吉本隆明、石川九楊『書 文字 アジア』

筆蝕

石川 (略)引っかくことも、筆で触ることも含めて、〈触る〉ということで書き手の側にはねかえってくる触覚が、言葉の思考を促していくということ。それがいわゆる触れるという意昧での〈触〉です。蝕むという方の〈蝕〉というのは、同時にそこに定着された形、痕跡を視感するという視覚が働く。〈触〉と〈蝕〉の両者の総合として〈筆蝕〉というものをいちおう考えているのです。

書 文字 アジア

書 文字 アジア

 石川 言葉を書いている場合にですね、イメージで言いますと、言葉にならない無意識部分がうんとあって、それが結晶していき、言葉にぽこっとなる。それをさらに押し上げてどんどん精製していくと、一種の楷書体ができあがると思いますね。楷書というのは、指示性が高いといいますか、削ぎ落として削ぎ落として、もはやこの形しかないというところまで上昇させていったものですね。それに対して岡本かの子の書き方というのは、書き手のなかで、とても早い速度で言葉が上がってきて、無意識と意識のきわどい境みたいなところをずーっと書きつけているような感じがします。要するに言葉など別に精製しなくともいいというような感じなんですね。
(略)
偽筆というものを見る時のひとつの方法としては、筆蝕と構成のずれから見分けられるのではないかと思いますね。筆蝕の力と方向から見れば、この速さとこの力で出ていったものはこう来るはずだという箇所が、そこには行かず他のところに来ていて、そこになお妙なひとつの渋滞が見られればそれはおかしいと言えるのではないかと思います。

石川 三島由紀夫の字というのはおかしいですよね。どうしてこんな字を書くのか。(略)普通、文学をやる人は書を書いていくなかで、自分のひとつのスタイルが創られていくものなんですけど、そういう匂いが書のなかに非常に薄いですね。変な言い方かもしれませんが、文字の典型、言ってみればペン習字みたいな字を書くんですね。典型的なものを考えていって、それに近づけようとする、そういう面が三島の文学の上であるんでしょうかね。

高村光太郎

[彫刻の代用として書いたという吉本の話から]
石川 要するに筆蝕が木彫みたいな筆蝕ですね。(略)基本的に普通前へ前へと前進するんですけれども、この書ではなめらかに前進しない。外側から字画の形だけ見ていますと、止まってまた進んだように見えるのです。もっと細かく筆蝕を考えると必ず一回刻んでいってそれが反発してもう一回戻るのですね。(略)
そういう面では非常に異質ですし、それがいったいどういうように高村光太郎の内面と結びついているのかというところなどは解いてみたい課題です。非常に自省の度合いが強いと思いますね。切り込んだ筆蝕の跳ね返りが非常に強いですね。
 吉本さんが言われた、その彫刻に化成したみたいなというのは、その当時の詩の作法には出てきていないのですか。
吉本 (略)高村光太郎の戦後の詩というのは概して言えば、いわゆる現代詩と比較した場合には、プロセスが隠れている結果なんですよね。むしろ同時代の詩というのはプロセスが詩なんだということなのですね。もっと極端に言えば、たとえば宮沢賢治だとプロセスでもないし、段階といいましょうか、ステージの違いというのが詩なんだというふうになっちゃうんですが、この人は絶対的にプロセスの段階も詩じゃなくて、ただもう結果が詩なんだということになっちゃって、どうしようもないというか、意味をつけるのが太変むずかしいことになるのですね。
(略)
何を詩と考えたかというと、宮沢賢治もそうなんですけど、変なふうに考えているんですね。だから段落が詩なんですね。段階の違いが詩なんてすね。言ってみれば、言葉でもないわけなんですよ。言葉の流れでもないし、言葉のプロセス、つまりこの行の次にこの行が必然的に来たというところにこの人の詩があるというわけではないんですね。そういう言い方をすれば、この行の段階とこの次の行の段階とはこれだけ違っちゃっている、この違いがこの人の考えた詩なんだとなる、極端にいうとそうなっちゃうんですね。

