1977年の実相寺昭雄

前日の流れで実相寺昭雄の1977年の本。プロフィール欄の尊敬する人物は野村克也。本文には入社面接で尊敬する人は鶴岡一人と答えたとある。南海ホークスファンだったのか。
石井隆の見開きイラスト7点をちりばめて、時代を感じさせる生硬な文章がつづく。最後の方にテレビ時代の回顧が少々。
[注:新装版でイラスト等がどうなっているかは未確認]
クリックすると大きくなるよ。

実相寺昭雄叢書I 闇への憧れ [新編]

実相寺昭雄叢書I 闇への憧れ [新編]

 
名美・イン・ブルー

名美・イン・ブルー

 

「まぶしかったですか? 部長」

「さようなら1961年、日劇ビッグ・パレード」という中継が私の二回目の仕事である。
 (略)劇場そのもの、その場所、その時間、状況を中継するべきだと考えて、私は中継カメラを劇場の外へ持ち出そうと思った。そして年の瀬に当って、安保をからめて街ゆく人々に戦争への予感をインタビューして廻ろうと思った。[許可が下りず断念](略)
そこで、いっそのこと外を全部スチールにし、ドキュメンタルなスチールをカット・インでショーにぶち込もうと思った。
 ON・AIR当日、テレシネに百五十枚程のテロップ、スライドを入れた。自分の意図に満足し切って、ショーを度々中断して、街ゆく人や働く人の写真と、戦争への予感のインタビュー・テープを、ON・AIRで挿入した。
 サブで放送中から、ひんぴんと電話が入って来た。別に視聴者からではない。ネットを受けている他局からである。長崎放送からの電話で、“何か混線してる”と言われて頭に来た。“これで良いんです”と電話を切った。放送中大騒ぎとなり
(略)
[翌年]陽春に、三度目の日劇中継「フランク永井ショー・君恋し」(略)
 並木の忠告に従って、そろそろドラマもやれる頃だし(略)適当にお茶を濁した。胸を張って、放送直後に演出部の部屋に戻った。
 「あんまり、画面にハレーションを入れるなよ」と部長が、優しく言った。
 「まぶしかったですか? 部長」と、私も優しく答えた。

哥(うた) [DVD]

哥(うた) [DVD]

  • 発売日: 2003/12/21
  • メディア: DVD

初ドラマ

 おかあさん「あなたを呼ぶ声」
 脚本、大島渚。出演、池内淳子戸浦六宏他。
(略)このドラマのはじまってから五分位のショットの積み重ねは、恐らく私の演出した全作品の中で最良のものだと思う。しかし、感覚と技術が最後迄、あの手この手と考えすぎて、脚本の生命を殺してしまった。特に、ラスト・シーンの撮り方について、ひどく大島さんに叱られた。「いたずらな技術を捨てて、きりかえして撮るべき所は、きちんと撮らなければ駄目だ」田村孟さんには「頭から、余り高いヴォルテージで出ると、収拾がつかなくなるぞ」と言われた。こういった言葉は、忘れるもんじゃない。未だ、頭の芯に残っている。
 この時、私がディレクターになるにつけて、局内では、先輩の真船禎さんが応援して下さった。(略)
        *
 おかあさん「生きる」(略)
後半の十分程を、クレーンにのったカメラが縦横に動くワン・カットで撮った。(略)
 「テレビの場合、ながら視聴なのだから、余りカメラワークに凝っても意味がない。お茶を呑もうと下を向きゃ、折角のワン・カットも二カットになってしまうよ」と部長に忠告された。
 「折悪く眼にゴミが入って、またたいたら、百カット程になりますか」と私は答えた。
 この喜劇に合せて、ジンタ風の音楽をつけようと思い、作曲を冬木透さんにお願いした。そして、集まった演奏者の方々に、わざとぶっつけの初見で演奏して頂いた。テンポが外れたり、出鱈目な演奏となり、ひどく良い効果だったと思う。
「もっと上手い演奏家は集められないの?」
と部長が言った。
 「番組の音楽費が足りないんですよ」と答えると、
 「そうか」と部長も納得していた。

佐々木功

[昭和38年元旦特番]
一時間ものの歌番組で、「ハイティーン・ア・ラ・モード」という奴だ。ただ有名歌手が出て、持歌を一曲ずつ歌うだけなのだが、それじゃ面白くなかろうと、出演歌手に“何故、歌を歌うのか”といったことをはじめとして、色々な質問をぶつけてみた。佐々木功さんが“労働、その報酬でお金を貰う”といったのが印象に残った。(略)出演者をオブジェにして、カメラで遊びに遊んだ。魚眼レンズで股下から撮られた佐々木功さんなど、ニコニコしていたけれど、内心憤懣やる方なかったに相違ない。ドラマをやる時とは違って、音楽ものをやる時は、全ての遊びが許されているようで楽しかった。けれども、そのうち遊びが過ぎてホサれてしまった。

