Love me do! ザ・ビートルズ'63

内容を簡単に説明するために順番を飛ばして、巻末のあとがきと解説から。

訳者あとがき

(略)六四年刊の初版と九五年刊の復刻版では一部内容に異同がありますが、翻訳は九五年版に従っています。

解説

 舞台は1963年11月26日。(略)

英国で2枚目のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が出た4日後、シングル「抱きしめたい」がリリースされる3日前のライヴ会場からマイケル・ブラウンのマジカルなツアーがはじまる。(略)

4人は、連日連夜、過酷なスケジュールの英国ツアーを続ける。翌64年1月にはパリ公演、さらに2月には大西洋を越えてビートルマニアが誕生した米国に飛び(略)ビートルズが世界に冠たる存在となる、まさに、その着火点ともいうべき、約3ヶ月の時間をマイケル・ブラウンはバンドと共有する。

(略)

マイケル・ブラウンは1936年4月28日、ニューヨークに生まれる。(略)

スタンリー・キューブリックの助手の仕事を得てロンドンに居住。サンデー・タイムズ、オブザーバーに寄稿、エルヴィス・プレスリーへのインタビュー経験も手伝い、ビートルズ、初の渡米を記録する〝書き手〟として、エドサリヴァンに抜擢された、と推測される。ライヴのバックステージへの同行のみならず、妻と息子と暮らすジョンの自宅、ジョージとリンゴが同居するフラット、ポールのガールフレンドだったジェーン・アッシャーの家などへも、臆すること無く入っていく。

(略)

本書の出版後は、ロマン・ポランスキーのアシスタントを務めた後、記者としてキューバベトナム南アフリカ、ロシアなどを廻り、ホルヘ・ルイス・ボルヘスウラジミール・ナボコフとも友好を深める。(略)

ミュージカル版「タイタニック」の共同プロデュースも手掛けるが、そのリハサール初日(略)心不全により60年の生涯を終えている。

 その死亡記事[によると](略)「ペイパーバック・ライター」のモデルはマイケル・ブラウン、とある。(略)

ABCシネマの舞台裏

 ABCシネマの舞台裏では、ビートルズをふくむ出演者全員が、ひとつの大きな楽屋につめこまれている。(略)

 黒いポロ・ネックのセーター姿のジョン・レノンが、大声をあげながら歩きまわる。

「お見送りの方は下船願います。まもなく出航です。下船してくださぁい」

 だれかがレノンとマッカートニーに、笑っているふたりの写真を見せる。

「えらく歯がたくさん写ってるな」とポール。

「いろんなことにかみつくのが好きだからさ」とジョン。

ヨークの映画館の楽屋

ふたりの少女が入ってきて、彼らにインタヴューを申しこんだ。そのテープを、病気で入院しているもうひとりの少女に聞かせてやりたいのだという。ジョンはグループから離れた片隅にすわっている。「もしかしたら、オレたちの楽屋に入るための口実かもしれない」と彼。「どっちにしても女というのは陰に隠れてるべきで、いちいち耳を貸してやる必要はないんだ」

「スイッチを入れなよ」ポールが、当惑気味の少女たちにかわってインタヴューを仕切る。

「きみの名前は?」彼はリンゴに訊く。「ジョン」とリンゴ。

(略)

少女たちはジョンのほうに歩いていった。「曲はどうやって書くんですか?」ダフネという名の少女が訊ねる。ジョンは答えない。ポールが部屋の反対側から、ききわけのない子どもをなだめるときの声で呼びかける。「お歌のことを話してあげて、ジョン、お歌のことを」

「いっしょに書くときもあるし」とジョン。「そうじゃないときもある。四時間かかる曲もあるし、二十分でできる曲もある。なかには三週間もかかったのもある」

「いままで書いた曲でいちばん好きなのは?」

「〈グラッド・オール・オーヴァー〉[当時ライヴァル視されたデイヴ・クラーク・ファイヴのデビュー・ヒット曲]かな」といってポールは、さらに大きく目をむく。

(略)

「あら、どうしましょう」とダフネ。「テープがまわってなかったみたい。どうもすみませんでした」

ホテルにて、『審判』

パジャマ姿のポールは、ロンドンで見たばかりの『審判』と言う映画の話をしている。ある言葉に関して誤解が生ずる場面を説明してると、その途中で電話が鳴る。

(略)

