アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治

 ファシズムを退けるには資本主義が抑制的になること

一九二〇年代に三五ヵ国ほどあったリベラル・デモクラシーの国々は、一九四〇年代には一〇ヵ国程度にまで減少していった。

 同時代のファシズム台頭を説得的に説明しているのは、日本でも有名な経営学ドラッカーだ。彼は処女作『経済人の終わり』(一九三九年)で、一九二九年の大恐慌を受けて、ブルジョワ主導の資本主義が完全に破綻(資本主義が社会を豊かにするという約束の不履行)、さらに社会主義陣営もこれに代わる体制を生み出せなかった結果、経済や経済的な営みの基礎となっていた人びとの合理性そのものが信頼を失った、と診断した。少なくとも、経済リベラリズムマルクス主義は、現状認識は異なれども、人びとの間の関係が強まれば差異は消し去られ、世界はより一体的なものになるとみなしていた点では共通していた。しかしそのいずれの楽観主義も雲散霧消したのだ、と考えた。当時の合理性や理性のヘゲモニーの崩壊は、現代の「ポスト真実」の時代へとつながる。

 リベラリズムの担い手だったブルジョワ階級は、資本主義の発展を通じて新旧の中間層を統合できていた。しかし、一九三〇年代初頭のドイツ・ワイマール共和国のように、第一次世界大戦の賠償とも相まったハイパーインフレと大不況によって四人に一人が失業者となった時、経済リベラリズムファシズムによって不信任を突きつけられることになった。「そのような社会では、自由と平等は実現されないことが明らかになった」(ドラッカー)のだ。

 重要なのは、ドラッカーが、今後は資本主義が抑制的になること、すなわちブルジョワ支配に自制を求めることがファシズムを退けるために必要となる、としたことだ。このことは、必然的に資本主義を中核とした近代の経済リベラリズムにも反省を求めることを意味した。こうして、リベラリズムは資本主義の発展のなかで付与された経済的な意味合いを剥ぎ取られ、政治的な意味合いに純化されることになった。簡単に言えば、それまでのリベラリズムは経済的次元において破綻したため、戦後に政治リベラリズムとして再スタートを切ることになったのである。

 したがって、戦後日本はとりわけ民主主義と同義としてのリベラリズムを歓迎したが、リベラリズムとデモクラシーとの相克をそれまでに経験していたヨーロッパでは、これをつなぎ合わせるところからスタートしなければならなかった。社会学者の山之内靖の表現を借りれば、戦後日本が啓蒙を歓迎する一方で、戦後ヨーロッパは合理性と理性からなる啓蒙に対する反省から出発することになったのだ。

 リベラリズムと民主主義の共存

 確認すべきは、体制としてのリベラル・デモクラシーが西欧で安定と確立をみたのは、第二次世界大戦後に過ぎないという歴史的事実だ。リベラル・デモクラシーという言葉そのものが使われはじめたのは一九三〇年代のことであり、それが広く政治的に認められるようになったのは一九四〇年から五〇年代にかけてのことだ。すべての人間に不可侵の権利を与えるリベラリズムの原理が「世界人権宣言」で世界的に認められる(ソ連・東欧諸国の一部は棄権)のは一九四八年だった。

 ここで、それまで国境を超えた資本主義、すなわち経済リベラリズムから成り立っていたブルジョワ共同体とその権力、これに対抗するファシズム社会主義という、体制をめぐる争点は西側諸国では終焉を迎え、国民国家という共同体、政党政治という権力、再分配という争点の三位一体が完成することになった。

 政治史家ミュラーは、戦後に民主主義が回復されたという見方そのものがまちがっていることを指摘している。戦後のリベラル・デモクラシーは、二〇世紀前半までの野放図な経済的なリベラリズムと、場合によってはファシズム社会主義に結びつく民主主義を否定することを一義的な使命としていたからだ。

