前回の続き。
『サージェント・ペパーズ』、「ハレ・クリシュナ」
ビートルズを再始動させることができるのは、ポールしかいなかった。(略)
アフリカのサファリ旅行からロンドンに戻る機内で、彼は次のアルバムの斬新なアイディアを思いつく
(略)
「ビートルズでいることに、僕らはうんざりしていた。(略)
突然、飛行機の中で思いついたんだ。僕らでいるのをやめてはどうかって。(略)別の自分たちを作ったらどうかって。別のバンドとしてのペルソナを実際に演じることほど、面白いことなんて無いよね」
(略)
ポールの奇怪な計画は(略)サイケデリックのもやのなかからジョンを引っ張り出すことには、成功する。ジョンは、カッカした雄牛のように猛烈な勢いでもやのなかから出てきて、その頃何度も体験したアシッド・トリップが、彼のクリエイティブな才能を蝕むどころか、むしろパワーアップさせたことを証明してみせる。ニューアルバム『サージェント・ペパーズ』のために、最初にレコーディングした "Strawberry Fields Forever" は(略)彼が過去の人ではないことを証明した。
(略)
『サージェント・ペパーズ』を、他のメンバーと違いジョージは、冷めた目で見ていた。(略)
「組み立て作業のようになってしまったんだよ。細かい部分があるだけで、オーヴァーダビングを重ねて――僕にとっては少し疲れる作業で、ちょっと飽き飽きしてしまった。楽しめる瞬間も何度かあったけど、全体としては、あのアルバム制作を楽しむことはできなかった。インドから戻ったばかりで、僕の心はまだインドにあったから」
ジョージがアルバムで興味を示したのは唯一、自身の書いた "Within You Without You" だった。
(略)
『サージェント・ペパーズ』に熱心にならないジョージに対し、次第に耐えきれなくなっていたポールとジョンであったが、シタールの演奏に向けたジョージの情熱と、"Within You Without You" の際立つクオリティには感心する。(略)ジョージが初めてビートルズの曲から2人を閉め出し、インド人音楽家たちにスタジオを占拠させたことも、気にならないように見えた。
(略)
一九六六年、ヴィシュヌ派のインド人予言者スワミ・バクティヴェーダンタ・プラブパーダが、ISKCON(イスコン)と呼ばれるクリシュナのカルトを設立して西洋に旋風を巻き起こし、印象的な「ハレ・クリシュナ」のチャントで、何千人もの若い男女をとりこにする。スワミは、クリシュナ神の名を唱え続けるだけで、信者は神と直接繋がることができると断言していた。このチャントのレコードを偶然手にしたジョージは、あっという間に心を奪われる。ジョンにも聞かせると、彼もまた「ハレ・クリシュナ、ハレ・ラマ」と、催眠作用のある抑揚で繰り返し唱えられるマントラに魅了される。
(略)
2人のビートルにとって「ハレ・クリシュナ」のチャントは、まるで神へと繋がる魔法の階段のようだった。(略)ジョージとジョンは、会う度に一緒にマントラを唱えるようになり、LSDの初体験を一緒に行ったことで得られた絆に加え、2つ目の繋がりができた訳だ。
例えば、七月、絵のように美しいエーゲ海に滞在した際にも、2人はLSDとマントラを一緒に楽しんだ。島を買って自分たちの王国を作るという、奇怪な計画(後に失敗に終わる)のために、ビートルズはギリシャに行ったのであった。「(略)最高の旅だった。ジョンと僕はずっと、アシッドでハイになりながら、船首に座ってウクレレを弾いた。左手にはギリシャ、右手には大きな島が見えた。太陽が輝いていて、僕らは何時間も『ハレ・クリシュナ』を歌った」。
ポールがLSDを絶賛、ジョージは拒否宣言
ポールが他のメンバーとの絆をより強くしたのは一九六七年三月、2度目のトリップの時(略)『サージェント・ペパーズ』をレコーディング[中](略)間違えてLSDの錠剤を飲み(略)ラリっているジョンは、レコーディングなぞ到底無理な状態で、ポールが自宅に連れて帰ることになった。