 彼らはまもなくスタートするアメリカ公演について話しはじめ、失敗に終わるだろうとの結論に達する。「なんたって」とジョン。「クリフもみごとに討ち死にしたんだぜ。フランキー・アヴァロンといっしょに出て、序列は十四番め、それにジョージがいってたけど、『太陽と遊ぼう』[63年・クリフの青春映画]は、セントルイスのドライヴイン劇場で二本立てのそえものだったそうじゃないか」

(略)

 ポールが電話の会話を終え、映画に関するおしゃべりを再開する。「『審判』でぼくがいちばん好きなのは(略)強制収容所をなにもいわずに歩いていくところだ。死んでるみたいに静かで、まるで別世界。でもそのうしろじゃ、エルザ・マルティネリが狂ったようにネッキングしてるんだ」(略)

ぼくはポールに『8 1/2』は観たかと訊ねる。「ああ、ピーター[アッシャー]に観たほうがいいといわれたよ(略)でもどうかな。こいつはぼくの友だちなんだけど、そいつにいわれてなにか観にいくたびに、一夜の娯楽としては退屈きわまりないシロモノばかりなんだ。『ネクスト・タイム・アイル・シング・トゥ・ユー』[劇作家ジェイムズ・ソーンダースの出世作。63年初演]を勧められて観たんだけれど、死ぬほど退屈だった。

(略)

自分たちが身につけたスラングのほとんどは、アメリカン・ニグロのスラングだという。

 「ただ、どうしてもあと追いになっちゃうんだけど」とジョン。「たとえばぼくらは『ススんでる[ウィズ・イット]』っていってるけど、この言葉、アメリカじゃもう二年前にすたれてる。それにぼくらがうたってる『イエー、イエー』も、二年ぐらい前にすたれた言葉だ。アメリカの有色人種のあいだじゃ、いまも使われてるけど」

 彼らは流行について話しはじめ、自分たちのケースをふり返る。「たとえば」とポール。「新聞は、ぼくらがウケてることに、ずいぶん長いあいだ気がつかなかった。こっちはもう一年も前から、手応えを感じてたのに。今回の御前演奏で、ようやく新聞も『こりゃなんだ?』って、興味をもち出した。

(略)

[アイドルにはセックス・アピールが必要かという話から]

 ジョンが、自分たちがステージに立つと、少女たちがマスターベーションをはじめるという話を聞いたと言う。

クリフ・リチャード偶像崇拝

ポールがいう。「はじめてクリフに会ったときのことはよく覚えてる。もうこの世界に入ってからのことで、クリフとシャドウズが、なんだか大掛かりなパーティに招待してくれたんだ。つまり、ぼくには『これで故郷の女の子たちに自慢できます』としかいえなかったってことさ。(略)」

「そうさ、そういうときは『いやぁ、すばらしいご活躍ですね』ぐらいのことをいうもんだ」とジョン。

ポール:「だってぼくら、一度もクリフのファンだったことはないから」

ジョン: 「ぼくらはずっとクリフを嫌ってた。ポップの嫌なところを全部もってるような感じがしてた。でも実際に会ってみると、ぜんぜん気にならなかった。すごく感じがよくてね。いまじゃ、ちょっと間がぬけてると思いませんかと訊かれても、いいや、と答えるようにしている。レコードはいまも嫌いだけど、本人はすごくいい人だった」

「偶像を崇拝するのは、ぜんぜん悪いことじゃないと思う」とポール。「つまりね、宗教を信じてない人は、『かわいそうに、カトリックの連中はみんな、神様がいると信じて、毎朝ミサに出る。そのためにわざわざ早起きして。あのあわれな連中は、司祭が神様だと思っているんだ』みたいなことをいう。ぼくも昔はつらいだろうなって思ってたけど、よく考えてみると、楽しんでるのはあっちなんだ。だって実際に信じてるんだから。

リヴァプール

 ぼくらはリヴァプールについて話をした。ポールがいった。「リヴァプールの住人には、ある種、ものをわかってるところがある。たとえばリンゴ――リンゴは二日ぐらいしか学校に通ったことがない。リンゴのママは三回も、お子さんの命はあきらめてください、といわれたんだ」

「とにかく」とリンゴを見ながらジョン。 「そんなにちょっとしか教育を受けてないのに、ちゃんとものの道理がわかってるってことは、二歳のときからずっと学校に通ってる連中にとっては、ちょっとしたショックじゃないかな」

