身体はどのように変わってきたか アラン・コルバン

『身体の歴史』(全三巻)の内容紹介本だった……。詳しくは『身体の歴史』にてということ。

身体はどのように変わってきたか 〔16世紀から現代まで〕

身体はどのように変わってきたか 〔16世紀から現代まで〕

身体の歴史 1 〔16-18世紀 ルネサンスから啓蒙時代まで〕 (身体の歴史(全3巻))

身体の歴史 1 〔16-18世紀 ルネサンスから啓蒙時代まで〕 (身体の歴史(全3巻))

まえがき(小倉孝誠)

中世末期からルネサンスにかけて、ヨーロッパを席巻した「魔女狩り」のすさまじさは、猟奇的な興味を超えて、現在の社会にも燻り続ける女性蔑視と共同体の恐怖心のありどころを示すものだろう。一方、中世以来、カトリックの僧侶や独身男性にたいして浴びせられてきた執拗な非難と弾劾の声も、いまなお無視できないものがある。アンシアン・レジーム期では僧侶の独身批判が辞書や事典の項目のなかで密かに行われていた事実も注目に値する。「魔女」も「独身」も男女両性の「身体」と緊密な関係にある主題なのである。
(略)
革命期の傑作であるサド侯爵の『閨房哲学』では、今や人間は「心」や「魂」といった内実を剥ぎ取られ、ただの物質の塊、断片、切れ端として宇宙に投げ出された肉体だけの存在と化する。

入浴

19世紀をつうじて入浴は稀な行為でした。なぜなら、体内にしみこむ水の中に体を浸すことの影響が詳細に分析され、お湯の温度にしたがって厳密に規定されていたからです。入浴は体全体を刺激し、神経繊維が環境にたいしてきわめて敏感だとされる人間の身体を混乱させるかもしれない、と人々は考えていたのです。道徳家たちの方は、性欲を目覚めさせる恐れがある入浴の官能性に不信の目を向けたものです。

性の領域での変化

相手の男性と同じように、女性も快楽の頂点に達したときは精液を放出するという理論は、しだいに消滅します。女性は卵を作りだす――排卵のことです――という確信がやがて優勢になるのです。動物、とりわけ雌犬を対象にしてさまざまな実験が行われた後で、プーシェ、ネグリエおよび他の学者たちは、人類に関してはとりあえず確たる証拠はないものの、女性は自然に排卵するのだと主張しました。その結果、女性の快楽が妊娠には不要なものと見なされ、性交をめぐる考え方やその実践を変化させることになったのです。
(略)
第二に、多くの専門家は、女性の快楽が妊娠の成功を助長するようなメカニズムを始動させると確信していたことです。快楽による刺激が諸器官――卵巣、輸卵あるいは子宮――をより活発にし、その感度を高めるとされたのです。
(略)
医者がさまざまな病気を引き起こし、死にさえ至る災厄と見なしたのが自慰であり、1830、40年代にはそれ以上に夢精でした。その観点から、医者は官能的な娘をなるべく早く結婚させるよう進言します。医者のみならず聴罪司祭や教育者の意見によれば、結婚をひかえた思春期の女性は想像力が過度に刺激されるのを避けなければなりません。小説を読むこと、ダンス、青年との接触、そしてとりわけ猥雑な会話がもたらす過度の刺激についても、同様でした。多血質あるいは神経質な若い女性は特に、色情狂の危険が高いとされたのです。
(略)
[19世紀末、性の領域で]多くのことが変わりました。まず、夫婦関係がエロス化したことを指摘できます。それはとりわけ、かつてほど当局による衛生的、道徳的な監視を受けなくなった売春婦が、それまで以上に広く普及させるようになった性戯の影響によるものです。また1880年代以降のフランスでは、メディアの大々的な拡張が果たした役割と、検閲が緩やかになったことも忘れてはなりません。エロチックな写真の成功が、この影響を示す好例でしょう。

