報道されない中東の真実

一方的にアサドが悪いとされてるけど、周辺国の支援を受けている武装組織が蜂起を煽動していることが報道されてないというのが著者の主張。たとえばデモに参加した少年が拘束され拷問死したという報道に対して、政府側はそのような事実はなかったという検視報告をしているがそれは全く報道されないetc。
まあでも、アサドもなあ……。
第四章の周辺国動向が面白かった。特にカタール

アルジャジーラカタールの下にあり報道の独立性はない

アルジャジーラの報道姿勢が反体制派に極端に傾斜し、アルジャジーラがどの町のどこそこでデモが行われていると報道すると、その時点ではそこには民衆の動きは何も見られなかったが1時間後にデモが起きるというような事例が何件も発生し、シリア政府は抗議を繰り返した。アルジャジーラ本部ではユーチューブやフェイスブックなどをモニターして、そこに掲載される画像とニュースを、その信憑性を確かめることなく定時ニュースで流し、またシリア国内にばらまいた携帯電話などを使って「現場目撃者」と称する市民からの怪しげな「現場報告」をそのまま取り上げるのだった。
 2011年4月、アルジャジーラの一連の報道姿勢に抗議してベイルート支局長ガッサン・ベン・ジャッドが辞職した。その後任となったアリ・ハシェム支局長は着任直後の4月にはカラシニコフ銃や旧ソ連製の携帯式対戦車砲武装したレバノン人グループがシリア国内で武力活動をするために国境を越えてシリア国内に出入りしている事実を取材し、5月には映像とともに報道したが、アルジャジーラ本部では映像をすり替えたりして放映しなかった。その後も同支局長はレバノン武装グループがシリアで活動している様子を報告するのだったが本部の幹部は取材を不必要と指示する。アラブ世界で真のジャーナリズムが生まれたとして期待を持ってBBCからアルジャジーラに移籍した同支局長であったが、やがてアルジャジーラは結局資金提供元のカタール首長の影響下にあり、報道の独立性はまったく確保されていないとして抗議の辞職をした。2011年と2012年にかけてアルジャジーラの報道姿勢の在り方に幻滅して同TV局から辞職した有力な記者は13人余りに上った。

レバノンのベシャラ・ライ総主教

[レバノンでのマロン派キリスト教徒の存在は大きい。ベシャラ・ライ総主教が2012年3月に次のように述べて波紋を呼んだ。]
 我々は今アラブの春を生きているというが、この春は暴力と殺し合いに満ちて、冬に向かっているというべきだ。武力では改革を実現できない。失うもの、損害が計り知れない規模になる。イラクで何が起きたか。150万人いたキリスト教徒は、そのうち100万人が国外に逃れ出なければならなかった。今はどこでも戦争と暴力、経済と治安の危機に瀕している。シリアでも、他国と同じように国民は改革を求めている。シリアのバアス党政権はたしかに大変な独裁政権だ。しかし、アラブ世界を見てみれば、どこも独裁政権ではないのか。そして皆イスラム教を国家宗教としている。しかし、シリアは違う。その分、シリアは民主主義にもっとも近い国だといえる。自分は何もシリアを擁護しているのではない。だが、シリアが一歩前進しようとしているとき、暴力と破壊が猛威を振るっているのは何とも不幸なことだ。アラブの蜂起は独裁者を倒したが、あとに来るのはイスラム過激派ではないのか。過激派には外国から資金、兵器、そして政治的支援が来ている。穏健な市民は彼らを歓迎していない。穏健なイスラム主義者たちならばキリスト教徒にとってまったく問題ない。

アサド演説

ホウラ村での虐殺事件はシリア政府軍と民兵シャッビーハのよる蛮行として国際社会から非難を浴びたが、政府側は反体制派武装グループによるものと指摘。アサドは直後の人民議会での演説で

「野獣ですら決してしない蛮行。(略)この事件を起こして利益を得るのは誰だろうか。政府がやったというのか。政府がコフィ・アナン特使の来訪直前に特使の和平提案を失敗させようとしてやったというのか。シリアに敵対的な勢力が活動する国連安保理の中にさらに憎悪をもたらそうというのか。それはあり得ない。答えは自明である。シリアに危機状態を生み出した勢力はこれまで段階的に暴力をエスカレートさせてきたがその都度失敗してきた。そして彼らがたどり着いた作戦は宗教宗派抗争を煽り立てることだった。これは彼らが持つ究極のカードだ。このような彼らに感情的に対応してはならない。冷静に沈着に彼らが危機発生以来やってきたことを想起しなくてはならない。宗教宗派対立を煽ろうとする彼らのやり方は、彼らが破綻していることを示している」と国民に呼び掛けた。

