アイアンサイドで中原昌也

kingfish.hatenablog.com
前回は高橋さんに変更になりましたが、再度ジム・トンプスン中原昌也に挑戦。おまけでブルトンもまぜてみました。以降全て下記本からの引用(それにしてもアイアンサイドのイントロ、あまりにも中原昌也で笑える)。

鬼警部アイアンサイド  (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

鬼警部アイアンサイド (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

狂気の愛 (光文社古典新訳文庫)

狂気の愛 (光文社古典新訳文庫)


 『闘争エロス』

自宅の床はためらわれるので屋外に出て唾を吐く、ここはそんな目的にふさわしい場所のひとつだった。我慢しがたい悪臭。音楽とは呼べない音楽。救いがたい客ども。数えあげればきりがないほどの悲惨な理由によって、連中はここにたむろしている。

 いかめしさを演ずる男のダンサーたち。互いに列になってつながりあう、きらびやかな無名の演技者たち。その大じかけな演出のレヴューは、生涯にわたって変化する希望もなく、精神の劇場に取りついていくだろう。
 おそらく彼らは燕尾服を着ている。顔は思い出せない。七人か九人だと思う。ベンチの上にぴったりとくっついて坐り、頭はまっすぐにして、彼ら同士で話し合っている。いつでもこんなふうにして、なにかの芝居の冒頭で、こういった人物を舞台に掛けたかった。

 日がな一日、重罪犯監房の囚人たちはぐるぐると円を描きながら歩きつづけていた。変化のない終わりなき周回運動を。誰かが疲れて脱落したならば、他の者が交替して周回運動はつづけられた。食事時間でさえわずかな中断や休憩もとらず、男たちはゆっくりとした周回運動をつづけていた。そう、監房が闇につつまれる夜中でさえも。なぜか円を描いて歩く人影が監房に残っていたのだ。その日の運動に疲れた、または、日々の囚人生活に疲れた影たちが。

自分の喉に不快な塊が詰まっているような気がしてきた。「いったい」と訊く。「いったい、なにを説明しようとしているんだ?」

「エロスならびにエロスにたいする闘争について!」
この叫びが、つきまとう。ある種のうじ虫だけがなしうるように。つきまとう。明るく照らされた部屋に、他の人々はすべていなくなっていた。

 若い女の顔だった。厚く化粧を塗りたくった顔だ。人形に描かれる、エナメル加工されたような顔だった。そこに感じられる唯一の生気は、冷ややかな悪意だけだった。
 さらに、男の顔も見えた。ねじくれたゴムのような顔。これみよがしの形相をうかべていたにもかかわらず、それはなぜか無表情なものに感じられた。個性も感じられない。男と女は、同類だった。穴の奥底まで覗きたいという渇望にいざなわれ、ひたすら掘り進む、スリルを求める連中。でも、どん底に何もないと知ると、奴らは怒り狂う。

 拳が炸裂した。両目をふさぎ、鼻をつぶし、口を血まみれにした。彼は闘いに没頭していた。脳味噌は道路に飛び散り、すさまじ力で胴体は張り裂けている。

「その通りだ!それで、腸が煮えくり返った!そんなふうに呼ばれるなんて、まったく信じられなかったよ。だが、実際に起こった」

 雑草が生い茂った中庭で、“処刑人”は自問自答しながら罵り声をあげ、不意に握った拳を反対の掌に叩きつけたり、ときに片腕を景気づけるかのように突きだしたり、荒っぽい勝利の雄叫びをあげたりしながら、うろうろと歩きまわっていた。

便利で自由な空間。忌々しいたくさんの人迷惑な代物に邪魔されることなく動きまわれる場所。

 海に向かって滝となって落ちていくのは、血であった。テラスの子供たちは、血にしか目をやらなかった。おそらく大人たちは、あらゆることが許される喧騒と光のきらめきのなかで、血を流すことに、身近な怪物の血と同じく自分の血を流すことに慣れるように願い、子供たちをそこに連れてきていたのだ。

なかなか悪くないパーティだ。みんながそろっている。この景色が示しているのは、ただひとつ。
「エロスならびにエロスにたいする闘争について!」