トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ・その3

前回の続き。

 

ビッグ・タイム(紙ジャケット仕様)

ビッグ・タイム(紙ジャケット仕様)

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《ビッグ・タイム》

エルヴィス・コステロトム・ウェイツの会話の盗聴」からの抜粋

『オプション』誌 一九八九年七月

 

トム・ウェイツ ときどき、自分のレコードを聴いて「なんてこった。突然変異ができてしまった。最初に考えついたものの方がずっといいじゃないか」と思うことがある。なので、今、大事にしているのは、閃いたアイディアを捕まえて、いかにそれを生き生きと保つかということだ。両手で水をすくって運ぶのと似ている。全部運びたいんだけど、スタジオに着く頃は水はほとんどこぼれているというわけだ。

 器用な音楽が作れるようになると、その能力を酷使するから音楽的成長が止まるか、関係のない方向へ行ってしまう。おれの場合はそれがしょっちゅうだ。スリー・コード・シンドロームと呼んでいる。で、その後、そうだな、バーニー・ケッセルに頼んで簡単な録音を頼もうとする。レンガの固まりのようなコードを。ダーティーでファットな、でかくて、イカして、謎めいたやつだ。でもだめだ。だってやつは何でもこなせるテクニシャンで、彼の手はひらひらと動いてハイレベルな演奏をしてしまうんだ。キャンド・ヒートのラリー・テイラーっていうベース奏者がいて、もしフィーリングが合わないと平気でベースを置いて出て行ってしまうんだ。「もうだめだ。おれにはわかんねぇ」って言って。で、おれはこういう態度を最高にリスペクトしている。彼に言うのだ。教えてくれてほんとにありがとうって。

エルヴィス・コステロ こんなことはないかい?(略)自分の音楽から離れて来たなと思ったときに、それを止めてくれるやつがいたりとか?彼らの演奏を聴いて思わず待ったをかけられたと思うことはあるかい?

トム・ウェイツ ときどきある。でも、それで道が開かれるってこともある。録音の合間に、みんなが勝手なことをしだしたときも、常に何がスタジオで起きているかを注意していなきゃならない。カメラが止まったり、録音が止まったりする時こそ実は…。何かがひらめくためには時間がかかるんだ。すぐにひらめくこともあれば、何週間もかかることだってある。音楽のスタイルが変わるとき、音楽ですごいことが起きるときは大抵人々の間の誤解が絡んでいる。「あれ、そう言ってなかったっけ?」ってやつさ。詩だって誤解から生まれる。でもおれはそういう間違いが好きだね。称賛するし、奨励するね。

コステロ 予感したことが起きたという気分になったことはない?やる前からこの曲はこうなると決まっていたと感じたり、この曲は彼らのために作っていたのだと思ったり。

ウェイツ もちろんさ。夢がこれから起こることを前もって知らせるのと似てる。

 

ボーン・マシーン (リマスター)(SHM-CD)

ボーン・マシーン (リマスター)(SHM-CD)

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《ボーン・マシーン》

骸骨よろしくグランドピアノのコードが不気味に響く中、ガラクタ置き場に捨て置かれたものたちが脇を固め、そこに鉄と肉の不協和音のシンフォニーがシンコペーションを効かせて入り込んで来るようなアルバムだった。

(略)

家から遠く離れず、アルバムの録音はカリフォルニア州のコタチにあるプレーリー・サン・レコーディング・スタジオで行われた。

(略)

彼の選んだルームCは、そこを使うミュージシャンの間では「ウェイツ・ルーム」と呼ばれている。スタジオのチーフ、マーク・レニック[回想](略)

 

スタジオXのコントロール・ルームと録音エリアは、前は孵化場に使っていたセメントの部屋だった。その中の一つ、現在では「ウェイティングルーム」と呼ばれている部屋が音響的にウェイツが一番気に入っていた場所だ。

 「(ウェイツは)ここのエコーに特に魅かれて《ボーン・マシーン》の音風景をここで作った」とレニックは言う。

 今日に至っても、スタジオXの洞窟のようなメイン・ルームは(略)ウェイツのエキゾチックな楽器群によって占領されている。(略)

巨大な古い木の太鼓、アンティークのカーニバル・ピアノ群、形や大きさが異なるさまざまなギター、そして野外で使う錆びついた道具類などであった。

 

(略)

『オブザーバー』誌 一九九二年

(略)

[新作としては五年ぶり]

 「始めるまでに時間がかかる。まずはアイディアを集める。(略)それを一つにまとめられるかどうかなのだ。曲はすぐにたくさん湧いてくる。そのうちの一つを捕まえたと思ったら、今度はそれに攻撃を仕掛けるんだ」

 「レコーディングはある種、暴力的な作業だともいえる。スタジオは考えようによっては屠殺場みたいなものだ。アイディアが出てきたら、取っ組み合いをする。羽が散らばることになる。鳥の死骸と抜け落ちた羽が」

 「決して簡単な作業じゃない。音楽は生き物だ。できるだけ殺したくはねえ(略)壁にぶち当てて血みどろにしたくはねえし、あっちの世界にはぶっ飛びてえし、涙の粒にも入ってみてえし、壁のボードの穴にも入り込んでみてえし。今まで行ったことのない場所に行きてえけど、そういう旅はうまくいく場合もあれば、気がつくと野原に死体がどっさりってこともある。装備が十分でないと、気がついたら水がなくなったり。でも、おれはこうしたプロセスは嫌いじゃない」

