キャロル・キング自伝 その4

前回の続き。

キャロル・キング自伝 ナチュラル・ウーマン
 

夫リックのDV

リックは自分の作る曲がメロディアスで、歌詞には世界中が求めるメッセージが込められていると信じて疑わなかった。彼は自分がムーディー・ブルースと同等、あるいは彼ら以上の名声を獲得するにふさわしいシンガーだと確信していたのだ。(略)

 ヨーコとジョンに会って以来、リックはスターになる目標に向かって全速で走り出していた。自身の音楽的素養の不足は弱点とせず、かえって音楽知識に富んだ作曲家やミュージシャンよりも、自分のほうがオリジナリティがあり、それは財産だと受け止めていた。彼が自由なチューニングで弾く未熟なギター・プレイを、ジョニ・ミッチェルの創意に富んだチューニング奏法と比較して、彼女が成功したのだから自分も成功するに違いない、との見解を示した。彼がスターへの道を追求するということは、遠回しに、私の作曲やレコーディングにより深く関わりたいと言っているのだった。彼は私の作曲パートナーとして曲のアイデアを言葉にし、私にそれを曲に仕上げてくれることを期待した。そして私は応じた。

(略)

私はリックに恋していて、彼の包囲網が私を締めつけていることに気づかなかったのだ。網がこんがらがって、脱出できなくなるまで……。

 これを書くのは本当に辛い。

 私はリック・エヴァースから、身体的虐待を受けていた。しかも一度ではない。何度もだ。

 これを書くのはもっと辛い。

 それでも私は彼の元を離れなかったのだ。

 一目惚れだった熱烈な出会いを経て、私をLAから脱出させてくれる唯一の人間となったリックは、ますます魅力的に映っていった。彼は私を勇気づけるために何でもやってくれた。だが私がリックに頼れば頼るほど、網は狭まっていったのだ。包囲網が狭まれば狭まるほど私は彼に頼る。自分を見失えばその分だけリックを信頼する。私が自分を見つけるには彼の言うことを信じるしかないのだ。それは、私が自らの意志で踏み込んでしまった自滅への悪循環だった。

 最初の虐待のサインは一九七六年初頭、知り合ってわずか三カ月後だった。寝室でたたんだ洗濯物をしまっているところにリックがやって来て、さっきの電話は何だったのかと尋ねる。(略)私は正直に、仕事上のマネージャーのオフィスの人からよ、と答えた。すると何の警告もなく突然、右手の拳で私を殴ったのだ。力いっぱい、まるでボクシング・リングにいるみたいに。

(略)

絨毯の上で顔を押さえて泣く私を見て、リックは一気に崩れ落ちた。自分のやったことに呆然としながら、私を両手で抱え上げ、ベッドの上に座り、私を腕の中に抱きしめた。そしてどうしようもないほど泣きじゃくり、もう二度としないと誓うのだった。「なんてことだ、キャロル、ごめんよごめんよ。君を痛めつけるなんて信じられない、なんてことをしてしまったんだ。ものすごく愛してるんだよ。君を傷つけるつもりじゃなかったんだよ」

 私を殴ったばかりの男は、私以上に泣き崩れていた。彼は口ずさむように、歌い始めた。「ごめんよベイビー、ごめんよ、本当に。もう二度としないから。絶対に、二度としないから。ものすごく愛してるんだ。償うためならなんでもするよ。約束する。もう二度と、決して、君を傷つけたりしないから」

 愚かな私は、それを信じてしまったのだ。

 その後の数カ月はリックの素行も良く、優しくて思いやりがあり、愛情に溢れ寛大だった。次の虐待までは。それは前と同じように、何の警告もなく突然やってきた。前回同様、私たちは寝室にいた。私はまったく当たり障りのないことを言ったのに、バン!と殴られ、再び床に倒れ込んだ。だが今度はショックを受けるよりも怒りが上回った。

「どうしてそんなことをするの?」

[前回同様泣いて許しを請う夫]

彼はタオルに氷を包んで持ってきて、私の顔にそっと当てた。(略)

「見て、彼はこんなに愛情いっぱいに私の世話をしてくれる。水を持ってきてくれるなんて優しい人。後悔しているのよ。もう二度とやらない、と言っているし」

(略)

