少年A 矯正2500日全記録・その2

前回の続き。

少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫)

少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫)

 

女医に恋して

[母親の3歳年下で当時46歳の女医は、腫れ物扱いのAにショックを与えんと]
「性格異常、治らないわよ」
女医はこのように物事をはっきりと言うため、一度はAも反抗して反省房に入れられたことがある。たしかにその女医は、Aにとって母親のような存在であった。診察のない日、用事がなくても女医はAの個室の前に現れた。ウェーブのかかったヘアスタイルで颯爽とした雰囲気を持つ彼女は、格子越しにAに明るく話しかけ、それは毎日のように続いたという。優しくて面倒見がいい女医は、Aと仲が良く、周りの少年たちからも「すごいなあ」と敬意を払われていた。Aは間違いなくその女性医師を慕っていた。
(略)
[99年初夏]他の院生たちが、いやらしい冗談をかわしながら、その女医を小馬鹿にする言葉を口にしたのだ。
その瞬間だった。サッと表情を変えたAは無言のまま、突然、図書交換用の原簿についているボールペンを鷲づかみにし、うつむき加減になった。射るような視線。院生に向けられたペン先。Aはにじり寄った。
『刺される、俺は殺される』
その院生は覚悟したという。結局、刺されるには至らなかったが、その元院生が振り返る。
「あの時は本当に怖ろしかった。彼はやっぱり嫌いな相手には容赦がないんです。ただ、愛すべき人、大切なものは本当に大事にしていました」
(略)
「今日はちょっと元気ないですね」
「あ、そう?」
Aは素っ気なく、それ以上の言葉をかけにくい雰囲気だった。
二、三日後、再び院生がAに訊くと、彼はこう言った。
「○○○○にふられました」
○○○○とは、彼が慕う女医のあだ名だ。(略)
Aがある男性教官と雑談をしている時だった。Aはその教官に打ち明けた。
「あの時はマジに辛かったですからね……」
「だってお前、○○先生にキスしてくださいって言っただろう」
「そうなんですよ」
Aが初めて「異性」に関心が向いたことを表す出来事といえるだろう。

マスターベーションは、やる前に言え」

[女性の趣味は外見ではなく]性格重視で、包容力のある女性が好きだとある院生に話していた。そのため、同世代の女の子には興味が持てず、どうしても好みは年上の女性になってしまう。具体的には、Kiroroという二人組の歌手の、ピアノをひく女性が好きだと言っていた。歌番組で話をしているのを聞いて彼女の性格が気に入ったという。
 Aの性的な嗜好が変化していったことを表す興味深い逸話がある。
マスターベーションは、やる前に言え」
日頃、担当教官は院生たちに言っていた。(略)
[24時間監視の天井カメラで]Aは全く自慰行為を行っていないことが確認されていた。
「いや、僕はペイ(自慰の隠語)しなくても大丈夫なんですよ。けっこうペイしなくても全然平気な性質なんです」
Aは周囲にそう語っていた。
(略)
[入院二年半を過ぎた頃]
Aは職員に対し、強硬にこう主張した。
「部屋の真上にある監視カメラをどけてほしい。あれがあると自慰ができなくてイヤだ」
[自殺の恐れはないと判断し、遂に監視カメラをOFFに]

ゴキブリ

[掃除中5センチ程のゴキブリ登場、院生たちが驚くと]
「君たち、こんなことで驚いていちゃいけないです」
Aは冷静にゴキブリを捕まえ、いきなり口の中に放り込んだのだ。呑み込んではいないが、口に入れてモゴモゴと噛んでいるような素振りをする。他の院生が呆気にとられていると、その異常な状況に気付いたのか、すぐに教官が駆けつけた。
[ゴキブリ食いが発覚し、Aは反省文を書かされた]

コラージュ

[入所一年過ぎ、院生皆で新聞広告でコラージュを作り発表]
Aが掲げた作品は、赤ちゃんの写真がハサミでズタズタに切り刻まれたもので、題名は「肉体と精神の融合」というものだった。
「可愛らしい赤ちゃんが八つ裂きにされているんですが、これは僕としては……」
ここでも意味不明で理解不能な言語による理論が展開された。
ゲマインシャフトが……」
Aは周囲が理解できない難しい言葉を使って説明を続け、
「結局は、この可愛らしさをこの手で永遠のものにしてやりたいのです」
と結んだ。院生たちはAをイカれた芸術家だと思った。
「美しいもの、生きているものを自分のものとして封じ込めたい。そのために殺して、時間を止めて、永遠なものにしたいのだ……」
(略)
「一回ブルドッグを強姦しようとしたことがある」
Aはこんな話も元院生にしている。近所にいたブルドッグがすごく可愛くて、それを無理やり犯そうとしたことがあったというのだ。もちろん実行はしていない、考えただけだと言っていたが、真剣な顔で語っていたという。
(略)
同級生と一緒に、あるクラスの女の子を殺害して、それで有名になる計画を練っていたことを告白したのだ。
「『近くのマンションの駐車場にその子を呼び出して、向こうを向いた瞬間に体育館にあるマットのようなものでぐるぐる巻きにして縛った』と言っていました。その時、近所の老人か誰かに見つかって、結局未遂に終わったらしいのですが、それで有名になろうと思ったって、言っていました」

