- ハーモニカ、ブルースは嫌い
- 売春宿、グレース司教
- アマチュア・ナイト、ルイ・ジョーダン
- クレモナ・トリオ
- 盗み
- 監獄ロック、ボビー・バード
- 偽リトル・リチャード
- キング・レコード
- リトル・リチャードと俺
ハーモニカ、ブルースは嫌い
親父との松林での生活はつらかった。(略)掘立小屋を転々とした。(略)
[父親は仕事で出たっきり]
林の中で一人遊びをし、誰もいない小屋で一人夜を過ごし、話す相手もいない。そんな環境が俺の中の何かを変え、それは俺の中に根づいた。つまり、俺だけの心のあり方が形成された。このあとどんなことが身に振りかかろうと――投獄、個人的問題、政府の嫌がらせ――自分に頼りきれる才覚が身についたんだ。
この頃のいちばん楽しい思い出は、親父に一〇セントのハーモニカ(略)をもらったことだ。(略)「ロスト・ジョン」「オー、スザンナ」「ジョン・ヘンリー」なんかを吹いて、歌も歌った。親父が歌ってたのはテルペンチン採取場で聴きかじったブルースで、サニー・ボーイ・フラーやブラインド・ボーイ・フラー(略)
一度も好きになったことはない。こう言うと驚く人も多いと思うが、俺は今でもブルースが好きじゃないし、好きだった例しもない。
売春宿、グレース司教
オーガスタは罪深い町だった。ギャンブルと密造酒にあふれ、俺が育ったような売春宿がたくさんあった。
(略)
一九四〇年の秋になると、いよいよオーガスタに軍人が投入されはじめた。俺が七歳の時だ。(略)[ダニエル練兵場は]後にジミー・ドゥーリトルの兵士たちが東京空襲のための演習を行ったところだ。
(略)
俺は兵隊たちが女たちと売春宿の中で繰り広げてることは一部始終見聞きしていたと思う。
(略)
外で一人前に客引きをしていた(略)
家ではジュニアとコーネリアスという仲間と一緒にゴスペルを歌った。(略)
ファイブ・トランペッツやゴールデン・ゲート・カルテットの真似した。本当に、ゴスペルは俺を夢中にさせた。刑務所に入ってからは特にな。
(略)
[ロバート・ジュニアの]家には古いアップライト・ピアノがあった。ロバート・シニアは抜群のコードを知っていて、昔の歌をたくさん弾けた。ロバート・ジュニアは俺に指使いを教えてくれ、鍵盤で遊ばせてくれた。俺はいつでも好きな時にそこへ行ってピアノの練習をすることができたんだ。
それから、宿の娼婦の一人とつき合っていたタンパ・レッドという名のブルース・マンがギターの手ほどきをしてくれた。(略)
セバストポルと呼ばれたオープン・チューニングに調弦し、小指にコカ・コーラの瓶を折ってつくったボトルネックをはめて弦の上をスライドさせた。(略)
歌も歌ってくれた。(略)[親父が]歌っていたようなブルースを思い出させたな。だからと言って俺は別にブルースが好きだったわけじゃない。ときどき歌うこともあったが、好きじゃなかったね。
カントリー・ミュージックはそれ以上に苦手だ。白人のところで仕事をする時には決まってラジオからカントリー・ミュージックが流れ、いつもしかたなく聴かされていた。
(略)
俺はなによりもゴスペルとポップ・ソングが好きだった。ヒット・パレード系の本ならなんでも手に入れて、あらゆるポップ・チューンを学んだ――ビング・クロスビーの「バターミルク・スカイ」、フランク・シナトラの「サタデー・ナイト・イズ・ザ・ロンリエスト・ナイト・オブ・ザ・ウィーク」「真珠の首飾り」なんかだ。カウント・ベイシーの「ワン・オクロック・ジャンプ」も好きだったが、こいつを充分弾きこなせるほどピアノはうまくなかった。
教会音楽も山ほど聴いた。(略)
どこの教会にも歌と手拍子があふれ、普通はこれにオルガンとタンバリンが加わり、それから白熱した説教があった。俺は音楽以上にこれが好きだった。俺はあるリバイバリスト(信仰復興論者)の集まる礼拝に出かけた時、じつに燃え尽きんばかりの説教師を見たことがある。説教師は雄叫びをあげ、足をドンドン踏み鳴らし、それからガクッと膝を落とす。人々は説教師に引きずられ、呼び掛けに答え、叫び、手拍子を打ちならす。(略)
