「騒音おばさん」のブルース

前回のkingfish.hatenablog.com
まあ要するに「騒音おばさん」が他人事とは思えないという話。

  • 騒音ストレスのはじまり

精神状態がよくない時に一階に引っ越したのが事のはじまり。二階の足音がウルサイ。しかもこちらが眠ろうとする深夜に帰ってきてドカドカやるからタチマチというかサラにというか精神状態がおかしくなった。横を走っている細い道が首都高近辺の抜け道なのか深夜にDQN車が走り抜ける。かくしてデフレスパイラル、来るぞ来るぞと神経を尖らせているところにドスンと来る、グオオオンと来る、いかんいかん気にするからよくないのであって気にせずにと思ってもドスン・グオオオン、もうだめなのである。鶴見済がブロスの連載で近所の小学校の騒音被害を訴えたあげくに覚醒剤だかで逮捕された頃だから相当昔の話。それ以来、静かなところで暮らしたいと思いつつ先立つものがないのでどうにもならず、とうとう去年限界状態になった。胃痛が胸部圧迫動悸に変り帯状疱疹神経痛手前、うーむこれはヤバイぞと思っていたら両手に生まれてはじめての蕁麻疹。こ、これが噂のジンマシン、かなりキモイ。色々ネットで調べてみたけれど結局はストレスを解消するにはストレスを解消するしかないというアホらしい結論。アホらしいがともかくアホらしくてもなんとかしなければならん、狂ってしまってはお終いだ。
国道沿いの住人が深夜信号待ちのバイクにバットで殴りかかったというニュースを聞けば他人事じゃない。世間ではただの基地外で処理されてしまうが、日々DQN車騒音に耐えたあげくの結果であって当人は正義はコチラにあると思っているにちがいない。
上階の騒音に怒った男が騒音返しで逮捕と聞けば他人事じゃない。狂ったら負けである。じゃあお前は騒音を出す奴等の横暴を許して被害者であるこちらがこそこそと逃亡するようにちまちまとストレス解消を心がけて暮らすのかと言わればそうですとしか言いようがない。

ドタバタと走り回る子供の足音は騒音か。これは文句を言っていいと思うが、自分の子供時代を考えるとどうなのかという気にはなる。なるが耐えられない。しかも実は普通に歩いている足音がウルサイ。これは生活音だから文句は言えない。でも実は耐えられない。これはこちらのわがままだろう。こちらが病んでいるから?間違っているのは自分なのか。だが神経を尖らせている状態の人間にはもうすべての音が騒音だ。確かにそれはオレの病なのだろう。だがオレの内蔵に突き刺さってくる騒音はたしかにリアルなのであってこの精神的苦痛は確かに存在する。正義はこちらにはないのか、病んでるオレが悪いのか、でもストンピング&DQN車騒音に関してはこちらに正義があるのでは。いやでも仮にストンピング&DQN車騒音が消えたとしても新たなる音にイラつく自分がいるような気がする。やはり病んでいるのか。
他の人間はウルサイなあとは思いつつそれなりに暮らしているのにそれが我慢できないのはお前の精神状態がおかしいからではないかと言われればその通り、でも日々、騒音が神経に突き刺さってくるわけでその苦しみはリアルなのであり現に被害を受けているのであるから正義はこちらにあるとも言いたいのである。
聞けば最初は騒音おばさんが騒音を訴えていたという。よくわかる。うまくいかない家庭生活、イライラしているとささいな音が気にかかる。文句を言うと、周りの反応はこれくらいで文句を言うお前がおかしいのではというかんじ。だが現に私が受けている精神的苦痛は耐えようのないものであって、お前らお前ら許さん許さん、それなら私が日々感じている苦痛がどんなものだかお前たちに教えてやるドンドコドコドコ。
逮捕。
他人事じゃない。
でもああなったら負けだ、と書いている今も自分がそうならない確信はないわけで、他人事じゃない。

  • 対話篇

騒音を逃れて公園で読書していたら犬がやってきて吠えだした。泥棒対応の吠えっぷり。飼い主は他にも二頭ひきつれて向こうからたらたらと近付いてくる。その公園は少年野球のグラウンドにもなっていて高い金網に囲まれている。そのため「子供が使うグランドなので犬を遊ばせないで下さい」と書いてあるにも関わらず、犬を遊ばせるには絶好の場所なのである。飼い主の態度に腹が立ったので文句を言うと、ここは犬を遊ばせる場所なんです、ウチの主人は警察官だから文句があるならウチに来いブチキレてきた。その主張がいかにおかしいか数回説明したのだがいっこうに埒が明かない。こうなると逆にこちらが冷静になってきたので最後のカケだと思って、できるかぎりフレンドリーに、ほんとうにその主張がまっとうだと思えるならそれはあなたの精神状態がおかしいのではないかと言ったら、そうなんです、ウチの犬じゃないのにウチの犬に噛まれたとケチをつけられ、犬の吠え声が近所迷惑にならないか神経をすりへらし、三匹を同時散歩させる苦労がうんぬんと悩み相談に突入して小一時間。その間、他の家族に散歩を手伝ってもらってはとか、誰かに貰ってもらって犬の数を減らしてはとか、まあ色々言ってはみたけど当人は解決を見出す気はない様子、いやあともかく心のやすらぎのために犬を飼うのですから、その犬でストレスを溜めては本末転倒ですからなどと締め括って別れた。この話で対話が大事なのよねと言う気もないし、仮にこれが近所の住人であれば犬の吠え声問題は依然と解決してないわけで、対話でどうにかなるものではないのかもしれない。騒音おばさんの近隣住人に対話が可能かどうかはわからない。騒音出してるお前が上から目線でエラソーに「家庭生活で悩んでるんじゃない」とか言ってくんじゃねえと切れられるかもしれないし、そうなんですと小一時間では済まず毎日騒音おばさんのカウンセラーをやらされる羽目になってもたまらない。子供ストンピングなんとかしてくれと文句を言って「それはあなたが病んでるからじゃないの」と言われて愉快かと言われればそれはわからない。物は言いようなのかもしれない。
ともかく非常事態を自覚してから半年ちまちまと気分転換ストレス解消をはかり、それはなにかといわれても大したことはしてないが、ともかくどうにか快方に向かうように努力して、なんだか騒音が軽減してきた。ウルサイことはウルサイが、内蔵に突き刺さるような切迫感はなく、それなりにウルサイ。するとやはり病んでいたオレが悪かったのか。正義はこちらになかったのか。

  • 結論

別に御近所との対話があれば救われたとか、このストレス解消法で私は救われたなどという怪しい精神健康法を提唱する気もないし(いやまだ救われてないし救われるかもわからない)、そんなことはどうでもよくて、「騒音おばさん」になったらお終いなのである、正義のために基地外になってもいいじゃないという殉教精神溢れる人もいるのだろうが、こちらはゴメンである、こちらに正義があるのだからと引越しラップを披露しても基地外認定で逮捕されるだけである。
なんてなことを長々書いてみたが、笙野頼子全然明快に説明できてないと言ってるお前が全然明快じゃないという意見も聞こえてくるし、そもそもこんなもの長々読んでないかもしれないし、簡潔じゃないから誤解も招きそうなので、明日もう少し簡潔に説明してみようか。