イスラームとの講和 内藤正典 中田考

ハラール認証が利権になってるという話にビックリ。

はじめに

ムスリムはどこへ行けばよいのか?

冷戦が終わるころから西欧社会とムスリム社会の反目はすでに始まっていた。9・11の直後から、信じられないくらいにムスリムヘの反感と暴力を強めたのは「寛容の国」オランダであった。LGBTには優しいがムスリムには寛容の精神は機能しなかったのである。
 フランスは独自の世俗主義ムスリムに強要したことが深刻な対立をつくりだした。ドイツは、最初からムスリムの移民に居場所を与えようとしなかった。「居てもいいよ、だけど君たちの居場所はないと思うけどね」と言い続けたのがドイツ社会である。かつてムスリム世界を植民地として支配した英国は、フランスよりも洗練された形式――世の中ではそれを「多文化主義」と呼んでいたが――でムスリムを隔離し、できるだけ見ないで済ますやり方をとった。だが、それが移民たちの孤立をうみ、2005年7月のロンドン同時多発テロをまねいた。
(略)
 いずれの国も結果は同じだった。「ムスリムはでて行け」「イスラームは嫌いだ」が国民のかなりの声となったのである。こうして、母国での貧困や宗教弾圧から逃れた人々にとってサンクチュアリだったヨーロッパ諸国は、次第にオープンな監獄と化していった。ここでも敬虔で暴力性のないムスリムは徐々に居場所を失っていった。
 中東・イスラーム世界でも、欧米の世界でも、居場所を失ったムスリムはどこへ行けばよいのか? これが本書の重大な問いなのである。ISは彼らに向かって手招きしている。

なぜ難民はドイツを目指すか

内藤 シリア難民の多くがドイツを目指しているのには理由があるのです。まずはメルケル首相が「我が国には難民を受け入れる責任がある」と言ったこと。(略)
[ホロコーストの反省から基本法第16条で]誰でも自分の国で迫害を受けたらドイツに庇護権を請求できると規定したのです。ただし16条aには、難民として「受け入れる」とは書かれていません。庇護権を「有する」と書いてある。(略)
[さらに90年代のユーゴ紛争等で難民が殺到したので色々と付帯条項をつけた]
たとえば「第一上陸地点が安全な国だったら、そこを越えてドイツに来ることはできません」など(略)
 また90年に結ばれた[ほぼヨーロッパ全域を網羅している]ダブリン協定にも、「難民は第一上陸地点で難民申請をしなければならない」という条項があります。(略)これに従えば第一上陸地点で申請を拒否された難民が自国にきた場合、自動的にその難民を第一上陸地点に送り返すことができるのです。
 ところが2015年の8月に、メルケル首相は「ダブリン協定を一時撤回します」と発表した。(略)
だからみんな、トルコ経由でギリシャに入っても難民申請はしません。ハンガリーでもする気もありません。
(略)
[フランスほどムスリムへの迫害はないかもしれないが、住みやすいかはわからない]
少し前まで現政権は「移民は規範文化を守れ」と言っていたのです。その規範文化の内容ははっきり言わず。「ドイツ的なるものの総体」だということなんでしょう。(略)
中田 (略)だからドイツに長年住んでいたトルコ人なんか、嫌でたまらなかったと思うのです。
内藤 確かに半世紀前からドイツに大勢いたトルコ移民たちは、屈辱的な扱いを受けていました。移民の二世、三世になっても、「ところであなた、いつ国に帰るの?」と言われ続けて。
中田 ドイツにとって、彼らはあくまで「ガストアルバイター」で、国民ではなく客人なのですね。
内藤 その「ガスト」という言葉、日本では「お客さん」という意味でとらえられていますけれど、ドイツでトルコ人を「ガストアルバイター」と呼ぶ時はちょっと違います。テレビ番組のゲストのように「その場限り」という意味。つまりトルコからきた移民を、「一時的な労働力」としか見ていなかったのです。90年代終わりぐらいにトルコ人側が「その言い方はやめてほしい」と抗議すると、今度は「アウスレンディッシュ・アルバイトネーマー」と言い替えた。これも意味は「外国人労働者」ですから、とにかくドイツ側は表現だけ替えて、徹底して「自分の身内じゃない」と言っているのです。