家に帰って熱演の真似をした。俺も説教をしてみたかった。そこにすべての答えがあると思ったんだ。
(略)
グレース司教はその手の説教師のなかでも最大の富と権力を持つ大物だった。(略)東部と南部の三十を超える街に教会を持ち、金儲けが目的の「グレース協会」を持っていた。毎年、司教がオーガスタにやってくると、飾りたてた神輿や車やブラス・バンドなんかの大がかりなパレードが司教のためにグウィネット通りで行われた。(略)
司教はグレース"父さん"と呼ばれ、この世の生き神様のような存在だった。いちばん大きな神輿の玉座にケープをまとって座り、お付きの者に扇であおがせつつ、子供たちにキャンディーなんかを投げ与えていた。長いカーリー・ヘアに、やたらと長い爪をして、金をつぎ込んだスーツを着ていた。
(略)
司教が説教を始めると人々が輪になってグルグル回りながらその輪を何重にも重ねていき、ただ叫びつづける。ときどきおがくずで汚れた床の上にバッタリ倒れ、身震いし、痙攣し、身悶える。(略)
大きなブリキの浴槽もデーンと置かれていて、信者は浴槽の近くに行くたびにその中に何かを投げ入れる。司教は誰がいちばんたくさん入れるか確かめているかたちだ。そのあとで司教はいく種類ものカメのような花瓶を並べる。五ドル札用のもの、一〇ドル札と二〇ドル札用のもの、それに一〇〇ドル札用のもの。最も貧しい人たちがなけなしの金を彼のために犠牲にしているかのように見えた。
グレース父さんは神の代理人のはずだったが俺には信じられず、そんな彼を見ていたから、俺はアウトサイダーでいたんだ。俺は神を信じたから、すぐにアウトサイダーになったんだ。
司教の(略)家の裏にはでっかいプールがあり、そこで信者の洗礼をしていた。洗礼は一度だけじゃなくて、何度も何度も行われた。司教を信じきっている信者は、このプールの水にガロン単位で金を払って家に持ち帰り、病気になると飲む人もいた。それに、人々は司教が取り出して湿布のように貼る聖なる紙とかいうものにも金を払っていたんだ。(略)
司教はあの町の商売を活気づけていたし、そこでは商売がすべてだった。マスターズ・ゴルフ・トーナメントと同じようなもんだ。選挙でもいいし。あるいはジェームズ・ブラウンでもな。
(略)
日を追うごとに戦争が身近なものとなっていった。(略)
やがて政府は(略)売春宿に断固たる処置を取りはじめた。(略)
警察の手入れは回数を増し、ハニーが逮捕されると、釈放されるまでに以前より少し時間がかかるようになった。
(略)
ハニーが言った。「坊や、引っ越さなきゃならないんだ」(略)
売春宿だろうが家は家で、そこを解体されるのを見るのは残念でならなかった。
アマチュア・ナイト、ルイ・ジョーダン
レオン・オースティンは(略)両方の手でピアノを弾くことを見せてくれ、どうやってそこにリズム感を加えるかも教えてくれた。
(略)
俺は(略)ありとあらゆる新しいサウンドも聴いていた。ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、クリーンヘッド・ビンソン、ルイ・ジョーダン。ジャズであろうが、リズム&ブルースであろうが、なんでもよかった。弾けるものはなんでも弾こうとした(略)
[11歳、〈レノックス劇場〉のアマチュア・ナイト、初めて公の前で歌った。伴奏なしで]
「ソー・ロング」を歌い、一等賞に輝いた。その頃でさえ俺の声はすごくパワフルだったから、優勝できたんだと思う。
(略)
〈レノックス劇場〉は俺が初めてルイ・ジョーダンの演奏フィルムを見たところでもあった。(略)彼らは飛び跳ねるような、R&Bとジャズを一緒くたにしたようなものを演奏し、それは凄かった。コメディーもたくさんやったが、必要とあらばブルースだってやれたし、コメディーの合い間になんでもやった。(略)
