戦争と広告 日本の戦争広告を読み解く

一番笑えた防空都市ネタ。こっち(kingfish.hatenablog.com)で紹介した、「燃えぬ家こそ 空の盾」標語に並ぶ笑撃感。

爆弾は炸裂した瞬間しか爆弾ではない

爆弾は炸裂した瞬間しか爆弾ではない。あとは、唯の火事ではないか。唯の火事を、君は消そうともせずに逃げだすてはあるまい
召集を受けた勇士を、『一死奉公立派に働いてくれ』と君は励ました
一旦風雲急となった時、この都市を、護るのは今度は君の番なのだ。英霊は君の奮闘を待ってゐる
(略)
 空襲は恐れるに足らないというのが政府のスタンスである。なぜならば「わが日本の実力を以てすれば」そもそも敵機が来襲することはないからだ。ただし、「わが鋭鋒を逃れた敵の若干機が空襲し来ることはあり得る」ので、被害を最小限に食い止めるために訓練する必要があるのである。そのときの心構えは三つ。すなわち「われわれすべてが、一人残らず国土防衛の戦士」であること、「一心一家のことなどは顧みず、どうすれば犠牲を少なくするか」に意識を集中すること、「各自持場を死守すること」である。これを守らねば「非国民と言はれても申訳が立たない」とまで記されている。空襲が始まれば、わが身を捨ててでも国家を守ることが命じられているのである。

文部省、開戦の正当性をおおいに語る

[開戦は]どのように正当化されたのか。まず文部省教学局が作製した冊子『大東亜戦争とわれら』を見たい。
(略)
 アメリカやイギリスはアジアを植民地化し、人びとをひどく扱ってきた。インドはかつて農業国であることを誇っていたが、「悪がしこいイギリスの手がのびてからは」農作物が安値で買いたたかれ、工業はイギリスに押し倒され、インド人たちはイギリスの商品を買わされた。高い利子をおわされ「身動きならぬ状態」に陥れられたのである。ビルマやマレーまでも同じように支配される一方、「英本国の首都ロンドンの商店街は日一日と賑やかに栄え、イギリスはいよいよ肥え太つていつた」。オーストラリアでは原住民がイギリスによって「カンガルー狩りでもやるやうに撃ち殺」されて滅んでいった。
 アメリカは日本に黒船で威しをかけてきた。日本はその魔手に落ちなかったが、そのほかの国々はアメリカの餌食となった。たとえばアメリカはハワイで革命を起こさせ、その騒ぎにつけ込んで占領したし、フィリピンでは「独立の援助をしてやる」と嘘をついてスペイン軍と戦わせ、終戦後は自分の領土にしてしまった。
 「かうして、東亜の諸民族は国土を奪はれ、多数の住民たちの生活はおびやかされるに至つた」が、日本だけが経済的、政治的、そして軍事的に発展を続けた。そして東亜のリーダーたる日本の商品はアジア各国に行き渡り始めたのだが、アメリカやイギリスにとってはそれが「目の上の瘤のやうに邪魔」だった。第一次世界大戦で勝利し、イタリアやフランスの弱体化を悟ったアメリカとイギリスは「日本さへおさへつければ、支那満洲も自分のものとなつたも同様だし、さうなれば、東亜ばかりでなく、世界全体を自分たちの思ひのまゝに支配できる」と考えた。そして軍備縮小会議で日本の軍事力を低く抑えつけ、不平等な条件をさらに押しつけてきた。しかも「個人主義や民主主義や社会主義など、たうてい我が国の国がらとあひいれない思想を盛んに送りこんだり、浮はついた薄つぺらな風俗を日本の国内に流行させて、勤勉で質素な日本人を堕落させようとはかつた」。さらに日本人の排斥もアメリカは行い、イギリスは高い関税をかけたり輸入を制限したりもした。
 このようなイギリスとアメリカのやり方に妥協したのが中国だった。「自分たちがこれまでイギリスやそのほかの欧米諸国に、どんな目にあはされたかを忘れ、将来またどんな目にあふであらうかを深く考へもせず、米英と結び、その手先きとなって、日本を排斥することを企てた」。日本が日清、日露戦争以降、大陸で築いてきた「正しい地位」を踏みにじり、中国はその大陸から日本の勢力を引き払わせようとしたために満州事変が起きた。しかもこの満州事変に対してアメリカとイギリスは共謀して国際連盟に働きかけ、満州国の成立を認めようとせず、日本は国際連盟を脱退するに至った。このようなアメリカとイギリスのやり方に「つけあがり」、また共産党の抗日運動に載せられ、一九三七年七月に廬溝橋で中国軍は日本軍に挑戦してきて支那事変が起こった。日本が国を挙げて「東亜新秩序の建設」に邁進しているのに、アメリカとイギリスの助けを受けた蒋介石は事変を長引かせようとしており、「これで日本は弱つてゆく一方だし、支那もまたいつそう動きのとれぬ苦しい状態」になる。そしてイギリスとアメリカは「いよいよアジヤの地を思ふ存分に支配できるとほくそ笑んでゐたのである」。
 両国はABCD包囲線で日本を脅かす。その中で日本は外交努力を重ねて平和に解決しようとしたのだが、「たうてい我が国が立つてゆけないやうな勝手極まる話を押し通さうとした」。「これでは国民のたれ一人憤慨しないものはないはずである。靖国神社に神鎮まります多くの英霊のことを思ふだけでも、承知できる相談ではない。アメリカがイギリスと手を組んで、それほど日本に我慢のできない要求をして戦争をいどむならば、よし、いさぎよく一戦しよう。今こそ正義を貫く日本の力がどんなものであるかを思ひ知らせてやらう。国民の一人々々たれもかも、かういふおさへ切れない気持ちとなった。このとき、畏くも米国及び英国に対する宣戦の大詔は渙発せられたのである」。