 リベラリズムと民主主義の共存は、リベラリズムの経済的側面の抑制と民主主義の革命志向を抑制することで成し遂げられた。具体的には、基幹産業の国有化や福祉国家の確立と通じて不平等を容認する資本主義をリベラリズムから切り離し、他方では法の支配や立憲主義を徹底することで、ファシズム社会主義に代表されるデモクラシーを抑制しようとしたのである。それは二〇世紀まで資本主義によって経済を牽引してきたリベラリズムを政治的次元に囲い込み、人民主権を掲げて政治を牽引してきた社会主義を経済的次元に囲い込むという逆転の発想でもあった。

 政治リベラリズムと同様、経済リベラリズムも、拡大と収縮をくりかえしてきた。一五世紀から一八世紀半ばまでは重商主義の時代が続き、その後一九世紀半ばから大英帝国が牽引するかたちで自由貿易が拡大していった。しかし一九世紀末の不況は、保護主義のきっかけを作り、二〇世紀前半にはブロック経済が完成した。その延長線上に、戦後の経済リベラリズムと政治リベラリズムの両立が成り立った。言い換えれば、リベラル・デモクラシーは双方のポジティブな面を合わせて組み合わせ可能になったのではなく、双方のネガティブな面――リベラリズムの資本主義との結びつき、デモクラシーの人民主義的側面を抑制することで成り立った。そして、この取引が可能になったからこそ、不自然な組み合わせとしてのリベラル・デモクラシーが戦後にはじめて安定したのだ。

「資本主義と民主主義の強制結婚」

二〇世紀前半まで不可能と思われていたリベラリズムとデモクラシーが戦後に両立できたのは二つの条件が奇跡的に出揃ったからだといえる。

 まず、第二次世界大戦に帰結した戦前の経済リベラリズムの原理を抑制的なものにすることを、国家による資本主義市場への介入を通じて実現したからだ。戦後の先進国政治が安定し、リベラル・デモクラシーの黄金期となったのは、放っておけば衝突を余儀なくされる資本主義と民主主義を、社民的な国家が媒介したからだった。政治経済学者シュトレークはこれを「資本主義と民主主義の強制結婚」と表現する。同様に、西欧各国の高度成長を分析したアトキンソンは、それは戦後の高度成長によって所得に占める賃金の割合が増えたからだけでなく、資本所得・賃金所得の分配の是正といった社会政策がこれに加わったことで、平等が実現したことをデータでもって証明している。

 次に、冷戦構造がこうした戦後コンセンサスを背後から支えた。ファシズムの挑戦を退けた後、リベラル・デモクラシーが直面したのは、経済リベラリズムに別のかたちで挑戦する社会主義体制だった。国内の共産主義社会主義勢力を封じ込めておくこと、そして労働者層の忠誠心を体制につなぎとめておくため、民主主義を前に経済リベラリズムは自已抑制的になる必要があった。それゆえ、各国は社民的な政策(集産主義、財政支出、組合の交渉権、労働権保障)を前提とした。そしてこれこそが政治リベラリズムの創出を可能にしたのだった。

 この戦後コンセンサスは、リベラル・デモクラシーこそが正当性を持つという事後的なイデオロギーによっても強化された。それは、戦前・戦中のファシズムとの戦い、そして戦後はソ連をはじめとする共産圏との対決によって自己を正当化する必要があったからだ。第三章でみるように、それゆえ対ファシズムの記憶が薄れ、冷戦も終結すると、歴史認識問題が各国で噴出することになる。

ネオ・リベラリズムの真の正体 

 ピケティが理論的に挑戦したのは、経済成長によって不平等が一旦は拡大するものの、その後、全体が底上げされて格差が解消されていくとした「クズネッツ曲線」の前提だった。(略)

七〇年代以降に高度成長が一服すると、逆に格差が拡大していくことをピケティは示した。

 そこで抑制的にされていた経済リベラリズムは、先祖返りして一九世紀的な野放図な経済リベラリズムへと変容していくことになる。ここで政党をはじめとする安定していた権力体は、ふたたび経済リベラリズムへと傾斜していくが、それは進化を遂げた政治リベラリズムとともにあった。いわば、政経に分離させられたリベラリズムは、ふたたび一体化したことで、それまでに獲得した自己抑制を喪失したのだ。これこそが、いわゆるネオ・リベラリズムの真の正体でもある。しかし、それは特定権力の作用というよりも、共同体・権力・争点の三位一体が空中分解したことで生まれた転換だった。