(略)

 「曲作りはとてもシンプルだ。手の中にいくつかある。お望みならここで一曲作ることもできる。でもとてもシンプルなだけに、まるでバードウォッチングみたいなんだ。鳥のことを知っていないと、何も見えない。双眼鏡をもってバカみたいに突っ立っているだけってことになる」

 「曲のアイディアが降りてくるのをつかまえるために、アンテナをちゃんと延ばしておかないといけない。自分を音楽的な状態にしておかないと。自分が音楽の中にいなくてはならないし、自分の中に音楽がなくてはならない。それは曲がおれの中で生き続けたい、おれのそばにいたいと思うようになるには何が必要かってことだ。大きな獲物をしとめるためには、じっとしていないとだめなんだ」

(略)

 このアルバムには、何だかわからないような、カチャカチャ、ガンガン、バシバシいうような、ありとあらゆるパーカッションが使われている。たとえばコナンドラム。「鉄の十字架に似て、金属がぶら下がっている。でかいハンマーでぶっ叩いて音を出す。力一杯。金属のゴミコンテナを叩いてるみたいな音がするんだ」

(略)

「ラップは好きだ。むきだしで、暴力的で、怒りをぶちまけているから。ラップには型もあれば枠組みもある。アメリカの音楽で、変化し進化しているのはブラックミュージックだけだ。(略)死んだ音楽という言葉に対抗する意味で、生きている音楽だと思う。育っているんだ。怒るし、黙るし、窓ガラスをぶち割るし、消えちまうし、また戻って来る。でも、生きてる音楽だ。この世に必要とされている」

(略)

『パルス』誌 一九九二年

(略)

 「おれたちは骨の機械みたいだ(略)機械っていうのは大抵、人間的な性質はどこか引きずっている。自転車もそうだ。乗りつぶされたような古いやつは特にそうだ。たとえ誰もまたがってなくても、自転車は何だか人間っぽい。おれは機械のそういうところに魅かれる。瓶を製造する機械の写真を見たことがある。二〇年代の写真だ。一二時間に四万個も作れるようなやつで、それがほんと人間みたいに見えた。動物っていうか。肉が焼け落ちた生き物みたいに見えたんだ。そういう機械の出す音がすごいと思った。で、もっと機械っぽい音のことを追求したいと考えたわけだ」

 そこでウェイツは「コナンドラム」という名の打楽器群をラック化したものを作らせた。「鉄でできた邪悪なスペインの十字架のお化けみたいな形をしている」。

(略)

 「〈地球の断末魔〉では、みんなでスティックを持って、ありとあらゆる所を叩いてみた(略)大好きなピグミー族のフィールドレコーディングと同じサウンドにならないかとね。だが、だめだった。(略)

それで外に出て、アスファルトにマイクを置いてやったら、なんとこれが大当たり。やっぱりああいう音は外でなけりゃだめだ」

「今はとにかく音の出るものを探し求めている。伝統的な楽器ではなく

(略)

音とその質感に関して、おかしなことばかり考えている。気が変になるくらいのめり込むんだ、夜遅くまで。(略)

でも、こういうプロセスがほんと、大好きなんだ。おれは音楽が砂のように指の間をすり抜けていく感じが好きだ」

 ウェイツが拾い上げて来た恐竜たちの中に、チェンバリンがある。シンセサイザーの前身ともいえる楽器で、録音されたテープ素材がループになっていて、押すとその音が出るという仕掛けだ。「すごいのなんのって(略)七〇種類くらいの音が入っている。馬から雨音、笑い声、雷、七、八種類の汽車、それとオーケストラで使われる楽器の音。今っぽい楽器の音が気に入らないときに使えるんだ。最新の楽器は空気感がなくて真空密閉されているような感じだ」

(略)

ウェイツは、自分が投入した多彩なギターサウンド群について、次のように断っている。「実をいうと、他のやつにもカネを払ってやってもらっている。『おまえの名前は出せない。カネはたんまり払うから、おれがやったことにしていいか?』って。そう聞くと多くの場合、相手は承諾する。『ちゃんと払ってさえくれれば、おれは消える。裁判沙汰とかにはしない』ってね。おれの弾くギターの幅は限られている。でもその制限の中ではおれは大抵のことができる。たとえばタンスの脚が壊れたとする。本を何冊か積み重ねて高さを調整すればそれで事足りる。曲だったらおれはその本にはなれる。タンスにはなれないにしても、その脚にはなれるわけだ」

 「そして多くの場合、曲はそういう作り方でやっている。耳を澄ませて考え続ける。『何が足りないんだ』と。曲作りでやってることは、ほとんど怪物フランケンシュタインを作る手術だ。何がいる?とても美しいが心臓がない、とか、心臓だけしかないから胸郭が必要だとかね。(略)

病気の曲のために呼ばれて『手遅れだ。シーツをかけろ』と言ったり『手術だ』と言ってみたり。のこぎりを入れた大きな鞄を持ち歩いてね。時には曲の足を切断して、リセットする必要がある。そういうのはうまいんだ。でも苦痛が伴う。早めに呼んでくれないとまずいことになる。おれは曲をぶち壊すのが好きだから、背骨をへし折ってしまう。おれは傷のついた曲が好きだ。曲を聴くときは傷ばかり探してしまう」

