踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽

タイトルから来る期待が大きすぎたからなのか、もっと面白くてもいいはずなのに……で終了。
学者スタンスだからなのだろうか。

踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書)

踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書)

 

『ドドンパ誕生』裏話

[アイ・ジョージ自伝『ひとりだけの歌手』によると]
アロージャズオーケストラのメンバーとのレコーディングにおいて、日常的にラテン・パーカッションを用いた即興的なセッションを繰り返しており、ドドンパはその過程で生まれたという。(略)
[あるメンバーにペペ・モルト楽団が変わったリズムをやっていたと]
紹介されたのが、チャチャチャを変型したオフ・ビート・チャチャチャである。二拍目に馬鹿に強いアクセントがあり、奇妙な面白さがあった。
 「アローの“ちゃんねえ”が東京でおぼえて来たダンスもあるそうや」
 そう言って、もう誰でもご存知の、あの「ドドンパ」のダンスが踊られた。
 「なんや、けったいなダンスやな、びっこの踊りやないか」(略)そのうちにぼくが、突然あることを思いついた。
 「三拍目を三連音符にしたらどうだろ。よけい変わってて面白いかもしれないよ」(略)
 ンパ、ドドド、タタ、ンパ……これでー、二、三、四、一、二というくり返しになる。
(略)
LP『ドドンパ誕生』(1961・テイチク)の解説では、若干異なる仕方で記述されている。(略)
 先づドドンパの「パ」に当る小節2拍目をボンゴが1打します。次で第2コンガがコンガの皮をこすって出すツゥーンという音を一拍目に入れます。次にドドンパのドドンの部分になる第4拍目を第3コンガが、「パ」の部分を強調する為にタンバリンが、それからこれはドドンパのリズムがプラードのロカンボとも又フィリピンのオフビートでもなく、これが日本生れのドドンパであると主張するかのように「パ」と「ドドン」の間の第3拍目に三連音のリズムをきざみます。次いでマラカス、ティンバル等が小節を8つにきざみ、最後にドラムスがシンバルで4ビートをきざみながら参加することによって完全にドドンパのリズムが誕生した訳です。
 つまりジョージの自伝ではドドンパの「ドド」は三拍目に対応するとされていたのだが、LP解説では「ドドン」が四拍目、「パ」が二拍目ということになる。
(略)
[名前をつけようということになり]ジョージがこの名前を思いついたという。
 「ドドンパ!」
 「それや、それがええわ。ドドンパ!いかしとるで。秋田のドンパン節みたいなもんや。純国産リズム、ドドンパ。よっしゃ今年[1960】の夏にアローで大デモンストレーションやって大いに流行らしてやろうやないか……」
 ドドンパは、こうして、まったく即興的に突如として生まれた。
(略)
[61年大ヒットした]渡辺マリ「東京ドドンパ娘」に対する批判的なニュアンスを込めて、アイ・ジョージは自伝のなかで次のように主張する。
 ドドンパは、オフ・ビート・チャチャチャの音型である。そしてそれはフィリッピンのバンドが日本に持ち込んだものだ。しかし、三拍目を三連音符にしたのは、誰でもないアイ・ジョージである。ここのところと、ドドンパと命名したセンスだけは買ってほしい。
 それと、もうひとつ。さっきぼくは、新しいリズムを流行らせるには、流行歌が一番効果的だと書いた。しかし、ぼくたちはそんなことはわかり切っていたけれどやらなかった。そこを買ってほしい。
 なぜなら、ぽくが「東京・ドドンパ野郎」というようなレコードを出したら、もしかしたら何万枚かのヒットになったかもしれない。しかし、それは間違っていることなのだ。歌手に、ある風俗的なもののレッテルを貼ることは、一時期爆発的に人気が出るかもしれないけれど、そのレッテルが逆に一生とりのぞけなくなる。ぼくたちは、遊びの精神と、商売になるということからドドンパを作って流行らせたけれど、アイ・ジョージが、ドドンパと心中するのは、およそむなしいし馬鹿馬鹿しいことだ。だからしなかったのだ。

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