「今こそ、彼と一緒にトリップすべき時が来たと思った。いつかこうなるんじゃないかと、長いこと思っていた。ジョンと一緒にトリップするのは初めてで、他のメンバーの誰ともしたことがなかった。だらだらと一晩中起きていて、何度も幻覚を見た。その間ジョンは、とても謎めいた雰囲気で座っていて、僕は、彼が王様になる大きな幻覚を見た。彼は、完璧な未来永劫の皇帝だった。いいトリップだったよ」
(略)
数ヶ月も経たないうちにポールは(略)LSDを数回摂取し、とてもそれを気に入ったと語る。「摂取したら、目が開かれた。我々は、脳の十分の一しか使わない。考えてみなよ、隠された部分をコツコツ叩いたら、みんなどれだけのことを成し遂げられるかってね!全く新しい世界が開ける。政治家がLSDを摂取したら、戦争も、貧困も、飢餓も無くなる」。
(略)
[反対に]熱心にトリップし続けていたジョージが、八月の第一週、アメリカ滞在中の予期せぬ出来事から、突然ハード・ドラッグを拒否するようになる。
(略)
彼がアメリカを訪れた主な目的は、ロサンゼルスでヒンドゥスターニー古典音楽のコンサートを開催するラヴィ・シャンカルと仲間の音楽家たちに会いに行くことだった。何公演か観て、ラヴィ・シャンカルに会いに、ロサンゼルスにある彼のキンナラ音学院を訪れた後、ジョージはパティと、ロサンゼルスに住む彼女の妹ジェニファーを連れて、噂で散々聞いていたヒッピー文化の世界の中心地ヘイトアシュベリーに行くことを決める。そのわずか数日前には、麻薬や薬物を嫌悪していることでよく知られるラヴィ・シャンカルとの共同記者会見で、今後を予感させるような発言をジョージがしている。「はっきりと言わせてもらいますが、ドラッグが答えではないことは、皆さんにとって自明のことと思います。分かっていることですよね、そうじゃないですか?だから、できるだけドラッグを使わないで済ます方がいいんです。そうですよメね?」彼がこう主張する横では、シタールの巨匠が満足げにうなずいていた。それでもジョージは、ドラッグとフリー・ラヴの中心地偵察の旅を始めた時には、ミッションに適したサイケデリックな服装をしていただけでなく、多量のマリファナとアシッドで武装していた。ところが、だ。
ヘイトアシュベリーの通りを歩いてみると、自分自身がとてもハイになっていたにも関わらず、フラワー・チルドレンのいかがわしくて汚い暮らしぶりを目にして、彼は嫌悪感を覚える。ジョージが見慣れていたロンドンのアシッド・カルチャーは、インテリと富裕層が、自宅やクラブで隠れてたしなむ、優雅な娯楽だった。ヒッピーの聖地を歩き回りながら、彼は汚れてみすぼらしい男や女、子供たちに囲まれる。
(略)
[一緒にいたパティ]が見たのは、「学校をドロップアウトした顔色の悪い子供や、路上生活者、怪しい若者が大勢いて、みんな正気を失っている」状況だった。
(略)
[ジョージが勧められたSTP(強力なLSDの一種)を拒否したことで、群衆の崇拝が敵意に反転]
走って追いかけていた群衆が、車を揺さぶり始め、窓ガラスに顔を押しつけてなかを覗いた。とりわけジョージにとっては、この体験はトラウマとなる。なぜなら、暴徒の脅威が絶え間なくバンドにつきまとった[ツアーの悪夢を思い出させたから]
マハリシ登場
驚くことに、ビートルズを次の大きな波に導いたのは、ジョージではなくパティだった。(略)[夫と共に全身全霊でインドを受け入れ、夫には内緒で]
精神復活運動に加わる。精神復活運動は、内なる平安と精神の救いを約束する、超越瞑想と呼ばれるものを教える教室を、毎週ロンドンで開いていた。
(略)
ジョージがアシッドを止める重大な決心をしたわずか数日後、パティが興奮気味に、その月の後半、マハリシが街にやって来ることが新聞で発表されたと言う。(略)一緒に誘われたポールも、子供の頃にテレビ番組で観たグルを思い出し、驚くことに乗り気になった。何か新しいことを始める気満々であったジョンも、やはり熱意を示した。当時妊娠中であった妻のモーリーンの側にいたリンゴだけが、行けるかどうか不確実だった。