ルイはアルト・サックスをじつにうまく吹いて、歌も抜群にうまかった。ルイ・ジョーダンこそが当時のベストだ。世間の大半はそいつを忘れてるけどな。
(略)
俺をすっかりメロメロにしたのは「カルドニア、ホワット・メイクス・ユア・ビッグ・ヘッド・ソー・ハード?」だった。特にルイがものすごく高い声を出して「カル・ドン・ヤ!」と絶叫するところだ。俺はできるだけ早く歌詞を覚えてピアノに向かい、機会さえあればこれを弾いて歌いはじめた。
クレモナ・トリオ
終戦直後、俺は初めての自分のバンド、クレモナ・トリオを結成した。(略)
俺たちは学校から楽器を借りるか、貸してくれる人がいれば、ボロボロになった古いギター、スネアドラム、とにかく借りられるものはなんでも借りなきゃならなかった。
(略)
エイモス・ミルバーン、チャールズ・ブラウン、ワイノニー・ハリス、それにレッド・ミルドレッド・トリオの曲をやった。俺はこういったあらゆるタイプのシンガーを真似することから多くを学んだんだ。(略)
レッド・ミルドレッドは(略)ファルセットで歌い、エイモス・ミルバーンは甘く低い声で歌ったが、俺はどちらも真似た。チャールズ・ブラウンは(略)本物のバラードが歌える歌手だった。ワイノニー・ハリスの声は実に力強かった。俺はこの二人のようにも歌った。だが、誰それふうに歌おうと、俺はいつでもパワフルだった。ほかの歌手たちならバテてしまうところを、俺は一晩中だってフル・ボリュームで歌うことができたんだ。
盗み
俺はサイコロ遊びがものすごくうまかった――うますぎたくらいだ。うますぎて殺されかねないほどだ。素人が俺と渡り合って勝てるチャンスはなかったね。後にサイコロでムーングロウズからしこたま金を儲けさせてもらった。マービン・ゲイが入る前のボビー・レスター&ザ・ムーングロウズの時代だ。俺は連中をめっためたにやっつけて、キャデラックを二台買えるだけの金を儲けたんだぜ。アイズレー・ブラザーズからもかなり儲けさせてもらったな。
どこかの家のポーチから一足のスケート靴を盗んだことが盗みの始まりだった(略)
そのあとからだった。俺たちが釘で打ちつけられていないものならなんでも盗んで売るようになったのは。俺は車のハブ・キャップにガソリン・キャップ、なんでも頂戴した。ガソリンスタンドはハブ・キャップ一個につき二五セントくれた。(略)
バッテリーも山ほど盗んだし、車の中に押し入り、手当たり次第に取った。
監獄ロック、ボビー・バード
八年から十六年の刑期――嘘のような話だ。(略)
[入所二ヶ月で]ゴスペルのカルテットを結成した。ゴスペルを歌うことで、魂が救われ、心が安らかになる。
(略)
ゴスペルを歌うことは音楽一般を学ぶ良い方法だ。ゴスペルには形式があり、まず、第一テノール、第二テノール、バリトン、バスの異なるパートをそれぞれ覚え、そのあとでそれぞれのパートを合わせてハーモニーをつくる。楽器の演奏も同じようにしてできあがる。俺はピアノを弾くようになる以前に、そうやってコードを覚えた。ビッグ・ジュニアや仲間たちとオーガスタで幾度となくゴスペルを歌っていたから、ピアノを弾く段になっても、ピアノの前に行ってコードを押さえればよかった。
刑務所仲間はあまり音楽に馴染みがなかったが、俺がすべてのパートを教えてやると、ものすごくうまくなった。あんまりうまかったんで、ある日看守が俺たちを病院に連れていき、一般人の前で歌わせた。俺たちが歌い出すと、あまりの素晴らしさに聴いていた人たちが泣き出した。俺は「アワー・ファーザー」を歌っていた。そしたら、俺の頬にも涙が伝い出した。
(略)
唯一の問題は、楽器が一つもないことだった。俺はミンストレル・ショーのなかで、ジャグ・バンドが使っていた手作りの楽器を思い出し(略)まず櫛と紙(略)を用意し、続いて俺が五〇ポンド用の空のラード缶を厨房からもらってきて、ドラムセットをつくった。ウォッシュタブ(たらい)とホウキの柄でウォッシュタブ・ベースにし、俺は木箱を使ってマンドリンのようなものをつくった。俺は自分でベースの弾き方を練習した。しかもいろんなキーでだ。なぜだかキーの位置はわかった。こんな寄せ集めのガラクタ楽器で出す音なんてさぞかしひどいものだったろうと思うだろうが、使いこなして自分のパートを正確に弾けば、本当に素晴らしい音になる。