マナフ・トゥラース准将の離反

 ハーフェズ・アサド大統領の盟友として32年間国防相を務めて政権の屋台骨を支え、父ハーフェズ・アサド大統領から息子バシャール・アサド大統領への権力の継承過程で中心的働きをしたムスタファ・トゥラース上級中将の次男マナフ・トゥラース准将が、2012年7月初め政権を脱してトルコ経由フランスに去った。アサド大統領の側近の離反として大きな関心を呼んだ。
(略)
 民衆蜂起が始まり、治安警察軍による民衆弾圧に国軍が動員され始めるとマナフ・トゥラースは力による解決策に疑問を持ち大統領に対して政治解決策の探求を勧めるのだったが。だが、大統領は理解を示すものの、政権内強硬派の影響力伸長によって次第にマナフは発言力を失っていった。(略)
欧米諸国はひそかにマナフ・トゥラースに期待した。(略)
 マナフ・トゥラースはバシャール・アサド大統領が宮廷革命を起こして強硬派を排除し、政治解決の道を強力に進めることを期待したが、大統領にはその気がなかった。マナフは強硬策で突き進むばかりの現政権を取り巻く軍事情勢とその将来を悲観的に判断したのだろう。そして、軍内部ではすでに脱走兵や中堅幹部たちの離脱がかなり明確な傾向になっていたときなので、彼の行動が起爆剤となり相当の効果を生みうると期待した。マナフは離脱を決意した。
(略)
 マナフ・トゥラースの第三極を作ろうとする努力は静かに続いている。彼の動きはカタールサウジアラビアとは一線を画しているようだ。アサド政権と反体制派勢力とが拮抗し互いに打つ手が尽きて動きが取れなくなるような局面が出たときに、彼の出番が巡ってくるのだろう。

  • 第四章、関係諸国の戦略

カタール

カタールリビアの内戦に資金と武器供与で積極的に介入し、その勢いをかってシリアの民衆蜂起に関与し(略)反体制派武装グループの活動を支援してきている。
 カタール秋田県よりやや小さい国土に人口は201万人余りとされるが、実はカタール人は25万〜30万人に過ぎない。他はすべて外国人居住者である。国土の南に米軍中央指令団を誘致し関係者と家族とで1万人規模が駐在しているという。「憲法」と呼ぶものを持たない。諮問評議会はあるが、先進国のような立法権は現状ない。一人当たりのGDPは10万ドルを超える。財政は石油と天然ガス生産で十分に賄ってきている。毎年5兆円規模の国庫収入があると言われる。
(略)
[イラクに併呑されたクウェートのように、自国がイランとサウジアラビアに併呑されることを防ぐ答えは「国際的認知」の獲得]
カタールが危機に瀕せば必ず国際社会がかけつけてくる。それには金(カネ)、文化そして伝播媒体が必要だった。金はほぼ無尽蔵にある。その金で英国、フランス、ドイツなどに莫大な投資を行った。
(略)
イエメンの紛争当事者間の停戦実現、スーダンダルフール問題の仲介、アフガニスタンの和平プロセス支援、レバノン政党間の仲介と大統領選出と国内政治の正常化の仲介など、豊富な資金を使って外交的成果を上げた。イスラエルとの関係もあった。(略)
[フランス製ミラージュ戦闘爆撃機6機でNATO軍に参加し]
NATO諸国にカタール空軍の存在を明確に印象付けた。
そしてシリア紛争への積極的な介入である。
ハマド・ビン・ジャセム首相兼外相は(略)厳しいシリア制裁決議内容に疑問を投げるアルジェリア外相に対し「もう十分。黙れ。いずれあんたも同じことになるだろう」と脅し、会議出席者に対して「私に同意するしかない。自分には米国がついている」と言ってのける。ニューヨークではロシアのラヴロフ外相に「あんたの拒否権を買おう。いくら必要だ?」といって、ラヴロフ外相を怒らせ、それ以来両国政府間の関係はおかしくなった。
(略)
カタールは金の効用をよく認識している。首長と首相は「金は力。柔軟に、でかく考えて行動しよう」とカタール流で戦略的に考えていたようだ。カタールはフランスのサルコジ大統領(当時)でさえ動かすことができる。
(略)
カタールの課題を考えるとき、まずイランの存在がある。(略)イランはいろいろの嫌がらせをする。アルジャジーラの電波を妨害することがある。カタールはイランに面と向かって対決できないことをよく承知しているので、ただただ耐える。天然ガス田がイランと実質的に競合しているカタールは不安がないとはいえない。
 他方、エジプトでムバラク大統領が失脚するとアラブ世界に力の空白ができたことを理解した。柔軟にでかく考えるカタールには、見逃すには惜しい機会であった。
 そこで、リビアに介入した。次いでシリアに目を付けた。短期戦である。うまくいけばイランの影響力を削ぐことができる。成功を確信し、資金を広くばらまき、武器を供与した。[30億ドル](略)米国政府の反対を押し切って反体制派グループに対空ミサイルを供与した。
(略)
勝ち馬に乗れたと思って走ったカタールだったが、シリアでのもくろみは失敗した。
 こんなカタールに対して、他の湾岸諸国は決して快く思っていない。とくに、ムスリム同胞団に対する好意的姿勢が他の湾岸諸国から非常に問題視された。(略)サウジアラビア、アラブ首長国連合、バーレーンは堪忍袋の緒を切ってカタールから自国の大使を召還した。
(略)
カタールは金力だけでは国を守れないことを次第に悟り始めたようである。シリアの反体制派組織に現在も資金援助などは継続しているが、シリア問題での発言はきわめて少なくなった。