EUは難民を金で売った

中田 メルケル首相は2015年10月にトルコを訪問して、もう難民をヨーロッパへださないでくれと言っていましたね。
内藤 そう、EUは30億ユーロをトルコに提供するし、トルコのEU加盟をドイツは後押しする用意がある、それになんとトルコ国民にはEUにビザなし渡航を認めようと。それと引き換えに難民を止めてくれと。ヨーロッパにとって大問題なのは分かりますが、つまりEUは難民を金で売った。しかし、2016年1月の時点で、難民流出は止まっていない。そもそもシリア内戦が終わらないのに難民が止まるはずはない。

異文化齟齬:

イスラームの押しの強さ

[引用者注:念のために書いておくと、ヨーロッパはムスリムを迫害してけしからんという話がずっとあってから、でも……という流れです]
中田 我々日本人の感覚だと、「こちらがここまで譲歩したんだから相手も引くだろう」と思いますが、逆なのです。イスラームの人は、「そこまで引いてくれたんだから、もっと言えばさらに引いてくれるだろう」と考える。要求がどんどん増えていくのが商業文化なので、ヨーロッパのような権利の文化の中では当然さらにエスカレートしていく。人間みんな同じ権利があるなら、もっと要求させてもらおうというわけですね。
内藤 なるほど、それはよく分かりますね。我々が中東に行った時、ただの客人でいる限りはシリア人でもトルコ人でも極めて友好的で際限なく親切でしょう。(略)
ところがお金が絡んだとたん、ガラッと変わる。たとえば自分が大家として日本人に家を貸す関係にでもなったら、それまで友好的だったのに「修理とか家具の入れ替えでも、これ以上は絶対金をださない」と主張してきて大変なことになりますね。だすものは舌でも惜しい、みたいな(笑)。
中田 商業の倫理というか権理の話になると、限りなくデマンディングになりますね。私自身、エジプトに住んでいた頃はほんとうに毎日嫌な思いをしましたから、ヨーロッパの人がイスラームのそういう押しの強さにうんざりする気持ちも理解できます(笑)。
内藤 トルコに限って言えば、日本人はトルコに対する印象って、はっきり二つに分かれますね。長く滞在していた人は、商売人としての彼らを見るから辟易して帰ってくる。(略)一方、数日の旅行で行った人は、たいていトルコが大好きになって帰ってきますね。親切に案内してくれたとか、お店でお茶をだしてもらったとか(略)結局は高いものを買わされているのだけれど、親切にされるので、そういう部分は気づいていないのかもしれません。
中田 当のトルコ人のほうは、お客さんを親切にもてなしながら商売として高いものを売っているわけですが、そのことに彼ら自身はまったく矛盾を感じていないのです。
内藤 (略)[20年以上前の話、カッパドキアの人形売りのおばちゃんがしつこくつきまとってきた]
 ちょうどその時、うちの女子学生が貧血で倒れたのですが、おばちゃんがなにをしたかと言えば、人形を即座に放り投げて彼女を抱きかかえた。それで「家から水を持ってこい!」と自分の娘に命令して、学生を一生懸命介抱してくれたのです。それまで執拗に物を高く売りつけようとしていたのに、目の前で人が倒れたら劇的に親切な人になる。彼らにしてみれば当たり前なのでしょうが、あの激変ぶりに日本人は驚きますよね。

