参謀 森繁和 落合監督を支えた右腕

参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」

参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」

ここにも根本陸夫。種撒きすぎw

[2011年日本シリーズ終了後に落合と食事をした時に]
 「シゲ、実はなあ、オレは今まで黙っていたが、現役を終わってダイエーのキャンプを見に行ったとき、根本さんに言われたことがあるんだよ。『落合、現役が終わって、次は監督、コーチになるなあ』『いやあ、そんな物好きな人はいませんよ』とかって話をしたら、『いや、必ずそういう時代が来る。間違いなく。実績残してるし、そういうのを求める人は必ずあらわれるから、そうしたらおまえ、がんばれよ』とか言われたんだ。そのときに根本さんに、『あのな、西武におまえと一緒に対戦したこともある、いるだろ、森ってのが』『ああ、社会人時代から全日本で知ってますよ』。今だから言うけど、『あの野郎、おもしろいぞ、使うと。おまえみたいなヤツが使うとけっこう』って言われたよ、オレ」

星野、長嶋

[キャンプ中、監督・コーチで飲む、当然、昔話に。落合が]星野監督の話をする。「上の考えをうかがう選手が多い球団」と前に書いたが、そういう話も出る。長嶋茂雄監督が、実は極度のマイナス思考の采配だったことなども聞かされる。自分が一番チャンスに強いと思っているので、誰を出しても不安になる。だからどんどん選手を補強していく。

6勤1休

[4勤1休が常識だったが、落合は6勤1休を導入]
とにかく1年目の我々の猛練習は目立っていた。
 けれども、ある程度レギュラーをつかんだ連中は、徐々にやらされる練習が減って、今度は自分で自由に使える時間が長くなることで、自覚してくる。(略)練習終了後までみんな同じ時間グラウンドにはいることになるから、何か自分でやらないと時間はつぶれないのである。
 ただいるだけで、立って遊んでいるわけにもいかないから、その時間何をしようかと、やっぱり自分でも考えるようになるのだ。(略)
守備をやらせてくれという選手が年がたつと増えてくる。ある程度、厳しい守備練習をやっておかないと、シーズンに入ったらしんどいよ、というのがわかるようになれば、自分から受けに来る選手は、当然出てくるのだ。
(略)
 6勤1休は、とにかく休みを減らして厳しく練習させた結果として、ドランゴンズを強くしたのではない。選手が長い時間グラウンドにいたおかげで、空いた時間に何をしておくか自主的に考えることになった。だからドラゴンズを強くしたのだろう。

落合のフォロー

落合監督が本当にすべてを任せてくれたこと。これには驚いた。やりくりを任せるだけでなく、投手に直接、何も文句を言わない。逆にフォローは投手にたくさんしてくれていたのだ。川上が1年目に優勝したあと言っていたのだが、監督は、キャンプイン直後には、
 「開幕投手はないが、おまえがエースだからな」
 と言ってくれていた。それにピンチにマウンドに行くと、的確に状況を説明して楽にしてくれる。「2本打たれて、やっと同点なんだよ。大丈夫、おまえは替えるつもりないから」とか。
 とにかくマウンドで監督に何か言われると、気持ちが晴れて楽になるという。
 私に関しても、マスコミに投手交代の失敗では、と問われても絶対に継投ミスなどとは口にしない。腹の中は煮えくりかえっていたこともあったろうが、決してマイナスのことを口にしない。おかげで投手も私も、失敗を怖れず思い切ったことのできる空気になるのだ。