あの当時の自分に共感することはとてもできない。だが、それは間違いなく私だった。

(略)

男に頼り、操られることで危険な虐待関係に足を踏み入れてしまった女だった。相手の男はあまりに愛情に飢えて感受性が間違った方向に向いていたため、女の不安を直感的に感じとり、女を楽器のように“演奏”することができたのだ。

(略)

それは、自分の信じるものを手放したくなかった女だ。(略)

私は、彼が優しいときを正常の状態だと思い、虐待するときを例外と思い込んでいた。

(略)

彼は私の友人から否定されて多くのプレッシャーに苛まれている、私を奪ったことでみんなが彼を恨んでいる、女のほうが稼ぎが良いと男は辛い、彼は絶対に子供達の前では手を上げない。

 いくらでも言い訳は立った。だがどれ一つとして、それでも彼のそばに居続ける私の行動を、正当化するものはなかった。

 一九七六年、リックは、二人の関係は平和で愛と喜びと幸せに満ちているのだと思い直すにちょうどいい期間を空けて、バン!と殴る、それを繰り返した。何が引き金になるのか分からなかった。リックのスター街道が思うように開けないからだろう。私が注目されすぎるからだろう。女友達との電話が彼には長すぎたからだろう

(略)

私はまったく合理的に考えることができなかった。完全に自分を見失っていた。比較的自信に溢れた女性だったはずだが、そんな自分はどこかに消滅していた。

(略)

なぜその男と一緒にいるの?(略)私は、その答えを探すより質問を無視して、虐待者に発散させる場を与え続けたのだ。

(略)

リックはそのひねくれた感受性で、どこまでなら私の心をつなぎとめておけるか正確に分かっていたのだ。もし子供達に意地悪なことを言ったら、即座に私を失うことも分かっていた。だから絶対に子供達に悪さはしない。

(略)

私は虐待の繰り返される空間を作る共犯者でもあった。そもそも私がリックにここまで傾倒していったのは、彼の虐待を否定する才能があったから。(略)

虐待は、私たちの本当の関係を描いたものではないのよ、と言わんばかりに。彼の元を離れたくないがために、彼が惨めな思いで謝るたびに二人の間の精神的拘束は強くなっていた。

(略)

彼が永遠の愛と献身を明言すると、私はキスされて償われることに感謝し、彼の言うことを何でも信じようと思うのだ。それは、危険だが、魔力をもった力学だった。一瞬どん底に落とされて無力になるが、次の瞬間、すべてのパワーが自分のものになるのだ。

(略)

 リックと付き合うまでは、このような虐待関係に自分が身を置くなど想像もできなかった。虐待の被害を受けるのは、教養のない女性や、世慣れしていない女性、金もなく自信もなく、父親や男家族にアルコール中毒や依存症患者をもつ女性、肉体的もしくは性的な虐待を通じて威張り散らすような男に支配される女性だけだと思っていたのだ。私の父はいっさいそんなことはなかったし、それまで付き合ってきた男性も同様だ。私には収入があり、世界的成功を収めた経歴もある。助けを求められる友人や家族はたくさんいる。徹底した安全対策を敷いて、リックの元を去ることもできた。虐待関係に身を置く女性には、常に批判的な姿勢をとってきた。私はいつもこう思っていた――そんな男と一緒になってしまったら、最初に殴られたその瞬間に飛び出している。虐待者のそばにいるなんて、考えられない。……私がその立場になるまでは。

 そんな日々をくぐり抜けながら、私の音楽活動は続いていた。

リック、バンドメンバーを殴る

 一九七六年を通して、リックと私は引き続き行動を共にしていた。スタジオで私がレコーディングしているときはラウンジに座って煙草を吸い、電話をかけていた。食料品店では一緒に陳列棚の通路を歩き、美容室では私がカットしている間、座って読書をし、アルバム『サラブレッド』のプロモーション・ツアーにも同行した。

(略)

残念ながら彼は誰ともうまく折り合っていなかった。(略)

リックの気分や態度が、私の情緒を左右していた一九七六年のツアー。

(略)

中西部でのコンサート会場で、開演まで十分足らずというときに、リックが楽屋で私に怒りを爆発させた。(略)

[ステージに出たが]心の中は、私がステージを終えたときリックがどんな気分でいるのか、と不安が渦巻いていた。

(略)