(略)
[マハリシの]生まれた日付と場所には、様々な説がある。(略)地元の税務調査官の息子として生まれたと断言する人々がいる(略)父親は林野部の役人で、比較的裕福だったと言う証言もある。彼の名前もまた、一貫性がない。(略)
前半生について聞かれると、彼は決まって「僧としての誓いを立てた者は、過去のことは思い出さないものです」と答えている。
(略)
マハリシは、比較的短期間のうちに、こっそりシャンカラチャリヤの部屋を掃除する存在から、彼宛に来た手紙を読む係になり(略)遂には個人秘書に上り詰める。数年の間に(略)彼が公の場に姿を現す際には(略)場を仕切るようになった。(略)
大学を出たばかりの物理専攻の若者が――ましてやヒンドゥー信仰の教育など受けたこともなく、最高位の予言者の1人に近づくことができたのは、驚嘆に値する。
(略)
いつかスピリチュアル指導者として独立した道を歩めるよう、マヘーシュはグルからありったけの知識を吸収した。
(略)
グル・デヴは、この秘密の瞑想の形式に再び焦点を当てるために自分を選んだのだと、マハリシはリューツに教えた。
(略)
面白いことに、マハリシは最後まで、彼のグルに何を教わったのか、話したがらなかった。どのような手順でマントラを考案しているのか質問されると、はぐらかすのであった。
(略)
どんな瞑想の技術を使っているのか、もっと詳しく説明するよう迫られると、毎回マハリシはブツブツと口ごもった。
(略)
一九五三年夏にシャンカラチャリヤが亡くなると(略)[マハリシは]直ちにジョティルマスを離れる。(略)シャンカラチャリヤのおかげで権力を振りかざしていた彼は、ブラフミンの聖職者の間で敵を大勢作っていたに違いない。
(略)
注目すべきは、マヘーシュ・ヨーギーが自分を独立したグルとして見せることを、あからさまに避けていたことだ。その代わりに彼は、伝道師として自分のグルであるブラフマナンダ・サラスワティの知恵を説いていると自分を紹介した。
(略)
次々と現れる登壇者が、アディ・シャンカラとブラフマナンダ・サラスワティを手短に讃えた後で、ヒマラヤから来た僧を天まで昇るほど褒め称え、全員が舞台上から彼を、マハリシであると宣言した。
(略)
ヒンドゥー教が科学的に有効であると説明しながら、マハリシは、誰もが受けることのできるスピリチュアルな至福への、手っ取り早い方法を次のように提示した。それは、物質的快楽を放棄する必要は全く無く、オーダーメイドのマントラをチャントすることが基本となる。他の僧が信者に処方する、スピリチュアルな悟りへの複雑な道のりや、厳しい肉体鍛錬とは著しく異なり、マハリシが約束したのは、人々が日々の問題に対処するための、手軽で体のいい解決方法だった。
(略)
何世紀も信心深さが自己否定と同義であるこの古い国にとっては、いささか過激過ぎることを思い知らされることになる。二年間の広範囲に及ぶ遠征と、国の様々な地方での会議をもってしても、深い瞑想のマントラ・プログラムに入門したのは、わずか数千人に過ぎなかったのだ。
(略)
一九五〇年代のインドのような発展途上国では、圧倒的多数の人々が、物質的快楽を拒否することにより信心深くなれるという、昔からの教えにしがみついていた。つまるところ、それは貧困に陥っている無数のインド人にとって、避けられない貧しさを美徳に代える、都合のいい教えだったのだ。
(略)
一方で、消費者向けの商品が劇的に増え、豊かさが爆発した一九五〇年代半ばの社会を生きていたリューツのようなアメリカ人にとっては、マハリシのメッセージと彼のやっていることは、解放感を味わえる非常に革新的なものであった。
(略)
マハリシはこう言った。必要なのはこれだけ――朝と晩に三〇分ずつ、座って目を閉じ、自分の教えた通りの瞑想をしなさいと。
(略)