ドミニカ

「俺、大丈夫よ。中2日でも投げられる、中3日でも投げられる」
という投げたくてしょうがない投手だから、[2011年は]ネルソンがいてくれて本当に救われた。
(略)
[ドミニカに毎オフ行くことになったのは、一年目オフ、メジャーと3Aの間の30過ぎの選手に1億出して1年でクビとか無駄だから、安く獲れていいのを探してきてと落合に言われたから]
 監督にはコネがないと言ったのだが、頭に浮かんでいたのが「マルちゃん」である。(略)
[ドミンゴ・マルティネス]が西武に来たときに、最初に、「おい、マルちゃん」と声をかけたのが私で、それをきっかけに「マルちゃん」と愛され(略)
 本人も「マルちゃん」の愛称を気に入ってくれて、それ以来、付き合いがあった。彼が吉祥寺に住んでいて私の家も近かったので、やがて奥さんと仲良くなり、ちっちゃな子供にもなぜかなつかれて、家族ぐるみでよく食事をしたものだ。長嶋監督から直接、マルちゃんに電話が来て、巨人に誘われたときには、相談に乗ったりした。会話は彼のよくわからない日本語と、私のよくわからないスパニッシュである。
 いろいろと日本で世話した恩を感じてくれたのか、彼が故郷に帰ってからも、ドミニカに行った通訳や球界の関係者から、「森さんによろしく言っておいてクダサイ、ドミニカ見に来てクダサイ、家族も会いたがっているってマルちゃんが言ってましたよ」といったメッセージをいつももらっていたのだ。
 「じゃあ、俺、ちょっとドミニカ行きたいけれど」
 と、マルちゃんに伝えたら空港まで迎えに来てくれて、滞在中大変世話になった。日本のチームの人間が一人で直接選手を見に行くのは、それまでほとんどなかったそうだ。(略)
マルちゃんが人を紹介してくれたり、球場の外でなんか日本語で話しかけてくるヤツがいるなと思ったら広島で通訳をやっていたルイスで、隣にいたのが地元で一番大きなチームの社長だったりで、紹介されてベンチに入れるようになった。練習を見ていたら、「アナタ、モリか?」と声をかけられて、誰だこのおじいちゃんと思ったら、大昔西武にいたトニー・ミューサーという選手で、今はデトロイト・タイガースの巡回スカウトをやっている。そんな感じで、まあなんとか全球団見ることができた。
 そうしたら、おもしろい投手がいたので、監督に国際電話した。(略)
 監督は、ダメでもともとで、私の中ではこれからの付き合いへのつなぎでいいと思っていた。(略)
 その左ピッチャーが2005年に8勝、2006年に6勝したルイス・マルティネス
(略)
 選手たちは、アメリカではメジャーリーグに昇格しないとほとんど給料がないし、同じ1000万円の給料だとしても、アメリカなら家も食事も自分持ちだが、日本なら家も食事も球団が何とかしてくれるというのをよく知っている。だから、韓国でも台湾でも、まず行って、そこで日本のスカウトの目にとまればいいと考えている。
(略)
各チームに顔をつなぐためにということで、最初の年は育成2人と選手3人ほどを連れ帰った。
(略)
 ドミニカの野球人と話すうちに、逆に向こうのチームから、「いい日本人を連れてきてくれよ」とお願いされるようになってきた。(略)
周りの選手からハングリー精神も吸収できるし、実戦経験も積めるし、ドミニカに恩も売れるなあと考え、吉見も中田も高橋聡文長峰昌司も川井も派遣した。だいたいみんな期待どおり、何かを吸収して帰ってきてくれる。長峰などはドミニカで初めて勝った日本人になってくれた。
 残念だったのは、今メジャーの大ヒーローのニューヨーク・ヤンキースのロビンソン・カノを、惜しくも取り損ねたことである。すばらしい才能だったので、話をしていいところまでいったのだが、少し必要なカネが高かったから逡巡していたら、ヤンキースに見つけられて持っていかれてしまった。荒木雅博をドミニカに派遣して、カノと二遊間を組ませるというプランもあったのだが、タッチの差だった。

投手交代

 監督から、「ピッチャー交代しろ!」と言われたり、「次、誰で行きます」と言ったときに、監督に「いや、こうしてくれ」などと言われたことは、8年間いっさいなかったのだ。
(略)
 とはいえ、監督がベンチで私に聞こえるように、
「バッター心理だったらなあ、ここで替えられると嫌だよな」
 と、ブツブツブツブツ言うこともある。ブルペンのモニターを見て、
「もう、こいつできてんのか?」
「まだ、1回目なのでできてないです。次のイニングからです」
 といったやりとりをすることもよくあった。
 こういう会話はしているので、
「これで行きますよ」
と言ったときに、「え、こっちで行こうや」というのは、なくなるのである。
(略)
[森が迷った時は、落合のバッター目線での決断を頼ることもあった]
 たとえば巨人戦でピンチにアレックス・ラミレスを迎えた場面、普通だったら、右対右で河原純一を投げさすところだ。けれども、「ラミレスは河原の外角スライダーより、左ピッチャーの内角速球のほうがいやなんじゃないか」という監督の打者心理からの直感で、高橋聡文を投げさせて成功した。こういうこともよくあった。

