音楽と数学の交差

音楽と数学の交差

音楽と数学の交差

 

対数は“紙計算機”

第一主題は素数の発見、それは紀元前300年頃のユークリッドの時代でした。(略)この少し後の紀元前150年頃、天文学者ヒッパルコスは三角法による測量をおこないました。これが後に三角関数と呼ばれるようになります。以後、三角関数は地球と天球を測る最強の言葉として君臨し続けることになります。

(略)

 そして長い第一主題の後、第二主題が始まります。それは突如1614年、スコットランドで奏でられました。ジョン・ネイピア (1550~1617)による対数の発見です。大航海時代(略)天体位置計算によって天測暦が作成され、それを頼りに船乗りは地球上での船の位置を割り出します。(略)

桁数の大きい三角関数同士の掛け算を速くおこなう計算法が求められていました。

 それを解決したのが、エディンバラにあるマーキストン城の城主ネイピアが20年の歳月をかけて作り出した画期的計算法、対数だったのです。(略)

対数は今では科学では必要不可欠な当たり前の存在となっていますが、そもそも掛け算を足し算に変換して劇的に計算を早くおこなうために考えだされた“計算機”だったのです。それが紙に印刷された対数表でした。対数とはいわば紙計算機だったのです。

(略)

小数点も指数もない時代、ネイピアは対数を考え出した

(略)

logos (神の言葉)と arithmos (数)を合わせて logarithms という新しい言葉をつくりあげました。対数 log とは「神の言葉としての数」という荘厳な響きを持った言葉だったのです。さらに、20年間たった一人で計算をつづけて製作した対数表が載った本のタイトルは“The Description of the Wonderful Canon of Logarithms (驚異の対数法則の記述)” でした。Canon は音楽のカノン(追複曲)であり、科学では法則という意味で使われます。logarithms と並んで書名に盛り込まれた wonderful という言葉からネイピアの並々ならぬ思いが伝わります。こうしてネイピアが対数を作る中で発明したものこそ小数点でした。(略)

小数点の発明により無理数、つまり実数を手にすることへの大きな一歩を踏み出すことができたのでした。

現代音楽 

 現代音楽は、歴史が長い時間かかって作り上げた調性という音楽システムを超える価値観を、無調音楽に与えることに成功したわけではありませんでした。作曲家と意識を共有する現代音楽を支える自覚的な聴衆は、決して音楽愛好家の多数派になることはできなかったのです。ドデカフォニー(12音技法)と、その後継者たるセリー主義者たちの音楽は、必然的にオクターブの中の12の音を平等に扱います。その音の選ばれ方には調性音楽のような必然性はありません。もちろん曲によっては、ある特定の音が強調される場合もありますが、それとても偶然性というか作曲者の気まぐれというか、そういうものです。この音楽では、一音一音の音のベクトルはどの方向を向いてもよいわけです(もちろん、時間軸としては正の方向だけですが)。その整合性は、ただ作曲家の感性か、彼の作った理論に委ねられます。

 つまり、この音楽の前提条件はきわめて対称性が高いと言えます。もちろん、作曲していて、一つの音から次の音に移るとき、ある一つの音に決めた瞬間にその対称性は破れるのですが、全体を通じてその破れ方の必然性が弱ければ、その曲の均質性は高いということになります。つまり、どこをとっても印象があまり変わらない音楽になりやすいということです。そして、平均的に不協和音が鳴ることによって、暗さが持続してしまいます。しかし、芸術は暗いことが当たり前だったその時代、この音楽たちは格好良くもあったのです。

 戦後がまた「豊かさ」を取り戻す時代になると、“暗い”現代音楽はだんだん時代の片隅に追いやられていきます。しかしまた、スティーヴ・ライヒ(1936~)らによるミニマルミュージックなどの新しい現代音楽も現れ、電子音楽や、コンピュータ音楽、ノイズや音響によるサウンドインスタレーションのようなさまざまな現代音楽も生み出されました。また、環境音楽サウンドスケープといった分野も生まれます。

 また、20世紀のもう一つの大きな音楽潮流であるジャズは、アフロアメリカンの生み出した独特の即興演奏を中心にしながら、そのスタイルや理論はわずか50年でヨーロッパ・クラシック音楽の500年の歴史を追体験するような発展をし、40年代のビバップから50年代にはモダン・ジャズが、60年代にはモード・ジャズから無調のフリー・ジャズにまで至ります。

