ビートルズの時代 その2

前回の続き。

エドサリヴァン・ショー」

 一九六三年の大半、ビートルズは(略)アメリカでは無名だった。ブライアン・エプスタインもビートルズ自身も全米デビューのタイミングを誤らないように用心した。クリフ・リチャードに起きたことを目の当たりにして、同じ轍を踏むまいと心に決めた。「大勢の英国人アーティストが大西洋を越えて、泣かず飛ばずに終わった」

(略)

 十月三十一日(略)エドサリヴァンが、人材を発掘するためヨーロッパ大陸を巡ったあと、ヒースロー空港に降り立った。(略)悲鳴をあげる数千の若い娘たちがまず目に入り、何事かと思う。(略)返ってきた答えは「ビートルズですよ」。

 サリヴァンは飲み込みが早い。自分の番組に出演させるつもりで、ブライアン・エプスタインに連絡をとった。クリフの幻影が記憶に新しいエプスタインは、アメリカ遠征は絶対に失敗しないようすでに計画を立てていた。(略)

エドサリヴァン・ショー」のプロデューサーで司会者の義理の息子ボブ・プレクト(略)はぜひビートルズには出演してもらいたいが、目新しいもの、イギリス出身の珍品としてしか見ていない。他方、エプスタインはビートルズをなんとしてもその日のメインゲスト、スターとして登場させたかった。エプスタインが最終的にまとめ上げた契約は見事な妥協の産物だった――ビートルズは二週続けてメインゲストとして出演するが、ギャラは雀の涙の七千ドル。(略)およそ五万ドルの営業損失をこうむる

(略)

[のちのCCR]トムとジョンのフォガティ兄弟(略)「おい、ぼくらにもできるよ。このイギリスの連中にロックンロールがやれるなら、ぼくらにだってやれるさ」

(略)

 十三歳のトム・ペティ(略)「これならいける。(略)友だちを集めれば、それでちゃんと成り立つんだ。あとは音楽をやればいい」。数週間のうちに、近所のいたるところのガレージでいくつものグループが演奏を始める。

 クリッシー・ハインドは十二歳(略)「まるでセックスみたいだった、セックス抜きのセックス。自分がどこに座っていたか、はっきり覚えている。すごかった。地軸がずれたみたい(略)小さな処女で大人になりたくなくて(略)そういうわたしに一種の性感が拓かれた。より観念的な途だった。(略)」。

[翌日学校に行くと]男子生徒全員が額に前髪を下ろしていたので、クリッシーも同じことをする。「それから二度とカーラーを巻かなかった。櫛でまっすぐ梳かして、おかっぱにした」。

(略)

 十四歳のビリー・ジョエル(略)「四人はそこらにいる労働者階級の家の子供たちみたいに見えた(略)ジョン・レノンは『エドサリヴァン・ショー』でもこんな顔つきをしてたよ。『お前らみんないけすかないな。こんなのおれには何の関係もない』って」。ビリーはそのときそこで自分の運命を知った。「あの瞬間自分に言った、『こいつらを知ってる。こいつらのことは自分のことのように感じる。おれもこいつらと一緒だ。これがおれのやりたいこと。おれはこれがやりたい。あいつらのようになりたい。(略)ロックバンドで演奏する』」。

階級社会

アメリカ初のコンサート[後](略)イギリス大使館に迎えられ、そこで別の形のヒステリーが起きる。

(略)

夜会服に身を包んだ紳士淑女で溢れ(略)興奮と好奇心、軽蔑の入り交じる奇妙な目つきでじろじろ四人を見つめた。

 「上流階級の馬鹿息子を絵に描いたようなのが大勢いてね、ぼくらがそれまで会ったこともない人種だった」とポールは回想する。

(略)

[四人がサインをしていると]ジョンを見つめながら、ひとりが聞こえよがしに言った。「ごらん、字が書けるじゃないか!」(略)他の三人は凍りつき、ブライアン・エプスタインも同様。みなジョンがお返しに拳固をお見舞いしても少しもおかしくないと思った。そうはせず、ジョンはサインを拒み、大使館員が(略)「サインくらいしたっていいだろ!」と怒鳴っても知らんぷり。

 それほど我の強くないリンゴは片っ端からサインしていく。(略)謎の襲撃者が鋏を取り出し、リンゴの髪を切り取りはじめた。

 新たに語られるたび、事件は次第に寓話の様相を帯びる。

 リンゴは、犯人は男性と信じて疑わない。(略)咎められ、男は「おや、なんでもない……くだらん、くだらん」と答えた。それに対してピーター・ブラウンは、「夜会服姿の女性がパーティーバッグから爪切り鋏を取り出し、リンゴに制止する間もあたえず、娘へのお土産に髪を切り取った」のは間違いないと言う。

(略)

 ジョンは「ろくでもない人でなしがリンゴの髪を切った。おれはその場にいた全員に悪態をついて、そのさなかに立ち去った」と思う。しかしポールによると犯人はたしかに複数いて、ビートルズの四人全員が標的にされたのは間違いない。「女の子たちがぼくらの髪を切り取りたがっていたのを覚えている。そんなことをされてはたまらないから盛大に肘鉄を食らわした」。

(略)

[シンシア・レノンは]最初の自伝『ツイスト・オブ・レノン』で(略)この挿話を階級間の戦争として描く。「正真正銘の英国在留社交界は、最悪の英国上流階級にしかできないようなやり方で、ビートルズを奇形のようにあつかった。鋏はパーティーの主催者が用意していた。『まあ、あなたはどのビートルなのかしら?髪を少し切らせてもらって、寄宿学校にいる娘に送っても、ねえ、あなた構わないわよね?』

(略)

 ホテルに戻る車のなかで、エプスタインは四人に、二度と公式行事に無理やり連れ出したりしないと約束した。

髪型考

髪型自体の起源はどこにあったのだろうか?(略)[スチュの恋人]アストリット・キルヒャーは、それは自分のしたことだと言うこともあれば、それを否定することもある。「(略)馬鹿げてる!ドイツにはあの髪型の男の子が大勢いた」。

 アストリットが半年前に(略)スチュの髪をおかっぱにしたのは間違いない。ピート・ベストは、ジョンとポールがふたりしてそれをからかったことを覚えている。

(略)

[ニール・アスピノールがドイツ帰りの]「ジョンを迎えに行くと、前髪を下ろしていた。でもこれは何かあるなと思ったのは、ポールを迎えに行ったときだ。ポールも前髪を下ろしていただけではなくて、なんと家からスキップしながら(略)出てきて、髪を指さしている(略)それで我々も気がついた」。ポールはみなに「お前の髪、変になったな」と言われたのを覚えていて、それにポールとジョンは「いや、これが新しい流行さ」と答えた。

 そして、そうなった。一九五〇年代、英国の若者たちはヘアクリームをべったり塗った髪をオールバックにして、それを憂鬱な都会風と思った。(略)

二年もしないうちに、ビートルズの髪型は自由と若さの新時代のシンボルとなり、その結果、いくつかの学校や機関、国家では規則や法律によって禁じられた。

(略)

 数か月のうちにその熱狂はアメリカに広まった。(略)

ジョージ・マーティンはいい大人がビートルズのかつらを被って五番街を歩く姿を目撃したのを覚えている。(略)ニューヨークだけで一台二ドル九十八セントのビートルズのかつらが一日に二万台売れた。

 その頃、十四歳のブルース・スプリングスティーンは(略)レコード売り場に入り、『ミート・ザ・ビートルズ』を見つけた。それは(略)「史上最高のアルバムジャケット(略)まさにおれのしたいことだった。(略)