 二回目のアンコールで激しくロックしたことで[観衆はハイテンション]

ステージを降り、私は再度リックを探したがやはり見当たらない。(略)

[三回目のアンコール、ステージに向かう寸前]

楽屋の方角から騒動が聞こえた。私の脳のすべての神経細胞が、あれはリックだと言っている。

(略)

[葛藤しつつ、ステージに上がり、メンバー登場を待ちながら、ピアノ・ソロで]

イントロを弾き、Aメロを歌い出し、ダニーの登場を待った。

 

 心が落ち込んで気持ちが乱れて、愛の手が欲しいとき……

 

ダニーはまだ現れない。

 

 目を閉じて、私のことを思い浮かべて……

 

 ワディもリーもいない。クラレンスもドイルもボビーも。(略)

一回目のサビで「私の名前を呼ぶだけでいい……」と歌い始めたとき、ラスのブラシが優しく、スネア・ドラムのバック・ビートを刻む音が聴こえた。顔を上げると、ラスはドラム・セットに座り穏やかな笑顔を見せていた。(略)

ステージを降り(略)

私はツアー・スタッフに、リックの居場所を尋ねた。「数分前にこのビルを出て行くのを見ました」(略)

「いい加減にしてくれ!」と、ダニーはルーに怒りを爆発させていた。「明日、飛行機を用意してくれ。そうしたらオレはここから出て行く!」ワディとリーも同じように主張した。(略)

泣きそうにうなだれて私は尋ねた。「何があったの? 誰か私に教えてくれない?」

(略)

ダニーが二度目のアンコールを終えて、拳を突き上げて「今のは最高だったぜ!!と言いながらステージから戻ると、理由も分からず突然リックが殴りかかってきたということだった。

(略)

リーはダニーのそばに残り、その間にワディとラスがリックを押さえつけてトイレへ連れて行った。ダニーが後で補足説明したことによると、「ラスはリックをこてんぱんにしたかったんだ。そうしたらリックが“ごめんなさい、ごめんなさい、どうしてそんなことをやってしまったのか分からない”と言い出したんだ」。ワディとラスがリックを押さえている間に、リーはダニーを連れて楽屋に向かった。アンコールの合図が聞こえたとき、ラスは反省しているリックをワディに預けて、私の待つステージに現れたという訳だ。

(略)

私は深く深く謝罪した。そして「お願いだから、行かないで」とすがった。だが私もまた、リックの行方が分からないことがあまりにも心の負担になっていた。「私、行かなきゃ」(略)

私はリックを探す必要があった。(略)

[ホテルの部屋にいたリックはバンドのメンバーが自分にとった態度がいかに苦痛だったかを語り]

彼がその怒りを暴力で訴えるのを恐れて私は聞き手に回り、哀れみながら頷いて時折「あらあ……」と相槌を打ち、同情した。その夜は、彼の熱弁に耐えねばならなかったものの、虐待はなかった。すべての怒りが発散された後、彼は優しくなり、そしてベッドに入っていった。翌朝、リックは人の話を聞くようになっていた。彼はきちんと謝罪した訳ではないが、ルーやバンドの言うことに頷き、彼らと一定の距離を置くようになった。

 あの夜ラスが、冷静なプロ意識をもって個人的感情を横に置き、私と最後までコンサートをやり遂げるためにステージに来てくれたことは、一生忘れないだろう。

(略)

 数年後、あの夜のことをダニーと話し合ったとき(略)自分たちバンドが帰らなかったのは音楽のため、そして私が心配だったからだ、と断言した。

「お金の問題じゃない。大金を積まれても、嫌なら帰ったよ」

結末

 虐待関係にある女性の最も不可解な点は、その状態から逃げ出さないだけでなく、そこから逃げたいとは思っていないことだ。私はリックの暴力によって身体的、精神的虐待に一年以上も苦しんでいた。一九七七年、すでに何カ月も暴力に苦しんできた私は、もう彼の態度が改善されないことも分かっていたはずだ。彼から逃げるべきだった。逃げることもできた。

 それならなぜ、逃げなかったのか。

 女性には痛みを忘れる力があることは、よく知られている。その能力がなければ、誰も二人目の子供を産もうとは思わない。その能力が私に辛い瞬間を忘れさせ、リックこそが理想の男と思い込ませたのだ。彼が私を殴った後しばらくは、私にすべての権力があるかのような幻想を抱く。しかも、私の夢を手に入れるにはリックの助けが必要だと、固く信じていた。

