そして戦争は終わらない・その2

前日の続き。

要塞

 バグダッド支局は次第に要塞化していった。(略)厚さ30センチ高さ6メートルのコンクリート防爆壁を建て、その天辺に有刺鉄線を張った。武装した警備員も雇った。最初は20人で、それから30人、40人と増えていった。しばらくすると、武装した警備員にかかる費用がばかにならなくなった。全員にカラシニコフを買い与え、地下室にあるロッカーにはグレネード弾が置かれた。(略)
 元兵士の警備アドバイザーを雇ったのだが、日給は千ドルほどで、スタッフの中で最も高給取りになった。装甲車を三台購入し、その中にはドイツの外交官が所有していたBMWもあり、それは25万ドルもした。買ってからすぐに、そのBMWの屋根にカラシニコフが撃ち込まれたが、見事に貫通を許さなかった。それから、新聞社が私たちにかけた生命保険料は、一か月におよそ一万四千ドルにものぼった。推定すると、保険会社は少なくとも一人は死ぬだろうと考えていることがわかる。(略)
一緒に働いたイラク人で殺された者もいる。私たちアメリカ人は、防御壁に守られて縮こまっていられるかもしれない。しかし、イラク人のスタッフは夜になると自宅に帰らなければならない。

愛国心

 私は決して愛国心についての質問はしない。2004年7月、サダム・フセインが審判にかけられたとき、スタッフのイラク人たちは編集室のテレビの前で釘付けになっていた。被告席にいるサダム――やつれて小さくなった彼は、安っぽいスーツに身を包んでいた――を見て、通訳の一人が泣きだした。サダムに反旗を翻したジャフは、彼を見て大きな声で笑った。そのジャフを見て、スンニ派の通訳のバシムが彼に食ってかかった。
 「よくもそんなふうに、わが国の大統領を愚弄できるもんだな!」と彼は言った。
 イラクはとても込み入っている。そう、まるで迷路のように。それゆえ、最後に頼れるのは信頼だけなのだ。

チャラビ

 チャラビの車列が行列の前に割り込むが、誰も文句を言わない。銃の威力だ。チャラビの厚顔無恥にはあきれるばかりだった。ガソリンを手に入れると、銃を振り回し、ふたたび猛スピードで車を飛ばした。(略)
[別の場所で選挙参加を呼びかけ]
 「ここに来る途中で、大勢の人々がガソリンを買う列に並んでいた(略)ガソリンを手に入れるために、何日もわが同胞が並ばなければならないというのは、非常に憂えるべきことである」
 チャラビは一流のペテン師だ。ごまかしと言い逃れ、時には話をそらす。自分で責任を取ることは絶対にしない。(略)
 チャラビはイスラム教徒の仮面をかぶっているだけだ。それは彼にとって新たな仕掛けであり、改革だった。演説では、欧米で教育を受けた数学者は、イスラム教と預言者に敬意を表する。(略)
 それはまったく説得力のないものだった。チャラビはターバンも巻いていなければ、髭も生やしていない。礼拝もしない。彼はほんとうに、礼拝のふりさえしないのだ。
(略)
従者がマンゴーのアイスクリームが入った皿を持ってくる。バグダットで武装した護衛と発電機に囲まれていても、チャラビは決して自分の楽しみを我慢しない。高そうな細身のスピーカーからヴィヴァルディが流れていた。背が高くてスリムな椅子は、フランク・ロイド・ライトのレプリカだった。

わずか一年前に、アメリカ情報局によって、イラン政府に機密情報を漏らしていると告発されていたのだ。両者の亀裂は決定的なものだった。
 ところが、運命の輪がふたたび回転を始める。イラクは崩壊状態にあり、2005年秋の時点で、ブッシュ政権内の人々は、誰でもいいから友人を求めていた。そこに、チャラビがやって来たのである。リムジンに乗って、彼はペンタゴンと旧行政府ビルを訪れた。
(略)
大量破壊兵器のことでは、あなたは故意に米国民をミスリードしたのですか?」
 チャラビは、その質問を待っていたとでもいうように笑った。
 「それはもう都市伝説のようなものだ」と彼は言った。
 聴衆が固唾を呑む。
(略)
[90年代CIAに重用されていたチャラビはその思惑を超え、本気でフセイン政権転覆をはかり]
ゲリラをサダムの治める地域に送り込んだのである。まさに彼は戦争を始めようとしていたのだ。(略)CIAはチャラビを追放した。その後、彼はアメリカ政府の別派、新保守主義派に拾われる。そうして、チャラビは復活を遂げた。(略)
 「チャラビのことかい?」受話器の向こうで元CIA局員ベアーが言った。「ワシントンにいる連中全員のIQを足しても、やつにはかなわないだろうな。とにかく回転が速いんだ。それに、読みも鋭い。人間を見る目も尋常じゃない。俺なんか、あっという間に見抜かれた」

内戦

 「警察に連れていかれたまま帰ってこないのよ!」と一人の女性が目を真っ赤に腫らして叫んだ。(略)
 「私なんて三人の息子を連行されたわ!」
 泣き叫ぶ声は大きく、そして増えていき、とうとう集団ヒステリーのような状況になった。(略)
内戦が始まりつつあったのだ。始まるまでに何か月もかかり、そしてはっきりそれと見極められるまでに、さらに数か月が必要だった。2005年1月の選挙後、シーア派でも強硬派が政権を握ると、閣僚を守る武装した男たちに制服と身分証明書を与えて解き放ったのである。バグダッドの冬の冷たさの中、スンニ派モスクの隣のオフィスで、泣き叫ぶ母親たちという形を取って内戦は姿を現したのである。
(略)
 電気ドリルはシーア派の異常行動の象徴となった。脚にドリルの痕がついている死体を見つけたら、そいつはほぼ間違いなくスンニ派だ。そして殺したのはシーア派である。スンニ派は首の切断を好む。あるいは、自爆で他人を巻き添えにする。一般的には、シーア派は首切りをしないし、自爆もしない。

死刑宣告

 「もう疲れたのよ」とユスラは言った。「サダムの時代は、口を閉じていたら、彼に逆らうようなことを言わなければ安全だった。でも今は違う。私が殺されてもおかしくない理由がたくさんある。私かシーア派だから、スンニ派の息子がいるから、アメリカ人のために働いているから、車を運転するから、私が仕事をしている女性だから、それから」――彼女はアバヤを手に取り――「もうヒジャーブなんてかぶりたくないのよ」。
 彼女は私のノートを取ると(略)真ん中に大きな円を描いた。
 「これがサダム」と彼女は言った。「彼はこの大きな丸。サダムの時代、市民のすべきことは、この大きな丸から離れていること。不快なことだけど、難しくはなかったわ」
 彼女はさらに空白のページを開くと、複数の円を描く。(略)ペンを真ん中に突き立て、点を付けた。
 「真ん中の点が私、つまりはイラクの市民ということね」と彼女は言った。「どこに行っても殺される可能性がある。ここも、ここも、ここも」彼女はペンをノートに突き剌していく。
 「私たちイラク人は、全員が死刑宣告を受けたようなものなのよ。そして、死刑を執行するのが誰かはわからない」

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