あの髪型……あの髪型ときたら。(略)衝撃を受けた。ラジオでは四人の姿が見えない。あの影響をいま説明するのは不可能に近い……あの髪型の影響は」。

 ブルースはすぐさま自分の髪型をビートルズみたいにした。そんなことをすればどうなるかはわかっていた。(略)「寄ってたかって貶され、侮辱され、危ない目に遭い、爪弾きにされ、よそ者扱いされるのを受け入れなければならない」。父親は息子のしたことを見て、「最初は笑った。(略)そして怒った。最後に厳しい質問をぶつけてきた。『ブルース、お前、おかまか?』」

 同じ年頃の仲間の大半も、容赦ないことにかけては父親と少しも違わない。それでもひとりかふたり、ブルースと同じように、ビートルズのためなら世間の嘲りなど撥ねのけようと覚悟を固めた者もいた。

(略)

 この頃になると、ビートルズの専属美容師レスリーカヴェンディッシュ自身が有名人になっていた。(略)自伝『カッティング・エッジ』まで著し

(略)

意外にも、最もとっつきにくかったのはリンゴ(略)

ポールはいつでも大らかで、感謝の気持ちを忘れない。ジョージは誰より髪が多く、「少なくともポールの倍はあった」けれども、髪を切ってもらう最中はほとんど口を利かず、終わってから「ありがとうと行儀よく」言う以外には何も言わない。ジョンは扱いづらい「これまで手がけたなかで、たぶん最悪の客」――というのも、少しもじっとしていないから。

(略)

 後年、ジョンは散髪にオノ・ヨーコを立ち会わせるようになった。

 

 正直言って、わたしはヨーコのとりとめのないおしゃべりの半分も理解できなかったが(略)[ジョンも同様で](略)次第にヨーコに苛立ちを募らせる。

「何が言いたいのかわからないよ!」(略)

「聞いていないからわからないのよ」とヨーコがジョンを高慢ちきな坊や(略)扱いして、からかうように答える。驚いたことに、それでもジョンは怒るどころか、ますますヨーコが恋しくなるらしい。だいたい誰と話していても、会話の主導権を握るのはジョンだった。ところがここで初めて、わたしはこの気の強い小柄な女性がジョンとの会話を完全に支配するのを見た。

リンゴのドラム

 リンゴにかかるとなぜかうまいことに不運が強みに変わる。(略)

[祖母に左利きを矯正され]右利き用のドラムセットにねじ曲げられた左利きの本能で取り組んだのが独特のドラミングを生み、そのせいで無数のトリビュートバンドが真似しようとしていまだにうまくいかずに困っている。

 リンゴのドラムは決して派手ではない。誰にも気づいてもらえなくても、曲を引き立てられればリンゴは満足する。(略)

[ジェフ・エメリック談]

「正直に言って、リンゴとは一度も記憶に残るような会話をした覚えがない」――けれども、リンゴのドラムがグループの創造性に刺激をあたえるのを耳にしてしばしば驚いた。「ビートルズが九時間も十時間もぶっ続けに同じ曲を演奏するのを聞かされるのはひどく退屈で、気が滅入る。とくにドラッグが効いてくると脱線して演奏は拙くなるいっぽうだ。興味深いことに、そういう長ったらしいジャムセッションでは、演奏を新しい方向に引っぱっていくのはたいがいリンゴだった――同じビートをいつまでも続けるのに飽きて、リンゴが叩き方を変えると、ときどき誰かがそれにつられて演奏の仕方を変える」。

(略)

グレアム・ナッシュもリンゴのドラムは過小評価されていると感じる。「リンゴが奏でるのは心臓の鼓動だ、その音がわたしは好きだ。優れたドラミングの秘密のひとつはそこにある、なぜなら(略)ひとは懐胎されると、まず母親の心音を聞き、それがその後の人生のリズムを定める。(略)人と人として繋がりたいと思ったら、音楽のなかで最も重要なのは心音だ。しかもそれはじつに微妙なもので(略)ビートルズはリンゴを得て、じつに幸運だった」。

ジュリアを殺した男がファンレターを配達

 エリック・クラーグは郵便配達員だった。一九六四年は毎日一袋分のファンレターをリヴァプールの[ポールの家がある]フォースリン・ロード二〇番地に届けた。(略)

ビートルズが人気絶頂の頃は、何百通もの葉書や手紙をお宅に配達したものです」(略)

 六年前、クラーグはリヴァプール警察の新人巡査だった。

[非番の日、仮免で女性をはねてしまう。制限速度で走行していたとクラーグは主張]

目撃者の証言はこれと異なるが、陪審はクラーグを信じることにした。(略)偶発事故の評決が下され、エリック・クラーグは放免された。

 ミミはクラーグに向かって杖を振り回した。「本当に怒り狂っていた……あの卑劣漢め……もし手が届いたなら、殺していたものを」。

(略)

 クラーグは停職処分となり、その後まもなく警察を退職した。それから郵便配達員となり、市内のアラートン地区で日々の配達業務に携わることになった。

 クラーグの素性は誰も知らなかったけれども、「サンデー・ミラー」紙の記者が一九九八年二月に探り当てた。そのときまでクラーグは、ジュリア・レノンの死に関与したことを誰にも話していない。

 「これまでずっとその記憶につきまとわれてきました(略)そのことを考えずに一週間が過ぎることはめったにありません。ビートルズが有名になってからというもの、いつかこのことが知られる時が来ると覚悟していました。正直言って、ずっと怖かった。(略)レノン夫人はわたしの車の前にまっすぐ走り出てきたのです。どうにも避けようがなかった。スピードも出していなかった、本当です。(略)あとになって、母親の死がジョン・レノンにどれほどひどい打撃を与えたか書かれたものを読みました。そのことについては、心から申し訳なく思います。しかし、先ほどお話ししたとおり、あれはどうしようもない事故だったのです」。

ローリング・ストーンズ

[『ハード・デイズ・ナイト』のプレミア上映レセプション]

ブライアン・ジョーンズキース・リチャーズは、招待されてもいないのに挑発するつもりかタートルネックの軽装で会場に潜り込んだ。「史上最大の押しかけじゃないか?」とブライアン・ジョーンズはにやにや笑った。

(略)

[近くのクラブにくりこみ、午前4時過、最後に残ったのは二人とジョン]

ジョンが長居するつもりなのは明らかで、スコッチ・アンド・コークのグラスを次から次に空にする。(略)「グラスを、まるで押しつぶそうとするかのようにぎゅっと握っていた。目つきは険しく、鋭く、少しも笑っていない。(略)」。

 夜が更けるにつれ、ジョンは目の前にいるローリング・ストーンズの二人が好きになる。「お前らが好きだ、初めて聴いたときから好きだった(略)だけど、お前らどこかおかしくないか?グループのなかにひとり、他の連中ほど上手くないのがいる。誰なのか見つけて、追い出せよ」

 話題は音楽に移る。ストーンズが本物のリズム・アンド・ブルースをやっているのに、ビートルズは売り物のポップ音楽をやっているだけだとジョーンズとリチャーズが主張する。これはジョンの泣き所だった。ジョンはいきなり話題を変える。

 まずジョーンズを見る。「お前の髪はまともだ」と言った。それからリチャーズを見る。「お前の髪はまともだ」と言った。それから不在の友人たちのほうを見る。「だがな、ミック・ジャガーはだめだ。お前らもわかってるな、奴の髪はまともじゃない」

(略)