「やさしく手をとつて教へてくれる兵隊さん」

という記事も日本の支配が現地の人びとを教育し、いわば近代化する様子を伝える。
[導入分]
 働くこと、それは人間の中で最も下等に属する者たちのすることだ。ごらん、アメリカ人も、イギリス人も、オランダ人も自分たちはなにもしないで遊んでゐるではないか――自らを劣等視した南方住民のかうした観念はひと度、日本軍の占頷下となるとがらりと一変した。『戦争にあんなに強かつた日本の兵隊さんは実によく、しかも喜んで働いてゐる……』今日では、懶者(なまけもの)だったマレー人もフィリピン人も、やさしく手をとつて教へてくれる兵隊さんや軍政部の人たちのおかげで、慟くことのよろこびが解るやうになってきた。我々の合言葉である職場の真摯敢闘はもう南方原住民たちにも建設のあらゆる方面に美しい協力となつてあらはれてゐる
 この文章には、三つの立場が対比されている。植民地支配にあぐらをかいて何も働かない偉そうな欧米諸国、それを見て自分たちも働かなくてよいと考える無知な「南方原住民」、そしてどんなときにも一生懸命「喜んで」働く新しい支配者の日本人である。欧米諸国における植民地支配は失敗とされ、現地人を教育し、働く喜びを伝える日本による支配が正当化されていく。 

「米英色を一掃しよう」

むかし むかし 或るところに
舶来物をありがたがつて
日本人にはさつぱり分からない
薬や
化粧品や
看板が
ありました
(略)
 「米英レコードをたゝき出さう」という記事は、米英レコード、ジャズのレコードの供出を呼びかける。(略)
「耳の底に、まだ米英のジャズ音楽が響き、網膜にまだ米英的風景を映し、身体中から、まだ米英の匂ひをぷんぷんさせて、それで米英に勝たうといふのか」と米英追従の態度を諌め「耳を洗ひ、目を洗ひ、心を洗って、まぎれもない日本人として出直す」ことを呼びかける。
(略)
記事は「米英媚態」の看板を次のように定義する。
この商店は一体なにを商つてゐるのか、その肝腎なところが横文字で書いてあつたり、店名に敵米英の地名や人名を用ひてあるものである。これは誰が考へても日本人をお客としてゐる日本の店のとるべきことではなく、まして敵国の地名や人名を書くにいたつては媚態以外の何物でもないであらう

明るい生活

勝利への生活に明るく灯がともされた
このみちを驀らに突き進まう
  巷に享楽の紅灯は消え
  高級興行場の扉は閉された
  花園はすでに農地と化し
  一切の装飾的なものは姿を消すだらう
  官庁の暦から日曜日は抹殺され
  国を挙げて月々金々の生活は始められた
一億が同じ乏しさに耐へ
同じ勤労の喜びにひたるこの生活
これにまさる明るい生活があらうか