ワン、ツー、スリー、フォー ビートルズの時代

ジョンは火、ポールは水

[『ヘルプ!』で共演したヴィクター・スピネッティがロケ中風邪で寝込んでいると]

真っ先にやって来たのはジョージ(略)『枕をふくらましに来たよ。病気で寝込んだら、枕をふくらましてもらわないといけない』と言った。(略)次にやってきたジョンは(略)ナチを真似て『勝利万歳、こん畜生!お医者様のおでましだ。医者どもがやってきて、あんたを実験台にするぜ。勝利万歳、ヒトラー万歳!』とドイツ語で怒鳴り、部屋から出ていった。するとリンゴがやってきて、ベッドの脇に腰掛けると、ルームサービスのメニューを手にとり、まるで子供にでも読み聞かせるように大声で、『昔々、三匹の熊がおりました。かあさん熊、とうさん熊、赤ちゃん熊です』と読み上げて、引き上げた。ポールがドアを三センチほど開けて、『うつるのかい?』と訊く。『ああ』と答えるとドアが閉まり、それっきりポールの姿は見かけなかった

(略)

エプスタインの片腕としてつねに行動をともにしたアリステア・テイラーは、ビートルズの面々が稼いだ金をどう扱うかをつぶさに観察した。「毎月ブライアンは四人にひとりずつ、項目ごとにきちんと正確に計算した収支報告書を白い封筒に入れて手渡すことにしていた。(略)ジョンはすぐさまくしゃくしゃに丸めてポケットに押し込んだ。ジョージはなかを覗くことがある。リンゴはどう見ても書いてあることを理解できなかったし、理解しようとして時間を無駄にすることもない。ポールは丁寧に封を開け、事務所の隅に腰を落ち着けて、何時間もかけて入念に目を通した」。

(略)

エンジニアとして立ち会ったジェフ・エメリックはふたりの仕事ぶりを観察した。「(略)ポールは緻密で頭のなかの整理が行き届いている。どこに行くにもノートを携えて、歌詞やコード進行を丁寧な字で書き留める。かたやジョンときたらカオスのなかに生きているようだった。しょっちゅうどこかに紙切れはないかと探し回り、思いつきを慌てて走り書きする。ポールは生まれつき説明するのがうまい。ジョンは自分の考えをうまく言葉にするのが苦手だ。ポールは駆け引き上手。ジョンは煽動ならお手の物。ポールは言葉遣いも穏やかで、ほぼつねに礼儀正しい。ジョンはかなりおしゃべりにもなり、相当ずけずけものを言う。ポールは細かいところまで納得がいくように、長い時間をかけて話し合おうとした。ジョンはせっかちで、すぐに次のことに取りかかりたがる。ポールはたいがい自分のしたいことがはっきりわかっていて、批判されるとしばしば腹を立てた。ジョンははるかに図太く、他人の言葉にも耳を傾けようとした」。

(略)

ポールは人当たりがよく、如才なく、愛想もいい。ところがポールのこうした魅力の陰に、何かしら頑なな、おそらく利己的とも呼べそうなものが潜んでいることに気づいた人々もいる。

ビートルズの広報担当を務めたトニー・バーロウは「不満を盛んに口にするのはジョンだった、とくにブライアン・エプスタインに対しては。ただブライアンとの口論となると、ポールがジョンに言いにくいことを言わせておく感じがした。そして説得にかかり、話をまとめる。ジョンはときにブライアンに悲鳴をあげさせることもあったが、世知に長けたポールは穏やかに相手を言いくるめて、自分の言い分を通してしまう。ジョンはわめくわりに、噛まれても痛くない。自己評価の低さを隠そうとしてわめくんだ。(略)ポールは誰かれとなくチケットでもプレゼントでも何でもあげようと約束しておいて、あとはわたしのような人間にやらせる。ポールはひとによく思われたがった。いくらでも約束するが、実行が伴わない。じつに魅力的で、世間の受けは申し分なく、イメージ作りの腕は名人級だ。骨の髄から爪先まで、生粋の芸人だったし今もそうだ。観客に受けるのがなにより嬉しい」。

(略)

ポールは自分を愛すべき人間と考えた。ジョンは自分を愛しようのない人間と思い込んだ。ポールはあるとき、ふたりがどうしてそんなに違った人間になったか説明しようとしたことがある。「ジョンはね、育ちとそれから家庭が不安定だったせいで、とっつきにくくもなれば、機知に富んでもいなければならなかったし、すぐに誤魔化したり言い返したり、打てば響くという感じのちょっとした受け答えをいつも用意しとかなければならなかった。それに比べてぼくはのんびり育って(略)北部っぽく『お茶はどう、坊や』なんて言われてきたから、表向きは気楽な感じに育った。人当たりもいい。(略)

ところがジョンときたら、親父さんが家にいなかったから、『お前の親父はどこに行ったんだ、ろくでなし』とやられる。それにお母さんは別の男と住んでいて、当時そういうのは『罪深い暮らし』とされていたから、それもまた下卑た悪口の種になる。ジョンはいろいろなことから身を守らないといけなくて、それでああいう性格になった。ジョンはちょっとやそっとでは心を開かなかった。(略)」。

(略)

 十代の頃からふたりは目的意識をもって曲作りに取り組んだ。ポールは授業をさぼり、ジョンがフォースリン・ロードのマッカートニー家にやってくる。ポールが白い紙に青い線の入った学校のノートを開き、新しいページに「レノン=マッカートニーの新しいオリジナル曲」と記すと、さっそくふたりは次の曲作りに取りかかる。(略)ポールは一曲もできなかった午後はなかったと言う。(略)

ポールが「ぼくらはうまくやれるさ」を思いつくと、ジョンがすかさず「命短し」と切り返す。ポールが「だんだんよくなる」と歌えば、ジョンが「これより悪くなりようがない」と割り込む。

(略)

解散して十四年後、ポールは(略)こう語った。「いまひとつなのはわかってる。(略)外からの注入というか刺激みたいなものが必要なんだけど、それがなくなってしまった。(略)リンゴかジョージがどこか気に入らなければ、それはやらない。ぼくの曲はそういう外からの刺激がないと、ポップになりすぎてしまう。それでもぼくはいつもラヴソングやおめでたい歌が書きやすい」。

ポールの両親のなれそめ

 メアリー・モーヒンは三十歳(略)病院で働く看護師だ。

 ジム・マッカートニーは三十八歳(略)

 片方の耳が聞こえないため、兵役を免除されたジムはファザカーリー消防団に所属(略)

 メアリーはジムの妹ジンと同じ下宿で暮らしている。メアリーとジムはもう何年ものあいだ懇意の仲だが、どちらも相手を恋愛対象と見なしたことはない。

(略)

[ナチの爆撃機が飛来]ジムとメアリーは座って何時間もおしゃべりする。警報が解除される頃には、ふたりは互いに結ばれる運命にあると感じる。

ジョンとポールのなれそめ

 一九五七年七月六日(略)ポールとアイヴァンは教会を出発するカーニバルの行列を見物した。(略)最後尾では(略)スキッフルグループ、クオリーメンがトラックの荷台に乗り、演奏していた。(略)

墓地のすぐ先の野原で演奏の準備を始める。アイヴァンとポールは入場料の三ペンスを払って見に行った。ふたりが最初に聴いたのはジョンが歌うデル・ヴァイキングズの「カム・ゴー・ウィズ・ミー」。ポールは演奏に惹きつけられたが、それはジョンの弾くコード進行が面白いからだけでなく、ジョンが演奏しながら適当に歌詞をつけるのがうまいのに感心したせいだった。当時でさえ、ジョンは歌詞を覚えるような面倒はまっぴら。この即興の流儀でジョンは「マギー・メイ」、「プッティング・オン・ザ・スタイル」、そして「ビー・バップ・ア・ルーラ」を次々に歌った。

(略)

