同期生・実相寺昭雄

1959年「ラジオ東京テレビ」(のちのTBS)に入社した著者が当時の現場状況や実相寺ら同期生について書いている。 

テレビの青春

テレビの青春

  • 作者:今野 勉
  • 発売日: 2009/03/25
  • メディア: 単行本
 

実相寺昭雄

日本銀行に勤めていた父親の転勤で、彼は三歳のとき、中国の青島に渡った。終戦のときは満州の張家口にいた。[小学校四年生で引き揚げ](略)
 植民地で支配者であったことの原罪意識と日本への幻滅感という二重の屈折は、少年実相寺を、小説や映画の「闇」へと向かわせる。
 性にも美にも早熟であった少年は、高校生の頃、すでに、将来は映画監督になろうと決めていた。
 早稲田大学仏文科三年のとき、父親が脳出血で倒れた。家計を助けるため、実相寺は、外務省の中級職試験を受けて、外務省に勤めることになる。大学は四年のときから夜間部に移籍した。
(略)
ところが、映画会社が、大学夜間部の学生の応募を認めないとわかった。実相寺は、やむをえずテレビに目を向けることになった。不本意な選択だったが、実相寺は、長い間、その思いを私たち仲間に告げなかった。ラジオ東京の当時の職員募集要領では、学校または社内縁故者の推薦状が必要とされていた。ラジオ東京の当時の専務の鹿倉吉次は、実相寺の母方の祖父が台湾総督をしていた頃の総督づきの毎日新聞記者であった。実相寺は社内縁故者の推薦状を鹿倉吉次からもらった。

実相寺のへらへら笑いの奥には、映画への熱くたぎる志が隠されていた。
 10数年後、彼がTBSをやめて、映画監督になったとき、私はそれを知らされることになる。(略)
対照的な阿部昭の不機嫌さの陰には「文学」が隠されていたことを、やはり阿部の退社と小説家への転身によって、私は知らされることになる。

酒乱トラウマ

 実相寺昭雄はまったく飲めなかった。後年彼が飲むようになったのは、体質が変わったためだと私は思っていた――が、実相寺に阿部昭との話を確かめているうちに、またも虚をつかれた。
 「おれはさ、飲めなかったんじゃなくて、飲まなかったんだよ。おれの親父はすげえ酒飲みでさ、酒飲むと人格変るんだよ。酒乱だな。それ見てると、おれの血の中にもああいう遺伝があるんじゃないかと思って、恐ろしくてさ、恐怖だな。それで飲まなかったんだ。トラウマだよ、トラウマ、親父の酒のトラウマ」

裏技で自作保存

[放送済みの]原版のビデオは消去されてしまう。作品として残す手立てはひとつしかなかった。オンエアをキネコで撮ることである。キネコとは、テレビ画面をフィルムカメラで撮影すること(略)
 実相寺は奥の手を使った。同時ネットできない地方局のためにキネコを送る場合があるのを利用し、上司の目をかすめて、地方局送り用のニセの伝票を出して、キネコに撮らせることに成功したのである。おかげで、いま私たちは、彼のすべての作品を(当時のテレビドラマを、つまりは歴史を)見ることができるのである。

怪奇大作戦こそ、私の花の時」と実相寺。

実相寺のこの時[『恐怖の電話』]の妥協のなさ、完璧主義は、制作過程だけではすまなかった。彼は、番組の放映時、テレシネ室(フィルムの複写室)に入りこんで、暗い画像のテレビでの映り具合を調整したりなど、シーンごとに、細かく明度調整を技術者に指示したのである。テレビの演出家としては、おそらく、前代未聞、空前絶後の行動である。(略)
 二作目の『死神の子守唄』でも、妥協なしの仕事になった。そうした「我侭」を支えたのは、映画部のプロデューサー橋本洋二だった、一緒に出向していた先輩ディレクターの飯島敏宏もそれとなく尻ぬぐいをしてくれた。彼の執念のようなものが、伝わっていたからであろう。
 それにしても、「テレビ」で妥協なしの仕事をした人間が、最も好きな「映画」で妥協していた、とは、不可解なことにみえる。
 思うに、実相寺にとって、「テレビ」は、巨大な組織として彼の前にそそり立つ敵のようなものであり、彼は、決して倒れることのないその敵に向かって、妥協のない仕事をすることで戦いを挑んだのだ。「映画」の世界では、逆に、彼は、味方に囲まれ、それゆえに、戦い方にゆるみが出てしまったのかもしれない、映画監督としてどんな無理でも通せる立場に立った実相寺は、その無理が映画制作の集団を壊してしまうという矛盾に陥ったのだ

著者は他にも実相寺の本『闇への憧れ』から色々引用しているので、それは明日につづく。

  • 「ドラマのKR」

というフレーズは『東芝日曜劇場』企画者・田中亮吉によるもの

「あれは1956年だから、テレビ放送がはじまって三年目。当時日本テレビの野球中継やプロレス中継が断然優勢でした。KRテレビとしても、なにか特色を出さないと追いつけない。田中君、名案はないかね、と編成局長だった今道潤三さんにいわれましてね。そこで私も考えた末、『局長、どうでしょう、俳優と作家をおさえてドラマのKRテレビでいくという手は』と申しあげたんです」
(略)俳優と作家をおさえる、すなわち、専属化する、というやり方は、ラジオ東京のラジオ芸能番組で経験済みだった。(略)
 「他の商業テレビ(日本テレビのこと)には絶対出演しないこと」という一札をとったという。

『百万円Xクイズ』担当の苦労

 一ヵ月もしないうちに、ディレクターの岩崎嘉一とただ一人のADの私は、この番組がかかえる難しさに気がついた。100万円を獲ちとる解答者が出なければ、視聴者は、この番組に興味を失うという事実である。(略)
 ニヵ月経っても100万円獲得者が出そうにないとわかったとき、私たちは焦ってきた。
 何とかしなければならない。(略)
解答者に問題を内密に教えてしまえば、ことは簡単だ。しかし、それは「八百長」だ。アメリカのクイズ番組で八百長が発覚して騒ぎになっている最中に始まった『百万円Xクイズ』だ。八百長なんてできない。(略)
[解決策は]
予備試験を通って解答者となった人に面接して、得意分野と不得意分野を探り出すことであった。つまり、最も得意とする分野を、最後の100万円の問題にとっておき、それまで、その解答者を「育てて」いく、という提案である。不得意な分野の問題は第一問にあてる。不得意であっても、第一問ならかなりやさしい問題を出してやることができる。

『ひとりっ子』事件

東芝日曜劇場』枠で放送予定の系列局作品が放送中止に。
防衛大学に受かった息子が、長男を戦争で失った母の反対で入学を断念するというストーリーに右翼激怒。右翼総帥三浦義一氏が東芝の岩下社長に直接電話

秦は、右翼団体の幹部30数名を試写室に招いて『ひとりっ子』を見せるという大胆な行動に出た。当然のごとく、「国防の思想に欠けている」との声が圧倒的だったが「良い作品ではないか」との少数の声もあった。リーダーの護国団・佐郷屋嘉昭が「立場の相違は確かに大きいが、秦さんたちは体を張って、懸命にこれを作った。これ以上の我々の抗議行動はかえって三浦先生のお立場を損う」と締めてくれた。そのせいか、翌日から右翼の行動はピタリとやんだ。
 しかし、TBSはすでに中止を決めていた。

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