(略)

曲作りで好きなのは、それをいじくりまわしているときだそうだ。「お望みならば全部変えられるからね。気に入らないところがあれば、曲の骨組みをすっかり変えたって構わないし、三つか四つの曲をうまい具合につなぎ合わせたりもできる。レコーディングで嫌いなのはその作業が永久にできてしまうことだ。最終的にはそれを乾かさないといけない。それが嫌なんだ。というのも、曲の形を変え続けるのが好きだからだ。半分にしてみたり、要らないところを別の曲にくっつけてみたりとね」

 「そういう作業でみんなは気が狂いそうになるんだけど、おれはいろんな曲を持ちこんで、ここを食ってみたり、あそこをこき使ってみたり、すべての可能性を試してみるのが好きなんだ。そうすると、アイルランド民謡っぽく聴こえてきたり、少し揺らすと今度はバリ島の音楽っぽくなったり、今度はルーマニアっぽい響きになったりするのだ。音楽作りでは、この部分が結構好きだ。違った緯度や経度の所に行けるので。リズムにはさまざまな組み合わせがあって、リズムを探求し出すと、たとえば中国風に聴こえるものが、実は地面をただ棒で叩いているからだとわかったり、自然にそんな風に聴こえたん だから、別にどこかの国のスタイルにはめ込むこともないなと思ったり。どこ風のスタイル、なんてものは大抵自分の安っぽい想像だったりするんだ」

(略)

 「おれが自分の声でやりたいことは、それを分裂病化することだ。そして自分でその声に怖がれるかということ、あるいは次の曲に移ったときに、脊椎骨が砕けるほど自分の頭がくるりと回るかどうかを見ることだ。(略)

おれは楽器として、おれの声がよくやってくれることが喜ばしい。(略)」

(略)

 「伝統的な商売のやり方を受け入れないといけないことは、ときとしてつらいものだ。一千万個ものモノを作って、それをみんな売りさばくことができるやつに対して、みんなは敬意を表する。たとえ素晴らしいものを一〇個作ったとしてもだめで、みんなが持っている商品を作ったら大勝利というわけだ。こうした基準におれは従わない」

 「だが、アメリカにはまだ音楽が生きてる場所がある。 ニューオーリンズでは、音楽はここにあるタバスコみたいなもんだ。(略)

この国で唯一生き生きしていて、進化し続けていて、頑張っていて、リアルなのはブラックミュージックだけだ。 大切なものが、そこにはみなぎっている。 娘はよくラップのラジオ局を聴いているけど、ラップはグラフィティとか、監獄のポエトリーと同じだ。窓を突き破るレンガだ。パワフルであり本質的だ」

(略)

『イブニング・ビカムス・エクレクティック』からの抜粋

KCRW局 一九九二年一〇月九日

 ツアーはいつもきつい。毎晩、みんな違うからだ。皮を剥ぎ取られてレモンジュースに浸されたみたいになる夜もあれば、自分が八マイルの高さに浮かんでいる気がする夜もある。(略)

 最高の曲っていうのは、いまだかつてちゃんと録音された試しがないというのがおれの説なので、現存するのはみんな使い古しの音楽だ。今、みんなが聴いている曲は、なんとか録音終了までこぎつけたものだが、曲たちの中には、機械に怖じ気づいて、レコードに吹き込まれなかったような曲がたくさんある。いい手がある。その場で録ってしまうんだ。録るときに歌を傷つけちゃだめだよ。

 怒り狂ってるときの方がはるかにいいドラムが叩けると思う。音楽の不思議なところだが、慣れに逃げないことが、道につながったりすることがある。その精神を忘れないことが大切だ。おれはバンドとそれを実践している。おれはこう言う。「この曲をまず一緒にやってみよう。その後楽器を交換しよう。で、一度、バランスをめちゃめちゃにして、中心に引っ張られる引力なしでやってみよう」って。あるいはこうだ。「バンドを半分に分けるんだ。半分は演奏をする。もう半分の方も演奏をするんだけど、ちょっと遅れたタイミングでやってくれ。そうするとタイタニック号で揺られているみたいな感じになるだろう」

(略)

――その変化の必要性というのは、レーベルの移籍にも関係しましたか?

 実際は違うんだ。アルバムはEA(エレクトラ/アサイラム)のために作られてジョー・スミスがそれを聴いたんだが、彼は、どうしていいかわからなかったんだ。おれのことをイカれたやつを見るように見ていた。彼は最初こう言った。「自分で自分のレコードをプロデュースしろ。自分自身のレコードを作れ。プロデュースは自分でやらなきゃだめだ」と。そこでおれは「よし。そうする」と答えた。おれは三、四曲ばかり作って彼に聴かせた。すると「よくわからねえ」と彼は言った。で、レコードを全部仕上げて彼に聴かせた。そうしたら「これを出せるかどうか、正直わからない」ということだった。そこでクリス・ブラックウェルが聴いて、おれは契約の抜け道を使ってEAをこそこそと去ったのさ。クリス・ブラックウェルは、アルバムをとても気に入って「よし出そう」と言ってくれたというわけさ。彼はあのアルバムをわかってくれた。ブラックウェルはいい耳をしている。何しろあのアルバムが気に入ったんだから、いい耳をしてないわけないだろ。