第三章 音楽と数学の本質

対談 桜井進×坂口博樹

無限の果てに魑魅魍魎の「ランダム 」

桜井 20世紀には数学の世界で重要な発見がありました。「ランダム」です。1、2、3、4は、規則的な自然数です。ところが、その中にもランダムがあるということが見つかってきたのです。 素数の根底、無限の根底にどうやらランダムがある。20世紀の現代音楽ではランダムなスタイルが流行ったでしょう。実験音楽だとか言って。あの音楽を作った人たちは、ランダムが持っているすごさを感じ取ったのだと思うのです。ピタゴラス無理数をとらえることができませんでした。無理数は、ビタゴラスの頭をもってしても合理的には考えられなかった。irrational(不合理)だったのです。だから、無理数は irrational number と言います。それは非合理的で、非理性的な、反逆した数でした。

(略)

秩序ある世界を探っていくと、ランダムが見つかったというわけです。それがゲーデル不完全性定理なのです。(略)

神様はいないという結論を導いてしまったのです。

(略)

ランダムというのは数学の言葉で、それを物理の言葉に直すと、「不確定性原理」になる。これはどういうことかというと、数の世界と物の世界は表裏一体であるという可能性が出てきたのです。(略)

だから、ハイゼンベルグ不確定性原理は、この物の世界=見える世界=宇宙世界で、それに対応しているのがゲーデル不完全性定理なのかもしれないということです。

(略)

坂口 シュトックハウゼンは、ハイゼンベルグ不確定性原理に影響されたと、はっきり証言しています。当時は他にも積極的に数学的な手法を使った作曲家は多かったのです。数列や乱数表を使ったり。(略)クセナキスにいたっては、確率を使ったり、分子方程式を使ったり……。彼はもともと建築家で、ル・コルビジェの弟子でした。

(略)

桜井 19世紀後半から20世紀初頭までの数学は、まさに美と調和の世界を「これでもか」というくらいに表現したような黄金時代でした。音楽で言うと、モーツァルトベートーヴェンの音楽のようにきれいなメロディーラインがあるというような、そういう数学だったのです。数学者オイラーがまさにそうで、物理の世界でいうと、アインシュタイン相対性理論のように短い数式で宇宙の法則を見事に表現して、それは非常に美しい。しかし、美と調和の黄金時代を経て、結果として行き着いたところは魑魅魍魎のランダム、不確定性原理でした。

(略)

数学は無限を追いかけてきました。無限を追いかけてきたら、無限の園に行き着いた。そこは結構きれいなのです。美と調和の世界。ところが、ゲーデルチャイティンは、無限に続く論理の果てに、ランダムというとんでもない悪魔の入口があることを見つけてしまった。無限がランダムによって支えられていると言ってもいいです。(略)

無限の本質、すなわち数学の本質かもしれません。リーマン予想も、素数もそうなのです。でも私たちは、まだそのランダムを理解しきれていない。未来の話をすると、21世紀には、このランダムを聴く心、感性が必要になるでしょう。

坂ロ たぶん、作曲家でその入口に到達したのがヴェーベルンという人です。ちょうど第二次大戦の終わり、確か終戦の次の日に撃たれて亡くなってしまいますが。彼が作り上げた世界というのは、音をランダムな12音の数列にしてしまうのです。それをものすごく凝縮して短い曲の中に深い音宇宙を作りました。彼には、きわめて先見的に、ランダムの調和というものがわかっていたのではないかと思われます。あまりにも彼の感性は時代を超越していたのです。ドデカフォニー(12音技法)は彼の師シェーンベルグにより始められましたが、それがより発展して50年代のトータル・セリー、すべての音的な要素、音の高さだけではなくてリズムから何から、すべてを数列にする手法に発展していくのです。

(略)

 20世紀の初めにそれまでの西洋音楽の調性とかリズムとか、心地よい音楽を否定する音楽が生まれました。(略)それがあまりにも前衛的に行き過ぎて大衆からかけ離れてしまったがゆえに、正直なところ今では音大アカデミズムの世界にしか残っていないと言っても過言でないかもしれません。(略)

面白いのは、そういうランダム性の高い現代音楽が流行ったあとに、ミニマルミュージックといって非常に単純なというか、デジタル的な音の繰り返しの音楽が流行りました。スティーヴ・ライヒやテリー・ライリーといった作曲家たちが中心でした。クラフトワークはそのポップス版と言えるでしょう。一つの揺り戻しなのですが、それもまた古い音楽理論の否定はしているのです。