ジョンが言う。「もう一年すれば、金が溜まって、こんなのおれはもうやめる」

「もう一年すれば」とブライアンが言う。「おれたちだってそこまでいってるさ」

ジョンが難しい顔をして、煙草を一服した。「そうか」と言う。「だがな、そこってどこだ?」

(略)

両者が初めて会ったのは一年余り前のこと(略)まだパブで演奏していたストーンズに対し、全国ツアーのトリを務めるビートルズがはるか先を行っていた。

 一九六三年五月の第一週、ジョージ・ハリソンは(略)タレント発掘コンテストの審査員に招かれ、もうその頃には「ビートルズを蹴った男」として広く知られたディック・ロウと同席した。ロウはジョージに、失敗を悔やんで今も自分を責めていると言った。ジョージは鷹揚に、なにしろオーディションでの自分たちの演奏はひどかったから、ロウの判断はおそらく正しかったのだろうと答えた。(略)

コンテストに出たタレントにロウが失望していると気づき、ジョージは毎週日曜にリッチモンドでライブをしている素晴らしい新人グループのことをこっそり教えた。数日のうちに、ロウはかれらと契約を結ぶ。(略)ビートルズは、ストーンズがデッカと結んだ契約のほうが、自分たちとEMIのものより条件がよいと知って悔しがる。ビートルズはまもなく負け犬が勝ち犬になりはしないか、気を揉み始める。それからというもの、両者の友情にはつねに刺々しさがつきまとう。

(略)

 ジョンは比べられると次第に苛立ちを募らせる。「マージー・ビート」誌の編集長ビル・ハリーは、「ストーンズが粗削りと盛んに持ち上げられるのを見て、ジョンは頭に来た」と回想する。「ジョンはストーンズの連中がロンドン郊外に住む中産階級の出で、革ジャンを着た不良少年なんかではないことを知っていた。ビートルズハンブルクで悪態をついたり娼婦とじゃれたりしてた頃、ストーンズの連中は洒落た学校に通っていた。ジョンはそれが嫌だった。嫌でたまらなかった」。

(略)

ジョンは、ローリング・ストーンズビートルズのアイデアを盗むのが気に入らず、憤懣やる方ない。(略)

仕事をしたグリン・ジョンズから、ビートルズの新曲のタイトルのひとつは「レット・イット・ビー」と聞かされて、ストーンズは新しいアルバムを『レット・イット・ブリード』と名づけた、等々。(略)

「おれたちがやったあれこれ全部ひっくるめて、リストにして見せてやりたいよ。ミックはまるで同じことをする。おれたちを真似るんだ。『サタニック・マジェスティーズ』は『ペパーズ』じゃないか!『この世界に愛を』だって、ふざけるな!あれは『愛こそはすべて』だろ」。

(略)

ジャガーの住まいは(略)セント・ジョンズ・ウッドのポールの家まで歩いていける。ふたりはときどき顔を合わせたけれども、それはいつでもジャガーがマッカートニーの家を訪れるのであって、その逆ではない。

[マリアンヌ・フェイスフル談]「(略)いつもミックがかれの家に行く、だって相手はポール・マッカートニーだから、こっちから向こうに行く。ポールがわたしたちのところに来たことは一度もない。ミックがポールをどう見ているのか、ポールのことをどう思っているのか、わたしはずっと興味津々だった。ライバル意識はつねにあった。ポールのほうからはない、ちっとも。ポールは少しも気にしていないのに、ミックのほうはそうはいかない。面白かった。テレビでゲームを見ているみたいだった」。

(略)

キース・リチャーズはよくジョンをけしかけた。(略)

「頼むから、ギターを顎から少しは下げてみろよ。ヴァイオリンじゃねえんだから」。「もっと長いストラップにしてみろよ、ジョン。ストラップが長けりゃ長いほど、うまく弾けるぜ」。「お前がスウィングしねえわけだよ、わかるか?ロックするだけで、ちっともロールしねえわけだ」。時が経つにつれて、ジョンのストラップがこっそり、だがじわじわと下がっていくのを見て、キースはほくそ笑んだ。

ディランとマリファナ

[ディランが]ジョイントを巻き始めたが、意外にもぶきっちょだった。(略)

火を点けて、ジョンに回すと、そう思われたい姿よりつねに用心深いジョンは、自分では喫わずに――「お前やれよ!」――リンゴに差し出す。これを見て、アロノウィッツは「ビートルズのグループ内の力関係」を瞬時に見抜いた。「明らかに、リンゴがトーテムポールの一番下にいる」。

 「リンゴはおれの忠実な毒味役なんだ」

(略)

 ポールはひどくがっかりした。「五分ばかり『なんにも起こらないな』とか言って、どんどん吸い続けた」。いきなりリンゴがくすくす笑いを始めた。それが周りに伝染する。「リンゴの笑い方があんまりおかしいので、他のみなもヒステリックに笑うリンゴがおかしいと言ってヒステリックに笑い始めた。そのうちにリンゴがブライアン・エプスタインを指さし、ヒステリックに笑っているのがおかしいと言うので、ぼくらもみなブライアンの笑い方がおかしいと言ってヒステリックに笑い出した」。

 アロノウィッツはエプスタインが、「ハイになりすぎて天井に届いた」と何度もくりかえしたのを覚えている。それからエプスタインは鏡に映る自分の姿を見つめ始め、「ユダヤ人、ユダヤ人……」と言い出した。

(略)

「一列に並べた五脚の椅子にファブ・フォーとマネージャーのブライアン・エプスタインが、すっかりマリファナが効いた状態で座っている。ときどき、列の端に立つ男が一番近くにいるビートルを押して椅子から落とすと、ドミノのように次の者が椅子から転げ落ち、最後にブライアンが床に崩れ落ちてこらえきれずに笑うと、それを見て全員が笑い出す。とても現実とは思えない光景だが、最初に押すのがボブ・ディランとなると、ますます奇妙に思えた」。

 そのうちにポールが人生の意味を見いだしたと思い込み(略)マル・エヴァンズに(略)自分の口から出る金言を書き留めるよう指示した。電話が鳴るたびボブ・ディランが受話器を取り、「こちらビートルマニア」と答える。

(略)

 ディランの訪問がビートルズにおよぼした影響は深く、また長く尾を引いた。二か月後、ビートルズは「シーズ・ア・ウーマン」をレコーディングした。この曲にはジョンの書いた「ぼくが寂しくなったら気分を晴らしてくれる(turn me on)」という歌詞が含まれる。『ヘルプ!』の撮影に入る一九六五年二月頃には、ジョンによると四人は「朝食にマリファナを喫い(略)目は潤み、のべつまくなしにくすくす笑う」状態だった。六月にレコーディングした「イッツ・オンリー・ラヴ」の歌詞には、ディランが聞き違えた言葉Ⅰget high がそのまま使われた。

 それ以来、ドラッグに触れる歌詞が、riding so high (大喜びしている/麻薬が効いている)(「涙の乗車券」)、find me in my field of grass (草原/マリファナ畑でぼくを見つけて)(「マザー・ネイチャーズ・サン」)、because the wind is high,it blow my mind (風が強いからぼくの心を吹き飛ばす/麻薬が効く)(「ビコーズ」)など、次々に転がり出る。歌詞が書かれた当時、その多くは誰にも気づかれずにすんだ。明るく陽気な「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」の優しく、愛情のこもった歌詞「君がいなけりゃ一日もやっていけない」と「君と一緒のときはあそこにいたい」はじつはマリファナ賛歌とポールが告白したのは、何年も経ってからのことである。『サージェント・ペパーズ』のレコーディングに取りかかる頃には、ドラッグに一言も触れない曲を探すほうが難しくなった。