「殴られそうで怖いから、あまりじろじろ眺めたりしなかった」。ポールは恥ずかしそうに辺りをうろつくばかり。(略)しばらくして、ポールは思い切ってジョンに話しかけ、ギターに触ってもいいかと訊いてみた。ギターを手にすると、もっと大胆になった。まずチューニングし直していいかと訊き、そして何曲か弾き始めた。「トウェンティ・フライト・ロック」、「ビー・バップ・ア・ルーラ」も歌った。(略)

ますます大胆になって、ポールはピアノに近づき、リトル・リチャードの曲をメドレーで弾いた。(略)自分のアイドルそっくりにシャウトできる少年が目の前にいる。

「ウーーーーー!」

「『こいつ、おれと同じくらいできる』かもしれない(略)グループに入れたらどうなる?(略)ちゃんと言うことを聞かせなくては(略)それにしてもこいつはうまい(略)見た目もエルヴィスに似ている」。

 グループのもうひとりのメンバーは、ふたりが「猫のように」互いを値踏みし合う姿を覚えている。

ジュリア

 ある日の昼下がり、ジョンは思い切って母親の寝室に入ってみた。ジュリアはダークグリーンと黄色の斑のタイトなブラウスの上に黒いアンゴラのセーター姿でうつらうつらしていた。ジョンはその光景を鮮明に記憶する。ジョンは母親の隣に身を横たえ、思いがけず、片方の乳房に触れた。この一瞬をジョンは終生、何度もくりかえし思い浮かべる。「何かもっとしてもいいのかなと思ったよ。奇妙な瞬間だった、というのもその頃ぼくは通りを挟んで向かいに住んでいた下層階級の女と、よく言うだろう、よろしくやっていたからね。今はやっておけばよかったと思ってる。たぶん、やらせてくれたんじゃないかな」。

 ジョンの友人たちの目に、ジュリアは生き生きとした蓮っ葉な女と映った。ピート・ショットンが初めてジュリアに会ったとき、「着古したウールのニッカーズを頭に巻いたほっそりした魅力的な女性が、少女のように甲高い笑い声をあげ、踊りながら玄関の外に出て、迎えてくれた(略)まあ、この子がピートね。ジョンからあなたの話はたっぷり伺ってるの」。ピートは握手しようと手を差し出すが、ジュリアはそんな礼儀などお構いなし。「ジュリアはわたしのお尻を撫で始めた。『まあ、なんて可愛いスリムなお尻なの』と言ってくすくす笑った」。

(略)

 ジュリアの四十一歳の胡散臭い愛人ボビー・ダイキンズ――「神経質そうに咳き込み、禿げかかった髪をマーガリンで撫でつけたちびのウェイター」とはジョンの言葉(略)

[飲酒運転&逃亡で一晩勾留]一年間の免許停止処分と罰金二十五ポンド(略)ダイキンズは家計を切り詰めるのが適切と判断し、十七歳のジョンを標的にする。自分たちにはもはやジョンの飽くなき食欲を満たす余力はないとダイキンズは伝えた。君はジュリアの姉ミミと暮らさなくてはならない。七月十五日、ジュリアはメンローヴ・アヴェニューに立ち寄り、ミミにこの新しい展開を伝えた。

 ミミと話をつけたジュリアは、午後九時四十五分に帰路につく。(略)家を出ようとしたところにジョンの友人ナイジェル・ウォリーが立ち寄ったが、ミミからジョンは留守と告げられる。「まあ、ナイジェル、ちょうどいいわ、バス停まで連れてってくださいな」とジュリアが言った。ナイジェルはヴェイル・ロードまでジュリアに付き添い、そこで別れの挨拶を交わし、脇道に入った。ジュリアがメンローヴ・アヴェニューを渡ったとき、ナイジェルは「車がスリップしてドスンと何かにぶつかる」音を聞き、「振り向くとジュリアの身体が宙を舞っていた」。ナイジェルは駆け寄った。「見るも無惨というほどではないにせよ、内臓がひどく傷ついていたにちがいない。即死だったと思う。ジュリアの顔にかかる赤毛がそよ風に揺れていたのが今でも目に浮かぶ」。(略)

何か月もの間、ジョンはナイジェルとは口を利こうとしなかった。「心のなかで、死んだのはぼくのせいと思っていたんだろう

「ミッシェル」

[1960年]

ポールは、黒のタートルネックを好んで身に着け、ミステリアスに振る舞うようになる。手本はジャック・ブレル。(略)

ギターを携えてパーティーに顔を出し、フランス語の歌を爪弾く。歌詞はきまって「リュバーブ、リュバーブ」。(略)フランス語の単語はひとつしか知らず、それも人名の「ミッシェル」。韻を踏む単語はひとつも思いつかない。

(略)

[五年後]ジョンはふとポールがパーティーでよくフランス語の歌をうたっていたことを思い出した。ポールはまたしても「ミッシェル」と韻を踏む単語がなかなか見つからず悪戦苦闘していた。フランス語の訪問教師ジャン・ヴォーン(ポールのかつての級友アイヴァンの妻)が「マ・ベル(ぼくの美しいひと)」はどうかともちかける。ポールはそこで「とても並びのいい言葉だね」をフランス語に訳してほしいと頼み、のちにこの協力に感謝して小切手を送り届けた。発売されてまもないニーナ・シモンの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」を聴いたあと、ジョンが合いの手に「アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー」を入れた。

ハンブルク

 一九六〇年八月十六日

 ウェールズ人マネージャー、樽腹のアラン・ウィリアムズが所有するクリーム色と緑のツートンカラーのオーステインのバンに乗り込むジョージはまだ十七歳。

(略)

ジム・マッカートニーは内心不安でならないが、ポールの邪魔立てはしたくない。(略)週給は二百十ドイツマルク、これは十七ポンド十シリングに相当する。英国の平均週給は十四ポンド。「息子はわたしが週に稼ぐのと同じ額を提示されている。行くなとは言えないだろう?」

(略)

アムステルダムで一息入れ、その間ジョンは万引きに精を出し、アクセサリー二点、ギターの弦数本、ハンカチ数枚、それからハーモニカをせしめる。マネージャーの役割を果たそうとウィリアムズはジョンに店に返しに行くよう命じるが、ジョンは言うことを聞かない。

(略)

レーパーバーンに着くと一行は一瞬、言葉を失う。夥しいネオンの輝きに目が眩み、開け放ったいくつものドアの向こうを覗けば女たちが服を脱いでいる。それでもまもなく持ち前の遡る情熱を取り戻し、「リヴァプールっ子のおでましだ!」と声を限りに叫ぶ。

(略)

 ビートルズはたびたび面白半分に同じ曲を十分も二十分も演奏し続ける。ある晩、賭けをして一曲――レイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ」――を一時間以上演奏し続ける。

(略)

[ピート以外の]四人は安いドラッグ――パープル・ハーツやブラック・ボマーズ、プレルディン(略)――をごちゃ混ぜにして嚥み、どんちゃん騒ぎに明け暮れる。

(略)

 当然ながら、錠剤を誰より多く口に放り込むのはジョン・レノン(略)卑猥な言葉を叫び、ステージの上で寝そべって転げ回り、メンバーに食べ物を投げつけ、せむしの真似をし、ポールの背中に飛び乗り、観客のなかに飛び込み、「くそったれのドイツ野郎」、「ナチ」、「ドイツのかたわ」などと呼んでは大喜びする。

(略)

首に便座をかけ、箒を手に「勝利万歳!勝利万歳!」と呼ばわり練り歩く。

(略)

 様子を見にハンブルクを訪れたシンシアは、薬とアルコールですっかり前後不覚のジョンがステージの上で「ヒステリーを起こしたように痙攣しながら笑い転げるのを見る。ステージを降りても獣じみた振る舞いは変わらない。道行く尼僧たちにバルコニーから小便をひっかける。バンドの他のメンバーも素面とはほど遠い。曲と曲の合間にポールがスチュの美人の恋人アストリット(誰もが彼女に惚れた)に下品なことを言うと、スチュはしかるべくパンチをお見舞いする。ポールもやり返し、たちまちふたりはステージ上で取っ組み合いを始め、ポールの記憶によると「喉輪攻めみたいなもの」までくりだす。ところがこの見せ物――「しっかりやれ[マック・シャウ]!ショーを見せろ[マック・シャウ]!」が大いに人気を博す。かれらはこの界隈で「気狂いビートルズ」の名で知られるようになる。

