吉本隆明、鶴見俊輔について語る

2008年の吉本隆明インタビューのとこだけ読んだ。

鶴見俊輔 (KAWADE道の手帖)

鶴見俊輔 (KAWADE道の手帖)

誰もが認めるように、鶴見さんはすこぶる頭のいい人ですから、こちらが何を言っても、どういう言い方をしても、この人にはその真意が通じているなという安心感がありました。その理解力への安心感はかけがえのないもので、他の批評家や文学者にはあまり感じたことがありません。
(略)
[ほぼ十年に一度の対談以外に交流は]
プライベートではあまりないのです。むしろ意識してないようにしていたのかもしれません。(略)
僕から見て、あの人は秀才で殿様のように育った人という印象があり、何となく近寄りがたかった(笑)。
(略)
[アメリカは]戦争の体制の中から学問として記号論理学を残したわけです。日本の学者や技術者は関与の仕方が散漫で、戦争の後をひいこらついていくだけで、戦争が終わっても何も残さなかった。それは敵わねえなと思った。戦後の核開発に繋がるもの、日本研究に繋がるものもアメリカでは軍事協力の政治体制のもとで展開されていた。そういうことは僕らが戦後に反省したことです。鶴見さんはそのアメリカ仕込みの記号論理学の専門家だと思います。でも、僕の読んだ限りでは、あの人はアメリカやその専門から汲みとったものをまだ充分に出していないという印象があります。
(略)
 鶴見さんの書かれたもので、僕がいちばん好きなのは新日本文学会の詩部会が出していた「現代詩」に載った「明治の歌謡――わたしのアンソロジー」という文章です。それは、例えば「海行かば水漬く屍/山行かば草生す屍/大君の辺にこそ死なめ/顧みはせじ」という大伴家持の歌を挙げて、国家を変えるかもしれない無私の精神に支えられた思想であり、日本人のそんなところが自分にはとても羨ましいと吐露した文章でした。他にも神話を題材にして忠誠心をうったえた歌や、「仰げば尊し」などの唱歌を引用していた。僕はそれにすごく感心した。そういうナショナリズムの側面をはっきりさせないで、民主、平和といいことばかり言っても意味がないと思いました。それを読んで、僕はこの人は本格的な人だなと感じた。ハーバードで勉強しながら、アメリカとの戦争はやるべきではないと思っていたにもかかわらず、そういう日本人の心情を羨ましいと感じた秀才の葛藤がよく出ていて、これは本音だなと思った。
(略)
小泉八雲などに典型的ですが、八雲の日本観は僕らの持つそれより必ず古い。例えば「停車場にて」では、八雲が駅で巡査に捕らえられた殺人犯が危害を加えた相手の身内に謝罪する場面に遭遇し、「日本の巡査が目に涙を浮かべているのを見た」として、日本人は素晴らしいと八雲は感心する。同国人の僕らの感覚ではどこか古臭いところでそれを了解しても、何も感心するほどのことではないよなと感じる(笑)。そういう文化や歴史の違いを了解して調節できているのは、日本の外国通では鶴見さんがもっとも優れていると思います。僕らも他国のことを話す時は必ず見当外れになってしまうから、それを覚悟の上で目をつむって話すしかないのですが、鶴見さんはそれをちゃんと勘定に入れた上でアメリカと日本を往還しており、僕らはその恩恵を受けてきました。
 それ以外のことで言えば、いろいろなことで鶴見さんに文句はある。60年代にあの人は、小田実開高健らとベ平連を作って平和運動をおこなった。その時も、そこに平和主義の人間だけでなく、幼稚であっても戦時中に本気でアジアを解放するのだと言っていた若者たちが加わらないとダメですよと僕はからかった。でもそういう批判やいちゃもんはお互いさまですから(笑)。
(略)
鶴見さんが進歩的知識人なら、進歩的知識人も悪くねえやと思います(笑)。戦後のリベラルの中でも、あの人は最良ですね。僕なんかが大きな影響を受けた丸山眞男でも鶴見さんのような幅のある見識はなかった。ですから学問があったり知識があったりということと違う何かを持っている人ですね。誉めるのでも貶すのでもなく、それは鶴見さんの特徴だと思います。
(略)
僕は自分が軍国青年であったことを恥ずかしいとも思わなければ、反省もしない。反省なんかしたら、アメリカの無茶苦茶な原爆や空襲や戦犯裁判を認めることになってしまい、冗談じゃないと思っていた。戦争は国家の正義と正義のぶつかりあいで共に幾分かの真理を持っています。だからどちらが正義かではなく、戦争自体が悪だと考えるべきですね。その両義性を鶴見さんはよく理解しているのではないでしょうか。
(略)
[鶴見の大衆像との違い]
違うところはすぐ分かります。僕らが日々家族で生活している実感の集積から見れば、鶴見さんの言われる大衆のなかにそれがほとんど顔を出したことがないことです。僕が知っているような大衆は鶴見さんばかりでなく日本の大抵の知識人や指導者の言葉のなかにはちっとも出てこない。
(略)
[中産階級以下の人達の動向に]中心的な狙いを定めて見なければ目盛が狂ってくると思います。
 ただ、その目盛は普遍的なものではなく、例えば、夏目漱石の小説の多くは主人公が遊民と呼ばれる人間で、新興ブルジョワの父親のお金で恐縮もせずに悠々と暮らしている。中野重治なんかはそのことで漱石の小説はダメだと言う。でも漱石石川啄木のように貧しい人々の姿を描くより、親掛かりでのんべんだらりと生活して誰からも制約をうけていない人間を中心に置いて描くことの方が、日本の社会全体が見えると意図的に考えたと思います。明治から始まる勃興期の日本の資本主義社会の捉え方としては、それは正統な一つの見方だと思います。啄木にも「実務には役に立たざるうた人と我を見る人に金借りにけり」という短歌があって、ちゃんと分かっていますね。鶴見さんは大衆を中心に限界芸術を考えましたが、それ以外のことに言及すると考えの外に出てしまうと感じます。しかし何を中心にその社会を見るかは、人により場所によりそれぞれ違うわけで、僕の大衆論と鶴見さんの大衆像が違うのは宿命的に違うので、それ以上でも以下でもないですね。