江夏と落合、ゆうばり映画祭

かなりあらびきな本、スポーツライターとかが読んだら憤死するんじゃなかろうか。価値があるのは江夏へのインタビューくらい。豊田さんももっと面白い話があるはずなのだが、著者と親しすぎてうまく引き出せていない。せめて文章に魅力があれば、まだ、と詩人&ナオキ賞作家に言うのも……。

落合博満 変人の研究

落合博満 変人の研究

落合の三冠は江夏のおかげ

今では笑い話ですけど、落合が三冠王とれたのは、僕のおかげなんですよ。昭和56年、日本ハムとロッテのプレーオフが終わった後、一緒に麻雀やったのがきっかけなんです。落合が一生懸命リーチしてきて、僕が「ここを待っているだろう」と待ちを全部当てたら、「なんで江夏さん、わかるの」と言う。「わかるよ。麻雀と野球は同じで、一球一球追っかけたら楽に読める。ピッチャーにとって一番嫌なのは、ある一球をずっと待たれることや。図太く待つのが、いいバッターなんだよ」と言ったら、落合はじっと考え込んでいました。あの顔つきは、忘れられません。次の年は、なにか自分で考えたんでしょうね、図々しくなって三冠王とった。
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 僕が広島から日本ハムに行って、初めて対戦した時は、まだまだ甘かったですね。
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[翌57年秋田県営球場日ハムがリード八回裏ノーアウト満塁で江夏登場]
リー兄弟の三番、四番に、五番の落合を三者三振に打ち取ったんです。その場は拍手喝さいでしたが、でも、投げている僕はもう冷や汗流していました。落合という人間の変わりように驚いたんです。
 その時の配球は、いまだに忘れられないですよ。一球目カーブ、ど真ん中。平然と待っていました。二球目カーブ、これも見送った。三球目、キャッチャーの大宮(龍男)はいろんなボールを要求しましたけど、全部、首振ってもう一つカーブ放った。つまり、カーブ、カーブ、カーブです。それも落合は見送って、三球三振。それで平然と帰ったんです。
 その姿を見て、あ、落合は変わったなと思いました。その場面は僕が抑えましたけど、あまりの変わりように、おれはひょっとしたらいかれるんじゃないか、と冷や汗流したんです。案の定、その後の落合には、そんなにいいヒットは打たれてないんですが、ライト線にポトンと落ちるヒットとかばかり、五割近く打たれましたよ。56年は、ヒットは一本か二本くらいしか打たれていませんから。

 人の気持ちを理解しないと、ピッチャーを読むことはできません。ただ、理解をしたからといって、すべてうまいこといくかといえば、そんなものじゃない。現役時代は、わからなくてもわかったような顔をしないといけないし、自分をだまさないといけない。不安でいるとどうしても後手後手に回りますから。自分は一番うまいんだ、自分が一番野球を知っているんだという顔をするんです。自分をだまし切ってグラウンドに立たないと、ものすごく不安なんです。技術の世界の方はみんなそうじゃないですか。

  • 豊田がコントロールを褒めたら、「コントロールというのは、記憶力ですよ」と稲尾は答えた。
  • テレビ対談前“長嶋さんは監督じゃない。あくまで長嶋茂雄なんですよ”とねじめが答えると、落合は「監督としては、全部の試合を勝ちに行こうとするから疲れる」と。

選手は孤独でなければという落合名言

だから、当時は飲むのもひとり、めしを食うのもひとり、遊ぶのもひとり

心が技術を食ってしまうのである