彼らを書く 片岡義男 ビートルズ、ディラン

片岡義男ビートルズ、ディラン、プレスリー関係のDVDを観て色々書く。

彼らを書く

彼らを書く

  • 作者:片岡 義男
  • 発売日: 2020/04/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
愛しのフリーダ ブルーレイ [Blu-ray]

愛しのフリーダ ブルーレイ [Blu-ray]

  • 発売日: 2014/05/30
  • メディア: Blu-ray
 

『愛しのフリーダ』

Please don't write anymore. 

 [レノンは色んなバンド名を考え]

そのなかにはJAPAG3というのもあった、とフリーダは語っている。ジョン・アンド・ポール・アンド・ジョージ・スリーだ。

(略)

フリーダ・ケリーは一九六一年には十七歳でリヴァプールの高校を卒業して会社に勤め、働いていた。同僚に誘われてある日の昼休み、ザ・キャヴァンを彼女は初めて訪れた。地下にある煉瓦造りの空間で、おもての道の向かい側には果物店があり、腐った果物の匂いは常にザ・キャヴァンに立ちこめ、ザ・キャヴァンじたいの人の汗や流れないトイレットなどの匂いと混じり合い、ザ・キャヴァンは臭いところだったという。

 フリーダはドラムスがピート・ベストだった頃のザ・ビートルズを見た人の一人だ。彼はハンサムで多くの人に好かれていた、とフリーダは語っている。(略)

フリーダは、ひと目でザ・ビートルズが好きになり、それ以後、毎日のようにザ・キャヴァンへかよったという。

 彼女がブライアン・エプスタインに誘われてザ・ビートルズの秘書になったのは一九六二年のとだ。エプスタインは多くの人たちから、エピーという愛称で呼ばれていた。このことを僕は初めて知った。

(略)

 フリーダ・ケリーは多忙をきわめたようだ。ありとあらゆる用事や仕事を、彼女はエプスタインから受けとめた。一九六三年にザ・ビートルズはザ・キャヴァンに最後の出演をし、一九六四年にはファン・レターが一日に三〇〇〇通は届くようになった。エプスタインの父親が営んでいたネムズという家電の販売店があった建物の二階の一室で、フリーダは仕事をした。そこにエプスタインの事務所もあったからだ。

 一九六五年のザ・ビートルズはMBE勲章を授けられた。六七年にはエプスタインが死去し、七○年にザ・ビートルズは解散した。七二年にはフリーダは結婚して男の子供を産み、エプスタインの事務所を退職した。フリーダが深くかかわっていたザ・ビートルズ・ファン・クラブも正式に解散した。この項目の題名として僕が使った短い英文は、ファン・クラブの会報もかねて定期的に刊行されていた雑誌の、いちばん最後にフリーダが書いたひと言だ。

 この映画の途中でLove Lettersという歌が画面に重なる。この歌がなぜここで、と僕は思った。最後にもう一度、おなじ歌があらわれる。ケティ・レスターという女性歌手が歌っている。なぜこの歌が、と僕はふたたび思った。十代だった頃のフリーダ・ケリーは毎日のようにザ・キャヴァンの客となった。店が一日の営業を終えるとき、この歌がかならずレコードから再生され、店内に流されたという。フリーダはこの歌が大好きなのだそうだ。 

ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963~1965 [DVD]
 

ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963~1965』 

そこは去らなければならない楽園だった

 ジョージ・ウェインとアルバートグロスマンが考え出して実現させたニューポート・ジャズ・フェスティヴァルは一九五四年から始まった。裕福な人たちが夏を過ごす避暑地でジャズをライヴで提供する、という試みは成功した。このジャズ・フェスティヴァルから派生して一九五九年に始まったのが、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルだ。

(略)

 ポピュラー・ソングではないフォーク・ソングは、ただ単に文化的なものであるだけではなく、始まったときからポリティカルなものだった。フォーク・ソングはそもそもポリティカルなものだった、という言いかたをしたほうがいいかもしれない。みんなでいっしょに歌い、そのことをとおして連帯感をつちかい、人々の気持ちがひとつの社会的な力のようになると、その力は社会のありかたを正しい方向へ持っていく、という夢が前方にあった。ごく普通の人たちの気持ちを、フォーク・ソングはひとつにまとめる表現力となった。伝統的な歌の歌詞を変更して歌うと、人々の気持ちは過去とつながると同時に、その過去は現在に生きることにもなった。フォーク・ソングは、したがって、トピカルな歌だった。トピカルな歌は、現在のシステムを批判すると同時に、未来における理想を描く力も発揮した。

 一九六三年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルに登場したとき、ボブ・ディランはすでにフォーク・ソングの世界の新しいスターだった。

(略)

社会正義をより多くの聴衆に向けて発する人として、もっとも期待されていたのがボブ・ディランだ。

(略)