(略)

――(略)映画の仕事では戸惑うことも多いでしょうね。

(略)

彼らは演技にカネを払わない。待たせることに払ってるんだ。待ち時間がすごい。(略)

高揚感は、芝居のときの方がずっとあるんだ。映画はぶつぎれのモザイク状態だから難しい。でも、素晴らしい人々と仕事をするのはためになるし、満足できる。映画はときに、難破する運命にある船の、最後の切符を買うのに似ている。「二度と帰って来れない」

(略)

――この新譜が(略)一番衝撃的だったのが、そのへビーな打楽器感です。とても「生」で、ざらついた質感、手触り感覚があります。そしてたくさんの暴力が。(略)あと、家で作ったような手作りの感覚があふれている感じもします。自家製の感覚。

 そうか。実はすべてスタジオの建物内にある小さな部屋で作られている。レコーディング・スタジオとして作られた部屋じゃないんだ。それが良かったと思っている。部屋の響きがどんぴしゃだったんだ。防音処理をしていないセメントの床と壊れた窓。要するにただの部屋。物置きだったんだ。いいだろ。

(略)

本物のスタジオで何日かやったんだけど(略)「ここじゃ音楽が死んじまう」と怒りが込み上げてきた。(略)どこかいい場所はないかと。それで「この部屋はどうだ。絶対、いいに違いない」と言ったら、みんなが笑った。

(略)

[コナンドラムは]

 友達のセルジュ・エチエンヌが作ってくれた。(略)十字架みたいな鉄の構造物だ。中国の拷問具みたいに見える。(略)音の源へと下っていけるような代物だ。ハンマーで叩くと牢屋の扉が後ろで閉まったときの音がする。演奏した後は手の甲から血が出て終わることになる。叩いていると、これ以上続けられないくらい、へとへとになるほど叩いてしまう。強くぶっ叩くというのは最高の気分だ。ハンマーで力の限り、あらん限りぶっ叩く。最高だし、癒しの力みたいなのを感じる。(略)

 

 

《ミュール・ヴァリエイションズ》

テレグラフ・マガジン』誌 一九九九年

(略)

 体験しないことは歌にしないことをモットーとしていたウェイツは、生き方も身なりもドヤ街の落伍者になりきった。安っぽ身なりをして、旅のときは必ず不衛生な場所を選ぶという徹底ぶりだった。彼の「ホーム」は(略)サム・クックが撃ち殺された場所としてよく知られている。彼は冷蔵庫のあった場所にピアノを起き、ガス台はシガレットライターとしてだけ使用し、そこで暮らした。

 彼は長い間、自分が歌にしたいかがわしい世界に飲み込まれる危険に晒されていたことを認めている。彼は飲み過ぎていたし、悪い友達に囲まれていた。「(略)

おれには、自分が誰かよくわかっていない時期があった。おれは自分のカリカチュアに成り下がっていた(略)

わかっていることは、自分を守らないとだめだってことだ。ほとんどの人間はアーティストが無責任なことをやらかして、道を踏み外すことを期待してるだろ。

(略)

程度の差こそあれ、それをやり始める人間はみんなある種のペルソナ、仮面、イメージを作り出して生き延びようとすることだ。地獄に行くのは大変だからな。(略)

すべては演技だ。誰も本当の自分なんていうものを見せたりはしない。(略)

もしほんとの自分を出していても、そのうち考え方が変わってくる。もう何が現実だかわからなくなってしまうからだ。(略)」

 映画監督のフランシス・フォード・コッポラとの出会いがウェイツにとって人生の突破口だった。

(略)

《ミュール・ヴァリエイションズ》はほとんど沈黙の状態で六年を過ごした後に出された。

 「おれはただ、ちょっとの間、仕事をうっちゃっておこうと思っただけだ。何か他のことをして」(略)

彼はロサンゼルスから北カリフォルニアに引っ越し、子供を育てることに専念した。「少し休んで新しいパースペクティブを養いたかったんだ。ただそれだけだ。もう古い歌には飽き飽きしたし、新しい曲を作りたいと思っていた。レコードを作りたいときに作れなかったということではない(略)

テープレコーダーをポケットに入れて歩き回っている。車の中で録音して、それを聞いたり。モーテルの部屋に入って、拳骨でタンスを叩いてリズムをとってそれを録音したり。(略)いつでも気に入ったものをレコーディングしているよ。人が落書きするみたいに。(略)」

(略)

『ナウ』誌 一九九九年

(略)

 「ガキどもか?みんな育って背丈なんかおれよりでかくなったよ。頭もおれよりずっといい。(略)エピタフにいるバンドなんかにも詳しくて、ランシドとか、ええと…、ペニーワイスとか。いいレーベルだと思うよ。なかなか居心地がいい

(略)

エピタフの連中は、おれにとってはただとてもいい人たちに見えた。事細かな注文をちゃんと聞いてくれたんで(略)ここから出してみる気になった」

 (略)

『ブルース・レビュー』誌 二〇〇〇年

――自分のことをフォークミュージシャンと思いますか?