保守主義

 「保守主義(conservatism)」という言葉を最初に広めたのは一九世紀前半のフランスの文人シャトーブリアンだとされるが、体系的な保守思想が誕生したのは、フランス革命を経てからのことだ。革命に続く共和国が、ルソーやヴォルテールらによる啓蒙思想にインスパイアされた後、ナポレオン戦争後の王政復古の時代に「保守主義」という政治潮流が本格的に誕生する。

 一九世紀、保守主義の敵はリベラリズムではなかった。王権を基礎とした伝統的な秩序がフランス革命のような世俗革命で破壊されてから保守主義は創造された。「保守主義」の原義は「保存」であり、それは伝統や秩序から解放された人間の横暴を警戒するものでもあった。保守主義の祖として名高いバークはその『フランス革命省察』(一七九○年)で、フランス革命は「人間の権利なる名のもとでの民主的な専制であって、断じて自由などではない」と断罪し、民主主義を警戒した。

 そのバークはしかし、自国のイギリスで王権を制約した「名誉革命」のことは高く評価していた。つまり、少なくともイギリスの保守主義は、王政ではなく、これと対立する議会を基盤とする個人と商業の自由に重きを置くリベラリズムと親和性が高かったのだ(これは「ホイッグ史観」と呼ばれる)。そのフランス革命批判から、バークは日本で「保守主義の祖」として知られているが、彼は当時勃興した商工階級に期待をかけていたから、イギリスの王朝が代表する保守主義ではなく、その後ブルジョワジーの支配的な思考体系となるリベラリズムの理論的支柱でもあった(略)。実際に、議会のホイッグ党はその後、ブルジョワジーを主とする自由党へと発展を遂げていった。

 反対に、フランスやスペインでいうところの保守主義は、カトリック教会が支える王権や個人独裁(ボナパルティズム)とほぼ同義として用いられ、ゆえに「保守主義」ではなく「右派」と認識されるのが一般的だ。

ヨーロッパのリベラルはアメリカでは保守主義 

 アメリカの政治的対立軸は保守とリベラルだ。王権も、これを支える封建制度もなかったアメリカでは、リベラリズムが所与のものとして存在していたから、保守とリベラルの対立は、むしろ政府の大小や介入の是非をめぐるものとなる。保守は個人の自由を最大限に尊重し、政府の役割を極限まで小さくすることを求め、リベラルは政府の介入を是認して個人間の平等を推し進めようとする。それゆえ、アメリカでいうリベラルはヨーロッパでは保守になり、ヨーロッパのリベラルはアメリカでは保守主義という逆転現象が起きることになる。

 それぞれには支流もある。例えば、アメリカ的リベラリズムの最右翼には個人の自由を至上価値に置く「リバータリアニズム」があり(略)、反対に「コミュニタリアニズム」という共同体を重視する立場もある。またバークと同じように多数派の専制を警戒して、建国初期には民主主義よりも共和主義的精神(徳を備えたエリートの統治と言い換えられる)を重んじる共和主義の潮流も認められる。

 権威主義政治の台頭

これら政党の主義主張は多様だが、「法と秩序」を重視しているとまとめられるように、文化や社会的価値観に関わる脱物質主義的価値感を争点としていることに特徴がある(法と秩序はトランプの決まり文句でもある)。こうした、二〇〇〇年代からの一貫してみられる脱物質主義を掲げるニューライトの台頭を、イタリアの政治学者イニャーツィや先のイングルハート=ノリスは、行き過ぎた脱物質主義的な左派リバタリアン政治に対する反動たる「静かなる反革命」だと規定している。