ウルトラマン

「恐怖の宇宙線
(略)最初は「朝と夜の間に」という題だったが、メロドラマっぽいので、変えられてしまった。怪獣の名前はガバドン。眠ってばかりいる怪獣だった。ヘンリー・ムーアの彫刻のような怪獣を意図したが、出来上ってみればハンペンのお化みたいでがっかりした。(略)
真珠貝防衛指令」
(略)ひどくグロテスクなものが綺麗なものを内包する主題でやりたかった(略)成田氏のイメエジ・スケッチの段階では、見るも気持悪いものだったが、出来上った実物は可愛らしく愛嬌たっぷりだった。特撮の現場に行って、プールに浮んでいるガマクジラを見ると遊園地の浮袋といった按配で、絶望的になった。
        *
「地上破壊工作」
(略)縫いぐるみの愛らしさに絶望していた私は、成る丈特撮を使うまいと決心し、特撮班との間でちょっとしたトラブルがあった。しかし、番組売りものの怪獣を出さない訳にはゆかず、怪獣テレスドンというオケラの巨大化したような奴を作った。(略)この頃、ゴダールの『アルファヴィル』というSFを観て感銘を受けていたので、特撮を極力使うまいと思っていたのだ。
(略)
「怪獣墓場」(略)
[凄みをもたせたかったシーボーズ]
私に対する特撮班のいやがらせか、シリアスであるべき怪獣は漫画的な振付で、怪獣に仮托した鎮魂の主題は滅茶滅茶になってしまった。ウルトラマンに手を引かれて荒野をゆく怪獣がダダをこねだり、立小便したりするのを見て、私は決定的に特撮班に絶望していた。
 もう、特撮の馬鹿馬鹿しさを逆手にとるしかないと考えて、次のウルトラマン「空の贈り物」を作ったのだ。
(略)
[その年の夏、岸恵子で単発ドラマ6本]
レモンのような女「燕がえしのサヨコ」(略)
この回は、自分では良い出来だと思ったが、放映后田村さんに「ナメの構図はやめた方が良い」と言われて恥入った。この言葉はかなり胸にこたえた。従って、人と人との客観ポジションに入る以外、無用な物ナメの構図には、以后神経を使うようになった。

ウルトラセブン

[への評価が低いのでオドロキ]

「第四惑星の悪夢」(略)
 この頃、円谷プロのスタッフにはウルトラ・シリーズ初期の熱意もなく、ウルトラセブンも終りに近づいて制作部は終戦処理ばかりを考え、テレビ映画の悪ズレしたスタッフが多く入り込み、技術も低下していて、かなりひどい状態だった。(略)
「円盤が来た」(略)
成る丈、特撮部分を少なくしようとして書いた台本だった。以前ウルトラマンの頃なら、特撮部分の少ないことを、特撮班は怒ったものだった。しかしこの頃では特撮が少ない台本を喜ぶような有様だった。
 美術ザデイナーの池谷仙克が、サラダボウルを二つ重ねて円盤にした時、私は怒る気力もなかった。(略)ただこんな出会い方をした美術の池谷仙克とは以后ずっと仕事をするようになった。

怪奇大作戦 DVD-BOX 上巻【DVD】

怪奇大作戦 DVD-BOX 上巻【DVD】

  • 発売日: 2012/09/21
  • メディア: DVD

怪奇大作戦

今回は決してセブン后半の轍を踏むまいと心に誓っていた。気に入らなきゃ、絶対妥協するまいと思っていた。(略)
 今思い返してみると、こんなテレビ映画の作り方は夢物語だ。それも、恐らく私が局からの出向監督だから我儘放題に出来たのだと思う。皺寄せは他の監督たちに行っていた。そのことも気づいてはいたが、私は狂気か子供のように妥協しなかった。兎に角、何と思われようと“自分の想い”を貫こうと決心していた。人には誰しも花の時がある。演出にしてからがそうだ。怪奇大作戦こそ、私の花の時じゃなかったか、と思えてならない。(略)
「死神の子守唄」(略)
「恐怖の電話」同様、一切妥協しなかった。今じゃ全く考えられないが、かなり長いシーンを画調から判断してそっくり撮り直したこともある。夕景狙いで、顔にはシネキンでオサエをあてたのだが、やや浮きあがったのが全く気に入らなかったのだ。

映像としては「呪いの壺」の方が「京都〜」よりイイと個人的には思うのだが、本人の思い入れは当然

「京都買います」(略)
万福寺、平等院、黒谷、東福寺、智恩院、銀閣寺、光悦寺、源光庵、二尊院、祗王寺、念仏寺、常寂光寺、仁和寺広隆寺、等……たかが二十三分のドラマにしてはぜい沢なロケをしたものである。今、ふり返ってみると、私も色々なものを手懸けているが自分ではこの作品に一番愛着を抱いている。この時の私はうまく言えないが、″やさしさ″を持って、ひとやものを見ていたように思えるからだ。

シルバー仮面

個人的には1、2話の暗さはアリ!

シルバー仮面」(略)
奇妙なことに、旧円谷プロ子飼いメンバーの大半がここに居た。一方の円谷プロ 「ミラーマン」の方は、新しいスタッフが多かった。結果的には「ミラーマン」に軍配が上った。(略)
一本の太い芯が見つからなかった。ドラマを優先させるのか、それとも超人のレスリングを優先させるのか?……佐々木守の脚本も、そういった企画のぐらつきを反映していつものような冴えがなかったように思える。それは、その儘私の演出にも影響してしまった。イメエジが奔放に開花することもなく、得体の知れない性格の番組となった。言ってみれば、怪獣ものをATG映画の調子で撮ったような奇型児が出来上ってしまったのだ。大失敗。それでも、放映前の試写会では大好評だった。
 「素晴らしい。ここには何かがある」などと宣弘社の小林社長が言っていた。