処女性

女性の体には最初に性交渉をもった相手の精液が浸透するので、その後は別の男とのあいだでも最初の相手に似た子供が産まれるという、感応遺伝説が当時流行していました。この説にたいする長い信頼、性病への怖れ、妻に快楽を教えるというみずからの使命を奪われる若い夫の失望が、処女性を重要な価値として維持することに貢献したのです。
 もちろんだからといって、実際にどれくらいの女性が結婚まで処女性を守ったかはよく分かりません。いずれにしても、あらゆる階層において、妊娠の怖れが若い女性を保護するために最良の保障になっていました。

労働者の肉体的損耗

 19世紀の産業衛生の発達に関する最近の研究によれば、たとえばガラス職人や炭鉱夫の場合がそうであるように、当時の労働者の肉体的損耗はきわめて激しかったことが証明されています。しかし同時に、そうした研究が強調するところによれば、苦しみを過小評価することが労働者自身の感情や態度と関係していたのです。労働者のあいだでは、「ちょっとした痛み」は無視し、個人的な能力、例外的な頑強さや技量を必要とする危険な仕事に就いているのだという矜持をもつことが、長い間当然のこととされていました。また、産業労働は不可避的に痛みや苦しみを伴い、それで不平をかこつのはふさわしくないという信念があって、そこから生じるある種の諦念も忘れてはなりません。労働の辛さを和らげてくれるような「方法」や策を見つけるのは、各人の役割だったのです。

 19世紀は産業革命の時代、農村部から大量に都市に流入してきた人々が、職人や工場労働者となった。体を使って働く彼らは、順調に働いているあいだはみずからの身体的な剛健さを誇示し、多少の痛みなど気にかけなかった。しかし機械の導入にともなう組織化された労働のリズムは、それまでにない身体の疲弊をもたらすようになった。労働環境や衛生状態が劣悪であれば、なおさら疲労と消耗は増す。当時の主要産業であった繊維業に従事する労働者たちの健康問題は、すでに1840年代から問題視されていた。また鉱山業は、過酷な労働にくわえて、ガス爆発など労働災害の危険をかかえていた。

「怪物」

1841年、マンハッタンの中心部に「怪物」の展示を目玉としたアメリカ博物館を創設した、フィニアス・テイラー・バーナムは、資本主義的娯楽産業の先覚者である。彼と彼に続く見世物の実業家たちは、演出に長けた。彼らは、奇形の身体をあるがままに陳列しても単発的な驚きを生むにすぎず、大衆の興味を持続的にそそりたければ、それに衣装を着せ、舞台装置のあいだに置き、物語を附与しなければならないということを、知っていた。「親指トム」がヨーロッパの宮廷に恭しく迎えられさえするのは、彼が「将軍」として「小人」の連隊を従えるからだろう。「シャム双生児」がジャングルの書き割りの前に立たされるのは、異形の者と未開の者を混同させて、異国趣味を煽るためだろう。「怪物」とは、消費者の垂涎の的となるように生産者によって巧みに仕立てられ、包装された、商品なのである。バーナムのアメリカ博物館は、「怪物」のディズニーランドにほかならない。いやむしろ、ディズニーランドが、もちろん「怪物」は展示せずに、しかしバーナムたちの興行手法を継承し発展させている、いわば殺菌されたアメリカ博物館なのだといってよい。
 アメリカ博物館に「怪物」がいて、ディズニーランドに「怪物」がいないのは、奇形の身体を「怪物」として見る視線が消失したからである。それは正常と異常を弁別する視線だった。見世物小屋の客は、自分の身体は正常だと考えているからこそ異常な身体を眺めに来たのだし、また、逸脱した身体の絵はがきの購入者は、それを貼ったアルバムを開くたびに、規範的身体とは何かを確認してもいたのだ。しかしそのような無秩序の提示による秩序の画定と教化は、19世紀の初めから徐々に、つまり近代的「怪物」興行の隆盛の裏で着々と、無効へと向かったのである。それは、ジョフロワ・サン=ティレール親子による研究を嚆矢とする、科学的奇形学の功績にほかならない。合理的視線が情動的視線にとって代わり、解剖学的変異を、窃視するのではなく、観察して、それが一定の自然法則の帰結であることを解明したのだ。正常と異常は連続しており、規範と逸脱の境界は曖昧であり、無秩序はもうひとつの秩序にすぎない。すなわち、「怪物」の身体は人間の身体で、そこにも魂が宿っている。だとすればそれは、断じて見世物小屋で搾取されるべきものではない。新たな科学から新たな感受性が生まれたのだった。縁日を渡り歩いた末に路頭に迷っていた「象男」ジョゼフ・メリックは、1884年に外科医フレデリック・トリーヴスに保護され、ロンドン総合病院に引き取られて、その入院費用は彼の薄幸を報道で知った人々からの寄附金で賄われた。奇形の身体は興行師の手から医師の手へとわたり、医療的配慮、社会的扶助、道徳的愛情の対象となったのである。人間の身体に向けられる20世紀の視線には、ハンディキャップや差異は映っても、怪物性は映らない。「驚異の生物」の見世物は必然的に凋落の一途をたどり、第二次世界大戦後には、「怪物」という娯楽も産業も、もはや成り立ちようがない。
 だが、ディズニーランドには、「怪物」はいなくても、「怪物」のようなもの、はいる。「怪物」を楽しんでいた過去の視線を怪訝に思う現在の視線は、しかし、「怪物」の系譜に連なる「モンスター」を愛玩してやまないのである。それも当然だろう、「モンスター」たちはときに人間よりも人間らしく、純粋で、友情に篤く、勇気に満ち、正義を貫くのだから。いまや魂は、「モンスター」の身体にしか宿っていないのかもしれない。