もっと受容力のある聴衆を異国に探しに行くことになった
(略)
マハリシの最終目的地はアメリカであったが、資金が足りなかったので(略)信奉者の1人が、ビルマのラングーンまでの片道航空券の代金を出し、そこからマハリシは、チケットを買ってくれる人に頼る旅をのろのろと進め、極東の様々な都市――シンガポール、クアラルンプール、香港――を旅しながら、遂に(略)ハワイに到着する。
(略)
一九五九年四月、インドを出発してからちょうど一年、マハリシは(略)ロサンゼルスに到着した。(略)
(略)
サンフランシスコからロサンゼルスへの機内では、隣に座る女性にロサンゼルスで講義を行おうと思っていることを伝えると、彼女は、夫が大きなホールを持っているからと、ボランティアを申し出た。なんとそのホールは、ハリウッド俳優に人気のマスカーズ・クラブであった。このクラブでマハリシはチャーリーとヘレン・リューツ夫妻に会い、彼らはそれから数十年間、最初にアメリカ、後に世界中に精神復活運動を広めるうえで、中心的な役割を果たすようになる。
(略)
マハリシは自身のスピリチュアルな教えを、アメリカの聴衆に合うように大幅に変え(略)ヒンドゥーの信仰と哲学にまつわる基本的な指針と信条から、どんどんかけ離れていった。
(略)
一九六〇年初めまでには、「悟り」それ自体について公然と話すことを止め、代わりに「超越意識」に気づくことをマハリシは目標に掲げ出す。とても賢いことに彼は、六〇年代初期にアメリカ人の関心を占めていた主な2つのこと――競争の激しい社会で成功者となった場合に対処するための活力をもっと得るにはどうしたらいいか、と同時に、内なる緊張を緩め、自分自身と安らかな調和を保つためにはどうしたらいいか――に焦点を絞るようになる。マハリシは、自身の提供する消化されやすいマントラを飲めば、両方の問題があっという間に解決すると主張。
(略)
インドと極東では、無料で追随者にイニシエーションを施し、マントラを与えていたマハリシであったが、アメリカの地に踏み入れた途端――まずハワイで、金を取り始めた。集金を儀式にした彼は、白いハンカチ、果物を何個か、一週間の収入を捧げる者には、秘密のマントラを与え、肉体の健康と精神の至福を約束した。資本主義社会の中心地では、金が全ての価値を決める重要な尺度であると、このヒマラヤからやって来た僧は、正しく見定めたのであった。
アメリカに渡ってから数年もすると、マハリシの元に社交界の有名人が集まるようになる。
(略)
とどめは、ナンシーがマハリシに紹介した、タバコ産業の相続人ドリス・デューク(略)若くして一億ドル近くの遺産を相続した彼女は、しばしば「世界一裕福な女の子」と呼ばれていた。
(略)
「あなたの財産の多くは、タバコ産業から来ているとナンシーから聞きました(略)タバコは、生命に危険及ぼす植物です。それを他の人に売る人に、悪いカルマをもたらします。このカルマを相殺するため、自分のお金で生命の発展を助ける行いをしなければなりません」。(略)
何ヶ月かすると、一〇万ドルの大金がドリス・デュークの慈善信託から精神復活運動に献金され、マハリシとアメリカ人信奉者を大喜びさせる。それまでマハリシの受け取った最も高額な献金で、彼の念願の夢だった新しいアシュラム(マハリシだけのための豪華バンガローも含む)を、リシケシュに建設することを可能にした。
(略)
一九六七年八月にビートルズに出会った時点で、マハリシは一〇年近く西洋に住んで[おり、西洋の聴衆にどうやって]メッセージを売り込めばいいかも分かっていた。
(略)
ビートルズが目の前で深いトランスのような状態に一〇分間陥るマハリシを見て、非常に衝撃を受けたともブラウンは回想している。
(略)
詠唱できる魔法の言葉――霊媒ドリームランドに飛ぶことができる、神秘のトランスを与えることのできる聖人。とりわけジョンは感情を揺さぶられていた。彼は遂に見つけたのだ!鍵となるもの、答え、ずっと探していたものを!次の大いなるものを!
