっていうのは。いくら隠してもダメですよ。ですから、いきなり永島慎二に行って、そのあとやっぱり『ガロ』系の安部慎一とか、あと鈴木翁二とか(略)
ああいう、暗いやつですね。だけどあの頃みんな何か作るものもほとんどみんな暗かったでしょう(略)
音楽にしろ、ロックにしろねえ。まあ舞踏にしろジャズにしろ、僕はみんな暗いと思ったけど。ですからね、暗いのがトレンドだったんじゃないでしょうかねえ
(略)
[いつかはマンガ家になると思いつつ東京で色々やっていたが]
都落ちしましてね。東京で借金が膨れちゃったから、で、おやじが『肩代わりしてやるから、お前田舎に帰って来い』っていう風に交換条件を出されたんですよ。(略)
[工員をやった後、5、6年、印刷屋でチラシやポスターを作っていた。いしいひさいちが売れたので4コマ漫画を書き、エロ劇画ブームが来たので会社を一日無断欠勤して『漫画エロジェニカ』に持込。担当編集者がいないと言われ、原稿を置いてきたら、翌月、いきなり勝手に掲載された。その原稿料はまだ貰ってない]
(略)
印刷屋にいたあたりが一番屈折してましたよね。(略)
『描けば大丈夫だ』って。じゃあ何で描かないんだいっていうのがあって、『それは怖いからではないか』とかね
(略)
社長とも仲が悪かったですからね。でもう毎日毎日、きっかり15分遅刻して行ったりなんかしましたからね(略)
それはもうみんなの中でも浮いちゃうわけですよね。で、3時の一休みだとかいっても、一人でポツーンと(笑)(略)話題に加われないまま、一人でコーヒー飲んでたりとか、そういう青年でしたからね。で、それをやっぱり5、6年続けるわけでしょう、これは屈折しますよ。私の暗黒時代ですけどね」
――だけど、それがあったから『ネ暗トピア』もできたんで(略)その一時期がなければ、アレでしょうね、いがらしさんのマンガの作風も違ったものになってたかもしれないですね、多少。
 「そうですね。少なくとも四コマを描いたりはしなかったと思いますよね。たぶんいまだに劇画でデビューとか、そういう風に考えていたんじゃないかと思いますからね。

――『ぼのぼの』が売れる自身はありましたか?

『俺は何万部ぐらい売れるのか』っていう、そういう部分はなんか試してみたいなあという気持ちはやっぱりありましたからね(略)[ただ]50万売れるとは思ってなかったです。20万ぐらいは行くと思ったんですよ。だけど20万売れるんじゃないかと思ったら、やっぱり50万売れますからね、マンガっていうのは。で、10万しか売れないんじゃないかと思うと、やっぱり10万だったりしますけどね(略)20万行くんじゃないかと思うとやっぱ、それ以上行きますよ。そこんとこはやっぱ、10年やるとよくわかりましたね

――ただここ最近になって気になるのは、だんだん人生訓的になってきているんじゃないかという

 僕が『ぼのぼの』を始めたあたりはですね『いまは男のマンガ家で説教するやついないじゃないか!』とか思ったんですよ(略)『男の世界観みたいのを描くやついないじゃないか』と思って。例えば少女マンガだと大島弓子さんとか、ああいう方がいらっしゃいますよね(略)
で、『男は何を考えているの』とか『世の中のことをどう思ってるの?』とか訊かれた場合に、それを描いている人はまずいなかったんですよ。ですから、この辺で説教臭いやつもみんなほしいはずだって。『わかった。俺が説教してやる』とか。(略)だから大島弓子さんていうのはね、頭の中にあったんですよ。男・大島弓子になってやろうと思って

いがらしの方法論を拡げた若手作家への感想は?

[最近マンガを読まなくなったので]正直言うと読んでないんです。(略)
[ずっとパソコンにはまっていたが]
やっぱり読めば面白いです。ただ読もうとしないのが問題なんですよ。だから、あんまり一概には言えないんですよ、いまの新しい四コマを描いている人々が、どういうのだって。読めば面白いですよ、たしかに。才能もあると思いますよ。だけど、あの先には何もないんだなあっていうのがよくわかるんですよ、自分でやったから(略)
やっぱ滝の手前まで行ったんですよね、自分では(略)で『この先どうするんだ?』っていうとこまで行きましたから、じゃあ滝を下りてまた向こうの世界へ行くっていう手もあったわけですよ。で、そうなるともう発表できるところが、『ガロ』しかなくなっちゃうんですよね。(略)僕はね、あのアートが嫌いなんですよ。でそっちに行って『いがらしみきおのマンガはアートだ』と言われたら、もう俺は首くくろうかなと思うぐらいで。(略)
で、そっちに行くんだったらもう、どんどん、どんどん50万売りましたとか言ってるほうがまだカッコいいなと思うんですよ
(略)
私はね、その道のNo1だっていう人じゃないと読まないんですよ。ですから、もう一つ付け加えるんであれば、絶対的に新しいっていうのはあり得ないですけどね、ですけども新しくないとやっぱり読まないんですよ。あとは自分も描けるっていう、そういう傲慢な考えが頭の中に出ちゃうと、もうダメなんです。決してほめられないんです。ほめても『まあ、あれも面白いよ』とか、まあそんなこと言うぐらいでしてね(略)
で、これは何なのか、性格が単に悪いだけなのか、それともプライドがそう言わせるのかわかんないですけどもね。少なくとも言っちゃダメだよっていうのがあるんですよ(略)
例えば大友克洋さんという人いるでしょう。大友さんをほめた口で、こっちが面白いんじゃないかっていう人に対して『面白いよ』って言っちゃダメだよ!っていうのがあるんです。で、これは一つ、私の中にあるルールみたいなもんですからね。ですから、う〜ん面白いよと、そういう風にしか言えないです」

唯野教授キャラの筒井康隆インタビューの冒頭。

――まずは本誌のような訳のわからぬ雑誌で「唯野教授、筒井康隆を語る」などという、すべての出版社が“オイシイ”とヨダレをたらしそうなテーマでのインタヴューをお引き受け頂いたことを感謝します。
「とんでもない。たった一時間のインタヴューであなた、四十万円も頂けるとなりゃ誰だって自己凌辱的にOKします。オイシイのはこっち。