 LAさえ脱出すれば、リックの怒りの元は消えると楽観視していた。そして確かに(略)ロビー・クリークに私たちにぴったりの土地を見つけたとき、リックはかなり明るくなったのだ。小切手にサインをした日は私もまた有頂天だった。私はアイダホの地主になった。

(略)

 『ウェルカム・ホーム』のミキシング作業に入っている頃、リックは急速にコカイン中毒になっていたのだ。しかも、遊び半分で鼻から吸引しているのではなく、注射針で体内に注入していた。

(略)

 そうとは知らず、自然の中の楽しい生活を中断して生活費を稼ぐために渋々LAに戻っていた私は、リックが顔を出さなくなったスタジオで、自信を取り戻していた。

(略)

『ウェルカム・ホーム』のファイナル・ミックスを完了し[帰宅した](略)

翌朝、私は早くに目を覚ましたが、リックはベッドにいない。(略)

バスルームに入った。そのとき白い床に数滴、濃い赤の血痕があるのに気づいたのだ。ピンと来た。(略)

リックはコカインを摂取していただけでなく、深夜に、子供達が寝ているこの家の中で、注射針で注入していたのだ。

 その瞬間、私は決断を下した。本来は彼に初めて殴られたときに下すべきだった決断を。

(略)

[LAからできるだけ遠くへと子供三人を連れマウイ島へ。数日後]

 リックは、麻薬常習者の溜まり場と思われる場所で、コカイン過剰摂取のため死んでいるのが発見された。

(略)

私は深い喪失感に打ちひしがれていた。それは、リックという男の死ではなく、私が恋に落ちた男への喪失感だった。

(略)

三十六歳で、私は未亡人になった。

ボブ・ディラン

 一九九五年三月三十一日の朝、ローナから電話が入り、ロンドンでボブ・ディランと一緒に作曲したいかと聞かれた。私は次の便でダブリンを発ち、ボブ・ディランの滞在先ホテルへと向かった。ボブとは初対面ではなかったが、作曲という明確な目的の下に集結するのはこれが初めて。ボブの優雅なスイートルームで、彼のギターによる無作為な即興演奏と、私がキーボードで試すいくつかのコード演奏の合間に、二人の共通の友人の話、世界情勢、お互いの子供達、そしてボブと何曲か共作した経験があるジェリー・ゴフィンについても話をした。曲を作るよりも話していた時間のほうが長かったが、数時間後、今日はもう曲が出てこないと結論づけてセッションは終了。私はそれでもまったく構わなかった。音楽的かつ政治的メッセージで一時代を築き、その答えは風に吹かれていった、と歌ったこの知性溢れる男性との会合を私は心底楽しんだのだから。

 お互い有名人としての社会的地位については話題にしなかったが、ボブはどこまでも彼について回る名声を、あまり快く受け止めていない印象を受けた。

(略)

その夜ブリクストン・アカデミーのステージで共演しないかと誘ってくれた。私にもうひと押しする必要があると思ったのか、彼はこう言った。「エルヴィスとクリッシーも出てくれるよ」「もちろんよ」と、気軽に了承したが、内心はボブ・ディランエルヴィス・コステロ、クリッシー・ハインドと同時にステージに立てることに興奮を抑えきれずにいた。

(略)

その夜のボブの演目には「雨の日の女」と「アイ・シャル・ビー・リリースト」が含まれ、クリッシー・ハインドとエルヴィス・コステロと私は両曲でコーラスを担当した。

 ボブも私たちと同じくらい楽しかったに違いない。彼は四月十一日、ダブリンのポイント劇場で行われるツアー最終公演に、私たちを再びステージに呼んでくれたのだ。

(略)

 ボブのダブリン公演で、私は「追憶のハイウェイ61」「イン・ザ・ガーデン」「やせっぽっちのバラッド」でピアノを弾き、「ライク・ア・ローリング・ストーン」「リアル・リアル・ゴーン」「雨の日の女」ではピアノと歌で参加。それからエルヴィス・コステロヴァン・モリソンと一緒に「アイ・シャル・ビー・リリースト」のコーラスをやった。