(略)

ウェイター(略)は思い切り蹴飛ばすのに向いたごついブーツを履き、バネで留めた警棒をズボンの腰に挿し、上着の下にこっそり隠している。カウンターの陰には催涙ガスが用意してあり、小競り合いが暴動になりかねないと見ればすぐに手に取れる。やがてビートルズは、毎晩十時、未成年の客にドイツ語で帰宅時間を告げる役を割り振られる。「ただいま二十二時。これからパスポート検査を行なう。十八歳以下の若者は全員、クラブを出るように」。

 

 ブルーノ・コシュミダーは陽気で愉快なもてなし上手とは裏腹の男だ。(略)性質は粗暴。節くれだった堅木作りのドイツ製の椅子の脚を振り回しながら、自分の経営するクラブをパトロールする。客が手に負えなくなったり、不平を訴える声が耳障りになったりすると、その客は二つ折りにされてコシュミダーの事務室に連行され、床に磔にされ、例の椅子の脚で青痣だらけになるまで殴られる。

 

 明け方近く、コシュミダーのクラブ経営者仲間が寝酒をやりに立ち寄る。(略)連中はビートルズをピーデルズ(Piedels)と発音する。ドイツ語の俗語で「おちんちん」を意味する。

(略)

[ピート・ベスト回想]

「映画館の便所と隣り合わせの、どぶのように暗く湿って、どぶのように魅力的なおれたちの汚いねぐらに、間違ってもご婦人を招くなんて思いもよらないだろう?(略)ところが、それができたんだ、しかも女の子たちは誰ひとり、いやとは言わなかった」。

(略)

ポールによると、ジョンがある晩、「びっくりするほどエキゾチックな女」とうまくいきそうになったけれども、「よくよく見たら彼女は彼だった」という。

(略)

女の子たちの多くはヘルベルト通りの娼婦で、イギリスからやってきた陽気な若者たちの相手ならと、通常の料金を喜んで放棄してくれる。

(略)

 「指をぱちんと鳴らせば、女の子たちが服を脱いで、さあいらっしゃいとなったらどんなにいいだろうと夢見たものだった」とジョンはアリステア・テイラーに語る。「十代のほとんどは、女をそんなふうにできる力があったらいいなと空想して過ごしたようなものだ。おかしなことに、空想が現実になると、それがたいして楽しくもない。(略)

ものにした女の数が増えれば増えるほど、そうした違和感が反発と嫌悪感の入り混じるひどく不快な気持ちに変わった」。

ポールの選択

[ライバル店に引き抜かれたことで]ギャングまがいのコシュミュダーは復讐をもくろみ、ジョージが未成年であることを警察に通報し、ジョージはしかるべく送還される。(略)続いてポールとピートが宿舎に放火したと警察に偽りの通報し、両名も同じく送還される。(略)ふたりは無一文でリヴァプールに帰り着いた。十日後、ジョン・レノンもふたりに続く。(略)

 楽器や機材のほとんどはハンブルクに置いたままだった。

(略)

 三か月留守にした間に、流行も進んだ。いまや誰もがシャドウズを真似て細身のスーツを身に着け、楽器を演奏しながら、息の合ったお決まりのダンスをしてみせる。初めのうち、ビートルズの誰もがひどく気落ちするあまり、互いに連絡を取り合おうともしなかった。ジョージはポールとジョンも帰国したとは知らなかった。ジョンは落胆してメンディップスの寝室に引きこもり、誰とも会おうとしない。ミミ伯母さんは我が身の不運を嘆くジョンを渋々ながら甘やかしてくれたけれども、ジム・マッカートニーは家のなかをうつむいてうろうろする息子を許してはおかない。(略)

ポールは短期間、運送会社の手伝いをしたあと、コイルを製作するマッシー&コギンズ社で単調な骨折り仕事に勤しむ。ポールがミュージシャンと知った同僚たちはさっそく「マントヴァーニ」と綽名をつけた。利発で人柄もよいポールはたちまち、将来主任も望める器として目をつけられる。(略)二、三週間後、ジョンとジョージがポールをマッシー&コギンズ社に訪ねてきた。キャヴァーン・クラブのランチタイム・ライヴに出演することになったので、ポールにも加わってほしいと言う。ポールはふたりに、自分は定職に就いて週給七ポンド十シリングもらっている、「ここでいろいろ教えてもらってるんだ。とても恵まれてる。これ以上は望めないよ」と言った。しかしふたりはしぶとく粘り、ポールも折れ、一九六一年二月九日に仕事をさぼり、キャヴァーンのランチタイム・ライヴで演奏した。(略)

[雇用主から警告されたのか翌週の出演を渋るポール]

「今日来るか、それとももうバンドのメンバーじゃなくなるか、どっちかにしろ」とジョンは鋭く言い放つ。(略)

「おれはいつも言ってやった、『親父に立ち向かえ、余計なお世話と言ってやれよ。息子を殴ったりできないさ、もう老いぼれじゃないか』。(略)なのに、ポールはいつでも父親の言うことを聞いた。(略)グループを捨て、「定職に就かないとね」と言って運送会社の仕事を始めた。信じられないよ。(略)」。

(略)

[結局]ポールは会社をさぼってふたたびビートルズの一員となった。一週間後、ポールは郵送されてきた給与袋を受け取る。なかには国民保険証と解雇通知が同封されていた。

ピート・ベスト解雇の黒幕

[エプスタインとの話し合いは二時間続いた]

 ニール・アスピノールが階下で待っている。(略)

「おれは追い出された!」とピートが言う。ニールはピートの母親と付き合っている手前、それなら自分も辞めると言う。(略)

「馬鹿な真似はよせ――ビートルズはきっと成功するよ」

(略)

[その晩の]ライヴには行かない。「おれは裏切られた、裏切った三人と一緒にステージに立つのは、おそろしく深い傷に塩を擦り込まれるようなものだったろう」。

 ビートルズが二週間前にパーロフォンから契約の申し出を受けたとピートが知るのは、あとになってからのこと。(略)

 ピートの直情径行型の母親モナは、ブライアンが登場するまでグループの世話に手を貸し、かれらをずっと「ピートのグループ」と呼んでいることもあり、ロンドンのジョージ・マーティンにすぐさま電話をかける。人当たりのいいレコードプロデューサーは母親に(略)ピートをメンバーに残すかどうかを決めるのは自分ではありませんと請け合う。

 腹を立てたモナはブライアン・エプスタインを咎める。「それは嫉妬よ、ブライアン、ファンが断然多いのはピートだから嫉妬してるのよ――リヴァプールビートルズのファンを増やしたのはピートなのよ!」

(略)

 誰が企てたのか?(略)『ザ・ビートルズ・アンソロジー』(略)でポールはこう回想する。(略)オーディションを受けたあと、ジョージ・マーティンがほかの三人を脇に連れていき、「ドラマーがどうもよくない。代えることを考えてみてくれないか」と言った。「ぼくらは『いや!そんなことはできない!』と言った。(略)ピートを裏切れるか?いや。でもぼくらの将来がかかっている。契約を取り消されるかもしれない」。

 ところがジョージ・マーティンは一貫して、ピートが解雇されたのに面食らったと主張した。ピートのドラムには感心しなかったし、揃ってふざけ合うのが好きな他の三人についていけないのにもたしかに気づいた。「だからといってブライアン・エプスタインがピートを外すとは思わなかった。容姿にかぎって言えば、ピートが一番売り物になりそうだったしね。(略)わたしにとってドラムは重要だったが、それ以外ではさして重要ではない。ファンはドラムの良し悪しなんて、たいして気にしない」。

 いっぽうピート・ベストは、ビートルズのドラマーとして過ごした二年間に、ドラムの上手下手について誰からも文句を言われたことはないと主張した。

(略)