崩壊するサウジアラビア

「欧米vsイスラーム国」から、「中露イランvsスンナ派テュルク(トルコ)系民族ベルト」
イスラーム側の主体となるトルコ

中田 アラブの心臓部にあるエジプトとサウジアラビアはもう危ないのです。(略)
王室クーデターの話が、もう公然と出ています。サウジアラビアはこれまでアメリカ一国に寄り添って、あとはただ世界中に金をまいていた。しかし、アメリカがイランと核合意したことが不満で、今度はロシアに秋波を送り始めたのですが、外交能力はありませんので結局アメリカの信用を失いロシアに手玉に取られるだけに終わるでしょう。
 さらに、近付いたロシアがISに空爆を始めたため、もともとはイデオロギー的に近かったISからの近親憎悪の怒りに火を注ぐことになり、また南の国境を接するイエメンが内戦で首都サナアがシーア派の手に落ちると、サウジアラビアでもシーア派に改宗する人が増えており、ISとシーア派との両正面戦争になっています。イエメンにはすでに陸軍を派遣していますが、サウジアラビアにとって実戦のための軍の対外派遣は建国以来初めてのことです。今まですべてのことを金で済ませてきたのに、今は自らの国民を兵として送り、死者を増やしています。石油価格の暴落で財政危機が伝えられる中で先が見えないイエメン介入の戦費はサウジアラビアに重くのしかかっています。
 ほかにもムスリム同胞団のムルシー政権を倒したエジプトの軍事政権を支援したことで敬虔なワッハーブ派の国民の不評をかったうえに、マッカの巡礼者が大量に事故死した事件の対応でも国際的に威信が低下しています。(略)
イランの影響の濃いレバノン覚醒剤を所持していたサウジの王族が逮捕されたのは、イラン、ヒズブッラーの影響でレバノンがサウジにケンカを売ったととらえられた可能性があります。2015年11月12日にベイルートで起きた「テロ」に関してはISが声明を出していますが、このことと関連があると私は見ています。これはほんとうにすごく危険で、本質的にはイランとサウジの代理戦争だと私は思っていました。その危険性の意味を考えると、ISの問題はそれほど大きくないというくらいに。
 その末に起きたのが2016年はじめに勃発したサウジアラビアとイランの緊張でした。欧米メディアは全然気づいていませんが、第二章で少し触れたとおり、すでに「イスラーム問題」の最大の焦点は、「欧米vsイスラーム国」から、「中露イランvsスンナ派テュルク(トルコ)系民族ベルト」に移っています。液状化した無能なアラブを飲み込み、スンナ派テュルク系民族ベルトを抑え込んで、シーア派が主導するイスラーム帝国を樹立するという形で、世界帝国としてのイラン帝国を復興する、というのがイランが現在実現可能と考えているシナリオであり、当面注目すべきは、上海協力機構アフガニスタンの情勢だと思っています。(略)
ヨーロッパとの講話でスンナ派の主体になれるのは、トルコしかありません。(略)
今、「我が国からイスラームを排除する」と言っているハンガリーも、かつてオスマン帝国の領土だったのです。そういう歴史を思い出して、現代ならどういう共存の仕方があるかを話し合わないといけない。そう考えていくと、イスラーム側の主体はやはりトルコなのです。

エルドアンがカリフに

中田 スンナ派ムスリム同胞団は、2010年から起きた「アラブの春」で平和的に議会制民主主義を掲げて各国の政権を取り、成功したらイスラーム化してカリフ制をつくろうとしていたのです。(略)もしあの時アラブの春が成功してムスリム同胞団の天下になっていたら、恐らくエルドアンがカリフになっていたと思います。同胞団のイスラーム学的最高権威カラダーウイーは、すでにエルドアンを「実質的なカリフ」として扱っていました。(略)
[エルドアン自身も]カリフ、あるいはスルタンになってイスラーム世界を自分がまとめるつもりでいたはずです。しかしその梯子が外されてしまった、というのが現状なわけです。(略)
内藤 2010年前後のエルドアンは、国際政治の場でも目立っていました。2009年のダヴォス会議では、パレスチナのガザを攻撃して市民を殺害したイスラエルのペレス大統領に向かって、「あなた方は人の殺し方をよくご存じだ。私はあなた方が浜辺で遊んでいた子供たちをどのように狙い撃ちしたか、よく知っている」と言い放っています。その後に、席を立って出て行ってしまうのですが、パレスチナだけでなく多くのムスリムから絶賛されました。同じ席にいた、アラブ連盟のアムル・ムーサ事務局長の狼狽ぶりが滑稽なくらいでした。本来なら、同じアラブ人である彼らが、イスラエルに対して毅然としてものを言うべきであったのに、全然、それをしてこなかった。そこに、トルコの首相が公然と非難したわけですから。(略)
[大統領の座にしがみつこうとした]ムバラク大統領に退陣を迫りました。それも威圧的な言葉ではなく、「人間、生前大統領であったとしても、死ぬ時はそれになんの価値もない。成すべきは善行を積み、国民の声に耳を傾けることだ」という趣旨の内容でした。(略)こうしたパフォーマンスも功を奏して、エルドアンとトルコはイスラーム圏の民衆から憧れのまなざしを集めていたものです。[しかし、ここ数年、汚職、強権政治があらわに]

