世界の半分を怒らせる  押井守

押井守兵頭二十八をゲキ推し&受け売り披露で、ちょっとドン引きw

世界の半分を怒らせる

世界の半分を怒らせる

  • 作者:押井 守
  • 発売日: 2015/04/22
  • メディア: 単行本

有料ブログで発表したら一部がネットで引用され炎上した『エヴァQ』評。
次の回で、「エヴァという現象」の本質を簡潔に分析しただけなのに、それを悪口としか理解できないとは、この類の幼稚な感情の吐露が蔓延しやすい構造を抱えてるからネットはまともな言論空間たりえず、だから有料のブロマガを始めたのだ、と押井。

エヴァ』について

(略)あらかじめ言っておきますが、僕は『エヴァ』に関しては、シリーズを何本かと、最初の映画版(春エヴァ?)以外は全く見ていません。見ていませんが、おそらくは『エヴァ』という作品について、もっとも適切に語り得る人間のひとりであると自負しております。
 ひと言で言って、『エヴァ』という作品は、まるで明治期の自然主義文学の如き私小説的内実を、メタフィクションから脱構築まで、なんでもありの形式で成立させた奇怪な複合物であります。
 キャラクターの周辺に関してはパンツ下ろしっぱなしで、監督である庵野の現実のまんま。島崎藤村田山花袋もかくやのダダ漏れ状態です。一方で表現や文体はと見れば、異化効果どころかラフ原レイアウトもあり、セルまでひっくり返す徹底ぶりで、正直言って劇場で見た時は仰天しました。
 ワタシでもここまではヤらなかった。
 「庵野はけっしてバカではない」どころか、その表現に関する自己批評のありようから察するに、アニメという表現形式への自意識の持ちようは、これは見事なものだと感心した記憶があります。
 その一方で、物語に関してはまるで無頓着。まさにステロタイプのオンパレードで、いつかどこかで見たもののコピーの連発。キャラクターが口にする台詞のあれもこれも、決め処は全て私生活におけるあれこれの垂れ流し。かくも奇怪な作品がなぜ成立するかといえば要するに表現すべき内実、庵野という人間に固有のモチーフが存在しないからであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
 「テーマがないことがバレちゃった」という宮さんの物言いは、その限りにおいて全面的に正しいことになります。
 テーマも固有のモチーフも何もないけど、映画も映像表現も大好きで、制作意欲は人並み外れて強烈だとすれば、演出すべきはディテールのみであり、その拠って立つところはステロタイプだろうが定番だろうがなんでもオッケイ。人物描写に関しても同様で、まるでアムロの如きシンジ君の自閉症ぶりや、父親たるゲンドウとの確執など、感情移入するほどのものでもなし、そもそも監督自身がカケラも信じちゃおりません。
 演出能力は抜群だからその気になるでしょうが、騙されたいと思って見るぶんには十二分に機能しても、表現を成立させるための方便に過ぎないから結末を引き延ばすだけで、落とし所が想定されていないことは明らかですから、これはドラマと呼ぶべきものではありません。SF的な意昧での設定は複雑に凝らしてあるものの、世界観は曖昧であり(テーマがないのだから曖昧でしかあり得ない)世界観なしに映画は成立しないから、その内実の無さを文字通り「補完」すべく、作品の作品内における再構築を繰り返すことで、映画としての無内容に代替させる。
 『エヴァ』という作品がいくらでも継続できる――永遠に終結させられない、それがほとんど唯一の理由でもあります。

予定調和的共犯構造

 『エヴァ』に関して言うなら、作り手と受け手の予定調和的な共犯構造が「みんなでシアワセになる」ことを可能にしており、だからこそ庵野の超恣意的演出と観客の欲望充足が共存し得るし、飽きることなく繰り返せるのでしょう。
 その意味においても、『エヴァ』という作品は、日本のアニメが生み出した世にも稀なる特殊構造の、そのピークとして君臨しているのです。
 ブームはいつか去るものですが、この構造は両者が望む限りにおいて不変であり、おそるべき持続力を保持し得るのだ、とそういうことになるのです。
 なにしろ監督はテーマもモチーフも、固有のものはなにもないことにとっくに気づいており、求めるものはディテールと表現のみなのですから、倦む飽きるなどということのあろう筈もなく、それが『エヴァ』である限りにおいて、その表現への欲求を半ば無制限に引き廷ばし、充足させることが可能なのです。
 「もうやめる」という動機が見当たりません。
 「もうやめろ」という興行関係者など、もちろんあろう筈もありません。
 ましてや、自分自身で製作者も兼ねているのですから、これはもういっそのことアニメである以上に『エヴァ』という名のメディアなのであり、独自のジャンルと呼んでも差し支えないでしょう。
 『ヤマト』がそうであり、『ガンダム』がそうであるように。
(略)
 それらが終わる時があるとすれば、その特殊なジャンルに繋がり続けようとする観客たちの欲望が萎える時であり、有り体に言えばオタクたちの経済力が尽きる時だけなのです。(略)

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