自伝、反省

ある時、別の院生が、将来、自伝を出版したいという話をした。もちろん具体的な話ではなく、冗談の延長のつもりだった。
「それだったら、表紙はこういうようにしたほうがいいんじゃないかな」
そう言って、Aは表紙のデザインについて具体的に説明し始めた。
「『ドラえもん』に出てくるのび太君が通ってる小学校があるじゃないですか、あの裏山みたいなところで、一本の木があって、その木の下で君が片腕を猿の“反省”みたいな感じにして、うつむいてる絵がいいんじゃないですか」
Aは一瞬にして表紙の具体的な装丁案までを語った。特筆すべきは、この時点でAが他人の自伝ではあるが、「反省」という言葉のイメージを絵として具体化している点である。

[こんな発想で治療と言ってんのか、「だめだこりゃ」w]

なぜ、Aは突然、年頃の女性に関心を持つようになったのか。
「原因はやはり脳中枢にありました」
と関係者は語る。
「脳の攻撃中枢が発達する過程で反抗期が生まれ、徐々に衝動性をコントロールすることを覚えていく。同じように性中枢も発達し、十代初めに覚えた誤った性的興奮も、加齢によって変化します。通常は、思春期の終わりまでに自然に解消される。すなわち、女性に恋をするようになれば、もう解消されているということなのです」
Aの性的サディズムを矯正できたのは、成人した大人と違い、まだ脳が発達する段階の十代だったことが大きかったという。

20歳、職業訓練

20歳になり、本名、非行内容を伏せ、東北少年院で特別扱いなしで職業訓練過程を受ける。

一クラス二十人余りの集団に溶け込み、四人部屋の集団生活を味わうなど、初めてのミニ社会生活を経験していた。仲間もできた代わりに、関西訛りをからかわれたり、行進のときにかかとを踏まれたり、洗面器に唾を吐かれたり、「生意気だ」と因縁をつけられたりと、毎日のように軽いイジメに遭って、勉強が手につかないこともあった。当初は「ちょっときつい」、「しんどい」と弱音を漏らしたこともある。しかし、新しい環境の中で、相手の気持ちを理解し、自分の気持ちもしっかり表現して、相手に理解してもらうという、対人関係の基本から学びはじめ、コミュニケーションの手段を具体的に学んでいった。
「いちいちムカついても始まらない」
人と向かい合うと緊張し、ぎこちなくなる傾向があるAにとって、ストレスがたまりがちな毎日ではあったが、社会復帰に向けた貴重な機会であると前向きに受け止め、努力を続けた。そうするうちにAは、些細なことにはこだわらずに受け流すことや、自分から親しみを持って話し掛けること、お礼を言うときには笑顔を添えることなどを学んだ。

贖罪

たとえ贖罪意識が芽生えていなくても、社会に求められるままに涙を流し、反省の言葉を述べ、謝罪の手紙を被害者に書く「演技」をすることなど、少年たちには簡単なことかもしれない。
ある教官がAについてこう話したこととがある。
「Aは大人に気を遣って生きてきたから、自分がこうすると大人がどう反応するか、すべてわかっていた」
演技による贖罪では、心から悔い改めたことにはならない。実際、「少年院に入ったのだから、罪の價いは終わった」と勘違いする例もある。仮退院後、遺族や被害者に謝罪もせず、平然と遊び呆けている少年も少なくないのだ。

これが母親というものなのか

平成十三年までは、両親との面会を拒絶し続けていたA(略)
両親は、二十歳になった息子と向かい合う機会を得た。(略)職員が立ち会う中、母親はAに、逮捕後からずっと聞けずにいたことを恐る恐る尋ねた。
「……淳君を殺したの? 淳君を殺したんは、本当にお前なんか?………」
実際に子どもの口から聞くまでは「殺人犯」と信じたくない。しかし、これまでは面会時間が限られていたこともあって、両親はこの質問をずっと避けてきたのだった。
(略)
「間違いない。自分がやった」
Aは「そのとき強いショックを受けた」と話した。「ショック」という言葉を聞いた職員は、「今さら犯行の事実を確認する母は、どこまで馬鹿なのか」という意味で、Aが衝撃を受けたのだと誤解して、院長に報告している。
しかし、事実は違う。本当はAはこう思っていたのだ。
「いまだに自分が犯人ではない、何かの間違いであってくれたらいいと思い、自分を捨てきれないのが、母親というものなのか……」
このとき初めて、Aは親の気持ちを痛いほどに感じ、強く心を揺さぶられたという。
この出来事は、すれ違うばかりだった親の愛情をAが理解するようになったこと、矯正プロジェクトが正しく進んでいることの証明だ。スタッフたちはそう実感した。