カタール

内藤 イスラームの国の中で、今やトルコが頼りにしているのはカタールぐらいですか。
中田 そうですね。私が今見ているイスラーム世界の文脈の中では、「カタール・トルコ枢軸」という言葉が使われています。カタール世界中にお金をばらまいている国ですが、トルコに対しては特別な形で援助しているのです。[2013年エジプトでシーシーがクーデターを起こした際、トルコが反発したので、カタールは表立って支援をしなかった](略)
内藤 カタールは国が安定していますね。バーレーンのように統治者と国民がスンナ派シーア派で逆転するようなこともありませんし。
中田 そうですね、国民性も良いですし、のんびりした良い国です。実はイスラーム諸国の中では奴隷が多い国と言われていますし、出稼ぎ労働者も多いのですが、サウジアラビアクウェートアラブ首長国連邦に比べると、そういう労働者たちの待遇も非常に恵まれている。外国人労働者たちものんびりした顔をしていますし、決して不当な扱いを受けていないことが分かります。
内藤 カタールは、スーダンダルフールの紛争地の再建のためにものすごく資金をだしていますよね。(略)
中田 カタールは今、80%の住民が外国人と言われています。
内藤 おもしろい国ですね。中田先生も言われたように世界中に資金援助することで、どこからも攻撃されないようにしている。アルジャジーラのような放送局も中東では珍しく、わりあいイスラームに関して公平な報道をしています。他国の人をそれだけ受け入れながら、ギリギリのところである程度の自由を維持している。カタールタリバンも受け入れているので、タリバンの事務所もあるのですよね。
中田 ええ、いわゆる過激派と言われる組織とも、うまくつながりあえる国です。
内藤 イスラームが本来もつ、やってくる人を誰でも受け人れるという思想が、カタールでは具現化されているように思います。

日本の「国家主義」の欺瞞

内藤 安倍政権は国家主義を強調しているように見えるのですが、日本の現在の国家主義は偽りだと思っています。国民が窮地に陥った時、それが一般の人間だと日本政府は極めて冷淡な態度をとる。ISの人質が企業のトップや政府の要人だったら、おなじように「テロ国家に金は払わない」という態度を示せたでしょうか。国家主義は、国民を選り好みしては成り立ちません。
 フランスという国は国家主義が恐ろしく強烈ですが、ある意味、さすがです。ジャーナリストがISに捕えられましたが、なにをどうしたかは一切語らず、解放に成功しています。フランス政府にとっても、勝手にシリアに入り込むジャーナリストなど面倒で邪魔な存在でしょう。しかし、一旦、国民が窮地に陥ったら、ごちゃごちゃ言わずに救出に全力をあげる。金を払ったか払わなかったか、そんなことも一切黙って、救出する。それでこそ国家主義というものです。
中田 (略)[2004年イラクで三人が]人質になった時に、日本政府は彼らが捕まったのは「自己責任だ」として非難し救おうともしなかったのに対し、アメリカのパウエル国務長官は、「より偉大な良い目的のために我が身を危険にさらす覚悟のある市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ」と市民活動家を称賛しました。良くも悪くも自国民を守るのが、欧米のナショナリズムです。日本の政治家には、こうしたナショナリズムすらなく、あるのはただ支配階級の利益を守るエタティズム(国家主義)だけです。

内藤 (略)[自衛隊の幹部に会った際にこう言った]「アメリカの場当たり的な中東政策は、今まで成功したためしがない。その米軍が、再び、中東・イスラーム世界に介入を試みた時、日本が自衛隊を派遣すれば、その場当たり的な政策の犠牲となる危険がある」と。
 彼はこう言うのです。「我々の唯一の懸念は、戦死者が出た時に、それが無駄死にだという世論が日本の中に起きることで、もしそんなことになったら私は立つ瀬がない」と。その気持ちは幹部自衛官なら当然ですし、私にも理解できます。しかし、そう思うなら、アメリカが中東でなにをしてきたか、その結果、どういうことが起きたかをもっとよく知ったほうがいい、と私は言いました。
(略)
 日本はトルコのふるまいからも学ぶべきところがある。NATO加盟国で対IS有志連合の一員でありながら、集団的自衛権なんて一言も言わずにのらりくらりとアメリカの要求をかわしてきた。中東の秩序が大国によって破壊されることを嫌というほど知っているからです。シリアとは900キロ以上の国境で接していて、人や物が行き交う状況で軍事力を行使するリスクをトルコはよく分かっているのです。そもそも、国境はあっても、物も人も情報も行き来するのが常態としての中東なのです。外からやってきて、テロリストの行き来を止めろとアメリカは言い、難民の流出を止めろとEUが言う。現実の秩序維持のために、トルコ政府と軍が、なぜ軍事力を振りかざさないのか、そこには経験から学んだ現場の知恵というものがある。トルコのヤシャル・ヤクシュ元外相と話した時、彼が「日本にしかできない紛争抑止はソフト・パワーを用いることなんだ」と言っていました。中東の人たちは、もうこれ以上、外国の軍隊など見たくないはずです。