 リンゴが顔をあげて、「おじいちゃんによく訊かれたよ、バッティングするには髪が長すぎやしないか、って。生意気なことをいうと、すぐにやられてたからね」

 「バッティングっていうのは、頭突きをあらわすリヴァプールの言葉だ」とポール。「不良の子どもがぼくの弟に、『うかうかしてるとバッティングを食らわすぞ』 といってたのを覚えてる。で、弟は実際にやられちゃったんだ」

 「バッティングは」とジョン。「リヴァプールの乱暴者がいちばん最初に使う手だ。 ぼくもいっぺんだけやってみたことがあるけど、向こうが動いたせいで、あやうく、頭がぱっくり割れそうになった」

ウェストモアランド伯爵夫人

 サマーヴィルは、舞踏会を主催したウェストモアランド伯爵夫人が会いにきていることをメンバーに伝える。

「失せろといってくれ」とジョン。ソファに腰かけた彼は、むっつりした表情を浮かべている。 「今夜のぼくらがよかったというやつがいたら、そいつの顔にツバをはいてやる――最低だった」

 自分たちの出番を反省するジョンを尻目に、ポールはウェストモアランド夫人と話をしようと、スイートの広間に入っていく。と、突然、居間に駆けもどってきた。

「おい、 いいから見にこいよ(略)ぜんぜんしわくちゃの婆さんじゃない……けっこうキュートだぜ」

ジョン宅にて、『イン・ヒズ・オウン・ライト』

 数日後、ぼくはジョンのフラットを訪ねた。(略)

プレイヤーにはレコードがうず高く積み重ねられ、ぼくらの会話中は、ミラクルズとシレルズがかけられた。ジョンはTシャツ姿で、ステージでは決して使わない角縁の重い眼鏡をかけていた。椅子に手足をのばして腰かけ、リラックスした様子だったが、実はまだ余興のことを気に病んでいた。

サウンドがすごく大事なのに、グローヴナー・ハウスじゃそれがぜんぜんなってなかった(略)最初のレコーディング[62年のデッカ・オーディション]を思い出すよ。ぜんぜん自然に聞こえなかった。ポールが〈ティル・ゼア・ウォズ・ユー〉をうたったんだけど、まるで女みたいに聞こえたからね。〈マネー〉をうたったぼくは、気がちがってるみたいだったし。〈ハロー・リトル・ガール〉と〈ラヴ・オブ・ザ・ラヴド〉のデモをつくったころには、もう問題なくなってたと思うけど」

(略)

プレスリーはステージでやってたことを、また映画のなかでくり返してる。でもそれで何百万も稼いできたし、ああいうことをはじめたのも、もともとはそれが目的だったんだ。プレスリーは好きだけど、真似をしたいとは思わない。ぼくらの曲のなかにはアメリカっぽいのもあるけど、それをアメリカっぽくうたうと、ぜんぜんうまくいかない。アメリカ人になるのは無理だって、はっきり思い知らされたよ。〈フロム・ミー・トゥ・ユー〉も、最初にうたったときはアメリカっぽくて、でもそれは、ぼくらの目指してるものじゃなかった」

 彼はビートルズがつくる予定の映画について話しはじめる。「この映画が出たら、世間にもぼくらは俳優じゃないのがわかるだろう。それで俳優業は一巻の終わり。一年がかりでやれば、悪くない映画ができるかもしれない。でもぼくらは大急ぎで撮る予定だし、そういうふうにさっさと片づけないと、撮影が終わったとき、自信を全部なくしてる、なんてことになりかねない。

 つまり、ぼくらはだれもセリフを覚えるつもりなんてないってこと。まずぼくはその気がない。集中力がからきしなくて。それに四人そろって撮影しようとしても、だれかひとりが絶対ドジを踏むに決まってる」

 ぼくはセリフを覚えるかわりに、自分たちの役柄を即興でつくっていってはどうかと提案する。「ほんとのところ、ぼくらにアドリブの力はない」とジョン。「ぼくら四人のあいだでなら話はべつだけど、それじゃあまりにも内輪すぎる。つまり、ぼくらがいつもしゃべってることについていける人なんて、五本の指で数えられるぐらいしかいないってことさ。いや、映画は映画としてスタートさせて、けっきょくは向こうが、ぼくらにはいつもどおりのことしかできないことに気づくってかたちがいいね」

 彼はスコッチを飲み、さらに身体をだらしなく広げる。「なんでも、はじめてっていうのは嫌なもんだ。最初のレコードをつくったときも嫌だった。はじめての映画でも、五本めみたいなつもりでやれるといいのに」そこで彼はしばし黙考する。「ぼくら用の脚本を書けるのは、ぼくらだけだ」 脚本にある彼の最初のセリフは、 ポールが父親とともに登場するシーンで発することになっているものだという。 「ぼくは『おや、そのお友だちはだれだい、ポール?』ということになっている。でもぼくがそんなこというわけがない。きっと、『その老いぼれはだれだ?』というだろう」