(略)

[ジョンはディランに憧れ]声はますます擦れ、態度は皮肉っぽくなり、歌詞は意味がわかりにくくなった。(略)

ある曲のレコーディング中、ジョージ・マーティンがジョンに、もう少しボブ・ディラン風に聞こえないようにやれないかと頼む羽目になった。「ジョンはわざとそうしているわけではなかった。まったく無意識にそうしていた」。

墜落寸前

 一九六五年八月二十一日土曜日の午後十時、二度目の全米ツアーの第一週、ビートルズは(略)ポートランドに向かった。(略)

ツアーを取材中のラリー・ケイン(略)「翼の発する明るい光のようなものに反応して瞼がぱっと開いた。(略)焰が、翼の右エンジンから噴き出していた」。

(略)操縦室のドアを激しく叩くが応答なし。飛行機は自動操縦で飛んでいて、操縦士と副操縦士は客室の最後尾でポール、ジョンと歓談中。ケインはそちらに向かって急ぎながら、大声で「右のエンジンが燃えているぞ!」と怒鳴る。たちまち乗客全員がパニックを起こした。

(略)

[ジョンは]「畜生、畜生、畜生」と言うや後部の非常ドアに駆け寄り、ハンドルを力任せに引っぱり始めた。ケインはジョンに組みつき、「気でも狂ったのか?そんなことをしたら、みんな死ぬぞ」と(略)押し退けようとする。そのとき飛行機は高度六千七百メートルを飛行中だった。

 ところがジョンは理屈を前に怯むような男ではない。もう一度非常ドアめがけて突進するが、今度は屈強なマル・エヴァンズが立ちはだかって事なきを得た。

 その頃には操縦士がコックピットに戻っていた。飛行機は(略)残りのエンジンだけで目的地に支障なく着陸できると機内放送が流れた。「くだらねぇ!」目をぎゅっと閉じてジョンが叫ぶ。

 三十分後、飛行機はポートランドに着陸し、待ち構えていた消防士たちが機体を泡の海ですっぽりくるむ。飛行機の乗客全員が(略)「もう二度と飛行機には乗らない」と誓ったのをケインは覚えている。ところが二日後、全員がふたたびロサンゼルスに向かう飛行機に乗らなければならない。訪問先ではエルヴィス・プレスリーに会うことになっていた。飛行機に乗り込もうとして、リンゴが楽しそうに「六五年も生きていようぜ」と言った。

 八か月後、同じチャーター会社の運行するエレクトラ機がオクラホマ州アードモアで墜落し、訓練を終えて帰郷する兵士七十八名、乗務員五名が死亡する。そのうち三名――操縦士とエンジニア二名――は、危うく難を逃れたポートランド行きの便にビートルズと乗り合わせた人々だった。

エルヴィス

 いよいよその日が来ると、両陣営とも神経を尖らせる。(略)

バーロウはビートルズの四人の緊張が次第に高まるのに気づく。

(略)

[ついに対面]

数秒の間(略)沈黙に包まれる。プリシラは四人が緊張していると感じる。「(略)四人がとても恥ずかしそうにしているのに驚いた。(略)アイドルに初めて会う子供たちのようだった。とくにジョン――エルヴィスを見て、恥ずかしそうにおどおどしていた。(略)」。(略)

エルヴィスが、「おい君たち、いつまでもそこに突っ立っておれをじっと見てるのなら、こっちは好きなことをさせてもらうよ」と言ったのを彼女は覚えている。

(略)

ふたりのマネージャーは部屋の隅で密談に忙しい。ブライアンはエルヴィスの英国ツアーをぜひとも企画したいが、大佐には仕事と遊びを混同しない信念がある。

(略)

エルヴィスはベースを取り上げ、ジュークボックスから流れる曲に合わせて弾き始める。テレビは点いているが、音量は絞ってある。ときおりエルヴィスがリモコンを取り上げ、チャンネルを切り替える。そのときポールは生まれて初めてリモコンというものを見た。「エルヴィスがチャンネルを切り替えると、ぼくらは『ひゃあ!いったいどうやったんですか?』という具合だった」。

 エルヴィスがビートルズのためにもギターを持ってこさせ、四人も演奏に加わる。ポールはエルヴィスとベースの奏法について語り合う。いささか散漫な会話が、ジョンの一言で色めき立つ。「昔みたいにロック調の曲をやらなくなったのはなぜ?」(略)最近のはあまり好きではないと言い添える。エルヴィスが近々またロックのレコードを作ると言う。「ああ、それはいいや」とジョンが言う。「それが出たら買うよ」。エルヴィスは当惑気味。(略)

のちにジョンは「LJBを全面支持」というスローガンが目に留まったと語る。ジョンはリンドン・ジョンソン主戦論者と見なす。エルヴィスに意地悪なことを言ってやろうという気になったのは、そのせいだろうか。

(略)

 ジョンはクルーゾー警部の滑稽な物真似を始めて、「こうでなぎゃいがん……どもだちずごじとちょっどばがじのおんがぐのあるざざやがなづどいだよ」とやる。エルヴィスは面食らった様子。しばらくすると、演奏する曲もなくなり、エルヴィスとビートルズの四人も先に遊戯室に行った仲間に加わる。(略)

ジョンはカーニバルの芸人をしていた若い頃の大佐の切った張ったのエピソードを楽しむ。ライオンと組み打つやり方、踊るニワトリが踊るのはホットプレートの上に置かれたときだけ、等々。「大佐には驚いたよ、いかさま博打もお手の物の本物の芸人さ(略)それにしてもエルヴィスときたら――まったく拍子抜けもいいところさ。ひどくぼんやりして、何かの錠剤かマリファナをやってたんだろう。(略)とにかく、まったく何にも興味を示さないし、話も通じなかった」。

(略)

 正面玄関から外に出ようとする四人に、エルヴィスが「テネシーに来ることがあったら、メンフィスでまた会おう」と声をかける。

 まだ滑稽な声音のまま、ジョンが大声で言い返す。「おんがぐをありがど、エルヴィス!ゼ・キング、万歳!」そしてエルヴィスに、翌日の晩ベネディクト・キャニオンの自分たちの宿泊先に来てほしいと言う。

 「さて、どうかな。行けるかどうか」とエルヴィスが返事をする。

 帰り道、ジョンはパーティーをまったくの期待外れと形容する。「くだらないのはどっちだ、おれか、それともエルヴィス・プレスリーか」。

(略)

[脚注]五年後の一九七〇年十二月三十日、ホワイト・ハウスを非公式に訪れたエルヴィスはニクソン大統領に、「ビートルズ反米感情を煽る重大な勢力です。(略)ビートルズはこの国にやってきて、金儲けをしてイギリスに帰り、そこで反米意識を広めている」と語る。(略)

プレスリーは、ビートルズは薄汚れ、乱れた身なりと思わせぶりな音楽で、若者たちの抱える問題の多くを起こす下地をこしらえたと考えると述べた」と公式メモにある。

LSD体験

 ジョージの歯はとくに治療を必要とした。キャヴァーン時代の写真を見ると、ひどい乱杭歯なことがわかる。(略)

[ジョン・ライリーの歯科医院に通ううちに友人になる]

[パティ談]

「どんな治療をするにもジアゼパムを静脈注射した。ビートルズの四人全員あのひとに診てもらって、それが普通のやり方なのだと思っていた(略)。わたしたちはぐっすり眠り、目を覚ましたときには何をされたか、ちっともわからない。あのひとがジョージの目を覚まさせようとして顔を平手で叩くのを一度見たことがある。不気味だった――わたしたちが気を失っている間に、あのひとは何だってできた」。