 時が経つにつれ、ジョンは(略)次第に言いたいことを言うようになった。

 「ぼくらはピート・ベストには辟易していた」。一九六七年にジョンはこう言った。「ひどいドラマーだった。全然上達しない。ピートについては、奴はすごくて、しかも美男だからポールが嫉妬したとか何とかいう馬鹿げた神話が前からあった。(略)そもそもピートが加入した唯一の理由は、ハンブルクに行くにはそれしか方法がなかったからだ、ドラマーが必要だったんだ。(略)まともなドラマーさえ見つかれば、ぼくらはいつでもピートをお払い箱にするつもりだった」。

(略)

ピートはしょっちゅう具合が悪くて休むと電話してきたとジョージは言う。それでリンゴによく代役を頼んだら、「リンゴがドラムの前に座るたびに、『これだ』という感じがした。そのうちにぼくらは、『リンゴにフルタイムでバンドに入ってもらうべき』と気づいた。そういうふうに持っていったのは、まあぼくだと言っていい。リンゴにずっといてもらえるようにもっていった。みんながその気になるまで、ジョンに働きかけたんだ。

ジョンの結婚

 一九六二年七月、シンシアは妊娠に気づく。ジョンはいい顔をしないだろうと思い、数日間打ち明けるのを先延ばしにする。(略)「報せを聞いて実感が湧くと、血の気が失せて、恐怖の色が目に浮かぶのがわかった。『そうなれば、することはひとつしかないな、シン』とジョンは言った。『結婚しなきゃ』」。

 その必要はないとシンシアはジョンに言う。ジョンはそうしたいと言い張る。翌日、ジョンの話を聞いて、ブライアン・エプスタインは何もそこまでしなくてもいいだろうと言う。(略)ブライアンは(略)ファンの熱が冷めるのを恐れる。ジョンがミミ伯母さんに話すと、甥を罠にはめようとしたとシンシアを責め、結婚式にはいっさい関わらないと言い放つ。

 ジョンが真剣と悟って、ブライアンは手続きの代行を引き受け(略)式は二週間後と決まる。

 八月二十三日(略)シンシアはフリルのついた襟の高い白いブラウスの上に紫と黒のチェックのツーピース、黒い靴を履き、黒のハンドバッグを手にしている。ブライアンは運転手付きの車にシンシアを乗せ、マウント・プレザント登記所まで付き添う。ブライアンは道すがら、君は素敵だよと声をかけ、シンシアの昂る神経を鎮めようとできるだけのことをする。

 ふたりが到着すると、待合室にはすでにこざっぱりした黒のスーツ姿のジョン、ポール、ジョージが揃い、うろうろ歩き回っている。

(略)

[登記簿に署名後]角を曲がった先の〈リースズ・カフェ〉に行ってランチ

(略)

花嫁花婿と五人の招待客は列に並んでスープ、チキンとデザートのトライフルをよそう。(略)ジョンは誇らしげな様子。シンシアは嬉しくて天にも昇りそうな気分。「教会で一番贅沢な式を挙げても、あれ以上幸せにはなれなかったと思う」。

 ブライアンはふたりに「ジョンとシンシアの幸運を祈る。ブライアン、ポール、ジョージ、六二年八月二十三日」と彫り込んだ銀メッキの灰皿と、JWLのイニシャルをエンボス加工した革のポーチ入り髭剃りセットをプレゼントする。ジョンはそれ以降、どこに行くにもこのポーチを持っていく。ブライアンは(略)フォークナー・ストリートにジョンとシンシアが静かに暮らせる部屋があるから、好きなだけそこに住んでいいと言う。シンシアは興奮のあまり、ブライアンに抱きつく。ブライアンはきまり悪そうな様子。

(略)

[その晩のライヴ]ジョンは不機嫌そうで、前座を見て癇癪を起こし、「お前ら、おれたちの曲をみんなやる気か!」と怒鳴る。ジョンは誰にも新婚ほやほやとは教えない。ビートルズの新しいドラマー、リンゴ・スターですら蚊帳の外。

エプスタインの交渉術

 一九六二年十一月(略)二十二歳の[興行主]ピーター・ストリングフェロー(略)[NME誌のビートルズの広告を見て電話]

エプスタイン氏が応対し、ビートルズの出演料は五十ポンドと言った。

 「五十ポンドですって!(略)失礼ですが、ぼくはスクリーミング・ロード・サッチに五十ポンド払ってますけど、ビートルズなんて名前は誰も聞いたことがありませんよ!」

 エプスタインは、サッチとは違ってビートルズはレコードがチャート入りしていると応じた。ストリングフェローは「ラヴ・ミー・ドゥ」がチャートを下降中なのを知っていた。ちょっと考えてみますと言って、受話器を置いた。

 翌日(略)また電話して、五十ポンド払いますと言った。エプスタインは、出演料は六十五ポンドに値上がりしたと言う。ストリングフェローは、エプスタインも自分と同じくらい緊張していると感じた。(略)ちょっと考えてみますと言って、受話器を置いた。

 約束どおり、ストリングフェローは二日後にまたエプスタインに電話し、いいでしょう、なんとか六十五ポンド都合をつけますと言った。エプスタイン氏は、出演料が上がって今は百ポンドになったと応じた。「ビートルズは新しいシングルがまもなく発売される予定で、この曲はチャートの一位に上りつめるでしょう」と自信ありげに言う。ストリングフェローは盛んに値切ろうとしたが、エプスタインは九十ポンド以下にはならないと言う。最終的にふたりは八十五ポンドで合意する。ストリングフェローは動揺した。「公衆電話から出てきたときは汗だくだった。そんな金額、それまでどんなバンドにも払ったことがなかったからだ」。

 「ラヴ・ミー・ドゥ」がチャートから消えて「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売されるまでの間、奇妙な空白があった。ビートルズは鳴りを潜めたように見えた。ストリングフェローはパニックに陥る。大枚をどぶに捨ててしまったのだろうか?

(略)

[NME誌に]告知を出し、印刷所に入場料四シリングのチケットを発注した。申し込みが殺到し、スコットランドからも予約が入ったので、印刷所に行き、料金を五シリングに値上げした。一月までに一千五百枚を超えるチケットが売れてしまい、この数字はブラックキャットの定員を大幅にオーバーする。もっと広い会場を探し(略)会場変更の告知を載せた。四月二日までにチケットの売り上げは二千枚を超す。当日の晩には、万が一入り込めはしないかと一縷の望みにすがり、さらに千人がやってきた。

「シーズ・リーヴィング・ホーム」

[「レディ・ステディ・ゴー!」で]ヘレン・シャピロが歌の一番、二番、三番をビートルズのメンバーひとりひとりに向かって順番に歌うことになる(略)[クジで外れとなった]ポールは隣のスタジオを見物に出かけ、ブレンダー・リーの歌う「レッツ・ジャンプ・ザ・ブルームスティック」に合わせた身振りを競う四人の娘のなかから勝者を選ぶように頼まれる。

 ポールが選んだのは(略)十四歳のメラニー・コーだった。

(略)

持ち前の奔放さを気に入ったプロデューサー陣から一年間バックダンサーをしてみないかと誘われ(略)メラニースティーヴィー・ワンダーダスティ・スプリングフィールド、シラ・ブラック、フレディ&ザ・ドリーマーズといったスターたちと間近に接することができた。

(略)

両親の願いに反して、ロンドンの繁華街に出入りするように(略)

ハンブルクからやってきた友だち(略)は以前からビートルズと親しいと自慢していた(略)[一緒にクラブに行くと、ジョンが入ってきて友達に気付く]

『君か!こっちへおいで、一緒にやろう!』(略)

 若い娘が最初はポール、二度目はジョンとこのように出会い、心を奪われると、大人の世界の誘惑に抗うのは難しい。不運なことに、メラニーが妊娠するのにたいして時間はかからなかった。ある日の午後(略)短いメモを台所のテーブルの上に残し、家を出て、ベイズウォーターでカジノのディーラーと暮らし始めた。

 家を出て一週間(略)メラニーは「デイリー・メール」紙に自分の写真が載っているに気づく。(略)「成績優秀な少女 車を捨て、姿を消す」とあった。

 同じ日、ポール・マッカートニーもたまたま「デイリー・メール」紙を読んでいて、同じ見出しに目を留めた。

 (略)