 これらの勢力は、戦後右翼の代名詞だったネオ・ナチやネオ・ファシスト的な政治姿勢とイデオロギーを異にし、理念的な権威主義政治を是とする。戦後の右翼といえば、ファシズムのような戦前の体制や、反共主義を掲げるのが普通であり、そこからは議会制民主主義や立憲主義を否定する傾向があった。もっとも、戦後世代が多数となり、階級政治の基盤が崩れて反共主義も冷戦崩壊で説得力を失うと、こうした「戦前的価値」に依拠する政治的主張は、説得力を持たなくなる。そして、政治では「資源の再分配」ではなく「価値の再分配」が比重を増していくようになるのだ。

 第五章で詳しくみるように、先進国社会は戦後生まれの台頭をみて、リベラルな価値がそれまでと比べて大きな正当性を得るようになった。女性やさまざまな文化的・民族的マイノリティ、障がい者、児童といった、それまで周縁的(マージナル)だった存在の権利が拡充され、また自己決定権を含め、個人の自由の領域も拡張されていくことになった。

 九〇年代以降、こうしたリベラルな勢力に対する反対の意識を担ったのが各国の「ニューライト」だった。彼らは、社会の個人主義化はアイデンティティを喪失させた「寂しい人びと」を生み出すだけで、自由と権利の履き違えを止めるためにも、社会の秩序と権威を取り戻さねばならず、社会の安定を保障する同質性を危機に晒す、行き過ぎたグローバル化や過度の移民受け入れは制限しなければならないという主張を展開していく。

 

 リベラル・デモクラシーは、戦後の民主化によってリベラルな価値を普遍的なものとし、経済的平等の実現によってその価値を維持させたが、ニューライトは、これを反転させて戦後に完成した福祉国家や社会的平等を、ナショナリズムを通じて達成すべきと訴える点に特徴がある。これが移民排斥・受け入れ規制の言説へとつながる。

(略)

それゆえにボピュリズム勢力を含むこのニューライト的訴えは、労働者層の支持を集める。配分を通じて平等を達成するのではなく、文化・価値的な平等によって人びとのアイデンティティを囲い込んだうえで、経済的な平等を調達しようとするためだ。その意味では、階級がなくなったというよりは、階級を構成するものが変わったといえよう。

(略)

 付け加えるべきは、こうした脱物質主義的なニューライトの台頭は、政治リベラリズムと経済リベラリズムの結託でもあった八〇年代の新自由主義的価値観への反動からも生まれたことだ。

(略)

つまり、権威主義政治は左派、政治的リベラル、さらに新自由主義と、それぞれに対立する潮流の新たなオルタナティブとして現れたのでもある。これは戦前のコミュニズム、議会エリート、資本家階級をファシズムが攻撃した構図と類似している。 

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

服従 (河出文庫 ウ 6-3)

 

ウエルベック服従

女性にもてないことをこじらせた中年男性を主題にした彼の代表作『素粒子』に典型だが、ウエルベックは人間を解放することはすなわち、その人間は自らの能力だけしか頼るものがなくなることを意味するから、結果として夥しい不平等を生むことにつながると、あるインタビューで答えている。

(略)

だから、『服従』が告発するのはイスラム原理主義ではなく、人間精神を救済できない現代社会であり、それに宗教が利用されるという「ポスト世俗化」のロジックを描くものなのだ。

(略)

主人公は過去にカトリックとして育てられた記憶もあって、カトリック修道院に救いを求めて修行するのだが、結局、自分の役に立たない宗教には意味がないということをその過程で悟る局面がある。自分の人生にとって使えるか、使えないかが、信仰心を持つか持たないかの基準なのだ。だから主人公フランソワは、自らの出世と性的願望(一夫多妻制!)のため、なんとなくムスリムになることを、あっさりと決めてしまう。

 現代社会では、宗教こそが個人の欲望に服従することになる。個人の自己決定権が当たり前となった政治リベラリズム優位の社会で、宗教への「服従」はあくまでも主体的に、自主的になされるという逆説が、小説のタイトル『服従』の意味なのだ。

次回に続く。