(略)
体育館にピアノがあったんで、弾かせてほしいと頼みまくった末、半年くらいしてからようやくお許しをもらった。(略)「カルドニア」を猛烈に弾きはじめた。ほぼ同時にみんなが飛びあがって踊っていた。まさに監獄ロックってやつで、囚人は踊りまくっていた。それ以来バスケットボールをする時にはハーフタイムに俺がピアノを弾いて歌った。夜には俺のささやかなバンドが寝室でみんなを楽しませ、そして相変わらずゴスペルもたくさん歌った。まもなく、仲間が俺のことを"ミュージック・ボックス"と呼ぶようになった。
(略)
トコアで俺は模範囚となった。(略)
スポーツのシーズンには頻繁に町へ行って高校で試合をした。(略)
[体育館のピアノを]弾き終わると町の子が一人やってきて「仲間にキーボードに関しちゃいつでも最高って奴がいるんだけど、奴もこれからはウカウカしちゃいられなくなるな」と言った。(略)
「名前は?」
「ボビー・バードってんだ」
「そうかい、そいつに今夜あんたが聴いたものをしっかり伝えといてくれよ」
(略)
町のチームと野球試合があった。(略)[ヒットで塁に出て]二塁盗塁。すべり込んだ時に二塁手をぶっ飛ばしていた。そいつがバードだった。
「なんだ、お前じゃないか」とバード。笑っている。「奴らはお前を永久に閉じ込めとくつもりなのか?」
「そうみたいだな」。俺も笑う。それから、なぜか俺は真剣になった。(略)「バード、俺、出るつもりなんだ。なんとかするさ」
俺は十九歳になったばかり(略)これ以上刑務所暮らしが続くなんて理不尽だ。(略)仮釈放審議会宛てに手紙を書いた。ほかの人たちと同じように俺にもチャンスを与えてほしい、貧しく頼る人もなく、学校に着ていける服を手に入れようとしたのが始まりで刑務所に送られる結果になってしまった、と。俺はこうも書いた。「私にはまったく教育がありませんが、でも歌が歌えるし、出所して、神のために歌いたいと思っています」
(略)
[所長の]マシューズさんは俺の手紙を見てとても感動したと言い、仮釈放審議会もそうだと話してくれた。「ミュージック・ボックス、仕事さえ見つかれば、お前は明日にでもここから出ていっていいんだよ」
(略)
「仕事ならあります。オーガスタでは働きづめでした。あそこには俺のことを雇いたがってる人がいっぱいいるんです」と俺は言った。
(略)
「ミュージック・ボックス、お前はオーガスタには戻れないんだよ(略)仮釈放を認めるには、お前がリッチモンド郡に足を踏み入れないという条件を一つだけつけるということだ」
「でも、あそこには俺の親父がいるんです。それにミニーおばさんも」
(略)
「お前はトコアで仕事を探しなさい」(略)
所長室を出た時、俺は幸せと悲しみの両方を同時に味わっていた。少なくとも出所するチャンスはあったが、故郷に帰ることも、訪れることさえ許されず、トコアのどこでどうやって仕事を探せばいいのか、見当もつかなかった。
その翌週の土曜日、俺は野原でトラックに石を積んでいた。それを、トコアで自動車販売店を営んでいる男が見ていた。(略)やがて俺のところに来て、「小僧、どうすりゃ出所できるんだ?」と訊いた。
「仕事さえありゃ、旦那」
「そうか、それなら俺がお前を雇ってやろう」
一九五二年六月十四日、マシューズさんはその日のうちに俺を出所させてくれた。有罪宣告から三年と一日。俺は歩いて町へ行った。
偽リトル・リチャード