クーベルタン男爵は

群衆を怪しんでいたらしい。雑然と集まって無規律に興奮する人間たちがスポーツの観覧席を埋めている光景は醜悪としか思えず、しかもそんな観衆の存在は、模範的、道徳的であるべきスポーツ選手の虚栄心をくすぐりかねないと考えていたようなのだ。しかし、その産みの親の危惧をよそに、近代オリンピックは観衆なしでは成立しえない一大スペクタクルに成長する。

独身

19世紀末時点における医学の思想と実践の集大成である、百巻からなる『医学百科事典』の第41巻(1874)には、「結婚」という百頁にわたる項目が収められている。医学事典が結婚を取り上げるということ自体、それが科学的、社会的な関心の対象であったことをよく示している。項目の著者アドルフ・ベルティヨン(人体測定術の創始者アルフォンス・ベルティヨンの兄)によれば、人間は家族のおかげで生を享け、教育を授けられ、成長していくのだから、独身を貫いて家族を形威しないことは、社会と人類にたいして果たすべき義務を怠っている、ということになる。
 独身者の存在は社会の脅威である。少なくとも風紀警察はそれを指摘して、公衆に不信感を抱かせるべきだし、国家はその脅威を絶えず減少させるよう努めなければならない。
 独身主義にたいする、いかにも激しい断罪の言葉である。独身者は生きていること自体が社会にとっての危険である、とされているのだから。こうした言説は、現代のわれわれの考え方からすればまさに個人の自由を否定するもので、いかにも時代錯誤的に見える。(略)
 当時の医学は、まさに規範と秩序を説く科学だった。そしてこのような言説が綴られた背景には、仮想敵として、まさに結婚や家庭に異議を申し立てる文学、独身主義を標榜する作家たちがいた。(略)
[19世紀末から20世紀初頭]ロマン主義時代に支配的だったような女性と愛のイメージには、不信が突きつけられた。ロマン主義時代であれば、女性は想像力を刺激する詩神ミューズ、霊感の源になりえたが、レアリスム史学や自然主義文学では、女性は逆に、芸術家を不毛にしてしまう不吉な存在である。多くの作家は女性への嫌悪を隠さず、結婚生活の束縛は創造行為を萎えさせると言明してはばからなかった。こうして独身の礼賛、さらに女嫌いの感性が、19世紀後半の芸術家小説に典型的に表われる。

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