(略)

そのミニマルミュージックも一定の流行りは過ぎて、今、活躍している現代音楽の作曲家は、現代音楽の古典に戻っているようです。50年代くらいの作り方に戻ってしまって、あまり面白くないですね。

桜井 アナログのレコードとCDではどちらの音がいいかという議論がずっとなされていますが、それは、数学と物理学で説明できます。デジタルを究極にしたのがアナログです。レコードの音はアナログだから時代遅れだと思う方がいるかもしれませんが、数学を勉強した人は逆なのです。アナログの音が究極の音なのです。CDは1秒間を(略)4万4100分割しています。(略)

もっと分割を細かくしていくと、より分解能が高くなって、いい音になる。

(略)

アナログレコードの原理はマイクから録った音の波形をそのままカッティングします。レコードのほうが原音に近いのです。だから究極で、圧倒的な差があるのです。レコードの方がそのぐらい情報量が多いと言えます。

ランダムそのもののリズムを聴く感性 

桜井 [ジャクソン・ポロックは]ペンキをボタボタとランダムに落としたと言われましたが、数の世界では何がランダムかというと、円周率ですね。円周率は 3.1415926…と、続くでしょう。(略)

ペンキをバラバラ落としているようなランダムな数が出てきているわけです。円周率はまさにランダムを奏でる究極の音楽と言えます。円周率が持っているランダムがいったいどういう正体なのかはいまだにわかっていません。

 19世紀の黄金時代を夢見ている人たちは、ランダムの中にもリズムを見つけようとしています。でも、私は少し違うような気がします。むしろ、ランダムそのもののリズムを聴く感性が必要になるのです。19世紀のようなきれいなリズムが出てくること……、もちろん出てきたらそれはすばらしいことなのだけれども、そうではないまったく違うリズムを聴くことによって、あの円周率の数の出方に光明が射すのではないかと思っています。

坂口 私たちの五感などが変わってこないと聴こえないということでしょうか?

桜井 量子コンピュータが見せるとてつもない円周率の計算結果を見て、私たちの心がインスパイアされるというのかな..…。

坂口 その可能性があるということですね。それは、音楽にも影響を与える可能性がありますね。数学で、数がまったく新しい世界を我々に見せてくれたら、音楽もきっと変わりますよ。そういう意味でも音楽家と数学者、いや芸術家と科学者は、専門の砦にこもってないで、もっと交流する必要があるでしょうね。音楽家ももっと数学を勉強してインスパイアされなければなりません。

「音楽の本質はすべて時間ではないのか」 

坂口 数学の本質が「ランダム」だとすると、音楽の本質は何か。ちょっと今、思っていることは、「音楽の本質はすべて時間ではないのか」ということなんです。

 音楽の本質はすべて時間にかかわること……というか、時間の再構成が音楽だと思うのです。通常、時間系列の「拍」とか「リズム」というものが音楽にとっての時間と言われるのだけれども、実は「音の高さ=ピッチ」も時間なのではないか、と。結局はピッチもミクロな時間じゃないですか。大きなリズムというのは音楽の中ではマクロな時間で、ピッチはミクロな時間なのです。しかも、ミクロな時間の複合です。ごく単純に考えると、正弦波はパルスを持っているわけですから、そこは一つの時間単位なわけです。ピッチは音の高さです。高ければ高いほど、振動数は大きく、細かくなります。

(略)

高い音というのは倍音といって音色の中で聞いているのです。音というのは一つの音でも一つの振動ではないのです。複合した振動であって、要するに波が重なった振動です。フーリエ変換をすると、sin波に分解できるということです。

(略)

一つの音の中にもいろいろな周波数の音が複合して一つの音になっているわけです。それをバラバラに取り出すと、いろいろな正弦波が出てきます。正弦波だけでなく波というのは、一定の時間の中に何回振動しているのかということでしょう。そういう時間性をもっていると思うのです。

 結局、音が高いということは一振動の時間が短い、つまり時間の進みが早いということなのです。音が低いということは、時間がゆっくりしている。しかも、たった一つの音でも複合音である限りいくつかの時間が融合してでき上がっています。それが音楽全体ということになると、時間のズレみたいなものが人間にとって非常に刺激的になってくるのではないでしょうか。ピッチすら、時間に関することなのです。さらにその音を構成していくときには、もっと大きなマクロの時間で構成していく。譜面の本質というのは、音の高さと時間の流れなのです。あとは、ダイナミックス(音の強さ)とか