 よくわからないけど、構わないよ。何かに分類するとすればそれでいい。カテゴリーに入らないとまずいんだったら、フォークも悪くない。おれは一種ノンジャンル的な資質を持っていると思うが、でもフォークを取ろう。音楽を始めたティーンエージャーの頃はフォークのクラブでやっていたし。聴いていたのもフォークだ。今はずいぶん遠く離れた気もするが、まあフォークの王国に属しているんだろう。

――ブルースシンガーと呼ばれることには抵抗を感じますか?

 もし誰かがブルースシンガーだと言ったとしたら、おれとしては光栄だろうな。おれはまさにそれ、というわけではないが、そう呼ばれることは嬉しい。

(略)

――北カリフォルニアの田舎に住んでいるんですよね。

 そうだ。ど田舎と呼ばれているエリアだ。でも…。どこそこのスタジオで録音したい理由は、そのスタジオがジョージアやテキサス、ルイジアナにあるからだと言ったりするやつがいるだろ。録音というのは大抵、頭の中ででき上がっているものなんだ。それがわかればどこで録音するかは関係ない。曲自体が独自の風景を持っているからだ。これまで何を聴いて何を吸収して来たかが大事なんだ。

(略)

――今はどんな種類の音楽を聴いているんですか?

(略)

 曲でいうとブラインド・メイミー・フォアハンドの〈ハニー・イン・ザ・ロック〉を聴いている。一九二七年の曲だ。ビクターから出ている。しくじったりするところがあるし、音も小さくなったりするんだ。おれは欠陥が好きだ。小さなひびが入っているようなものが好きなんだ。そういう曲に魅力を感じる。数年前にロイ・オービソンの古いデモテープを聴いたのを覚えている。〈クローデット〉という歌で(略)曲がしばらく進んだところで、コードを間違えて「くそっ」と言う声が入ってるんだ。その後、始めからやり直すんだけど「おれならそのまま行くのに」とおれは思ったね。音楽で問題だと思うのは、こんなところだ。あまりにカネをかけたりプロデュースが過ぎると、聴いていて気持ちがくじけてしまう。彼らは「おれの音楽ってだめだな。ひびやへこみがいっぱいだ」と感じてしまうんだ。

――あなたはじゃあ、ひびやへこみをわざと入れたりするんですか。それとも自然にそうなるんですか?

 自然にそうなるね。今じゃ、もう特に意識しないね。ひびやへこみがなければ作る。(略)"擦り切れ加工"がないと面白くないからね。

(略)

 わかるかな。今はみんな音楽を買っているだけなんだ。もう作ったりなんかしない。すべてにいえることだ。おれはいかに荒削りだろうと、独自の音楽を作る自分の能力を信じて伸ばす努力をすることはとても大切なことだと思う。荒削りであるほどやり甲斐もあると思うのだ。

 何を聴いて来たかって?ローマックスの再発ものは全部持ってる。《サザン・ジャーニー》とか、最近CDでリリースされているすべての米国議会図書館ものも持っているし、ジョージア・シー・アイランド・シンガーズとか、監獄の音楽とか、フィールド・ハラーとか、たくさんのレッドベリーの音源も聴いている。おれはレッドベリーの死んだ翌日に生まれたんだ。あの世の玄関ホールで出会っていたはずだと思っている。彼の声を聴くと、知り合いだと感じるんだ。おれはきっとやつが歩いて来た道の石ころだったかもしれない。(略)最初に聴いたとき、他人とは思えなかった。

(略)

――(略)どちらから曲を作るのですか?歌詞から?それともメロディー?

(略)

言葉自体が音楽なんだ。言葉が出てくるとき、そこに音がある。そして音がつながればそこに「かたち」が生まれる。そういう意味で、広い意味で、音楽はオーガナイズされた雑音なのだ。間違った音なんか一つもないとセロニアス・モンクは言った。音楽をどういう風にそこからすくいとれるかにかかっている。そうやってジャンプ・ロープ・ソング[子供の縄跳び歌]ができる。リズミックなフレーズから。それができれば音楽になるのはすぐだ。もし音楽があるのなら言葉はすぐにやってくる。そして時には、言葉があれば音楽もすでにそこにあってこともあるのだ。

 

 

《リアル・ゴーン》

『モージョー』誌 二〇〇四年

(略)

――あなたにとって"老いる"とは?

 小さいときから老人になりたくてね。お祖父ちゃんの帽子をかぶり、杖をつき、年寄り声を真似たりしてさ。死ぬほど老人になりたかったんだ。老人を見ると目が吸い寄せられた。十代の頃に聴いたのはお年寄り好みの音楽だった。そりゃビートルズは聴いたけど、夢中にはならなかった。若さと新しさを売り物にする人は胡散臭くてね。敬う対象が欲しかったのかな。両親が離婚して父が家を出たのは、おれが11歳の頃のことだった年配のミュージシャンたちを、父親的存在として敬うような気持ちで見ていたんじゃないかな。ルイ・アームストロングビング・クロスビーナット・キング・コールハウリン・ウルフ(略)彼らに同伴し自分を導いてくれる人を求めていたのかもしれない。

――一九六〇年代のカリフォルニアで老人愛的な傾向を持つというのは、かなり変だったでしょうね。

 おれは何でも逆方向に行くようなところがあって、そう、まだ二十歳にならない頃のことだけど、サンディエゴにあるゴルフクラブでラウンジのピアノ弾きの仕事にありつこうと(略)フランク・シナトラとかコール・ポーターの歌を覚えた。

(略)

――ヒッピー文化には興味は持たなかった?