(略)

[夕食に招かれたジョン&ジョージ夫妻。クラウス・フォアマンの新しいバンドを見に行くという四人に強引に食後のコーヒーを勧めると]

「君たちは帰れない」とジョン・ライリーが言った。

「なんだって?」

「君たちは今LSDを嚥んだ」

(略)

パティによると、ジョンは「かんかんになって怒った(略)貴様、なんでおれたちにそんなことするんだ?」

 大波のようにLSDが効き始めた。シンディは時が止まったと思い、おまけに全員が溺れると思った。「ビスマルク号が沈没する!ビスマルク号が沈没する!」とシンディは何度も叫ぶ。(略)

[ジョージ談]「奴はあれを媚薬と思ったにちがいない。(略)盛大な輪姦にでもなれば、奴はみんなをやるつもりでいたんだろう。動機はきっとそれだ」。

(略)

[自分が送るというライリーの申し出を]四人は断り、パティのミニにぎゅう詰めになって乗り込み、出発した。パティは車が縮んでいるにちがいないと感じた。「走っている間ずっと車がどんどん小さくなって、向こうに着いたときにはわたしたちはすっかり車の外にはみ出していた」。

 四人はピクウィック・クラブのエレベーターによろけながら乗り込み、今度は小さな赤いライトを燃え盛る焔と思い込んだ。ドアが開くと、四人は悲鳴をあげながらクラブに転がり込む。ジョン・ライリーは車で四人のあとをつけてきた。ライリーは四人と一緒にテーブルを囲み、ブタになった。

 パティは訳がわからなくなった。「人々がジョージに気づいて、近づいてくる。焦点が合ったりぼやけたり、それから動物みたいに見えた」。(略)

[別のクラブに行くと]

ミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフル、そしてリンゴに出くわした。「ジョンがみなに麻薬を盛られたと話した。薬がどんどん効いてきて、わたしたちは全員ヒステリーを起こして、気が変になった。席につくと、テーブルが細長くなった」。

(略)

四人は家路に着き(略)冗談が次から次にジョンの口をついて出る。LSDは(略)駄洒落中毒には理想的なドラッグだ。

 LSDの効果が消えるのに八時間かかった。(略)

パティとシンシアが何もかも非常に恐ろしい体験と思ったのに、ジョージはそれで目を開かれたと感じた。「それまで一度もちゃんと味わったこともなければ、話したことも、見たことも、考えたことも、聞いたこともないみたいだった。生まれて初めて、無我の境地にいた」。そしてジョンは(略)最初のトリップから数週間のうちに、毎日LSDを口に放り込むようになる。

ミミ伯母さん

[ジョンの異父妹ジュリア・ベアード]は一九五六年、五十歳のとりすましたご立派な女は二十六歳年下の下宿人と肉体関係を持ったと主張し、ミミ伯母の「このうえない偽善」を告発する。

(略)

シンシア・レノンも容赦しない。「ミミ伯母は(略)ジョンの自尊心を叩きのめし、甥の心に怒りと傷を残した」。(略)知り合ってすぐに、わたしにはミミが俗物らしいとはっきりわかった。上流階級になりたがる中流階級、好んで使う言葉のひとつが『庶民』だった。(略)」。(略)

他のメンバーの家族はハンブルク行きを応援したのに、ミミは「ありとあらゆる手段に訴えて、ジョンが行くのを阻もうとした」。(略)

ドイツから戻ると、ジョンはシンシアにC&Aブランドのチョコレート色の革のコートをプレゼントした。「コートを着るととても贅沢な気分になって、早く誰かに見せたくてたまらなくなった」。ふたりは昼食にチキンを持参し、連れ立ってミミ伯母さんの家に立ち寄るが、伯母さんは嬉しそうな素振りも見せない。「ミミはコートを見て、ジョンがわたしに買ってくれたと聞くと、急に怒り出した。ジョンに向かって『ギャングの情婦』にお金を使ったわねと叫ぶと、まずわたしの手からもぎ取ったチキンをわたしに、それから手鏡をジョンに投げつけた。『これに全財産をはたいておいて、チキンでわたしのご機嫌をとれるとでも思うのかい?』とミミは怒鳴った。(略)[裏口から外に出ると]『ミミは金と猫のことしか頭にないのさ』とジョンは言った」。

(略)

ジム・マッカートニーは[キャヴァーンに]よく演奏を聴きに立ち寄ったし、ジョージの母親ルイーズも(略)息子たちを応援した。(略)

ミミはたった一度だけドアを開けてなかを覗き込み、ジョンが時間を無駄に費やしてきたのはどんな場所か確かめた。ルイーズ・ハリソンが離れたところから声をかけた。「あの子たち、すごくいいでしょう?」

「そう思ってくれるひとがいて、ありがたいわね」とミミは怒鳴り返した。「あんたたちがけしかけなければ、わたしたちは穏やかで素敵な暮らしができたのに!」

(略)

[演奏後、楽屋に行き]「とってもよかったわ、ジョン」と皮肉たっぷりに言うと、そのまま立ち去った。「ミミがそそくさと姿を消したので、ジョンは傷ついた」とシンシアは回想する。「ジョンはミミに自分を誇りに思ってほしかったのに」。

(略)

[ジョンが]初めてのシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」を(略)[聞かせると]「もしこれでひと儲けできると思うのなら、それは大間違いね」。(略)

[シンシアとの結婚を告げると]「ミミは悲鳴をあげ、怒り狂い、本当にそんなことをするなら、もう二度と口を利かないと脅した」。

 ミミ伯母さんが俗物ということに関しては、誰もが同意する。ロイヤル・ウースター製のディナーセット、革装版のサー・ウィンストン・チャーチル選集、そして雇い入れた庭師にみなが注目した。ミミはジョージのきついリヴァプール訛りが気に入らないだけでなく、ポールのことも快く思わず、ロックンロールのみっともない世界にジョンを誘い込んだと咎めた。

(略)

[成功後]他のメンバーの家族が息子たちの名声をいつまでも畏れ、憚っても、ミミ伯母さんだけはいつもモンティ・パイソンの映画『ライフ・オブ・ブライアン』に出てくる母親(略)と同じようにジョンを扱った。「あの子は救世主なんかではありません。とんでもない悪童ですよ!」

(略)

[ジョンがヨーコを紹介すると]

「端から見た目が気に入らなかった。長い黒髪が見境いなく広がって、それに小柄で――わたしには小人みたいに見えました。(略)

『ジョン、あのいやったらしい小人は誰なの?』(略)するとジョンが『ヨーコさ』と言いました。(略)『どうやって暮らしているの?』あの女は『わたしアーティストなんです』と言うの。わたしは言ってやりました。『それはずいぶんおかしな話ね、あなたのこと、わたしは一度も聞いたことがありませんけど』」

(略)

 ジョンは終生、ミミ伯母さんとの連絡を絶やさなかった。(略)

ハンター・デイヴィスは(略)「ビートルズになっても子供との関係があまり変わらなかったのは、おそらくミミだけ」と気づいた。(略)

ジョンが太ったと思えばそう言い、無駄遣いするなと注意する。

(略)

子供の頃のジョンはミミに叱られても、たまに褒められても平気な顔をしていたが、無視されるのは嫌でたまらなかった。「無視はしないでよ、ミミ」とジョンはよく言ったものである。

(略)