「娘が出ていった理由は想像がつかない」と父親は記者たちに語った。「ここにはすべてが揃っていた。服が大好きなのに、全部置いていった、毛皮のコートさえ」。

 メラニーが三年前に自分がコンテストの勝者に選んだのと同じ娘とは気づかずに、ポールはその記事に触発されて「シーズ・リーヴィング・ホーム」を書いた。

(略)

「(略)ジョンがギリシア古典劇のようなコーラスをつけた、音を長く伸ばしてね、それでこの曲の構造のよさのひとつは、そのコードがいつまでも鳴り続けるところにある」。(略)

[コーラスを書くのはジョンには]たやすかった。それこそミミ伯母さんの口から耳にたこができるほど聞かされたのとまさに同じ不平だった。

(略)

 ビートルズは一九六七年三月十七日の夕方に「シーズ・リーヴィング・ホーム」をレコーディングした。その頃にはメラニー・コーは両親に居場所を突き止められ、家に戻っていた。五月末に『サージェント・ペパーズ』のアルバムが発売されてまもなく、メラニーは初めてその曲を聴く。「わたしのことを歌った曲とは気づかなかったけれど、わたしのことを歌っているのかもしれないと思ったのを覚えている。なんて悲しい歌なのかしらと思った。誰が聴いてもどこか心に触れるところがあった。あとで、二十代になってから、母に『あの曲、あなたのことを歌ったのよ』と言われた」。母親がポールのインタビューをテレビで観ていると、ポールはあの曲はこの新聞記事を元にして書いたと言った。母親はすべてを理解した。

(略)

 まったくの偶然から、マッカートニーはもうひとつ図星を突いていた。カジノのディーラーになる前、メラニーの年上の恋人は自動車のディーラーをしていた。

「スペインの一夜」は藪の中

三月には二枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が英国のチャートでなかなか一位になれずにいた(略)クリフ・リチャードの「サマー・ホリデイ」が人気を保っていたせいである。しかし五月には「フロム・ミー・トゥ・ユー」がシングルとして初の一位を獲得し、デビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』も一位になり、その後三十週にわたりその座を守った。

 その月末、ビートルズはテレビの全国放送に二度目の出演を果たし、子供向けの番組「ポップス&レニー」で有名なライオンのパペット人形レニーと一緒に「フロム・ミー・トゥ・ユー」を歌った。

(略)

[ポール21歳の誕生日]

ポールはシャドウズが玄関から入ってきたのがとくに嬉しかった。「信じられない」とブライアン・エプスタインの片腕トニー・ブラムウェルに言った。(略)「でも、ぼくらも今ではかれらの仲間みたいなものかな?」「そうだよ、しかもこっちのほうが上さ」と答えたブラムウェルは、ポールから「からかうのはよしてくれと言わんばかり」の疑り深い目つきで見られたのを覚えている。

(略)

[ピート・ショットンがトイレから戻ると]お祝いからお通夜みたいになっていた。(略)

 キャヴァーン・クラブの司会者ボブ・ウーラーが床に伸びていて、そこらじゅう血だらけだった。どうやら、ジョンがプライアン・エプスタインとふたりでつい最近スペインに休暇に出かけたのをからかい、ジョンに仕返しされたらしい。「すっかり酒に酔ったジョンがウーラーにからかわれて拳固をお見舞いした」とトニー・バーロウは自伝に記す。エプスタインのもうひとりの助手ピーター・ブラウンの話はもう少し詳しく、「怒り狂い、見るからに泥酔状態」のジョンが氏名不詳の客を「拳骨でボコボコにし」始め、ようやく「三人がかりでジョンを引き離したけれども、その前にジョンは男の肋骨を三本折っていた」。

 トニー・ブラムウェルの記憶では「ジョンはかっとなった。ボブに襲いかかり、肋骨を三本折り、しまいには自分の鼻も血だらけになった」。ショットンはもう一歩踏み込む。「ジョンは仕返しにボブを殴り倒し、くりかえし顔に、あれはシャベルだったと思うが、容赦なく叩きつけた。ボブは顔に大怪我を負ったため、救急車を呼んで急ぎ病院に担ぎ込まなければならなかった」。

(略)

事件から四十二年後に書いた二冊目の自伝(一冊目ではこの件に触れていない)にシンシア・レノンはこう記す。「ジョンはもうすっかり聞こし召して、怒りを爆発させた。ボブに飛びかかり、引き離されたときにはボブの目の周りに痣ができて、脇腹にもひどい怪我を負っていた。わたしは大急ぎでジョンを家に連れて帰り、ブライアンがボブを車に乗せて病院に運んだ」。シンシアは、ジョンから「あいつはおれをホモと呼んだ」と聞かされたのを覚えていると主張する。他の人々は(略)[ウーラーが]「おい、ジョン。ブライアンとスペインで何をしたのか教えてくれよ。みんな知ってるんだぜ」というようなことを口にしたと語っている。

 三十六年後、エプスタイン家の事務弁護士レックス・メイキン[の説明](略)

ウーラーがジョンを口説こうとしたという。「(略)ジョン・レノンはウーラーが自分に秋波を送ったと考えたか感じたかして、拳固で殴り、鼻の骨を折り、目の周りに痣をつけた」。

(略)

一九六八年に公認の伝記を発表したハンター・デイヴィスは、「ジョンは地元のディスクジョッキーに喧嘩を売った」と記し、「奴の肋骨を折ってやった。だいたいあのときはむしゃくしゃしてたんだ。奴はおれをホモと言いやがった」というジョンの言葉を引用する。

 その他の伝記作家はもう少し大袈裟になる傾向がある。(略)

 二〇〇五年に出版されたビートルズの伝記のなかでボブ・スピッツは、ジョンにウーラーを「固く握りしめた拳で容赦なく」殴らせた。「それでも大した怪我を負わせていないと見てとると、裏庭に転がっていた園芸用シャベルを摑み、柄でボブを一度か二度、ガツンと叩いた。ある目撃者によると、『ボブは顔を両手で覆い、ジョンは指の皮が全部剥けるまでその手を蹴りつけた』」。スピッツによると、ウーラーは「鼻の骨を折り、鎖骨にひびが入り、肋骨三本が折れる」もっとひどい怪我を負って救急車で運ばれた。

(略)

[暴行程度には諸説あるが]ウーラーに二百ポンドを支払い、謝罪することで話がついたことは誰も疑わないようだ。

(略)

『ウーラーの奴(略)おれをいけすかないホモと呼ぶもんだから、ぶちのめしてやったのさ。(略)そんなに酔っちゃいなかった。当然の報いさ。(略)誰が謝ったりするもんか』(略)この発言をトニー・バーロウが律儀に[修正した記事が翌日掲載された](略)

「いったいなぜ親友を殴ったりするだろう?(略)ぼくはひどく酔っていて、自分が何をしているかわからなかった。そのことをかれにわかってもらえると嬉しい」

(略)

療養中、ウーラーはジョンから和解を求める電報を受け取った。「まったく申し訳ない、ボブ。ひどいことをして悪かった。他に何と言えばいい?」じつは一言一句、ブライアン・エプスタインが書き取らせたものだった。

 

 スペインでは実際に何が起きたのだろう?ジュリアンが生後三週間の頃(略)最初の自伝(一九七八年)でシンシアは、ジョンから構わないかと訊かれて、「傷ついたし羨ましかったけれど、それは隠して、行ってらっしゃいと快く送り出した」と言う。(略)

容赦ないアルバート・ゴールドマンはというと、ジョンは息子が生まれてから一週間も経ってようやく面会に行き、その折、「シンシアのほうを向いて、ブライアン・エプスタインと短い休暇に出かけるとぶっきらぼうに告げ(略)シンシアは(略)憤慨した」。(略)ジョンはシンシアの気持ちなどお構いなしにこう言ったと付け加える。「またいつものわがままを言うんだな」。

(略)

