広告する小説・その2

 

前日の続き。

『荒涼館』ジェリビー夫人の偽善キャンペーンはスパムメールでアフリカ植民地への寄付や植民者を募集。19世紀のホワイトバンド詐欺。

「アフリカが今わたしのすべての時間を占めています……。計画が順調で嬉しくおもっておりますわ。来年の今頃までには、150から200世帯ほどの健康な家族が、ニジェール川の左岸、ボリオブーラ=ガーで珈琲を栽培し、原住民を教育している予定ですの」。「もしわたしの記憶に間違いがなければ、ジェリビー夫人、あなたは一度にひとつの郵便局から五千通のチラシを送ったといつかおっしゃいましたね?」

ディケンズ広告代理店

それまでも自分の本に載せる広告用の冗長で無味乾燥な商品リストを書き直すのに惜しまなかった助力を、ディケンズはいまや巣立ったばかりの若い産業を援助する方向へと向けた。資金さえあったならば、ディケンズは自分で広告代理店を開業するなり、そういう代理店のひとつに出資するなりしていたかもしれない。少なくともいま分かっている事は、同時代のおもだった作家たちのなかでただ一人、ディケンズだけが、社会のシステムとして組織化された広告のうちに、自分の作品との何らかの共通点を見出していたということである。彼の本は本質的に、イギリスにおける全読者層、ならびにその平均である中産階級の興味関心の解明を隔週ごとに先延ばしするものだったが、それが結果的に、広告もまた狙っていた大衆市場を結実したのである。

広告と朗読会巡業

公開朗読会で自分の作品を引用していた時、ディケンズは自分自身の小説を解剖してみせていたのだが、しかしこの解剖は、自分の本や登場人物たちを広告の目的のために流用し、広告に実体化する過程のなかで、すでになされていたことなのである。朗読会巡業を始めるためには、宣伝と広告の巨大な網の目が作り出されなければならなかった。(略)
本のための古い広告が朗読会のための新しい広告になる一方で、朗読会それ自体が朗読会会場を出たところで売られていた本のための広告だった。

アメリカの広告作家バーナムの経歴

地方巡回セールスは、販売と情報の演劇化であった。そしてこの地方巡回セールスで鍛えられた公演技術にさらに磨きをかけて、バーナムは新種の出し物を演じて巡回する旅芝居の興行者になり、サーカスの経営者になり、ボワリー円形劇場のために広告文を書き、シアーズ版聖書の主要販売人になったのである。本質的には異なるこれらの活動も、出版物ならびに新聞や本の流通網に依存していたという点では皆一緒なのだった。バーナムの経歴が一大飛躍を遂げたのは、彼がこれらの職種をまとめ上げて、ブロードウェイにあったスカダー博物館を買い取った時だった。(略)
新聞報道を販売に巧妙に結びつける彼の手腕をもってすれば、新聞記事を使って相手を出し抜くなど朝飯前だった。[新聞で博物館の評価を落とし]スカダーの株価を暴落させ、彼は博物館の買収に成功[すると今度は新聞で派手に博物館を宣伝した]

全てをネタとして楽しむことは別段あたらしいことではないのだよ、冷笑ヤング諸君。19世紀の米国大衆と同レベルなんですよ。

博物館は、その広告同様、外見と告示の本質を疑わしいものにした。美的スペクタクルは、それに付随する広告を解読しなければ「読む」ことのできないものとして提示された。というのも広告もまたスペクタクルの一部にほかならなかったからである。広告は、「正真正銘バッファローの大暴走」のように、魅惑的な「本物の」イベントを約束するが、蓋を開けてみればなんのことはない、その大暴走というのはありふれた子牛を放してやることだと分かるといった具合に、その約束もたちどころにフィクションと化したのだ。それでもバーナムから文字通り読まないことを学んだ「読者」は、この竜頭蛇尾の出し物を、広告によってうたわれたスペクタクルの仮面を剥ぐこととして楽しむことができた。

大衆と詐欺師はよく似合う。

まずは虚構でひきつけておいて、その後にいかにそこまでの出し物がやらせであったかの種明かしが続き、かくして観衆に幻想とともにその幻想が打ち砕かれる幻滅の喜びを与えたのである。(略)彼の広告は意図的に科学的事実を吹聴したり、もっともらしく社会の神秘を説明したりするものだった(略)。が、それはまた同じくらい臆面もなく、スペクタクルから距離をとることを、離れたところからそれを読み、美的スペクタクルとは人から首尾よく金をとっていく、演劇化された経済的交換なのだと共謀して認識することを、読み手に求めるものだった。

イベントのために広告を打ち、そのイベントが新聞で話題になることがまた広告となる魔法。利益が利益を加速度的に生み出す資本主義経済における新しい現象。元祖ホリエモン。バーナム株百分割。
(さて当時の「額に汗して働く人間」からすればバーナムのやり方は詐欺だしキチガイ沙汰なのだが、いまやそれはまっとうな商売としてまかり通っている。では・・・)

この興奮を持続させようとわたしは注意を払った。というのも広告に撒いた金は、来るべき収穫の時に、十倍になって、いやひょっとすると百倍になって返ってくるのが分かっていたからだ。そして広告を使って考えつくかぎりの悪評を行き渡らせ、博物館で人魚を陳列した後には、代理人に行く先々でこの品を「ニューヨークは、バーナムの大アメリカ博物館所蔵品」と広告させるように指示しておいて、国中にこの珍奇な品を送った。効果はてきめんだった。金はどんどん入ってきたが、それはさっそくさらなる広告のために注ぎ込まれた。

バーナムの幾多の販売ルートのひとつが彼の持つサーカス。テントの内外で平積みされ「サーカスを見るのが初めてという客たちには、この本一冊につき一枚の無料サーカス入場券をつけた。その結果が、天文学的な販売実数であった。」

[バーナム]自伝は、同語反復のそのまた同語反復の危険をおかしていえば、バーナムの経歴を広告するという目的のために、広告を通して売られた広告についての本、という点では前代未聞のものだった。本の著述や流通に関する従来のテクニックを再編成して、独立した広告空間を開拓することで、バーナムはこの本を「バーナム化」したのである。彼の一番壮大なエンターテインメントであったサーカスは、彼の本をどう読めばいいのかを観客に教えるためのスペクタクル、社会の読み方の展示場であった。

まだまだ続く。

  • 今日のどうでもいい話

この間「喰いタン」で少年隊東山を見て、「姜尚中自伝ドラマ化」という言葉が浮かんだ。(さらに余談ですが小生たぶん一生、カンサンジュンから「姜尚中」という漢字が浮かぶことはないと思われ、検索はありがたいとしみじみ実感)