(略)

「あと十五ぐらいたまったら、出版したいと思ってる。(略)これはなにかっていうと、ぼくらのユーモアを紙に書いたものだ。というよりぼくのユーモア。ポールやジョージ以上にね。こういうのだとすごく簡単に書ける。おだてられたら、顔がまっ青になるまでずっと書きつづけるだろう」

 彼はその本を『ジョン・レノン・イン・ヒズ・オウン・ライト』と名づけるつもりでいる。タイトルは、ポールが提案したものだ。ぼくはイラストも自分で描くのだから、『ジョン・レノン・イン・ヒズ・オウン・ライト・アンド・ドロウ』にするべきなんじゃドロウないかという。

「右利きの拳銃[ライト・ハンド・ドロウ]ね」とジョン。

 ぼくは、彼の文章の部分部分が、『ユリシーズ』とよく似ていることを指摘する。ジョンはジョイスを読んだことがなく、文学的な影響として考えられるのは、ルイス・キャロルだけだという。

「そういうカルチャーっぽいことにはあまり興味がないんだ、ポールはちがうけど(略)あいつはだれかの名前を聞きつけたら、すぐに飛んでいく。 ぼくは仕事がないときは家にいたいほうだけど、ポールはハリー・シーカム[「グーン・ショー」で人気に]や『素晴らしき戦争』[63年初演・反戦コメディ]を観にいく。ぼくもああいうのを好きにならなきゃとは思うんだけど、好きになれない」

エプスタイン

彼はしばしもの思いにふける。「わかりますか」とエプスタイン。「ビートルズは二十四時間前まで、自分たちが次になにをするのか知らされていません。ある意味で、わたしは彼らがここまで成功したことを悔やんでいます。ジョンはとてもユニークな男です。去年、いっしょにスペインで休暇をとったときに、ずいぶん深く知り合えましてね」そこで一瞬、間があった。「いまは(略)ジョージがいちばん近しいでしょう。少なくとも彼は、この仕事のビジネス的な側面に興味をもっていますから」ふたたび間。「わたしがいいたいのはつまり、わたしはもう、ビートルズのビジネス面を管理するだけで手いっぱいで、ですからどうしても、他人の手を借りないと、あの子たちの面倒は見きれないということなんです」

デイヴ・クラーク・ファイヴ

 ブライアン・エプスタインの個人的なアシスタントを務めるバリー・レナードが、「ビートルズのマネジメントはあまりにもストレスが多すぎる」という理由で職を辞した。[デイリー・エクスプレス]の記事で、レナードはビートルズとの日々をふり返り、そのなかでポールはグループを抜けたがっていて、リヴァプールなまりも消そうとしていると発言した。

 ビートルズが会計士のオフィスに集まったとき、エプスタインがポールにこの記事の話をした。「バリーはきみがなまりを消そうとしてるといってるよ」

「できるもんか」とジョンが、張り子のビートルズ人形をいじくりながらつぶやいた。

 

 パリに出発する二、三日前、ビートルズのレコード〈抱きしめたい〉が二か月近く保持していたナンバー・ワンの座から蹴落とされたことを、ふたつの全国的なポップ・チャートの片方が伝えた。その曲にとってかわったのは、トテナム出身のグループ、デイヴ・クラーク・ファイヴが吹きこんだ〈グラッド・オール・オーバー〉というレコードだった。(略)

レコード業界人の多くは、デイヴ・クラークのことを、ルー・グレイド[彼の率いるATVは69年ビートルズ著作権を獲得、買収をめぐるゴタゴタがビートルズ解散の一因となった]の巨大なタレント帝国が大々的に報復する先触れにすぎないと考えていた。エプスタインのリヴァプール・グループが勃興するまでは、実質的にイギリスのポピュラー・ミュージックを牛耳っていた人物である。

(略)

 漫画家たちは、ここぞとばかりに腕をふるった。(略)

デイヴ・クラーク・ファイヴが演奏している劇場の外で、一群の少女たちが十六歳ぐらいの少女を指差している。「あの娘、すっごい年寄よ(略)だって、ビートルズを覚えてるんだもん」

歓喜のポール

 ホテルにもどった彼らは、フランスでの最初のショウに乾杯した。(略)