シンシアが言うには、スペインから戻ってからというもの、「隠れ同性愛者との狡いあてこすり、目配せ、仄めかしをジョンは我慢しなければならなかった。ジョンはそれに憤慨していた。ただ友だちと休暇を楽しみたかっただけなのに、何かそれをはるかに超えるものになってしまった」。(略)

アリステア・テイラーとトニー・バーロウは性的なことは何もなかったというシンシアの考えに同意する。テイラーは「(略)ジョンはその話を否定した(略)ブライアンがそんなふうにおれを求めたことは一度もない」とテイラーに言い、さらに「どんなに気が変になったとしても、男をやるなんてことはおれにはできない。自分がそこらに寝て男にやらせるなんてこともむろんありえない。たとえ相手がブライアンみたいにいい奴でもな。正直言って、考えただけでへどが出る」付け加えた。

(略)

バーロウはこう言う。「(略)わたしはジョンの言い分、つまりブライアンをぎりぎりまでからかったけれども、ふたりは瀬戸際で思いとどまったという話を信じる」。

 それとは反対に、トニー・ブラムウェルはジョンから、最後にはただ「その問題を片付けようとして」ブライアンに性行為をさせたと聞いたと主張する。ブラムウェルはただし、ジョンは嘘をついていたかもしれないと言い添える。「ジョンをよく知る(略)ひとなら、そんな話、端から信じない」。ところがピーター・ブラウンとなると、失礼ながらわたしの考えは違うと前置きして、とてもありそうもない生々しい情景を空港で売られている小説から抜き書きでもしたかのように描写する。「スペインの甘いワインに酔い、眠気に襲われながらブライアンとジョンは服を脱いだ。『いいよ、エピー』とジョンが言い、ベッドに身を横たえる。ブライアンはジョンを抱きしめたかったけれども、怖かった。その代わり、ジョンが目の前に横たわり、ためらうふうにじっと動かないのを見て、必ずや満足をもたらすと信じて疑わない夢想を実現してはみたものの、翌朝目覚めると以前と変わらず心は虚ろなままだった」。

 [親友の]ピート・ショットンは(略)ジョンとブライアンが旅立つやいなや「町じゅう噂でもちきりになった」と書いている。戻ってきたジョンを「ブライアンとよろしくやってきたんだな、な、そうだろ?」とショットンがからかったところ、意外にもジョンは静かに「いやじつは、ピート、ブライアンとの間にある晩、何かあったことはあったんだ。(略)エピーがとにかくしつこく言い寄ってきてね。それである晩とうとうズボンを下ろして、言ってやった。『ええい、面倒だな、ブライアン、それならおれのケツの穴にそいつを突っ込んだらいいじゃないか』。するとブライアンがこう言った。『じつは、ジョン、わたしはそういうことはしないんだ。やりたいとも思わない』。(略)『それじゃ、どうしたいんだ?』するとブライアンが言うには、『ジョン、ただ君に触りたいだけなんだよ』。それでブライアンに手淫させてやった。(略)それのどこが悪いっていうんだ、ピート?何も悪かないだろう。かわいそうに、ブライアンは他にどうしようもないんだよ」。

(略)

レイ・コールマンは性的なことは何も起きなかったと断言する。(略)

エプスタインが「個人にせよグループにせよ、ビートルズとの関係を大きく変えるような危険を冒すはずはない」と言う。さらに「エプスタインは強引に言い寄るような人間ではなかった」と付け加えるが、じつはそういう人間だったという証拠は山ほどある。

(略)

[レイ・コナリーはピート・ショットンの主張を信じつつも]

「しかしジョンは真実を話したのだろうか?(略)ジョンは人を驚かせるのも大好きだった。面白がって同性愛の経験をでっちあげたのか(略)ブライアンから言い寄られたあとで起きたことを単に誇張したのか?どちらもないとはいえない。だが同様に、終生新しいことを試したくて仕方のなかったジョンのことだから、同性愛に好奇心を抱いたこともあるだろう。ブライアンが言い寄ってきたとき、ただ男に触られるのがどういうものか知りたいと思っただけかもしれない」。

(略)

 無慈悲なゴールドマンは例によって(略)

「(略)ふたりはブライアンの死まで性交渉を続け、その関係は一方が他方を支配するものだった。ジョンが残酷な主人役を、ブライアンは従順な奴隷役を演じた」と主張する。

 フィリップ・ノーマンはゴールドマンの本を「悪意に満ちた」「事実無根の噴飯もの」と呼ぶが(略)自分の書いたポールの伝記のなかで(略)こう付け加える。「後年、ジョンは親しい友人に、ブライアンと何かしら性的な関係をもったと話した。「一度はどんなものか知りたくて、二度目は好きではないと確かめたくて』」。ところがジョンの伝記のなかでは、オノ・ヨーコから聞いた話をもとに、ノーマンはこれとは異なる説明を示す。(略)

「旅行中のある夜、ブライアンは羞恥心と罪の意識を捨ててとうとうジョンを口説いたけれども、ジョンはそれに対して『そんなことがしたいなら、どこかよそに行って男娼を見つけてこいよ』と言った(略)ジョンはあとから、わざとピート・ショットンに自分は束の間身を委ねたという作り話をして聞かせ、自分がブライアンに対して絶対的な力を持っているとみなに信じさせようとした」。

(略)

ヨーコはまたフィリップ・ノーマンに、ジョンの「ふとした発言」から、ジョンはポールとセックスしてみようと思ったけれども、ポールがしたがらなかったと思うと語った。「オノ・ヨーコの耳にしたところでは、ポールはアップルの周辺でときにジョンの『お姫様』」と呼ばれていた」とノーマンは記す。ヨーコはまたノーマンに、あるときリハーサルのテープを聴いていると、ジョンの声が「ポール……ポール……」と妙にへつらうような、せがむような調子で呼びかけるのを耳にしたとも語っている。「何かあったのは間違いないと思う」とヨーコは当時を回想する。「ジョンのほうからよ、ポールではなくて。それにジョンはポールにあんなに腹を立てたでしょう、本当は何があったのか、考えずにはいられなかった」。

ジョンとクリフ・リチャード

 一九六三年初頭のビートルズは声がかかればどこへでも出かけていき、日当のギャラをもらうポップグループのひとつにすぎなかった。シングル第一弾「ラヴ・ミー・ドゥ」は最高位十七位止まり。一九六三年最初のコンサートは(略)エルギン・フォーク・ミュージック・クラブが主催したもので、集まった聴衆は二百人。

(略)

[成功]は地滑りのようにやってきて、前に行く者たちをぺしゃんこにした。ほんの二、三か月前までしぶしぶビートルズを前座に雇ってやってもいいくらいの気持ちでいたバンドや歌手が、いまやビートルズの前座を務める屈辱的な立場に立たされる。

(略)

ピーター・ジェイ&ザ・ジェイウォーカーズ(略)

一年前、ビートルズはかれらに憧れていた。ホールの裏手で、ジョージはジェイウォーカーズがきらきら輝く色とりどりの照明を設置し、ぴかぴかのドラムセットと派手に鳴るシンバルを据えるのをじっと見つめ、このバンドは「真の大物」だと思った。ところが、いまやそうした日々は過去のもの。

(略)

[ジョンの五日後に生まれたクリフ・リチャード]

 一九五八年の冬にはクリフはすでに大スターとなり、「ムーヴ・イット」がチャートの二位に入った。いっぽう、ジョンはクオリーメンを率いてリヴァプールを駆け回っても、辺鄙な村の公会堂や個人宅の催しで演奏させてもらうのがせいぜい

(略)

[NME誌は]「荒々しく腰を揺するかれの動きは不愉快千万、親が子供に見せたいと思う演目とはほど遠い」。一九六三年以前はジョンではなくクリフが反逆児、煽動者、文明の脅威だった。クリフとシャドウズが全国放送のテレビでセンセーションを巻き起こしたその宵、クオリーメンは(略)ジョージ・ハリソンの兄ハリーの結婚式の披露宴でスキッフルのスタンダードナンバーを演奏していた。一九五八年から六二年にかけて、クリフはチャートのトップ20以内に二十曲を送り込み、そのうち六曲はナンバーワンに輝いた。(略)他人を羨ましがるのは珍しくないジョンが、当時クリフに複雑な気持ちを抱いたのも不思議ではない。(略)[「ラヴ・ミー・ドゥ」が]最高位十七位までたどり着いたとき、クリフは「バチェラー・ボーイ」を二位に送り込み、ビートルズを高みから見下ろしていた。