(略)
マハリシはビートルズに「あなたがたは、自分たちの名前を通して、魔法の空気を起こしました。その魔法の影響力を行使しなければなりません。あなたがたには、重大な責任があります」と告げる。マハリシのスイートルームを出たジョンが報道陣に言うことができたのは、「まだ呆然としている」だけだった。
マハリシに会って興奮しているのは、ジョージとジョンだけでなく、ポールも同様だった。(略)
マハリシはまた、「(略)明日、北ウェールズのバンガーにある私の瞑想学校の1つに来なさい。列車のどこかにあなたがたの席を設けますから」とビートルズに告げた。
(略)
側近やボディガードを従えたリムジンに乗り込んだのではなく、ビートルズとして単独で初めて、公共の電車でユーストン駅から出発したのだった。
(略)
ハンター・ディヴィスによれば、人にもみくちゃにされるのを恐れて、一行はトイレにも行かず何時間も座席にじっとしていた。(略)誰も一銭も持っていないようだった。全員、マハリシが何と言うのか気にしていた。マハリシは今までにも会ったことあるようなタイプで、ただ異なる次元に属しているだけかもしれない、とジョンが言う。「分かるだろ、EMIもあれば、デッカもあるけど、どれもレコードには変わりない」。
一方でジョージは(略)自分はそうは思わない、今度こそ本物だという確信があると言った。ミックは静かに座り、真剣な表情をしていた。ジョンは、ビートルズとして働き続けるのをやめることができるから、インドに行って残りの人生を洞窟の中で座って過ごすようにマハリシに言われたいと言う。「でも、彼はそんなこと言わないよ、きっと。あっちに行って "Lucy in the Sky with Diamonds" を書け、と言われるだけさ」。
ビートルズは、ようやくマハリシのコンパートメントに入る決心をする。マハリシは彼らと雑談しながら、ものすごい勢いで笑った。(略)自分の瞑想は一度学べば、毎朝三〇分だけの実践でいいのだ(略)銀行のようなものだ(略)金を持ち歩く必要はなく、欲しいものを取り出すために時々ぱっと寄ればいい、と言った。
「もし強欲だったらどうするのですか?昼食の後で三〇分瞑想し、夕食の後でまた三〇分こっそりやったら?」とジョンは聞く。みんな大笑いし、マハリシは、今度は笑い過ぎて天井に頭を打ち付けそうになった。
バンガー駅に着くと、巨大な群衆が一行を待ち構えていた。
(略)
[突然の招待で]滞在場所を特別に用意する時間が無かった。そのため、夜になるとビートルズは(略)一般会員と同様に、大学の学生寮に泊まった。「ビートルズにとっては、これが余計に冒険心をくすぐり、昔のような仲間意識の温かい波が、彼らを覆った」と、ブラウンは記す。
(略)
バンガーに集結した大勢の報道陣は(略)[これが]バンドの宣伝活動の一環なのか、何か重大な新事業なのか、最初は分からないでいた。それでも記者たちは、ビートルズが記者会見を開き、驚くような発表をしたため、じっと彼らを見守らざるを得なくなる。ビートルズは、ドラッグをやめると宣言したのだ。(略)体内に異物が入っていると、スピリチュアルな調和を得ることが不可能である[から](略)ドラッグを全てあきらめることにした、と
(略)
そのニュースは人々に大きな衝撃を与えた。(略)
ビートルズは一九六〇年代半ばのドラッグ・カルチャーに深くはまり込んでいると、世間は認知していた。何しろ、サイケデリック・ロックの象徴として称賛された『サージェント・ペパーズ』がリリースされたのは、ほんの数ヶ月前なのだから。
(略)
[だがさらにドラマチックな事件が起きる]
エプスタイン死去
マネージャーは、バンドにもはや必要とされていないのではないかと不安にさいなまれるようになる。それでも、ボーイズとマネージャーの間の感情の上での絆は、強かった。(略)
インド人グルに夢中になっているビートルズに同調さえもし(そのふりをしていただけかもしれないが)、バンガーに行ってマハリシのイニシエーションを受けると約束していた。
(略)
奇妙なパラドクスとも言えるのは、エプスタインの方は、ビートルズの1人1人が今何をやっているのか、必ず詳しく知ろうとしたにも関わらず、ビートルズの誰1人としてマネージャーの私生活がどうなっているのか知らず、また知ろうともしなかったことだ。全員、エプスタインがゲイであること、かなり荒っぽい客をボーイフレンドにしていたことも知っていたが、誰も彼が何度も脅され、脅迫状を送られ、金品を奪われ、暴行さえ受けていたことを知らなかった。ボーイズは自分たちの生活と、当然のことながら音楽で頭がいっぱいで、マネージャーが大量の酒とともに憂慮すべき量のドラッグや錠剤を摂取していたことに気づいていなかった。ただ時折、"やり過ぎの"エプスタインと、冗談にするだけだった。(略)
[2度の自殺未遂で]エプスタインが問題を抱えていることに気づいてはいたはずだが、彼が崖っ縁に立っていることを知るよしも無かった。そのため、ドラッグの過剰摂取でエプスタインが死んだ(略)との知らせがバンガーにいるビートルズに届くと、彼らは大変なショックを受ける。
エプスタインの死をより一層不気味なものにしているのは、ビートルズが新しい精神上のグルを信頼するようになったばかりの瞬間に、起こったという事実である。
(略)
秘密のマントラをもらって二四時間も経たないうちにマネージャーが亡くなったことにより、新たな興味の対象に過ぎなかった超越瞑想が、マハリシへの絶対的な信頼へと彼らの中で変化する。このことが大事なきっかけとなり、インドにあるマハリシのアシュラムに、ビートルズが半年以内に足を向けたのは、間違いない。
(略)
[パティ談]
「ブライアンが亡くなり、ビートルズは途方に暮れました。みんなぶるぶると震えていました!