騒ぎの最中に、ニューヨークからエプスタインに電話があった。〈抱きしめたい〉がアメリカで百五十万枚を売り上げ、全米チャート入りから三週めにして、ナンバー・ワンの座にのぼりつめたのだ。(略)アメリカ人以外のアーティストによるものとしては、史上初の快挙だった。エプスタインが電話を切ったとたん、デトロイトからべつの電話がかかってきた。一回の出演料として、一万ドルを提示する電話だった。エプスタインからニュースを聞くと、ポールはマル・エヴァンズの背中に登り、肩車でスイート中を駆けまわった。

ジェーン・アッシャー

 ジェーン・アッシャーが数日の予定でパリを訪れ、ソルボンヌの近くの小さなホテルに宿をとった。はじめてのパリ旅行で、彼女は街を見たがっていたが、ポールは見つかるとまずいといって、ビートルズオランピアで演奏するあいだ、ジョルジュ・サンクのスイートで待っているよう指示した。

「いかにもポールらしいわ(略)だって馬鹿みたいじゃない、わたしだけホテルに居残るなんて。単純にポールは、自信がないのよ。たとえばしょっちゅう、将来のことには興味がないといってるけど、でもぜったいあるに決まってる。でなきゃ、あんなに何回も口にするはずがないもの。問題は彼が、ファンからもわたしからもお追従をほしがること。すごく自分勝手なの――それが彼のいちばんの欠点ね。わたしの彼に対する気持ちはほんもので、ファンのはまやかしだってことがわからないのよ。もちろんこれは、男の子みんなについていえることだけど。はじめてビートルズに会ったときは、全員が好きだったわ。でもそのあと、ポールがもっと好きなことに気づいて、そしたらほかの三人は、みんなわたしのことを怒りはじめたの」

〈ワン・アンド・ワン・イズ・トゥ〉

パリで、すでに書き上げていた〈ユー・キャント・ドゥ・ザット〉という曲の演奏部分をレコーディングすることはできたものの、自分たち用の曲を書くひまはなかった。しかし同じくエプスタインの傘下にいるビリー・J・クレイマー用の新曲を仕上げる時間はあった。

 その曲は〈ワン・アンド・ワン・イズ・トゥ〉といい、ある晩、オリンピアでの公演後に、ジョルジュ・サンクのスイートで仕上げられた。まだステージのメーキャップを落としていないポールが、居間のひとつに置かれていたピアノに向かった。ポロネックのセーターにサングラス姿のジョンは、テーブルの前にすわってギターを弾いた。テープレコーダーから延ばされたマイクが、フロアランプにくくりつけられている。 ポールがうたいはじめた――

 

一たす一は二

ぼくはどうすりゃいい?

きみに恋しちゃったんだ

 

 ときおり、ジョージがドアから首をつっこんで、演奏に耳をかたむける。「『一たす一は二』ってのを、ひとつ減らすといいんじゃないの?」途中で彼が提案する。「あと『する[ドゥ]』と『ユダヤ人[ジュウ]』でなにかできない?」

「ぼくは孤独なユダヤ人」とジョン。「これでどうだ?」

 リンゴはぶらぶらとあたりをうろつき、退屈だといって、ナイト・クラブにジャズを聞きにいかないか、とジョージに声をかける。そのかたわらでジョンは、ジョージの提案を検討中。

「そこんとこがどうしてもひっかかるんだ。 ええっと、『トゥルー』、『ブルー』、『イッツ・ア・ポイント・オヴ・ヴュー』……」

 ジョンはハーモニカを吹き、そのうちにふざけはじめる。ポールはずっと真剣だ。彼らは場所を交代する。ジョンがピアノの前にすわり、ポールがギターを手にとる。ポールはマイクに向かってうたう。ジョンは相変わらずサングラスをかけたまま、ピアノでコードをたたく。いつのまにか、革のキャップもかぶっている。

「ポールがボブ・ディランのレコード[デビュー・アルバム]を買ったんだ(略)で、見ると、ジャケットでこれとおんなじ帽子をかぶってるのさ。ぼくのとおんなじようにボタンもはずして。きっとみんな、ぼくがあっちの真似をしたと思うだろう」

 曲を三回録音したところで、ジョンは満足するが、ポールはまだ出来がよくないと思っている。ジョルジュ・サンクのメモ用紙に書かれた歌詞が、スイートに散らばる数百通のファンレターに紛れて、無造作に広げられている。

(略)