 ええとね、銃で友達を撃ってしまったことがあるんだ。(略)峡谷に行って、銃で空き缶を狙い撃ちしていたときのことで、友達がおれの前を歩いて横切ろうとしたときに銃が暴発した。弾丸は腰から太腿の内側に抜けたけど、命に別状はなくて――撃たれた後に彼は――パット・ゴンザレスという名前だった――「トム、なぜなんだ?」と言ったけど、西部劇の台詞みたいだった。彼を抱え上げ(略)三マイル走り、車に乗せ、病院に連れて行った。入院して回復してきた頃、彼の所にお見舞いにやってきた人の中にサンフランシスコに住む彼のいとこがいたんだ。髪を肩まで伸ばし、イアリングとかいろいろ付けていて、相当に異様な感じでさ。実はそのときに初めてサンフランシスコに興味を持つようになったんだ。しかし、サンフランシスコに行って何をしたかと言うと、ジャック・ケルアックに会えないかと、有名なシティーライツ書店に行った。少なくともケルアックをよく知っている人を見つけ出そうと決心して、作品に出ていたバーの名前などを頼りにあちこち歩き回った。

(略)

ビート文学の世界が幻のように現れ出るのを待って、何時間もそこで粘った。おれはあの時に初めて若者文化の入り口を潜ったんだろうと思う。でも、出発の時点ですでに出遅れていた。

(略)

――(略)《ソードフィッシュトロンボーン》という、形式に囚われない音楽的狂気。何が起こっていたのでしょう?

 女房の影響だ。彼女は最高のレコード・コレクションを持っていた――彼女はおれが収集したレコードのすごさに期待していたんだが、結婚してみてひどくがっかりすることになった。おれはザッパと一緒に仕事をしていたけれど、キャプテン・ビーフハートはちゃんと聴いてなかった。おれはずっとワンマンショーをやっていたわけだ――表舞台に出してもらったはいいけれど、まったく周りが見えていなかった。おれは、まさに動こうにも動けないでいる老人みたいなものだった。女房にうながされて、おれは自分を見つめ直してみた。それまでは、おれの音楽は箱にしまったままだった。音楽どころか、おれ自身が箱入りだったというわけよ。箱を壊して外に出て、己を晒したことなどなかったんだ。おれは彼女のお蔭で、靴を脱ぎ、自分を縛っている紐を緩めることを学んだよ――そのときまで、公園に行くときもスーツを着ていたくらいで。本当に成長しようと意識するようになったのは、そのときからだった。成長するって怖いことだよね。たとえば自分が一粒の種だとしよう。種は、暗闇の中で、どちらが上かわからない。下へ行けば、もっと暗い所へ引きずりこまれるのかもしれないそういうことだよね。それが実感だった。どの方向に向かって成長したらいいのかわからない。何を自分の中に取り入れるべきか、わからなかった。

(略)

――キース・リチャーズが《レイン・ドッグ》でゲスト参加

(略)

いや、あれはすごかった……!(略)打ち合わせで、「今度のレコードで誰か一緒にやってみたい人はいますか?誰か……」と聞かれたので、「キース・リチャーズなんかいいねえ」と言ってみた。おれはローリング・ストーンズの熱狂的なファンだからね。すると、「今、キースに電話してみよう」ということになって、おれはもうびっくりして、「まさか、ちょっと、待て。そりゃだめだよ。どうかやめてくれよ。冗談で言っただけなんだから」と言ったんだけれど、二週間ほど経ってキースから連絡が来た。「お待たせ[ウェイト]いたしました。一緒に踊ろう。キース」。

(略)

――今度の新しいアルバムでは音の重ね織りがあって面白いですね――あなたが声で作っているリズム音はループしていて、リズム楽器を拷問にかけて音を再現しているかのように聞こえます。

 そう、そう。でも、ループではないんだ。ループがまずいのは、意識がループだと認識した途端に耳はそれを聴かなくなる。テーブルクロスのパターン化された模様を見なくなるのと同じことだ。同じパターンを見続けていれば飽きるからね。だから、三、四小節ごとに何か違う音を入れなきゃならない。それを喉が痛くなるまでやる――ウーク、カッククク、カックク――小さな四トラックの録音機を浴室に持ち込んで、目をガッと見開き、髪の毛が逆立ち、汗がしたたり落ちるのも構わず、みんなが寝ている夜の夜中にマイクに吹き込んだよ。言葉ではない未知の音を作り続けるわけだから、神憑りの忘我状態[トーキング・イン・タグズ]でしゃべっているような感じだった。でも、後で録音したものを聴いてみると、いくつかは既成の単語の音節を使っていたね。これは時間を過去へと遡るような体験だった。まず最初に音があって、その音が次第にある事柄や体験を包むものとして意味を持ち始めるという言葉の誕生を体験したかのようだった。

(略)