イラン

イランがシリアを支援するのは[同じシーア派の誼などではなく、単に実利](略)国際社会から制裁を受けて両国ではお互いに協力し合ってひたすら国際社会からの寒風に耐えた。(略)スンニー派政権で構成されるアラブ世界の中でイランの橋頭堡を維持することにある。アサド政権が倒れてしまっては、アラブ世界の中でイランを代弁し、イランの利益を守ってくれる勢力が欠けてしまう。(略)
[レバノンのヒズボッラに武器支援等をする際にアサド政権が必要](略)
パレスチナ問題でイスラエルと対決姿勢を維持し続けるために、特にイスラエルと国境を接して対決し続けるシリア政府の存在は重要である。
(略)
イランが中東世界で影響力のある大国であるためには、シリアのアサド政権は何ものにも代えがたい価値があり、アサド政権を支援することはイランの国益そのものである。
 シリアの民衆蜂起が長引くにつれて(略)イランの目にもカタールサウジアラビアがイランそのものを視野においてシリアの反体制派組織を支援していることが明らかになってきた。イランは引くに引けなくなった。

レバノンヒズボラ

レバノン国内のスンニー派国民はすでにかなりヒズボッラから離れていたが、[現情勢でのアサド支援により]さらに大きく支持を減らしたといわれる。小国レバノンはシリアの動静に非常に影響を受ける。シリアがくしゃみをすればレバノンは風邪をひき、悪くすれば肺炎になると言われる所以だ。レバノンの多くの国民にとってすでに100万人を超えたシリア人避難民の受け入れに加えてさらに戦火まで及んでこられては心底堪らないという気持ちでいるところに、拾ってもらっては困る火中の粟をヒズボッラが拾って危険な賭けに出てしまったというやるせなさが漂っている。
 当のヒズボッラは組織の存亡をかけていまやアサド政権側に立ってシリアの反体制派武装グループと対峙している。アサド政権が崩壊する場合にはヒズボッラも一蓮托生となるおそれがあることを十分に認識した上での選択であり、自らを崖っぷちに追いやっての組織の存亡をかけた賭けに出た。アサド政権が傷つきながらも生き延びる際にはヒズボッラの存在はレバノン国内でさらに大きくなりえようし(略)
反対の際にはヒズボッラの組織としての瓦解が視野に入ることになり、レバノン国内のヒズボッラ支持のシーア派国民の間には不穏な空気が充満する。