死ぬまでジョンは週に一度、ミミに長文の手紙を書き、「かれ自身(Himself)」と署名して送った。月に一度、電話で話すときには、わざときついリヴァプール訛りを使ってミミをからかい、かんかんに怒らせるのが好きだった。ニューヨークに暮らすようになってからは、ミミと過ごした子供時代を思い出させてくれる品々を欲しがるようになった。ミミ伯母さんは律儀に、ロイヤル・ウースター製ティーセットやクオリー・バンク校の制服のブレザーと縞模様のネクタイを郵送した。

(略)

[ジョンはダコタ・ハウスに引っ越してこないかとしきりに促したが]

「わたしがそんなところに行くわけないでしょう。アメリカ人はとにかくいけすかない。お前だって、そんなところにいると、ろくなことになりませんよ」。

 「ジョンは暇さえあればわたしに会いに来ます」とミミは一九六八年にハンター・デイヴィスに語った。「夏には四日間も屋根の上に座っていたことがありました。わたしはジョンのために昇り降りして飲み物を運びました。感情をあまり表に出さない子なんですね。ごめんと言うのが苦手なの。でもある晩、こう言ってくれました。たとえ毎日、いや毎月会いに来なくても、毎日どこにいても、伯母さんのことはきっと考えているって。わたしには、それがとても大きな意味のあることでした」。

 一九七九年、ジョンは従姉のレイラに宛てて昔を懐かしむ長文の手紙を書き送った――「今年のクリスマスは君のことをいろいろ考えた――夜、車が通り過ぎると天井に映る影――色紙の鎖を飾りつけて(略)イギリスに行くのが怖いくらいだ、だってそれがミミに会う最後の機会になるとわかっているから――さよならを言う段になると、臆病になってね」。ヨーコも、ダコタ・ハウスでティーカップを手に椅子に座り、猫を撫でているとき、「ジョンはいつもミミそっくりに見えた」と思った。

 ジョンの幼い頃、ミミは毎年クリスマスになるとリヴァプール・エンパイア劇場で上演される『長靴を履いた猫』を観に連れていった。ある年、雪が降り、ジョンは長靴を履いて出かけた。猫が舞台に登場すると、ジョンは立ち上がり、いきなり甲高い「ミミ、猫が長靴を履いてるよ!ぼくと一緒だね!」

(略)

[63年末ビートルズ]はリヴァプール・エンパイア劇場でクリスマスショーを催した。ミミ伯母さんはジョンの用意した最前列の席を断り、観客席の後ろに立っていた。

「(略)演奏するジョンを見て(略)初めて、ビートルズにどれほどの影響力があるか気づいたんです。群衆を押しとどめようと、騎馬警官まで出動していて(略)でも、ついこう思ってしまう。『いいえ、あの子は本当はビートルなんかではありません。以前わたしと一緒に二階席に座っていて、「ミミ、猫が長靴を履いてるよ!」と叫んだ、あの小さな男の子なのよ』ってね」。

ぼくらにとってジョンは上流階級の人間だった

十代のジョージとポールの目にジョンの家は上流階級のように映った。ふたりとは違い、ジョンは家族の持ち家の半戸建住宅に住み、その家には番号ではなく〈メンディップス〉という名前がついていた。それだけではまだ上流らしさが足りないと言わんばかりに、家からゴルフコースを見晴らせた。(略)シャム猫を飼い、しかも親戚にエディンバラの歯医者とBBCの職員がいた。それにジョンには、リヴァプール・インスティテュートでポールに書字と英語を教えた叔父もいた。

 ポールはそれに感じ入った。「ジョンにはハリエット叔母さんがいて、ハリエットなんて名前はぼくらには縁遠いし、とくにハリーと呼ぶなんてね!ミミなんて女の人も知らなかった。とても上品で、とても二〇年代、三〇年代風、ジャズ・エイジ風だよ。(略)長いシガレットホルダーを手にする姿が目に浮かぶ。(略)

ジョンが中流階級そのものなのを、誰もわかっていない。とても瀟酒な地区なんだよ。(略)実際、ジョンから一族がウールトンの村全部を所有していたことがあると聞いたことがある」。『ザ・ビートルズ・アンソロジー』ではポールはさらに数歩踏み込み、「ぼくらにとってジョンは上流階級の人間だった。(略)ジョンがすぐに『こん畜生!』と言って、『ワーキング・クラス・ヒーロー』って曲を書いたのは皮肉だよね――実際、労働者階級ではなかったんだから」。

 死の直前に受けたインタビューのなかで、ジョンは自分が実際に労働者階級の英雄だったことはないと認めた。

「ぼくは行儀も身だしなみもよい、郊外に暮らす子供だった。階級社会のなかでは、公営住宅に住むポール、ジョージ、リンゴより半階級くらい上にいたことになる。ぼくの家族には持ち家があり、庭もあったが、三人にはそんなものはなかった。だからぼくは三人と比べると、ある意味ちょっとした変わり種だった。リンゴただひとりが、本当の街っ子だ。リンゴが一番悲惨な地区の出だったと思うよ。(略)ぼくはいつも身なりもよく、栄養もたっぷり摂って、よい学校に行き、中流の下の階級の善良なイギリスの少年になるように育てられた」。中年になってジョンは(略)中流階級の出だったことが、ビートルズを他のグループと異なる存在にしたと考えるようになった。なんだかんだ言って、ジョージ、ポール、ジョンは揃ってグラマースクールを卒業している。「それまでロックンローラーはみんな(略)黒人で貧しかった。南部の田舎か、都会のスラムの出だよ。それから白人は、エルヴィスみたいなトラックの運転手だ。でもビートルズについて言えば、ぼくらはみんなかなりいい教育を受けていて、トラックを運転して暮らしを立てたことはない。ポールは大学にだって行けたろう。いつも優等生だった。試験にも合格した。博士号だって、ひょっとすると取れたかもしれない。ぼくだって、勉強していればできたはずだ。しなかったけど」。

(略)

ビートルズが初めてテレビ出演を果たしたあと帰宅したポールに、弟のマイケルはこう訊ねた。「どうしてあんなしゃべり方をしたの?まるで調子の狂ったジョージみたいだったよ」。(略)ポールは小学校の卒業試験でよい点をとり、リヴァプール・インスティテュートに進学し、一段上の社会階層に上ったことをからかわれた。「ぼくらの住んでる辺りからいい学校に通う子はあまりいなかった。ぼくは『カレッジとんま』と呼ばれていた。『ろくでなしのカレッジとんま』だとさ」。

フレッド登場

ある日のこと、ひとりケンウッドにいたシンシアが玄関のドアを開けると、見知らぬ男が立っていた。「小柄で柔らかそうな白髪頭のてっぺんが薄くなっている」。男はジョンの長く行方知れずの父親フレッドと名乗ったが、真偽は一目見て明らか。「髪は乱れ、浮浪者のように靴の踵は擦り減っていた――でも驚いたことに、顔はジョンと瓜二つだった」。(略)

なかに入って待つように勧め、孫のジュリアンを紹介し、お茶とチーズトーストでもてなした。(略)

 理由は不明だが、ほんの数週間前に父親と十七年ぶりに再会したことをジョンはシンシアに言いそびれた。ジョンが六歳のとき、フレッドは親権を巡りジュリアと激しく争った。それまでフレッドは船の客室係として働き、四年間航海に出ていた。帰国早々、商店のウィンドーを叩き割り(略)マネキンを抱いてワルツを踊っているところを逮捕され、刑務所で半年を過ごした。