(略)

三か月後の一九六三年三月、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」がチャートの二位に昇りつめたが、そのときすでに一位の座にあったクリフ・リチャードの「サマー・ホリデイ」に阻まれ、一位にはなれなかった。

 ところが一九六三年が進むにつれ、形勢は逆転する。(略)

ビートルズが未来なら、クリフ・リチャードは過去になった。

(略)

 それからのち、ジョンは名声と成功の頂点を独り占めする勢いで、わざわざクリフ・リチャードを見下す気にもめったにならない。他方、クリフはほんの少しでもビートルズに触れようものならたちまち取り乱した。六〇年代中頃以降、クリフ・リチャードは「なんでもござれの家庭向けエンターテイナー」となり(略)

ビートルズが成功し、ストーンズが成功して、ぼくとシャドウズはお蔵入りになった。ぼくらは老いぼれになったのさ」。(略)

[ジョンがインドで]『ホワイト・アルバム』の曲を書いていた頃、クリフは明るい水色のダブルのスーツを着て、襟元と袖口から安っぱい白のフリルを覗かせてユーロヴィジョン・ソング・コンテストに出場し、「コングラチュレーションズ」を元気よく歌っていた。

ジェーン・アッシャー

 リハーサルの合間に、ビートルズは楽屋でジェーン・アッシャーに紹介される。十六歳の若さながら、すでに芸能界ではちょっとしたベテランだ。

(略)

ビートルズはジェーンに気圧される(略)とくにポールは。「(略)みんなジェーンが好きになった。白黒テレビの『ジュークボックス・ジュリー』でしか見たことがなかったから、みんなジェーンは金髪だと思っていたら、本当は赤毛だった。(略)」(略)

[アンフェタミン]が効いて、ジョンはジェーンに盛んに言い寄る。

(略)

ジョン そうさ、おれはひねくれてるよ。おれたちはロックンロールを新しい名前で演奏してる。ロック音楽は戦争、敵意、征服だ。おれたちは愛について歌うが、それはセックスのことで、ファンにはそれがわかってる。(略)

ローリング・ストーンズを見てみろ。ひどく荒っぽいだろう。あれはおれたちが先にやったのを、今じゃ奴らが失敬してるのさ。

(略)

そうかい、酒はもうないのか。それじゃ、セックスの話をしよう。ジェーン、女の子はどうやって自分を慰めるんだい?

ジェーン (ショックを受けるが冷静に)そんな話、わたしはしません!

ジョン ここに女の子は君しかいないし、おれは知りたいんだ。どうやっていく( jerk off )んだい?

(略)

ジェーン (ジョージに慰められ、泣きながら) ねえジョン、あなたってときどきとても残酷になれるのね。

ジョン (玄関口に立ったまま) そういうところがおれにはあるんだよ。

 

 このあたりでポールがジェーンを部屋から連れ出し(略)ふたりはベッドに並んで腰掛け、食べ物や本の話をする。チョーサーの『カンタベリー物語』が話題に上る。(略)ポールはその場で「尼寺の長の話」から引用する。(略)

名門校クイーンズ・カレッジを卒業したジェーンには、ポップ音楽界のアイドルというポールの表向きの顔よりこちらのほうがずっと好ましく思え、ポールもジェーンの物の見方、考え方を同じく好ましく思う。(略)さよならを言う前に、ポールはこの子こそ自分にふさわしいと心に決める。(略)アッシャー家の玄関で、ポールはジェーンに電話番号を教えてほしいと頼み、ジェーンも喜んで求めに応じる。

(略)

 ふたりは恋仲となり、ジェーンの両親は(略)邸宅の最上階に小さいながら専用の寝室を用意した。隣はジェーンの兄ピーターの部屋である。ポールはそれから三年間、アッシャー家の一員としてここで暮らし、その寝室は目覚ましいキャリアの成果で溢れることになった。

(略)

母親のマーガレットはギルドホール音楽演劇学校の教授。(略)一九四八年には、ジョージ・マーティンオーボエの奏法を教えたこともある。

(略)

外見こそ上流階級の出のように見えるものの(略)マーティンの育ったドレイトン・パークの三部屋のアパートには台所も風呂もなく、トイレは他の三家族と共同だった。(略)[それゆえ]アッシャー家で垣間見た安楽な暮らしに憧れ、惹かれた。そして今度はポールが(略)惹かれる番だった。何もかも文化の香りがした。

(略)

 もし、いつでも好きな時代を選んでビートルズの誰かになれるとしたら、ウィンポール・ストリート時代のポールになってジェーンと暮らし、アッシャー家の人々によくしてもらい、幸運に恵まれ、人生を満喫し、文化に触れ、世界中から愛されたいと思う。素晴らしい曲が魔法のようにわたしの頭から流れ出て、ピアノを通って生まれる。

(略)

 五十年以上経った今も、ふたりは婚約解消については口をつぐんだまま

(略)

アリステア・テイラーによると、ジェーンがポールと別れたのであって、その逆ではなく、ジェーンは復縁を拒んだ。

(略)

ジェーンのように「素晴らしい女性は他にいない」と思っていたテイラーは、ポールが「完全に途方に暮れ(略)ひどく取り乱し、『すべて手にしていたのに、取り逃がしてしまった』と言った」のを覚えている。

「シー・ラヴズ・ユー」

[ステージに上がる前の]待ち時間に曲を書くことに(略)

「あれはポールのアイデアだった(略)『アイ・ラヴ・ユー』と歌う代わりに、第三者を入れてみようというんだ」。(略)そしてジョンはより自伝的な内容を歌う。

(略)

 若者が別の若者に、かれをふったかも、ふっていないかもしれない女の子の話をしている。(略)曲を書いているふたり――楽観的で自信家で、しきりに助言したがるポールと、自己の罪悪感から逃れようとしながら、ひとを傷つけてしまう――「あの子はひどく傷ついたと言ってたよ」――ジョン――の分身なのである。

(略)

[翌日はオフだったので]ふたりは、ポールの父親ジムが煙草をふかしながらテレビを観ているフォースリン・ロードの家の部屋の隣で、新曲を仕上げることができた。

 この頃のジョンとポールはともにカササギのように、他のひとが書いた曲で気に入ったところがあれば何でも拾い集めていた。「ウーウー」はアイズリー・ブラザーズの「ツイスト・アンド・シャウト」からもらった。とくにジョンは、こういう唸ったりわめいたり、言葉になる手前か、言葉を超えた意味のない音を好んだ。エルヴィス・プレスリーの「恋にしびれて」を聴いてジョンが最初に考えたのは、「アーハー」と「オーヤー」と「ヤー・ヤー」の全部を同じひとつの歌のなかで聴いたことはそれまでにない、ということだった。

(略)

 四日後、ビートルズはアビー・ロードのEMIスタジオに行き、新曲をレコーディングした。(略)

少女たちの集団がどうやってか正面玄関からなかに入り、自分たちのアイドルを探して建物のいたるところを駆けずり回った。(略)

 その間、歌詞を書いた紙を譜面台に置きながら、EMIの録音エンジニアを務めるノーマン・スミスはちらりと歌詞に目をやった。「(略)『シー・ラヴズ・ユー、ヤー・ヤー・ヤー。シー・ラヴズ・ユー、ヤー・ヤー・ヤー。シー・ラヴズ・ユー、ヤー・ヤー・ヤー』ときた、『なんだって、これでも歌詞か?この曲ばかりは好きになれそうもない』と思った」。

(略)

ジェフ・エメリックは、侵入したファンの巻き起こした興奮がバンドの演奏に乗り移り、とりわけリンゴとジョージから、それまでにないエネルギーと創意が閃いたように思った。演奏を聴いて、それまで半信半疑だったノーマン・スミスは、勘所をすぐさま摑んだ。「ビートルズが歌い始めたとたん――ガーン、わあ、これはすごい。わたしはミキサールームで跳ね回った」。