 ウェイツは、同じテーマを反復しているという批判に応えて、新しい音の表現など存在しないと言い切っている。ポピュラー・ミュージックはすべて既存のものを今風に作り直したものであり(略)

彼自身が作ってきた音楽のさらなる洗練であり練り直しだといえなくもない――そこに時折新しい色やアイディアが組み込まれるのだ。

(略)

 「ほとんどのアーティストは、他人の下手な模倣をしているんだよ(略)そして、そのことがばれることを秘かに恐れている。もしハウリン・ウルフが『実はジミー・ロジャーズみたいに歌おうとしているんだ』なんて言ったら、『心意気は買う。全然その域には達していないけど』となるよ。でも、その違いにこそハウリン・ウルフのウルフたるゆえんがある……おれにとって、アーティストの仕事というのは、吸収できるものすべてを吸収して、人の胸を打つようなイメージを送り返すことなんだと思う。郵便物を小出しに投函するのがレコーディングで、文化という生き物に必要な、終わりなき対話みたいなものじゃないかな。

(略)

ウェイツは自分の生きる世界の問題と関わりたいと思ってこの曲[〈デイ・アフター・トゥモロー〉]を書いたという。(略)

「シニカルに構えるつもりはないんだが、プロテスト・ソングというのは、ゴリラに向かってピーナツを投げるようなもんじゃないの(略)それでおれたちの進む道が、少しでも変わるとは思えない。しかし、一方で、ピート・シーガーの〈ビッグ・マディ〉は、単に一つの歌という以上の影響力を持ったよね。プロテスト・ソング路線に貢献する気はないし、こういった問題について自分が知的な議論をできる能力があるなんて思っちゃいないよ。

(略)

でも、おれにも言えることはある。みんな気づいていることだけど、行き止まりの一本道を、おれたちは時速九〇マイルでぶっ飛ばして生きているんだ。これは洒落じゃなく、現実だよ」

(略)

『ペイスト』誌 二〇〇四年

(略)

[中西部は]何もない真っ平らな土地だから、彼方に夢を追い求めるのさ。ほら、あのロイ・オービソン。「どうしてそんな声になったの?もしかして、オペラばかり聴いて育ったとか」と聞いたら、こう言ったね。「そんなわけないだろ。土曜の夜、百マイル彼方でダンスパーティーがあるとするよね。そのはるか彼方から、平原を渡って、音楽がこちらの耳に届く。淡く透明な音楽となって聞こえてくるのさ。子供心に、あんな風に歌いたい、遠くから聞こえてくるダンスの音楽みたいに歌いたいって思ったんだ」。これはちょっと忘れがたい話だな、と感動したね……

(略)

――あなたは自分の音楽をどんどん変えていくすべを身につけている。それもファンのためというよりも、自分にとっての面白さ、楽しさを追求している。

 音楽やるって、そういうことなんじゃないの?自分自身で楽しむことができて、いつも音楽にときめいているというのが本当だ。おれは少しエキセントリックなのかもしれないが、どう評価されるかなんて気にならないし、人が何を考えていたって、おれにはどうでもいい。おれにはおれの世界がある。音程のことが気になり出したら、自分は作曲しようとしているんだということに気づく。

(略)

昨夜のことなんだが、暗くしたホテルの部屋の壁を見ていたんだ。すると斜視のような目つきの片目が見える。どうやら頭蓋骨のようで、その頭から雲が湧き出しているらしい。白い手袋を着けた手も見える。

(略)

でも、翌朝になって見てみると、そいつは白いバラの花束だった。暗がりの中で見まちがえたわけだ。おれがものを作るときは、そんな感じ。そこにあるものではないものを見る。ガキの頃からそんなことをしてきた。うちのカーテンは染みだらけでね。(略)そのありとあらゆる形の染みの中から、何か意味のある形を見つけ出して面白がっていた。今でも同じようなことをしている。

(略)

 

《オーファンズ》

『ナウ』誌 二〇〇六年

(略)

 「ケルアックとギンズバーグの作品に出会ったのは一〇代の頃で、おれはそれで救われたね。父親のいない家庭で育ったので、気がつくといつも父親的な存在を求めていた。彼らは、おれにとっては精神的な父親なんだ。

(略)

 ウェイツにとってもう一人の重要な先達は、『トワイライト・ゾーン』の世界を創造したロッド・サーリングである。

(略)

 「ロッド・サーリングのあの黒く太い眉と、忘れがたい声。彼の作った『トワイライト・ゾーン』の物語が繰り広げる人間の心の問題にはとても引き込まれた。彼は厄介な問題を避けて通るようなことは絶対にしなかった

(略)

特に好きな話は『ピップをたたえて』というもので、おれの親父にそっくりのジャック・クルーグマンの演じるアル中男は、競馬の「呑み屋」なんだが、強盗に襲われて腹を撃たれてしまう。彼は死に際に、まだ子供の頃の息子ピップが助けを求める姿を幻に見る。というのも、そのときピップは兵士としてベトナム野戦病院にいて、出血多量で死にかけているんだ。そこで彼は、自分の命と引き換えに息子を生かしてくれるよう神と取引しようとする。あれはいい話だね」

(略)

「おれの子が死にかけている。南ベトナムという所でだ。どうしてそこで戦争やってるんだというような遠い所にいて、おれの息子は死にかけている」。これは、大衆文化の中でベトナムへのアメリカ軍派遣に疑問を投げかけた最初の例の一つである。

(略)

『ワード』誌 二〇〇六年

(略)

――ご両親はあなたが11歳のときに離婚しましたが、このことがあなたに与えた影響は?