 フレッドは刑務所から(略)ミミに手紙を送り、ジョンの人生に役立つ何がしかの役割を取り戻す手助けをしてほしいと頼んだ。ミミの返事は手厳しい。「あんたは自分の人生をめちゃくちゃにして、家族に恥辱と醜聞をもたらした。良識のかけらでも残っているなら、ひとりでニュージーランドに行って、過去のことはいっさい忘れなさい。まさか息子に自分が刑務所にいたと知られたくはないでしょう?」

(略)

[皿洗いをしていた]ホテルの同僚がビートルズのリーダーはレノンという名で、フレッドと瓜二つと教えてくれた。

 フレッドは何度かジョンに手紙を送るが、返事は来ない。そうこうするうち「デイリー・スケッチ」紙の記者に問い合わせたところ、特ダネの気配を嗅ぎつけた記者が長らく行方不明の父親と有名人になった息子を対面させようともくろみ、ブライアン・エプスタインと交渉に入る。そして一九六四年四月一日、ついに父子は(略)NEMSの事務所で対面した。

 開口一番ジョンがフレッドに放った言葉は、控えめに言って辛辣だった。「それで、望みは何だ?」

 フレッドは何も望みはないと答える。「倅に、お前の才能は父親譲りと言ってやった(略)自慢するつもりはないが、おれだって二十五年前には今あいつがしていることをやってたのさ――もっと上手くな!」船乗りだった頃、フレッドはミュージカルの名曲を歌って船員仲間を楽しませた。十八番ともなれば、顔を黒く塗って涙にむせびながらアル・ジョルソンの「リトル・パル」を歌ったものだ。

 十五分ほどしたところで、エプスタインがBBCとの約束を口実にフレッドとジョンの話を遮った。(略)

そのときから父子の関係は長い音信不通の時期にたびたび中断されながら、愛と憎しみの間を揺れ動く。(略)

「今では、以前のように親父を憎んでいるわけではない(略)両親が別れたのは(略)ジュリアのせいでもあったんだろう。ビートルズがなかったら、ぼくも親父のようになっていたかもしれない」。

(略)

ジョンは自惚れて騒がしく、反抗的な父親が気に入り、寛大な気分のときには、フレッド――自身が孤児院育ち――も境遇の犠牲者と認めた。「親父は警戒しなくても大丈夫さ。ちょっとイカレてるけど――おれもそうだしな」とジョンはシンシアに言った。そしてピート・ショットンにもだいたい同じようなことを言っている。「いい奴だよ。ひどく愉快でね――おれと同じ変人さ」。

 その後のふたりの関係は(略)仲直りのはずが仲違いし、あらためて仲直りが必要になることもしばしばだった。順調なときにかぎって、フレッドはへまをして立場を悪くする癖がある。ある日のこと(略)ジョンは自分の書いた曲のなかでどれが好きかとフレッドに訊ねた。「お前の曲はどれもすごくいいよ(略)でもとくに気に入っているのは『ペニー・レイン』だな」。

(略)

「さあ、何か仕事を見つけないとな。ジョンはうなるほど金を持っているのに、こっちは四シリングぽっきりだ」とフレッドは父子の最初の対面のあとで記者にこう言った。(略)とはいえ、息子との関係を足掛かりに一山当てようという誘惑には抗えない。まず、フレッドは自分の半生記を「ティット・ビッツ」誌に二百ポンドで売り、その後一九六五年には歌半分、台詞半分のひどいシングル「ザッツ・マイ・ライフ」をレコーディングした。そして「生まれてこのかた、おれはずっと芸人だった」と報道陣に語った。

(略)

[ジョンから生活費やアパートをあてがわれ]

[35歳年下の婚約者]ポーリーンを連れてケンウッドを訪ね、許嫁に働き口と住むところを世話してくれないかとジョンとシンシアに頼んだ。(略)「ポーリーンは数か月わたしたちと同居したけれど、まるで悪夢だった」とシンシアは回想する。

(略)

ピート・ショットンの記憶によると、「フレディが義理の娘を誘惑しようとしたので、ジョンの堪忍袋の緒が切れた。シンがひどく取り乱すのでジョンは父親を家から追い出し、その後二度と会おうとしなかった」。

(略)

[脚注]ジョンと父親との関係は一九七〇年末、フレッドが息子に自伝を書く計画を伝えたときについに決裂する。(略)[ジョン30歳の誕生日に]「もうあんたに金はやらない、ここから出ていってくれ。(略)おれの人生に首を突っ込むなもうたくさんだ!」と言い放った。(略)

プライマル・スクリーム」療法は、父親に対する激しい感情を誘引したことが明らかになった。「あんたのおかげでおれがどんなひどい目に遭ったかわかるか?来る日も来る日もセラピーで、親父を思って泣き叫び、家に帰ってきてくれって泣いて頼んだんだ!」ポーリーンによると、ジョンは母親を何度も「売女」と呼んだ。父親の襟首を掴んで、ジョンは言った。「あんたの半生記だがな、おれの許しを得ずに何も書くなよ。それから今日ここで起きたことを誰かに話したら(略)死んでもらう」。

「イエロー・サブマリン」

もともと大勢で一緒に歌う曲なので、その宵、パーティー好きの少数の友人に加わってもらおうと第二スタジオに招待する。パティ・ボイド、ミック・ジャガーブライアン・ジョーンズ、マリアンヌ・フェイスフル、そしてビートルズの忠実な運転手アルフ・ビックネルといった面々である。

(略)

ジェフ・エメリックは誰もが(略)[マリファナで]「見るからにパーティー気分」なのに気づく。

(略)

 ジョンが水中で歌っているような響きにしたいと言い出す。うがいをしながら歌おうとしたが、しまいにむせた。すると今度は方針を変更し、水槽をスタジオに運び込ませ、頭をそこに突っ込むと言い出す。(略)

[ジョージ・マーティンが]諦めさせようと試みる。ところがジョンは粘る。エメリックが妥協案をもちかける。ジョンのマイクを水中に沈めればよいではないか。ジョージ・マーティンはマイクが壊れはしないかと懸念し、損害は弁償してもらうとエメリックに警告する。(略)

マル・エヴァンズが鞄に入れてあったコンドームを見つける。エメリックがコンドームでマイクを包み、それを水の入った牛乳瓶に浸す。レコーディングを始めようとした矢先、親分風を吹かせたがるスタジオの管理責任者ファウラー氏が万事順調か確かめようとドアの向こうから顔を出す。

 エメリックには、もしファウラー氏が牛乳瓶のなかのマイクを見つければ、自分は即刻馘とわかっている。しかしジョンは頭の回転が速い。ファウラー氏の姿を見たとたん、装置を掴んで背後に隠す。

「諸君、万事順調かね?」とファウラー氏が問いかける。

「はい、スタジオ管理部長殿、このうえなく完璧であります」とジョンが言い、ジョージ・マーティンを含む全員がくすくす笑いをこらえる。

 レコーディングが始まるが、水中音がうまく録れず、そのうち取りやめになる。さあ、パーティーを楽しもう!