安易に使われている「地政学」

内藤 最近一つ気になることがあるのですが、「地政学」という言葉が今非常に安易に使われていますね。この言葉を最初に実践的に使ったのはナチス政権下のドイツで(略)
 たとえば日本列島があります。地図を見ると分かりますが、日本列島の南端からさらに南下してマレー半島インドネシアに至るまで、地形的につながりが見える。日本とつながっているじゃないか。しかし、地形的にひとつながりだからといって日本が南に軍隊を進め、マレーシアやインドネシアを支配していい、あるいは日本人の食糧や燃料を生産する拠点と位置付けていい、ということにはなりません。当たり前のことです。しかし、ドイツから入ってきた当時、「地政学」はこのような意味で植民地支配の似非学問的裏付けに使われました。(略)
[生存圈という]言葉は、ドイツが近隣諸国を侵略する時にも使われました。英仏と違って植民地をもっていなかったドイツは、無理やり支配の理屈をつけるわけです。ドイツが帝国として生きていくために、周辺地域は食糧を生産して我々に供給すべきであると。その発想が遅れてでてきた帝国主義になり、ナチスを誕生させ、ドイツを狂気に導いた。つまり地政学は、覇権を争う大国がどことどこになにがあるからこうなる、という話をあたかも科学的合理性があるかのように見せて、自らの狂気の支配を実現するためにつくった用語なのです。
 日本では戦後になって地理学者が地政学という言葉も学問自体も封印しました。我々が学生だった時は、「地政学」という用語は一種のタブーだったのです。ところが、どうもこの頃よく見聞きします。しかも、元の意味やその恐ろしさを知ったうえで使っているのか疑問を抱かせる使い方が目立つのです。(略)
もともとは日本にバイエルンの軍事顧問として滞在したことのあるハウスホーファーという人が、地政学の誕生に大きな役割を果たしています。日本語にも翻訳された『太平洋地政学』という本は、大東亜共栄圈をあたかも科学的な裏付けのある話であるかのように見せるうえで貢献しています。

ハラール認証利権

 物神リヴァイアサン(国家)崇拝を頂点としてイスラーム世界に蔓延しつつある偶像崇拝の最も醜悪な形態が、ハラール認証ビジネスです。ハラール(許されたもの)、ハラーム(禁じられたもの)とは(略)『クルアーン』と『ハディース』に照らして、一人一人の信徒が直面する現実の個々の事象の善悪を判断すべきものであり、預言者の没後は、何かがハラールである、ハラームである、などという判断を他人に押し付けることは、自己神格化、最悪の偶像崇拝であり、誰にも許されることではありません。事実、正統カリフ以降、オスマン朝にいたる歴代カリフたちであれ、四大法学祖をはじめとするイスラーム法学者であれ、カトリックの教会の免罪符にも匹敵するそのような瀆神行為を犯した者は誰もいませんでした。
 ところが、リヴァイアサン偶像崇拝に染まったマレーシアや、インドネシアなどの利権屋たちが、ハラール認証のない商品の売買を禁ずることでハラール認証を利権に変えるビジネスを思いつき、金で魂を売りはらい、アッラーに代わって自分たちでハラールとハラームを決めるという自己を神とする最悪の偶像崇拝を人々に押し付けているのが今日のハラール認証ビジネスです。近年では利権の匂いをかぎつけて、日本の官公庁までが、これらの東南アジアの利権屋たちと組んで、ハラール認証ビジネスに参入しつつあるのは、嘆かわしい限りです。

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