「法の支配」とは何か 大浜啓吉

 

「法の支配」とは何か――行政法入門 (岩波新書)

「法の支配」とは何か――行政法入門 (岩波新書)

 

ローマ法とゲルマン法

ローマ法には所有権の概念が存在し、私有財産制を認める法体系でした。
(略)
 これに対して、[13〜15世紀の]ローマ法継受以前のドイツに存在したゲルマン法は、まったく異なる所有権概念を持っていました。(略)
 ゲルマン法は一言でいえば農村法ですが、個人の排他的な所有権を認めません。土地についていえば、それは特定の人物のものでもなく共同生活を営む村落の構成員全員のものなのです。生活自体が相互扶助の精神に満ち、慣習を重んじ、共通の信仰に支えられている共同社会でしたから、個人は社会の一要素に過ぎず社会に埋没しています。
(略)
 各構成員はモノに対する権利を主張するのではなく、むしろ各人の能力に応じた平等の労働義務が課され、集落の共同財産を協同して維持管理しなければなりませんでした。そこでは個人の持分権的な所有さえ認められませんでしたので、これを「総有」と呼びます。かつて日本にも存在した入会地がほぼこれに当たります。こうしたゲルマン共同社会にローマ法が持ち込まれることによる社会的軋轢は、想像に難くありません。(略)
ローマ法の継受が、農村共同体を崩壊させ、一方で小農民を農奴に突き落とすと同時に、他方で中世の封建貴族をブルジョア化したことが知られています(今野義太郎、1970年)。
 余談になりますが、私はマルクス共産主義の理想として描いたコミューンは、おそらくゲルマン法の支配したこのような原始共同社会だったのではないかと考えています。

「法の支配」

 日本国憲法の「法の支配」を、英米型ではなくフランス型モデルで理解する有力な説があります(高橋和之、2001年他)。この見解は、「法の支配」を歴史的に形成された英米法固有の観念として理解するのではなく、より一般的な立憲主義の構成原理の一つとして理解し、政治権力の担い手に対し、その政治権力の行使を法に従っておこなわせることに意義を見出す学説です。すなわち、「法の支配」とは、支配者の意思とは独立に存在するあらかじめ定められた法に基づく、正しい統治を意味すると定義します。
 この説によれば、ヨーロッパ中世に誕生した「法の支配」の観念は、まず国王が従うべき法を国王から独立した議会が法制定に関与することで「法定立と法執行の分離」体制が確立され、次に法執行に際して生じる法的紛争を解決するために法執行作用から法裁定作用が分離することで「法定立−法執行−法裁定」の三権分立が完成したのだと理解します。
 これは、法の支配を三権分立の原理として再構成するものですが、これをさらに一歩進めたのが近代立憲主義であって、三権分立を「法の支配」を制度化した「憲法の支配」として再編するものだと主張するのです。(略)イギリス型とドイツ型の法の支配は、基本的には立憲君主制モデルを基礎にしたものなので、日本国憲法のモデルとはなり得ないとしたうえで、日本国憲法の法の支配は、基本的にフランス型モデルでとらえるべきだと主張するのです。
 第一に、この説が法の支配の概念にドイツの法治国家まで含めて論ずることには賛成できません。またドイツとイギリスを、立憲君主制型とひとくくりにすることにも問題があります。
 イギリスとドイツでは立憲君主制の中身、とりわけ統治構造があまりにも違い過ぎるからです。縷々説明してきましたように、ドイツの法治国家論は、市民革命が失敗に終わった結果生まれたものであり、それゆえに立法権の対象は「自由と財産」に限定されていました。法治国家論の下では、議会は君主の協賛機関にすぎず、そこで作られる「法律」は事前の議会の同意と事後の君主の裁可権によってサンドウィッチされており、「国民の意思」というより主権者である「君主の意思」としての性格が濃厚でした。議会主権を確立したイギリスとは、似て非なる制度です。
 第二に、法の支配のフランス型モデルのポイントは、国民を代表する議会を中心に権限分配を考える点にあります。このモデルでは、憲法を始原的に執行するものとして議会に優越的な地位が与えられ、すべての権力行使は、まず法律の制定から出発することが求められます。行政は法律の執行と定義され、法律から自由な(法律の授権を必要としない)自律的な領域をもたず、一切の行為を法律による授権により正当化されなければならないとします。
 しかし、この説によれば、司法権の役割は、せいぜい法律の執行に関する争いについて、独立の裁判所がこれを裁定するとか、「立法の合憲性審査は課題となり得る」という程度の説明しかなされていません。つまり、フランス型モデルでは違憲立法審査権を含めて、司法権の役割についていま一つ説得力が不足しているように思われるのです。
 第三に、フランス型「法の支配」論は、立憲君主制モデルと国民主権モデルの対比から出発しています。その限りで、わかりやすい面があります。しかし、「法の支配」を国家原理として理解する限り、行政法まで視野に入れて論じなければなりません。
 その場合、フランス型の説明ではむしろ日本国憲法の原理と矛盾をきたすことになります。
(略)
 「法の支配」の概念は、歴史的に形成されたものであり、明文の規定もなければ確立した定義もありません。したがって、日本国憲法の根底にある「法の支配」の原理にどのような内容を盛り込むかは、理論の問題ということになります。私は、日本国憲法はフランス型ではなくアメリカ型だと考えています。もちろんフランス革命が近代国家に与えた影響は計りしれないものがあり、フランス型とアメリカ型が相互排他的といえるかどうかは聊か疑問です。