 ビートルズはスタジオの「道具部屋」の名で知られる巨大な戸棚、がらくたの宝庫を漁る。雷雨の効果音を出す道具、古いホース、サッカーの応援に使うガラガラ、戦場で使われたハンドベル、鎖、ゴング、送風器、ホイッスル、警笛。ポップ界の貴族たちは手当たり次第に摑むと、陽気なざわめきとグラスを合わせる音の響くなか、みなが声を揃えて歌い出す。(略)二番に入って最もよく聞こえるのは、それまでは囁くような話し方だったパティ・ボイドの声。

(略)

パーティーの客がガチャガチャ、くすくす、ガラガラ、ぶうぶうやる間に、ジョンがグーン風の声音で、「全速前進、甲板長!全速前進!」と言う。その宵は、マル・エヴァンズが胸につけた大きなバスドラムを叩きながらスタジオ内を歩き回り、全員がその後ろに続いて、ホーとかワーとか言いながらコンガを踊って幕となる。

「オラ・ナ・タンジー

ある静かな日曜日(略)[ドノヴァンのアパートにポールがやってきた](略)

 ふたりはマリファナを一、二本燻らせた。ポールは目下取り組んでいる二曲をドノヴァンに弾いて聞かせた。ひとつは黄色い潜水艦の歌で、もうひとつはこんな具合。

 

オラ・ナ・タンジー

パイプに泥をつめ、闇のなかで恍惚としている

誰も……とは言えない

(略)

 そのうちに「オラ・ナ・タンジー」は「エリナー・リグビー」に変化し、泥をつめたパイプを持って闇のなかで恍惚としていたものが、結婚式の執り行なわれた教会の米(rice in the church where the wedding had been)に変身を果たす。

(略)

 ポールは「オラ・ナ・タンジー」を「デイジー・ホーキンズ」に変えてみたけれども韻律に合わず、さらに変更し、今度は「エリナー・リグビー」にした。

ナンセンスな駄洒落

 ジョンのナンセンス好みは、読み書きを習った頃にまで遡る。ミミ伯母さんは幼い頃からジョンの綴り方が目立って突飛だったことを覚えている。「『水疱瘡(chicken pox)』はいつも『鶏鍋(chicken pots)』でした。エディンバラに住んでいた妹のところに遊びに行ったときには、葉書に『懐が寂しくなっている(Funds are getting low)』と書くつもりが『楽しみは低くなっている(Funs are getting low)』と書いて寄越したんですよ」。子供の頃はエドワード・リアとルイス・キャロルの作品に夢中になり、友だちに「ジャバウォックの詩」を何度もくりかえし朗読して聞かせた。「ときしもぶりにく、しねばいトーヴが、くるくるじゃいれば、もながをきりれば……」。ジョンは生涯、駄洒落や言葉遊びに大喜びし、たった一文字替えるだけで意味がたちまち無意味に転じるさまを見て悦に入った。

(略)

 ポールは、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「アイ・アム・ザ・ウォルラス」はどちらもジョンの「ジャバウォックの詩」に対する偏愛から生まれたと考える。「『ぼくはかれで君もかれ……』。ジョンがそんな歌詞を書けたのは『ジャバウォックの詩』のおかげだよ」。幼なじみのピート・ショットンは「ごく早い時期から、ジョンの最大の望みは、いつの日か自分で『アリス』を書くことだった」と記憶している。

 十二歳のジョンは毎晩キャロルとリアの模倣に熱中し、まずそれを練習帳に書きつけてから、「日々の遠吠え(Daily Howl)」と題する手書きの新聞に書き写すのだった。

(略)

 ジョンはラジオでグーンズの容赦なくとめどない駄洒落を聴くのが大好きで、翌日には教室でそれを真似してみせた。十六歳の誕生日祝いにもらったお金で、七十八回転のレコードを二枚買った。一枚はエルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」。もう一枚はグーンズの「イン・トン・ソング」(略)

 グーンズの台本はすべて、鬱病を患い、駄洒落に翻弄されて生きるスパイク・ミリガンがすさまじい勢いで書いたもので(略)成功が絶頂をきわめた頃、グーンズの第三シリーズを執筆中にミリガンは完全な神経衰弱に陥る。(略)

まもなくグーンズの共演者ピーター・セラーズを殺さないと頭が元に戻らないと思い込む。その結果ミリガンはセラーズの家に行き、ガラス戸を通り抜けようとして全身傷だらけになり、拘束衣を着せられ精神病院の隔離病棟に収容される羽目になった。(略)

世界の狂い方が足りないと気づくたび、ミリガンの頭脳は世界をもっと狂わせる術を見いだした。(略)ミリガンは世界に(略)自分のジョークの前に頭を垂れさせたいと願った。さもなければ相手をひどい目に遭わせる。一九五四年、グーンズの面々とコヴェントリーで舞台に立ったときは、観客の反応の鈍さに苛立ちを募らせた。とうとう堪忍袋の緒が切れて、「お前ら全員、もう一度空襲されるがいい!」と怒鳴って舞台を降り、楽屋に鍵をかけて閉じこもった。グーンズの共演者がようやくドアをこじ開けたとき、ミリガンは椅子の上に立って首に輪縄をかけ、縄の反対の端を頭上のパイプに引っ掛けようとしていた。

 駄洒落は言葉の統合失調症で、そこでは一つの言葉が同時に二つの方向を指し、同時に二つのまったく異なる事柄を意味する。シェイクスピアの登場人物は狂気に呑まれ始めると、駄洒落の世界に転げ落ちる。「ニューヨーク・タイムズ」紙に寄せた書評のなかで、ジョンは「グーン・ショー」の台本を「現実に対する陰謀。知性のクーデター」と評した。

(略)

 ポールと友だちになったばかりの頃、ジョンはよく前の晩にタイプ打ちした駄洒落に基づく冗談を読ませ、その多くがのちにタイトル自体が駄洒落の『絵本ジョン・レノンセンス』に収録された。「ぼくらは座ってくすくす笑いながら駄洒落を言っていただけ、だいたいそんなところだね。モーカムの早いふくろうたち (In the early owls of the Morecombe / In the early hours of the morning) とか。タイプライターに挟んだ紙に『コップ一杯の歯 (a cup-o-teeth / a cup of tea) 』と打ってあるのを見た覚えがある」。

 ビートルズ (The Beatles) の名を聞いても、今では誰もおかしいと思わない。(略)

ジョンとスチュアート・サトクリフは(略)[テディ・ベアーズや]クリケッツのような動物の名前を考え出そうとしていた。ふたりは「ライオンズ」や「タイガーズ」を経て、「ビートルズ」を思いつく。いかにもひねくれ者らしく、ジョンは(略)そこに「ビート(beat)」を取り込み駄洒落にした。

 ビートルズ初期の頃からジョンがファンに送った長文の手紙は言葉遊びが散りばめられ、多くは解しようがない。一九六一年か六二年にノルウェーの少女リンディ・ネスに宛てた手紙は「ぼくは指一本でこのレタス(lettuce)[手紙]を君のためにタイプしている」と始まり、続けて「額の国のユングの少女 (a jung girl in forrid country) [異国の少女 (a young girl in foreign country)] の前に立ちはだかる邪悪な誘惑」に気をつけるよう警告する。

(略)

ヴィクター・スピネッティはジョンとともに『絵本ジョン・レノンセンス』を舞台用に脚色した。スピネッティはジョンがやすやすと言葉遊びを思いつくのに目を瞠る。(略)

わたしは肩越しに、「ジョン、ここに女王の挨拶が欲しいんだけどね」と言った。ジョンは躊躇なくシンシアが買ったばかりのシャツに入っていたボール紙を掴んだ。

 

 我が在宅と目玉にとって青のコーナー、体重二ストーン三オンスの忠義な船を糾弾するのは大いなるプレッシャーであり、かれはそのとき憚に座っておりました。

 My housebound and eyeball take great pressure in denouncing this loyal ship in the blue corner, two stone three ounches, and he was sitting on the lav at the time.

 

 「『これでどう?』とボール紙をわたしに押しつけてジョンは言った。一度も手を休めなかった。一か所も訂正していない」。

次回に続く。