退場

[落合監督の退場は6回、うち5回は抗議時間超過。チームを鼓舞するためにわざと退場する監督がいるが、落合はちがった]
「審判という仕事に敬意をはらっているから失礼だろう」
と言うのだ。抗議に行くのは、明らかな誤審のときだけだ。(略)ミスは絶対に見逃さない。次から有利に試合を運ぶためにも、オレの試合でミスは絶対許さないという思いを伝えに行く面もあるのかもしれない。(略)
一度は試合序盤の2回に、「おお、頼むぞ、あとは」と言って出ていった。
 「え……?」
 こっちはピッチャーの準備もあるし、監督代行まで気が回らないよという気持ちになる。(略)
 「シゲ、いいよ、帰って。オレ、どっちみち退場になるから。オレ引かないから。もう出てきた以上、退場と言われるまで帰らないからな」
 と冷静に言ってくる。
 そして審判に向かって、
 「ベンチに戻るつもりないからな。早く退場って言えよ、ほら、早く退場って言え」
 と言っている。

年俸

 監督から私にコーチ要請の電話がかかってきて、「3年契約にしておいたからな」と言ってくれた話は前に書いた。このとき、年俸の話も出た。(略)
 監督に言われた金額は、相場の倍、かつて西武で勝ち続けたときとあまり変わらないくらいの額だったから驚いたのだ。監督にはコーチの経験もなかったから、コーチの給料の相場など全然知らないのかと思ったら、そうでもなかった。
 「バカ野郎、おまえが自宅から通えるならOO万でもいいだろうけど、単身赴任で二つ家持って、あまり家に帰れなくなる責任ってのはオレにあるんだから、普通の倍が妥当だろう」
 こうまで気を配られては、もう監督のためにやるしかない。
 しかも、最初の年に優勝したら、3年間変わらないと思っていた給料が上がった。3年目優勝したら、また上がる。

孤独な時間

潰れない選手、伸びる選手には、共通点がある。
特に投手の場合、この共通点は、大成するために絶対必要不可欠な条件だと感じる。
それは、孤独な時間をきちんと過ごせることだ。
 グラウンドでの練習中、投手は意外に一人になることがない。ブルペンでは隣で仲間が投げているし、キャッチャーからも声がかかる。投内連係などの守備練習は当然、複数の投手陣で行う。外野フェンス際でのランニングも複数で走るのが普通だ。
 つまり、投手陣はみんなでわいわい話をすることが多いのだ。それはそれで自分のためになることはある。
(略)
 孤独な時間を作るのが重要なのは、それが自分を見つめ直す時間になるからだ。そして自分を見つめ直すことは、すなわち一人で野球を考えることになるのだ。
(略)
 プロのマウンドというのは想像以上に孤独な場所である。孤独と友達になり、孤独に勝たないとプロでは勝者になれない。
 相手を知る前に、孤独に慣れ、技術的にも精神的にも、自分をしっかりわかっておかないといけないのだ。そのためには孤独な時間をうまく過ごせるようになる必要があるのだ。
 山本昌や浅尾や吉見は、なんだかんだ言ってもそれができる投手だった。
 ランニングを一人で黙々とやりながら、自分のことを考える。野球のことを考える。ピッチングのことを考える。そのひとときこそが大事だと私は思う。

貧打

仮に、0対1で負けたときに、投手が心の中では「打てよ」と思っていたとしても、
 「1点で抑えたのに〜」
 などと、それを野手の前で口に出しては絶対にいけない。
 口にしたら、大変なことになる。
(略)
 実際、投手コーチという立場からすると、打てないほうが、逆にゲームは作りやすい。0対0、1対0で、5回、6回まで行くぐらいでいいなと私は思っている。6回、7回、8回あたりで点を取って、セットアッパーと抑えで勝つというのが、一番理想的で、計算しやすい。
 ただし生活がかかっている投手は、1勝という数字が欲しいのは当たり前だ。つい、投手が打者の愚痴を言う、逆に打者が投手の愚痴を言う。それはチームとして最悪なのだ。

谷繁

[2011年ポストシーズン、極度の不振。だが落合も森も替える気はまったくなかった]
 あまりに点が取れない打線に対して、日本シリーズの最中、谷繁が思わず、
 「お前らいい加減打てよ!」
 と、冗談めかしてだが怒ったことがある。
 私からすれば、
 「お前も打てよ!」
 という感じでもあるが、自分が打者だということを忘れるくらい、リードに徹していたのだと思う。また、打撃不振がリードに影響しなかった。これが谷繁の良さだ。
 落合監督は退任の会見で、特に谷繁の名前を挙げて、「よい指導者になれる」と褒め称えた。(略)4回の優勝は谷繁に負う部分が多かったと感謝しているのだろう。

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