トルコ

トルコとシリアの関係は歴史的にとても難しい。(略)[偉大なるオスマン帝国継承国であり、人口8000万人、2000年代の経済成長]
トルコは自信を得た。エルドアン首相は治世に自信を持った。(略)
[しかしEU加盟は進まない]
欧州からみればトルコは心情的に紛れもなく中東世界に属する。しかし、トルコ人、特にイスタンブールトルコ人は、自分たちは十分に欧州的であると考えている。そこにトルコ人の複雑な心理がある。自分たちが思うほどには欧州から高く評価されないが、中東アラブ世界との関係では歴史においても、文化にしろ経済力にしろ抜きん出た存在であるとの自負である。
 現在のエルドアン政権のトルコはEU加盟交渉を続けるものの、軸足をより一層中東アラブ世界に傾けて中東アラブ世界での影響力確立を目指した。そのためにも近隣諸国との間での「ゼロ・プロブレム外交」を推進した。
(略)
[1998年、反政府党首をかくまったことでトルコはシリア国境に軍隊を展開したが、シリアが譲歩]
それ以降、両国間の緊張は弛緩し(略)蜜月時代が生まれた。トルコ政府のゼロ・プロブレム外交が奏功した。経済関係も非常に進み、各分野でトルコからの投資が進み、貿易関係も拡大し、さらにトルコから湾岸諸国への物流ルートは陸路シリアを通るのがもっとも安全で安価で、しかも早かった。2004年には、アサド大統領はシリアの元首として初めてトルコを公式訪問した。両国関係は戦略的互恵関係と規定された。
(略)
[2008年エルドアン首相はシリアとイスラエルの間接交渉に乗り出したが]
イスラエルは突然にガザを攻撃し、同地を支配するハマスの駆逐に乗りだした。(略)[国際会議で]イスラエルのペレス大統領とエルドアン首相は意見の応酬となり、同首相は突然に席を蹴って退場すると、アラブ世界ではエルドアン首相の行為を喝采するのだった。
(略)
トルコには欧州との関係では受け身になるが、シリアとの関係では常に優位にあるとの認識であり、シリアではそのようなトルコに対して決して胸襟を開くという関係にはならなかった。
(略)
[近年]国際社会でエルドアン首相に対する評価が変わってきた。当初の実務的首相という評価からイデオロギー色が強い首相と変わり、チームワーク重視型政治から独裁専行的首相になり、民主的手法から権威主義的姿勢になり、よく練った政策から直観的衝動的政策になり、立ち居振る舞いがスルタン的になってきたと評されるようになっていった。さらにエルドアン首相は中東アラブ世界で影響力を高め、世界の指導者としての評価を作るためにイスラエル・カードを利用したと理解され始めた。トルコと周辺国との関係は緊張し、エルドアン政権の「ゼロ・プロブレム外交」は「ゼロ・フレンド外交」と揶揄されるようにもなっている。
(略)
 エルドアン首相はシリアの民衆蜂起でアサド政権は短期的に倒れるだろうという見方で反体制派に対して強力な支援を惜しまなかった。しかし、その判断は誤った。

イスラエル

 アサド大統領は民衆蜂起が始まったときからこの動きの背後にはイスラエルがいると断定し、シリア政府幹部たちもその発言を繰り返してきた。
(略)
 シリアのアサド政権はスキをみせると危険な敵ではあるが、お互い手の内をよく知り合い同じ土俵の上で敵としてにらみ合う、同じゲームのルールに従って敵対し合うそんな仇敵である。ところが、シリア国民連合にしろ自由シリア軍にしろ、いわゆる穏健派としての反体制派組織は(略)国を運営するだけの人材も能力もない(略)はたして同じ土俵の上に立って向かい合える相手なのかよくわからない。他方、保守過激イスラム主義武装グループとなると、狭隘なイスラム思想を掲げて残虐な行為を重ねてきている彼らは何をしでかすか予想もつかず(略)イスラエルの治安と安全に対する脅威には計り知れないものがある。
 その一方で、イスラエルは二股をかける策にも出ている。(略)[反体制派武装組織が]イスラエル占領地に逃げ込んでくると、彼らを収容し[治療したり、別のところからシリア側に送り出している](略)
 2013年以来イスラエル政府では、アサド政権の崩壊は近い将来にはなかろうとの見方に立っているようだ。(略)
現在のシリア情勢はイスラエルに対する脅威を下げるのでいわば漁夫の利を享受できる立場にいる。加えて、アラブ世界に対して、イスラエル問題はもはやアラブ世界にとって優先的な問題ではなく、アラブ世界は他のもっと重要な懸案があり、そちらに関心を向けるべきだと言える状態になっている。
 しかし、問題はある。シリア情勢がレバノンの脆弱な政治社会的均衡に影響を与え、事態はさらにイラクに波及して、サウジアラビアの産油地帯近隣にも脅威が及ぶと、陰に陽に手を組んできたサウジアラビアの不安定化となり、イスラエルを脆弱化させる。