メイコンでは、俺たちの出演契約はどんどん良くなっていた。リトル・リチャードがますます遠くまでショーに出かけるようになったんで(略)彼が出演していたところの契約を譲り受けていた。リチャードにはまだ決定的なヒット曲がなく――ピーコック(・レーベル)用に録音したブルースのレコードが数枚だけ――出演がない時にはグレイハウンド・バスの駅で皿洗いをしていた。彼は着実に人気を拡大していたが、俺たちもリチャードに迫っていた。ある晩俺たちはリチャードの代わりにアトランタのエモリー大学で演奏して、それ以後エモリーの契約は俺たちのものになった。
(略)
[スペシャルティーと契約して]「トゥッティ・フルッティ」のレコードがリリースされると、リチャードはメイコンを出てカリフォルニアに(略)
出演契約をたくさん残して行ってしまった。ブラントリー氏が俺にリチャードの穴埋めをしてくれないかと頼んできた。俺はアプセッターズとドミニオンズと一緒にリトル・リチャードとして出演させられた。一方、バードと仲間たちはフェイマス・フレイムスの出演をこなしていた。俺がリチャードとしてギャラをもらい、ボビーが俺の分のギャラをもらっていた。リチャードの代わりに十五回ほどショーに出た(略)
観客は俺を本当にリチャードだと思っていたようだ。それで、ショーの終わり近くになると、「俺はリトル・リチャードじゃない。俺の名前はジェームズだ」と言ったもんだ。
(略)
俺とフレイムスは街にやってくるあらゆるグループのステージに割り込んだ。たちまち噂が広まって、誰も――ドリフターズ、ミッドナイターズ、その他全部――俺たちをステージに上がらせようとしなくなった。彼らはレコードも出していたんで、ショーの最中にステージを乗っ取られることを恐れたんだ。いいレーベルからレコードを出さなくちゃならないと俺が実感したのもその頃だった。それも、自分たちのオリジナル曲を。まず、デモが必要だった。
キング・レコード
一晩中走りつづけた。俺たち全員にとって南部から外に出るのはそれが初めてだった(略)
眠らずに、キング・レコードへ直行した。キングは袋小路の奥の古い氷製造工場を使用していた。ここではレコーディング、マスタリング、プレス、出荷、それにアルバム・カバーの印刷まで、すべてが行われていた。(略)氷の代わりにアルバムや七十八回転のレコードが詰まった大きな箱がベルトを伝って運び出されていた。
(略)
小さな柔らかいボール状のビニールが皿のような物に乗せられ、プレス機で押しつぶされてレコードに加工されるのを見ていた。
(略)
コントロール・ルームで俺たちは一九四五年に会社を創立したシド・ネイサンに会った。シドはリトル・シーザーのようで、背が低く太っていて、でっかい葉巻を吸っていた。年がら年中しわがれた大声で怒鳴りちらしていたんで、みんな彼を恐がっていた。シドは音楽なんて何も知らなかったが、キングはあらゆる音楽分野で成功していた。
(略)
一九五六年二月四日、ついにセッションが実現した
(略)
俺たちはいつものスタイルで「プリーズ」を歌いはじめた。
(略)
ネイサン氏は激怒していた。「いったいどうなってんだ?(略)
才能のある奴を探してこいと言ったのに、これがそうだってのか。デモもひどかったが、こりゃもっとひどい。(略)」
「いい歌ですよ、シド」とラルフ。「やらせてやってください」
(略)
階上の閉め切ったドアの中で二人が怒鳴り合っている声が聞こえてきた。戻ってきた音楽ディレクターのジーン・レッドは、「よし、レコーディングを継続する」とだけ言った。ネイサン氏が再びスタジオに姿を現さなかったんで、このセッションが合意のうえで行われるものではないことがまざまざと感じられた。が、なんにせよやるしかなかった。
(略)
俺たちはシンシナティーを出る前に七十八回転の「プリーズ」がごく少量だができあがったのを見た。だが、メイコンに戻るや俺たちは心配になった。ラルフ・バスがクビになり、キングは俺たちのレコードをリリースしないだろうという噂を聞いたからだ。(略)