井上有一、白隠

吉本 井上の場合も、この白隠の書もそうですけど、概していうと、禅僧の書っていうのはどう言ったらいいんでしょうか(略)何かくどい気がしますね。どうしてそうなんでしょうかね。(略)
石川 (略)[白隠の場合]要するに大衆に対して威張っているといいますか、視線がちょっと上の方から出てくるっていう感じですね。丸ごと押さえ込むような筆蝕で目線が高くて、なおかつ太いのです。字画が太いというのは、我々は太いということに目を奪われがちだけれど、実は動く距離が短く、字画が幅をとりますから、どちらかというと空間に傾斜した書ということになります。そうすると、あまりうまく説明がつかないんですけど、時間性に対しての意識は弱いかなっていう気がします。だから、良寛の書はそれと非常に対立的だと言えます。(略)
近代の作家のなかでも、いわゆる白樺派とか民芸の人たちはどちらかというと、肥えたほうの書ですね。漱石以下の近代の作家、詩人の書は一様に痩せているんですね。(略)だから、良寛や近代文士のように、細く長く時間の経過をたどって自制していく筆蝕と、白隠白樺派のように空間的に拡がっていく筆蝕との違いというものが存在しているのです。(略)
大衆というのはやっぱり太い字画の書を好みますね。痩せていると弱いといいますね。だから、禅僧の書としては、良寛の痩せた書なんかはほとんど別格の例でしょうね。

副島種臣

石川 (略)自分にとって、副島から学んだのは要するに書字の〈時間性〉の問題ですね。ぼく自身の問題で言えば、なぜ自分の書が書臭くなってうまくいかないんだ、書を書きましたというような形になってしまって、なぜ自分が思うような意味をそこに盛れないかということをずっと考えていたんですね。(略)
そのヒントというのは副島の書のなかにあったわけです。要するにできるだけ遅く書くということだったのです。遅く書くということは言ってみれば高速度カメラを回している状況になるわけですね。どの瞬間も全部見えるわけです。どの瞬間に対しても一対一で自分が対応していくことができるということもあります。自分の書字の先験的な速度で書いてしまいますと、瞬間瞬間はやっぱり飛びます。だから、ある偶然性を求めて、あるいはある偶然性に依拠して何度も引かなければならないということになりますね。いまの書がどうしてみんな同じ顔つきになるのかと言いますと、書く速度が一緒なんですね。速度の速い遅いはむろんありますけれども、ある振幅をとれば一定の幅のなかに収まってしまう。(略)
できるだけ遅く書いてみると、そこに出来上がりつつある姿が全部見えるわけですね。自分の眼で確認しながらできるだけ遅く筆を進めていくなかで、いわば筆蝕の全過程を自分のなかに吸収していくわけです。その過程のなかで自分が直面した問題なり、筆蝕の構造を学ぶことができたというところっていうのは非常に大きいですね。だから、ぼくにとっては副島種臣の影響というのは非常に大きいです。

たとえば「心」の字の第一画ですね。要するに垂直に筆が立って、墨をずっと紙面の奥にまで、注ぎ込んでいくんですね。奥へ書くって感じですね。筆はずっと止まっている感じです。第一画を書く間じゅう、ずっとそれを繰り返している。表出史的に言えば、速度と形が合わないんですね。そのずれが信じがたいほどとても大きい。垂直に奥に深く入っていくことと平面的な上下の関係とが超幾何学的におそらく連続しているのではないかと思います。奥にも深いし、上下垂直にも厳しいという超現実的な立体的な構成になっていると思います。

石屋が勝手に彫っているのは、じつは字面の太さは三次元的な深さを比喩する存在としてあるからなんてすね。(略)字画の形から、毛筆が移行していく速度も読めるわけです。たとえば、「スッ」と直線的になっているとこれはかなり速い安定した速度で書いていると読めるし、「ギザギサ」になっていれば、渋滞しながら進んでいて、速度が遅いと見ることができるわけです。三次元的な深さと四次元的な速度と、さらにもうひとつ斬り込み斬り進み斬り落とす力、いわば世界あるいは対象へ向けてふるわれていく力は確実に書に定着しているし、それを正確にたどれば、深さ、速度、力を書から感じとれるわけです。表面的には二次元的なものだけれども、本当は三次元的、四次元的、力動的な出来事をわれわれはそこに見ている。それが書という出来事ではないかとぼくは思います。

剃刀のように刃を立てて入り込みましてね。それから剃刀のバネを使って左下へぎゅーっと最後のところに力を込めて剃刀を横にして切り開くのですね。(略)筆遣いというものをむずかしいように考えますけど、要するに使える人は刃物のイメージで使っているのです。(略)
そのような読解法で「九成宮醴泉銘」の筆蝕を読み解いていくと(略)計画され積み上げられた石造りの都市空間、ひとつの世界の大都市の姿が見える