 エメリックも心を奪われた。「あそこまで強烈な演奏はそれまで聴いたことがなかったし、その後もほとんど覚えがない。今もあのシングルは、ビートルズの全キャリアのなかで最もひとを興奮させる演奏のひとつだと思う」。

ロネッツ

 一九六四年一月、ロネッツは初の英国ツアーを控え、ロンドンに到着した。ツアーの前座は(略)ローリング・ストーンズ(略)

ロネッツビートルズの名声については知っていた(略)曲はまだ聴いたことがない。ビートルズの三人はというと、ロネッツの色っぽく艶かしい声と引き締まった身体の線にすっかり夢中だ。

(略)

 ロネッツのレコード(略)に合わせてみな踊り始めた。(略)三人はビートルズアメリカで流行中の最新のダンスの振付――ポニー、ジャーク、ニッティ・グリッティー――を教えて楽しんだ。いつもならダンスには尻込みしがちなジョンが、ロニーには熱心に教えを乞うた。「(略)すぐにわたしが好きなんだとわかった」。

(略)

 夜が更けるにつれて、ジョージと[ロニーの姉]エステルはみなが踊っている部屋から姿を消し、ロニーも家のなかを案内しようというジョンの誘いに乗ることにした。

(略)

ふたりはようやく誰もいない部屋を見つけた。一緒に腰掛け窓に座り、「灯りと塔がどこまでも続くように見えるおとぎの国」の景色を眺めるうち、雰囲気はさらに親密さを増す。

「あなたはどんな気持ち?」とロニーが訊ねた。

「うん、隙間風が入ってくる、それにこの腰掛け窓のせいで尻が痺れてきた」

「そういうことを訊いてるんじゃないの。有名になって、どんな気持ちかってこと」

(略)

「じつは何も変わらなかった?」

「いいや。おれたちの思ったとおりだった――何もかも変わった。運転手付きのリムジンは手に入ったし、もうジャムサンドなんか食ってない。考えただけで戻したくなる」

(略)

「ジョンがもたれかかってキスし始めたとき、数秒の間フィルを忘れたことは白状しなくてはならない(略)それまでわたしはフィルも含めて男の人の唇にキスするくらいしかしたことがなくて、恋がすべてで、セックスはまだ謎だった。(略)」。キスをしながら、ジョンが「両手を動かし」始めて、「わたしの身体にそんなところがあるなんて思いもよらない場所」に触った。(略)[ベッドに]進もうとしたが、その瞬間にフィルのことがロニーの頭をよぎり、いきなり足を絨毯に食い込ませて踏ん張ったので、ジョンは勢い余って床の上にひっくり返った。「パーティーに戻りましょうか?」とロニーは訊いた。

 エステルとロニーはジョージとジョンと何度かダブルデートをくりかえした。(略)ふたりはアメリカの歌手やミュージシャンについてもっと話を聞かせてほしいといつもせがむ。「テンプテーションズのことを教えてくれよ!(略)ベン・E・キングって、本当はどんな感じなの?」

(略)

 [月末近く、やってきた]フィル・スペクターは、「男たちがこぞってロニーに色目を使うので、ひどくピリピリしていた。(略)その場にいる男は全員ロニーをじっと見つめている。なんといってもエキゾチックだろう。それにアメリカ人だからね!」

(略)

ジョンがロネッツアメリカに向かう飛行機にビートルズと一緒に乗るように誘ったと聞かされて、フィルの嫉妬心はいっそう激しく燃え上がる。(略)

ロニーは(略)母親にその話を切り出すように頼んだのだった。

 「わかるでしょう、フィル、娘たちがビートルズと同じジェット機で帰国したらいい宣伝になるわよ」

「いや、チケットはもう手配してあります」

 ロネッツは翌日、ビートルズとは別の飛行機でニューヨークに戻っていった。

(略)

[脚注]

結婚してまもない一九六八年、フィルはロニーの二十五歳の誕生日に車をプレゼントするが、自分が一緒のときしか運転はするなと言い張った――あるいは(略)自分にそっくりの(略)プラスチック製の人形を乗せろと言う。「それなら(略)君にちょっかいを出す奴はいないだろう」(略)年を経るごとにフィルの嫉妬は増していく。ロニーを家に閉じ込め、鉄条網を巡らせ、番犬を飼い、逃げ出さないように靴を取り上げた。しかも、万が一逃げようとしたら殺すと脅した。(略)「棺桶も買った。純金だよ。蓋はガラス張りにしてあるから、あいつが死んでからも見張っていられる」。

(略)

自宅に戻り、ビートルズJFK国際空港到着を報じるテレビ番組を観ていたロニー(略)「(略)ビートルズに続いてフィル・スペクターが飛行機から降りてくるのが映って、わたしは気を失いそうだった。フィルを絞め殺してやりたかった!」

 言葉巧みにビートルズの乗る飛行機に搭乗したスペクター(略)「イカレ帽子屋に負けないくらいイカレてるよ」とリンゴは語る。「……なにしろ『アメリカまで歩いていく』んだから(略)飛ぶのが怖くて怖くて、じっと座っていられない。(略)奴が飛行機の通路を端から端まで行ったり来たりするのをずっと目で追った」。

(略)

 ジョンとジョージはわざわざロネッツの名をホテルの警備員に伝えておいた。(略)ロニーが遊びに出かけている間、フィルはスタジオで忙殺されていた。

(略)

 エステルとロニーはジョージとジョンと一緒に床に座り、レコードを聴き、おしゃべりをした。外が暗くなってくると、初めからそこにいた客の多くは帰り始め、大勢の新しい客が入ってくるのにロニーは気づいた。ほとんどはとても短いスカートを穿いた若い女性である。「天才じゃなくても、それから何が起ころうとしているのか、察しはついた」。

(略)

 残っていた客が群れをなして寝室のひとつに向かう。ジョンがロニーの手をつかんで言った。「おいでよ、すごく面白いものを見たくないかい?」

(略)

全員が円になって集い、男がひとり椅子の上に立って(略)中心で起きているものを撮影している。(略)

「あんなにすごいものを見たのは生まれて初めてだった。女の子がベッドに横になって、ビートルズの取り巻きのひとりがその子とセックスしていた(略)見世物にされても気にしない様子。(略)あらゆる体位でセックスする」のにカメラマンがシャッターを切り続ける。ロニーにとって、それは教育だった。まだ処女だったし、それに用心のためにベッドでは必ず下着をつけるようにしていた。基本的なやり方は知っていたけれど、「シックスティナインとか、他の変わったやり方はひとつも知らなかった。これは一九六四年の話で(略)生身の女の子が裸で、ありとあらゆる体位でセックスしている!あの光景はどうしても忘れられない」。

(略)

 フロアショーが続く間に、ジョンは(略)自分の膝の上に座るように促した。ジョンが興奮していることは手にとるようにわかった。「あの頃のわたしはうすのろだったかもしれないけれど、男の膝から立ち上がるべき時はわかっていた」。ロニーは部屋から出ていった。

 ジョンはロニーを追いかけ、ふたりはジョンの寝室に入った。ジョンは摩天楼の並ぶマンハッタンの空を指さし、ロンドンで一緒に窓の外を眺めたことを覚えているかと訊ね(略)うなじを両手で撫でた。

(略)

フィルとのことは全部知っているとジョンが言った――「君とおれの間にも何かあってもいいかなと思っただけさ」。ロニーが立ち上がる。あなたと音楽の話をするのは好きよ、とロニーは言った。「でも男の人が恋人というより兄弟みたいに思えるときがある。(略)ジョン、あなたが大好きよ。でも、あなたが望んでいるような意味ではないの」

 ロニーが部屋を出ていくと、ジョンはロニーの背後で乱暴にドアを閉めた。ところが翌日電話をかけてきたとき、ジョンはまるで何もなかったかのような口ぶりだった。今夜、暇かい?

次回に続く。