(略)
ブラウンによれば、ボーイズは混乱しているように見え、両親が突然消えてしまった小さな子供のように、その時、理に適った権威的存在に見えた人物――マハリシに、慰めと導きを求めた。
(略)
彼は、物質世界と精神世界の違いを短く説いてみせた。驚くことにマハリシはまた、1人1人に美しい花を持たせ、手のひらで握りつぶし、その美しさがいくつかの細胞と水でできた錯覚に過ぎないことを教える。
(略)
突然のエプスタインの死に最もダメージを受けたのは、ジョンだった。(略)
マイルズは次のように回想する。
普段のジョンは、ビートルズの中で一番シニカルで傷つきにくいように見えたが、ブライアンの死により彼はすっかり自信を失っていた。何年も後に、彼は(略)こう語っている。(略)すごく怖かった。『もう一巻の終わりだ!』と思ったね」
(略)
ミックはそつなく沈黙していたが、ガールフレンドのマリアンヌは、公然とマハリシに敵意をむき出し、悲劇を軽いものにしようとする、マハリシの手口を非難した。
「私からすれば、マハリシのやり方はとても悪く、ひどく不謹慎です。(略)
ブライアン・エプスタインは、次に移った。彼はあなたたちをもう必要としていない。あなたたちも、彼を必要なくなった。彼はあなたたちにとって父のようだったが、もういない。これからは私があなたたちの父親だ。今からみんなの面倒を私がみる』だ。もうぞっとした!」
(略)
ビートルズが孤児となってから四日後の九月一日、バンドはセント・ジョンズ・ウッドにあるポールの家に集まり、ブライアン亡き後の人生について話し合った。(略)バンドの責任者としての役割を早々に受け入れたポールの発案だった。(略)
「誰も決して、ブライアンの代わりにはなり得ない」とポールが言い続けていたと、ブラウンは回想しつつ、おそらくポール以外はね、と皮肉を付け加えている。
(略)
[ポールは『マジカル・ミステリー・ツアー』を提案]
ポールのプロジェクトに全く関心のないジョージが、瞑想コースを続けるため、すぐにでもマハリシのアシュラムに出発した方がいいと提案するも、誰からも賛同を得ることはできなかった。(略)
ここで重要なのは(略)ジョージに、ジョンが全く同調しなかったことだ。年上のビートルは、エプスタインの死に打ちのめされるあまり、その時点では、バンド内で主導権を握る状態にはなかった。
(略)
ジョンは、『マジカル・ミステリー・ツアー』が見当違いのばかげたプロジェクトだとしても、今のバンドにとって必要なものだと感じていた。
反体制派のマハリシ批判、ヨーコの存在
政治的に過激で極めて反体制である若い世代と、それに付き合う準備の出来ていないマハリシとの間で、信条をめぐり決定的に対立することもあった。(略)
[欧米中の若者が、「覚醒し、波長を合わせ、ドロップアウトしろ」]と呼びかけるLSDの高僧リアリーのスローガンにしびれていた時期だった。一方のインド人グルにとって(略)フラワーパワーは、受け入れ難い考え方だった。
ドラッグの使用に反対するマハリシは、「両親に従わなければいけません。彼らは、何が最善か知っているのですから」とアドバイスした。彼はまた核軍縮に反対でベトム戦争に賛成していた。(略)
[学生が]仲間の人間を殺さないように兵役を拒否した方がいいかと聞くと、「我々は、国の選ばれた指導者に従わなければなりません。彼らは人民の代表で、より多くの情報を持っていて、正しい判断を下す資質があるのですから」と彼は答えた。
(略)
保守系主流メディアは(略)マハリシの体制寄りのメッセージを称賛する。対して急進的なメディアは、インド人グルへの敵対心を次第に強め(略)相当数の媒体が、マハリシの実体は、いかさまを働く詐欺師だと指摘した。
(略)
面白いことにビートルズは、自分たちのスピリチュアル・グルが、当時欧米社会を席巻していた反乱の動きと完全にずれているというパラドクスを、あまり気にしなかったようだ。(略)