国連

[シリア危機においては]国連事務総長はまったく何の役割もはたせていない。(略)
 バン・キムーン事務総長がシリア政府に対してまったく影響力を発揮できず、今ではニューヨークの国連本部からダマスカスに行くことさえできずにアサド政権から無視同様の扱いを受けているのは、事務総長がシリア動乱の初期からすでに米国政府とほぼ同様の立場を旗幟鮮明にし、常に米国政府と同じ発言を繰り返し、アサド政権に対する非難に終始して、アサド大統領の説明に耳を貸そうとする姿勢が希薄だったからだった。
(略)
 歴代の国連事務総長は、困難な国際紛争の仲介者として当事者との間で何とか信頼関係を作り上げてそれなりの成果を上げてきた。あるいはハマーショルド事務総長のように仲介の過程で落命さえしている。仲介工作をしているときには時の米国政府やソ連政府と緊張した関係にもなりながら、とにかく善意の第三者としての立場を崩さず、紛争当事者たちの言い分に十分に耳を傾けて事態の打開に努めた。ところが、バン・キムーン事務総長にあっては仲介の最後に明らかにするべき己の立場を初めから明らかにしてアサド大統領の信頼を失ってしまった。
 ニューヨークの国連には国連の場特有の雰囲気と論理があり、外交官たちは世界の中心にいるような錯覚で現場感覚がないままに議論を重ねる。そこでは必ずしも紛争現場の現実を踏まえないままに議論が展開される。国連事務総長はは国連本部の論理だけを振り回すことにより、問題解決の端緒を自ら切断してしまった。
(略)
[ダマスカスの国連関係者の滞在する1泊420ドルのホテルはコンクリートブロックで城塞化。]泊まり切れない関係者たちはシェラトン・ホテル住まい。このホテルもシングルで1泊が240ドル以上する。
 彼らが使用する車両はほとんどがトヨタランドクルーザーで、しかも防弾車であり、新車である。1台1500万円以上する。それが数十台並んでいると壮観である。
(略)
他にも安全が確保される一流ホテルはある。しかももっと安い。さらに指摘すれば、ダマスカスには国連機関用の宿泊施設がメッゼ地区のはずれにあり、高い壁で安全が確保されている。国連は現在そこの施設をどのように使っているのか明らかでない。
 国連職員のぜいたくな生活ぶりは際立っている。

あとがき

 ダマスカスの人々はシリアの他の場所に住む人々たちよりもずっと恵まれている。多くのダマスカス住民は、良し悪しを別にしてアサド政権は倒れないし、同政権の生き残りは仕方ない、何しろ反体制派武装組織が悪すぎる、彼らの宗派的主張は到底受け入れられたものではないと考えているようだ。
(略)
[シリアは非難されまくりなのに、イスラエルは放置]
 ガザ170万人余の人々は東と北をイスラエルにアリが出入りする穴さえ閉ざされて、南はエジプトに抑えられ、西を地中海に閉ざされ、東京都23区の6割の地域に閉じ込められて窒息しそうになりながら必死に生きてきていたら、ふたたびイスラエルから逃げ場のない場所でいいがかりをつけられ、イスラエル軍のなすがままに殺され続けている。ただ、イスラエル側の死者は前回に比しかなり増えている。
 国際社会は黙り、手をこまねいている。ハマスの狭隘な考えとその行動が友人を失い孤立化を招いたとはいえ、国際社会の反応の鈍さは尋常でない。
 現在、アラブ連盟が毒気を抜かれている。カタールのハマド・ビン・ジャセム首相兼外相(当時)が手続きも何も無視してかき回した後遺症が出ているのか。
(略)
 シリアの国外避難民は4家族の内1家族の割合で生活費を稼ぐ男手がなく、女性1人で家族を養っているのが現状だと国連難民高等弁務官事務所関係者が叫ぶ。異郷の地で仕事とてない彼女たちは家族を養うために、自らの命を絶つに等しい決断をして恥辱を耐え忍ぶ。生きるため、生き残るために涙を枯らして彼女たちはSurvival Sexに向かう。誰が彼女たちを咎められよう。ヨルダンに避難した家族の主婦が得たのは一人を相手にして7ドル。トルコではトルコ人男性たちから襲われ、娘たちは家族の窮状を救うためだけに言葉もわからない相手と結婚する。