 ポールは歌詞を一部手直ししている。それが終わるとジョンを呼び、ふたりはまたその曲をうたう。それからポールはロンドンで、テープを心待ちにしているディック・ジェイムズに宛てたメッセージを曲前に吹きこむ。

「これでだいじょうぶだと思う」(略)

「この曲を受け取ったら、ビリー・Jももうおしまいだ」とジョン。

リンゴ

 リンゴはピアノにふらふらと近づき、即興でブルースを弾きはじめる。

「おれのおふくろはバーの女給」と彼はうたった。「親父はペンキ屋だった……。

 最初はエンジニアになろうとしたんだけれど、初日に親指をたたいちゃって。ドラマーになったのは、それしかできることがなかったからだ。でもほかのドラマーを聞くたびに、自分のダメさ加減を思い知らされる。ぼくがうたう歌は、ジョンが手ほどきしてくれた。オフビートでしかたたかないのは、ジョンがリズム・ギターでついてこれなくなるからだ。技術的な部分はダメだけど、動きはかなりイケてると思う。首をふったり、とか。(略)

 ハンブルクではじめて連中に会ったときのことはよく覚えてる。 みんながこのバンドの噂でもちきりでね。

(略)

 リヴァプールにもどると、ピート・ベストが病気になるたびに、ぼくがかわりにたたいていた。ランチタイムのときもあったな。一度、ニールにベッドからたたき出されて、でもドラム・キットがなかったことがあった。ぼくはシンバルだけもってステージに立ち、そのあとでピートのキットが、ひとつずつ届きはじめたんだ。

 たぶん、あと四年はじゅうぶんやっていけるんじゃないかな。(略)

 自慢する気はないけど、ぼくらがリヴァプールでやってたころ、ぼくはあの街の二大ドラマーのひとりだった。よく、ひと晩十シリングで演ったもんだよ。

エドサリヴァンディジー・ガレスピー

[ビートルズかつらをつけたエドサリヴァンが]ジャック・パーの娘のランディにかつらの謝辞を述べる。パーとサリヴァンは長年のあいだ、反目しあっていたが、この番組の切符をどうしても手に入れたかったミス・パーが、父親を説得して仲直りさせたのだ。

(略)

 ドアが開き、トランペッターのディジー・ガレスピーが入ってくる。「なんて騒ぎだ!」と毒づく彼を、[サタデイ・イヴニング・ポスト]のアルフレッド・アロノヴィッツが、サマーヴィルに紹介する。

「はじめまして」とサマーヴィル。

「ステージは見せてもらえるんだろうな、えぇ?」 ガレスピーが訊ねる。

 サマーヴィルが躊躇するのを見て、アロノヴィッツが訊く。「この人がだれだか知ってるのか?」

「名前は聞いたことがあります」

 ちょうどそこに、ジョージが通りかかる。彼はガレスピーに「はじめまして」と声をかけ、サマーヴィルには「靴をなくしちゃった」という。

「おまえらを聞きにきたんじゃない」とガレスピー。「じっくり見ときたかっただけだ」そして彼はジョージにサインを頼み、受け取ると、「カウント・ベイシーのレコードニ枚ととりかえてこよう」

 このやりとりのあいだに、アメリカではじめてビートルズのレコードをかけたワシントンのDJ、キャロル・ジェイムズがポータブルのテープレコーダーをとりだし、会話を録音しはじめる。そこにCBSの警備員があらわれ、テープレコーダーのもちこみは禁止だと告げて、ジェイムズを外に追い出す。

 ジェイムズが放り出されるのと同時に、ジョージは自分のラジオのイヤホンをとりだし、それをガレスピーの口にあてて、自分なりのインタヴューをスタートさせる。「英米の関係[リレイション]に関心がありますか?」

「あるよ」とディジー。「親戚[リレイション]なら二、三人いる」

便乗

ビートルズがマイアミにいるあいだに〈ビートル・カットのボーイフレンド〉、〈ザ・ボーイ・ウィズ・ビートル・ヘアカット〉、バグ・コレクターズの〈ビートル・バグ〉、〈ザ・ビートル〉といったレコードが新たにリリースされた。「ビートレッツ」、「ブートルズ」といった新しいグループが結成され、ひざの高さまであるブーツがトレードマークの後者は、〈アイル・レット・ユー・ホールド・マイ・ハンド〉なるレコードでデビューした。このグループのデビューを伝える記事に、[ヴァラエティ]は「大金をかせぐ[ブートル]ビートルズをうらやましげに見るブートルズ」という見出しをつけた。