 とてつもなく大きい。でも、当時はよくわからなかった。言いようもない無力感に襲われたし、当然ながら、この先どう生きればいいのかまったくわからないという感じでね。不安に押しつぶされそうな思いにずっと耐えていた。おれと姉さんたち二人は母親と一緒に暮らした。でも、後から考えると、親父はアル中だったんだよね。親父は家族のもとを去って(略)暗いバーに腰を据えてグレンリベットだか何だかを飲んで生きていた。四六時中酒を飲んでいたから、子供のおれの目には酒が問題だという認識はまったくなかった――親父は家族という笑顔にのぞく虫食い歯のようなもので、自分で自分を抜き取ったということだ。だから、ある意味でおれは逃亡者の家系の出だ。もし父親と同じような生き方をすれば、おれ自身も逃亡者になっていただろう。

(略)

――あなたのこれまでのレコードには、救世軍の楽団とか信仰復興集会の音楽とか、(略)宗教に関わる要素があって(略)これは、この種の音楽が好きだからですか、それとも宗教的な感情から生まれたものでしょうか。

 どうなんだろう……いつも思うのは、宗教は頭ではなくもっと体で感じるべきものだし、宗教のために少し痛い思いをした方がいいんじゃないかということ。若いとき、アリゾナヒッチハイクで旅したことがあってね。大晦日に、アリゾナのスタンフィールドという小さな町で身動きが取れなくなってしまった。アリゾナは暑いと思うだろうけれど、一月には零下二〇度以下になる。車は全然つかまらない。おれは一七歳(略)

ミセス・アンダーソンというおばあさんが通りに出てきて、声をかけてくれた。「寒くなってきたよ。もう日も暮れるし、大晦日だ。教会にお入りよ」。中に入ると、後ろの方の席に座らせてくれた。これぞまさにペンテコステ派という教会で、バンドが前で準備していた。メキシコ人二人、ドラムは黒人、ギターは年寄りの爺さん(略)ピアノを弾くのは七歳くらいの男の子。礼拝が始まると、知っての通りで、彼らは神がかり状態になって譫言のように言葉を発する。そんなものは見たことがないから、聴いている限りではジャズのスキャットのようだったが、狂ったかのように続くんだ。おれたちは後ろの方に座って見ていたんだけど、あまりにも異様なので、思わず笑い出しそうになったよ。まだ若くて無知の塊だったからね。礼拝の最後に、彼らは献金を集めると、そのカネを全部おれたちに与えてこう言うんだ。「われわれは、この地上を旅する人々[プロテスタントたちは、自らを最終目的地である天国へ向かって地上の荒野を旅する者としてとらえた(略)]をたたえましょう。後ろに座っている旅行者のおふたりは、遠くからやってきて、今宵はわれわれと時を共にします」。籠の中の献金を恵んでもらったお蔭で、おれたちは駐車場にトラックがずらりと並ぶモーテルに泊まることができて、テレビのある暖かい部屋で眠ることができたというわけさ。翌朝になり、おれたちはヒッチハイクをして、なんとかカリフォルニアまで戻って来られた。あれがおれにとっては一番深い宗教的体験だったな。もし教会に所属するとしたら、おれはあの教会に行くね。

(略)

――あなたと比べて、キャスリーンは人道主義派?

 まあ、生まれ育ったのが中西部だからね。《ボーン・マシーン》に〈ア・リトル・レイン〉という曲があって(略)「外にはつながれたままの氷屋のラバ/酒場の中では指のない男が/ギターを奇妙な音でかき鳴らし/小人のドイツ人は/肉屋の息子と踊る/少しばかりの雨に傷つく者は一人もいなかった……」。女房が言うんだ、「どうして彼の指を切り落とさなきゃならないの?五体満足な人が酒場でギターを弾く、それの何が悪いの?もう!どうしてドイツ人を小人にすんのよ?仮にそうだとしても、それを歌詞に書く必要ある?映画じゃあるまいし!」

(略)

これは終わりなき戦いだ。

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「わかる?この歌の一番弱いところはこの三行目だよね。それ、削ろう」。「からかっているの?曲の頭に持っていくつもりよ。この歌の中で最高の一行じゃないの!」誰かから聞いたアドバイスだが、"曲作りで行き詰まったら歌詞の一番いい所を取り去るんだ。捨ててしまえ。それから、仕上げにかかれ"というものだ。この考え方はとても参考になるね。

(略)

今生きているのは彼女のお蔭さ。おれはひどい生活にどっぷり浸かっていた。あのままなら、もう人生終わっていたね。ギリギリ寸前のところで彼女が救ってくれた。まさしく窮地に現れる救い主[デウス・エクス・マキナ]だった。

(略)

酒を断ったのは一四年前だ。あれが大きな転回点だった。それから子供が生まれ(略)もう子供のいない生活は考えられない。そういう意味で、何よりも女房と子供たちにおれは救われたと思う。