ジョンとジョージは、マハリシの約束するスピリチュアルな至福に夢中になるあまり、彼が、政治的に正しいかそうでないか、気に掛けることもしなかったのだ。マイルズは(略)マハリシが自分を聖職者であると偽っている(略)インド人の右翼政治家と関係があるかもしれないと警告するが、ジョンは聞く耳を持たなかった。グルがビートルズを使って金儲けを企んでいると告げられると、ジョンは「有色人種野郎に、俺の金で黄金の城なんて建てさせるつもりはない!もしお前がそう思ってるならな!」と怒鳴ったそうだ。(略)他のヒンドゥーのスピリチュアル指導者らが、マハリシが商業目的で信仰を利用していると批判していると、マイルズが指摘すると、「彼が商業的だからってなんだ?僕らは世界一商業的なバンドだ!」と言い返す。
(略)
[マハリシがビートルズ出演を餌にABCと特番制作の交渉をしていたことが発覚]
「彼は現代人じゃないんだ(略)こういったことを理解できないだけさ」。ジョージは許そうとしていたが、鋭いポールはマハリシがビートルズを利用して(略)いることに気づいた。(略)
ポールは『マジカル・ミステリー・ツアー』がテレビ的に惨敗に終わり、バンド内で(略)劣勢に転じていたのだ。とりわけジョンは、過去一年の間に(とりわけエプスタインの死後)ポールが、他のメンバーにあれこれ指図してきたことに腹を立てており、彼の独りよがりなプロジェクトが失敗したことを公然と冷笑していた。2人の間の力関係は、またしても逆転したのであった。(略)
それに加えポール自身も、バンドが一緒に休暇を取り、リラックスした状態で事態を把握する必要があると感じていた。(略)はっきりしていることは、ポールが旅行を(略)気晴らしとして捉えていて、マハリシと長期の関係を築くつもりは全く無かったということだ。
(略)
対照的に、マハリシと瞑想に対するジョンの執着は現実的とは言い難いもので、ジョージよりも激しい有様だった。
(略)
ジョージのようにインドとその信仰や文化に対する永続的な興味を持っている訳ではなく、頭の中の混乱を鎮める手っ取り早い解決策として、マハリシを追い求めた。欲望に対し常に激しく忠実であったジョンは、インド人グルと超越瞑想が、普段調合しているドラッグよりも自分の内に潜む悪魔に効果的に働きかけてくれることを熱望した。
(略)
ジョンがマハリシに傾ける情熱の大部分は、一九六六年の冬以降、彼が吸い込まれている感情起因していた。(略)[ヨーコとの]間柄は、彼が今までに経験したことが無いような消耗する関係に発展していた。
(略)
ヨーコのような女性に出会ったことのなかったジョンは、彼女に夢中になる。
(略)
特筆すべきは、ジョンとヨーコが実際にセックスをするのは、出会ってから一年半以上経過してからという点だ。(略)
ヨーコのことで罪悪感を持たなかったのは、シンシアに嘘をついていなかったから(略)恋愛関係ではなく、知的な関係だったからだ――とブラウンは回想する。ヨーコの、人を苛立たせるような機知に富む会話と、マイルドな狂気が、ジョンを性的に興奮させた。
(略)
女性と性交渉の無い濃密な関係にあったことは、ジョンの心の均衡に揺さぶりをかけ、マハリシと、彼のマントラに人知れず心酔することに繋がったように思える。
(略)
[リシケシュに]シンシアと一緒にヨーコを連れて行くことを考慮し始めるが、妻だけでなくバンドの他のメンバーや、その妻と恋人がカンカンに怒ることが予測できたため、尻込みした。
(略)
それでもジョンは、ヨーコを置き去りにすることを考えただけで、とりわけシンシアに対して、苦々しく恨めしい感情に襲われる。(略)
[『ミステリー・ツアー』放映記念パーティで]公衆の面前で妻を侮辱し、人々に大きなショックを与える。(略)酔っ払ったジョンは、一晩中シンシアを完全に無視し、露出の多いベリー・ダンサーの衣装を着たジョージの妻パティに、おおっぴらに言い寄ったのだ。(略)最終的には(略)一〇代の歌手ルルが(略)みんなの前で彼を叱り飛ばす。叱責に対しジョンは、悪さをした子供のように反応する。シンシアが、泣きながらパーティから出て行ったにも関わらず、だ。翌日のイギリスのタブロイド紙は、最高に面白い年末の有名人スキャンダルでお祭り騒ぎになる。