[一ヶ月の交渉の末]ネイサン氏は自分の優れた判断には反するが、彼のフェデラル・レーベルからレコードを売り出そうと言った。そして、一九五六年三月三日「プリーズ・プリーズ・プリーズ」がリリースされ、最終的にレコードはミリオン・セラーになった。
(略)
みんなに「(略)自分たちで出かけていってレコードを売り込まなくちゃだめだ」と言われた。(略)
ドレスアップしてからあるDJを訪ね(略)
「プリーズ」のレコードを渡した。彼はレコードをジャケットから取り出すと、表か裏かも確かめずにレコードをセットし、次には中から何かが落ちてくるのを期待しているかのようにジャケットを逆さまにした。何も落ちてこない。ジャケットを振る。何もない。彼は一言も言わずにレコードを持ちあげて俺に返した。
俺たちが知らなかったのはペイオラだけじゃなかった。俺たちはレコードが六十位になるまでヒットしていることも知らず、この無知のためにどれだけ損をしていたかも知らずにいた。(略)
今やヒット曲があるというのに、グループみんなで二五ドルというそれまでと同額の出演料を受け取っていたんだ。
(略)
レコード会社もたいしたことはしてくれなかった。会社から渡された明細を見ると、ネイサン氏は俺たちのシンシナティーにおける滞在費、スタジオ使用料、テープ代、会社の長距離電話代、セッション中の食事代まで含めて、会社が俺たちにすべてを請求すべきだと考えたようだった。それに加えて、ネイサン氏はレコードの売上げを実際の額より低く報告し、破損見越高も吊りあげた。こうして俺たちをさらに安く所有したわけだ。レコードの売上げで俺たちが受け取ったいちばん大きな額は、レコーディングした時にもらった一人あたり一五〇ドルだった。
(略)
俺たちは三月末と七月末にスタジオへ戻った。普通一日に四、五曲レコーディングした。
(略)
「ジャスト・ウォント・ドゥ・ライト」はビッグ・ヒットになったはずだったが、いろいろなことがうまくいかなかった。いろいろなスタイルを取り入れるべき曲だったんだが、ミュージシャンたちがそうさせてくれなかった。彼らは曲をR&Bという範疇だけでしか考えられず、俺が考えていることを理解できなかった。R&Bを歌っていたが、彼らの声は重すぎた。俺は女性のバック・コーラスを使うべきだったんだ。アフリカ系アメリカ人のほとんどはポップスを歌うことができない。本人は歌えると思ってるんだろうが、歌えないんだ。アフリカ系アメリカ人のグループで本当にポップスが歌えたのはプラターズが最初だ。俺は「ジャスト・ウォント・ドゥ・ライト」にはすごく思い入れがあったんで、その後のキャリアのなかで五回も録音し直したほどだ。
(略)
ついにレコードがワシントンでヒットしはじめ、俺たちは〈キャピトル・アリーナ〉のボクシング・リングの中で歌い踊った。
(略)
南部でのショーの契約内容も良くなっていた。(略)
[ヒット・レコードのおけげで]一晩二五ドルだったのが、今じゃ七五〇ドルになった。
(略)
マイアミ近くのハランデールの〈パームス〉(略)はチトリン・サーキットのなかでも一級のスポットだった。(略)
初めてここに出演した時の共演者は、ファイブ・ロイヤルズ、ギター・スリム、シャーリー&リー、B・B・キング、それにレイ・チャールズだった。(略)
ファイブ・ロイヤルズは俺が初期に歌を真似たグループだ。
(略)
レイはいつも人にアドバイスしたがるタイプで(略)
俺に歌の順序を変えるべきだと忠告してきた。彼がそのことをしつこく繰り返すんで、俺は短気を起こしかけていた。俺はレイと口論しながら行ったり来たりして、放っておいてくれと言った。
レイは「じっとしててくれないか。そしたらお前に話ができるから」と言った。
俺は(略)かまわずズンズン歩きつづけた。しばらくして気づくと、レイが頭を前後に振りながら、俺のあとをずっと追っかけてきてるじゃないか。一瞬不気味でもあったな。それで俺は突然立ち止まった。レイの目はサングラスを通してじっと俺を見ているようだった。
「いいか、あんたは俺が見えないと思ってるかもしれんが、見えるんだ」とレイが言った。