あの髪、顔立ち、表情、声、喋りかた、歌いかた、ステージでの動き、短い語りなど、あらゆる点において、フォーク・ソングに興味のある人たちにとっての政治的な関心事が、ディランから強力に発散され、それは彼らに届いてもいた。彼が自作の歌を歌えば、その歌詞は予言的だと評された。予言的とは、前方のどこかへ向けて進んでいく力、と解釈しておくといい。

(略)

歌うディランと彼を受けとめる観客を、十七曲にわたって、再生したDVDの画面で観ることが出来る。観ていると次第にわかってくることがある。彼の歌はどれも長いけれど、その長さはストーリーを語るための長さではない、ということだ。

(略)

必ずしも平明ではない歌詞を歌として受けとめながら、それを歌うボブ・ディランその人を見ている人たちがおこなうのは、それぞれにイメージを描いていくことだ。イメージには出来ばえの差があって当然だが、ディランの歌う歌詞が発端になっていることは明らかであり、聴衆のひとりひとりにとって、自分で自分のなかに作ったイメージがある程度以上にまとまるなら、その人にとってディランの歌は came across した、ということになるのではないか。

(略)

 一九五〇年代のなかばに出来始めていたフォーク・ソングの世界は、一九六一年の一月にディランがニューヨークに出て来たときには、すでに完成していた。完成していたとは、それ以上の展開の可能性はもはやどこにもなかったということであり、あったのは思いのほか早くに下降していく時間だけだった。

(略)

フォーク・ソングの歌手として人々からとらえられるのは当然だとしても、自分はそうではないし、ましてやプロテスト・ソングの歌い手ではないのだと、彼は何度も言っていた。自分の歌にメッセージはない、とも言った。

(略)

ひとつの歌が長く続く。歌詞が長いからだ。聴いている人たちは、じっと聴いていなくてはいけない。その様子が存分にフィルムにとらえてある。 

 聴くしかない人たちに、ディランは聴かせている。そのことに向けて、ディランは力を発揮している。その力は半端ではない。彼はなにを聴かせているのか。

(略)

自分の歌にメッセージはない、と当人が言っている。しかしフェスティヴァルの夏の観客は、聴いている。受けとめている。ディランの歌の歌詞、つまり詩を。ディランの言葉を彼らは音声として受けとめ、頭のなかで次々に追っている。

 受けとめるディランの言葉をきっかけのように使って、足がかりのようにして、誰もがそれぞれに、ほぼ自動的に、イメージを作っていく。歌うディランの歌詞の言葉に触発されて、聴いている人たちの頭のなかに、ディランによって歌われた歌詞に添いながらも、それとは別にもうひとつ、イメージが作られていく。 

ノー・ディレクション・ホーム

意味のつながりなどまったくない配列のなかに 

[英国の街角で目にした広告文から詩を作っていくディラン]

 この広告のぜんたいを引用しておこう。次のとおりだ。

 

We will collect clip bath and return your dogs.

Cigarettes and tobacco.

Animals and birds bought or sold on commission.

 

日本語に仮に翻訳するなら、次のようにもなるだろうか。

 

あたなの飼い犬を迎えにいって毛を刈り体を洗ってお返しします。

紙煙草に煙草。

小動物や小鳥の売買を手数料つきでおこないます。

(略)

広告文はディランによってまず次のようになった。

I'm looking for a place that will collect, clip, bath, and return my dog.

KNY|7227, cigarettes and tobacco.

Animals and birds bought or sold on commission.

 

これがさらに次のように変化した。

 

I want a dog that's going to collect and clean my bath, return my cigarettes, and give tobacco to my animals, and then give my birds a commission.

 

さらに、ディランは続けた。三とおりに変化した文章を、その順番で書いておこう。

 

I'm looking for somebody to sell my dog, collect my clip, buy my animal, and straighten my bird.

 

I'm looking for a place that's going to bath my bird, buy my dog, collect my clip, sell me to the cigarettes, and commission my bath.

 

I'm looking for a place that's going to collect my commission, sell my dog, burn my bird, and sell me to the cigarettes.

 

以上の三とおりのあと、次のような短い文章をディランは作った。

 

Going to bird my buy, collect my will, and bathe my commission. 

Don't Look Back [Blu-ray] [Import]

Don't Look Back [Blu-ray] [Import]

  • 発売日: 2011/04/26
  • メディア: Blu-ray
 

『ドント・ルック・バック』

頭を明晰にして常に電球を持ち歩く 

 ロンドンに到着してすぐ、ディランは空港でインタヴューを受けた。なにかの工場で使うような巨大な電球が、なぜだかテーブルの上にあった。“What's your real message?” と、ディランは中年の記者に訊かれた。(略)

ボブ・ ディランの返答は次のようなものだった。“Keep a good head and always carry a lightbulb”

 既成のもので満ちている社会のなかに生きる自分は、そのような既製品のひとつだという自覚は、一九六五年のイギリスにはまったくなかったようだ。当時は二十代なかばの青年だったボブ・ディランとその一行と、そのようなイギリスとのあいだにあったすさまじく大きなへだたりを、画面に感じないわけにはいかない。