(略)
リシケシュに出発する前に、最後にビートルズのやったことは、ジョンの曲 "Across the Universe" を録音することだった。その頃ジョンの思考に押し寄せていた相反する感情や考えの洪水を、はっきりと表したような、心を打つ曲だ。後に彼は、曲の成り立ちを次のように説明――発作のようにしつこく文句を言うシンシアに嫌気がさして、寝室を抜けだし、俗世の苛立ちに流される代わりに、コズミック・リタニ(連祷)に舞い上がり、(マハリシのスピリチュアル・グルの肩書きでもある)「ジャイ・グル・デヴァ」の名の下に神を讃え、ヒンドゥー教の聖なるチャント「オーム」で締めくくった。(略)仕上がりに満足できなかったジョンではあるが、歌詞は誇りに思っていて、後に自分の書いた最上の詩の1つと言っている。
ミア・ファロー
マハリシは、ビートルズがリシケシュを訪れるより前に、別の国際的なセレブリティをアシュラムにおびき出すことに成功する。(略)新進気鋭の女優ミア・ファローだ。ミアは当時、ハリウッドで最も騒がれるセレブになっていた。一九六六年、二一歳で三〇歳以上年の離れたフランク・シナトラと嵐のように結婚をし、映画出演をしないことを夫に約束したミアが(略)『ローズマリーの赤ちゃん』主演のオファーを受け、結婚から一年も経たないうちに夫婦関係の危機を迎える。激怒したシナトラが離婚届を若い妻に叩きつけ、ミアは精神的に参ってしま[い](略)マハリシと彼のマントラに救いを求めたのだ。
ミアの三歳下の妹プルーデンス・ファローは、既に超越瞑想の信者であった。麻薬依存症者だったことがあり、一〇代の頃には何らかの精神疾患を患い、病院で治療を受けたこともあった。
(略)
[ミアは]マハリシの称賛を一身に浴び(略)数日間(略)特別扱いを受けた後で、「マハリシには全くイライラさせられる。(略)私はここに瞑想に来たのだから」と不平をもらした。
(略)
「瞑想にはうんざりした。アシュラムを出て行く。デリーから電話する」と打たれた電報は、マイアミにいるシナトラに宛てたものだった。
(略)
[ビートルズ到着まで引き留めようと冒険旅行を提案]
四日間、野生動物でいっぱいの森の観光コースで、ミアは元気を取り戻したように見えた。
(略)
ミアの誕生日に(略)あげる50個以上の贈り物を購入させるため、マハリシは60キロも離れたデヘラードゥーンに一団を送っていた。(略)
その晩の講義でマハリシは、壇上で隣にミアを座らせる。彼女のブロンドの頭には、銀紙で作られた小さな王冠が乗せられていた。彼女はまるで、贈り物を1つずつ受け取る妖精のプリンセスのようだった。
(略)
[だが夜遅くナンシーの部屋にやってきたミアは]パーティの悪口を言い始める。「私はクソみたいに怒ってるの!あんなとんでもないもの見たことある?ステージの上で、みんなに跪かれて、馬鹿になった気分!
(略)
聖なる場所の最後の夜に乾杯!あーあ、とんだお笑いぐさ。マハリシは聖人なんかじゃない。夕食前に彼の家にいた時、私を口説こうとさえしたんだから」と言う。
何かの間違いじゃないかと問われ、ミアは(略)
「聞いて。私はクソぼけ野郎じゃない。言い寄られたら気づくに決まってる。誕生日を記念して、祈祷を捧げると彼専用のプジャ・ルーム(瞑想部屋)に招き入れられた。(略)祈祷の儀式が終わると花輪を首にかけてきて、私の髪をなで始めた。聞いて。プジャとくどきの違いくらい私には分かる(略)
突然、驚くほど男性的な毛むくじゃらの2本の腕が私に巻き付いてきたのに気づいた。パニックになり、階段を夢中で駆け上がった」とミアは、数年後に自伝で回想している。ミアは後から振り返り、あまりに突然起こったことで、マハリシが実際に性的に誘惑してきたのか判別が付かないと言っている。しかし当日の晩は、グルが体を使って表現するのは肉欲ではなく愛情からだとナンシーが説明しても、全く聞く耳を持たず、翌朝出発すると言い張った。(略)残されたプルーデンスは1人部屋に籠もり瞑想、マハリシは見るからに落ち込んでいた。
次回は、遂にビートルズが到着。