これを聞いて俺は一瞬ヒヤリとした。が、その後俺は笑って、それから俺たちは仲直りした。
リトル・リチャードと俺
この頃には、リトル・リチャードと俺は(略)ちょっとしたライバル意識を持つようになっていた。リチャードのステージはますますワイルドになっていた――スーツは鏡でつくったみたいで、髪はリチャードの背丈ほどの高さ、顔は分厚いメイキャップで砂糖をぶっかけたみたいだった。そして休まずピアノを叩きつけた。
(略)
[だが]俺たちが一枚上手だってことは確かだった。(略)
俺はマイクを持って、垂木の上を渡りながら歌った。その真ん中あたりで、俺は片手で観客の真上にぶら下がり、「プリーズ・プリーズ・プリーズ」と嘆願してみせた。
リチャードは引きつけを起こしかけた。駆けずりまわりながら、「あいつを降ろせ!あいつを降ろせ!あいつを降ろせ!」と怒鳴りまくっていた。
(略)
フィナーレで、俺は感情に押しつぶされたみたいに手を放し、高い橋から身投げする男みたいに落下した。客は息を呑んで、後ろにぎくっと身をひいた。フレイムスが俺を受けとめると、会場はヤンヤの喝采。リチャードにもうチャンスはなかったな。
(略)
バートさんは茶色い髪に白いものが少し混じった、ハンサムで大柄な人だった。俺たちにどうやって彼がハンク・バラードやファイブ・ロイヤルズその他のグループを育てたかを話してくれ、彼にくっついてさえいれば同様のことを俺たちにもしてやれると話してくれた。バートさんが俺たちのブッキングを担当し、ブラントリー氏が俺たちのマネージングを続ける。俺たちはバートさんの話を聞いたあと、契約書に目を通しもせずにサインした。当時の俺たちは、言われたことに従うだけだった。ツアーに出ている時でさえ、俺たちが稼いだ金は全部ファッツが受け取り、ファッツはそれをブラントリー氏に渡し、それから俺たちがメイコンに戻った時ギャラをもらうというかたちを取っていた。俺たちは気にとめなかった。その方法のおかげで、俺たちは稼いだ金を全部遣っちまうなんてことがなかったんだからな。
ニューヨーク滞在中、俺たちは〈アポロ〉のショーを見にいった。(略)ここに足を踏み入れることが何を意味するかは知っていた。
(略)
〈アポロ〉で成功すれば、どこでだって成功する。その夜、俺たちはデルズやキャデラックスやその他いくつかのグループのステージを見て、ショーのあとに楽屋を訪れた。
(略)
ビリー・ワード&ザ・ドミノズがこれから一週間のショーを始めるために到着したのを見た。(略)
付き人たちは(略)長い衣装ラック(略)を押していた。ドミノズは〈アポロ〉の最上階を占領して自分たちのドレッシングルームにした。そこには彼らがリハーサルできるだけの充分なスペースがあり、長い鏡を並べてその前でダンスの振り付けを練習できるからだ。それに、白い小型のグランド・ピアノも最上階に運ばせていた。
(略)
トミー・サンズは時代に先行していた。(略)小柄なトニー・カーティスといった感じのハンサムで、抜きん出た素晴らしい才能の持ち主だった。確かボビー・ダレンが後にトミー・サンズの真似をしようとして失敗した。ボビー・ダレンは混乱して、リトル・リチャードのように、続いてシナトラのようにやろうとした。ボビーは多くの才能に恵まれてはいたが、自分の目指すべき方向がわかっていなかった。サミー・デイビスのようにな。サミー・デイビスは多才な人だが、自分自身をうち出すことはついになかった。
独創的な人はほんの一握りしかいない。ペリー・コモは独創的だ。ビング・クロスビーにも独創性はあったが、ルイ・アームストロングの影響が大だった。ジェームズ・ディーンはあらゆる点でオリジナルだった。ファビアンはコピーだ。彼は単に顔が良かっただけ。ファビアンは髪が薄くなりはじめたから消えたんだ。トニー・カーティスが消えたのも同じ理由だ。髪が第一。次が歯だ。髪と歯。人にこの二つがあれば、すべてを持っているのも同然だ。
次回に続く。
