カール・シュミット その2

前回の続き。

ロマン主義者批判

 従来人間を支え、人間の内実に大きな影響を及ぼしてきた「神」や「共同体」、「国家」から解放されたばかりか、十八世紀に支配的だった「道徳」や「価値理念」からも解放された孤独なロマン主義者の「自我」は、絶えずみずからの責任において態度決定を下さざるをえない。「神」や「国家」、「道徳」などに支えられた個人は偽りの個人であり、それらを捨象した純粋な「自我」にこそ依拠しなければならない。こうなれば自我意識は否応なしに高揚する。ロマン主義において、かけがえのない個性をもつ「自我」が重視された理由はここにある。

 因果連関にも価値理念にも拘束されない高揚した自我は、実在の世界、現実の世界に対し、おのれの個性的な経験や着想、あるいは芸術作品が生まれる「きっかけ」となる限りにおいて関心をもつ。ロマン主義的主体にとって、おのれの活動や着想の「きっかけ」になるということが重要なのであり、「世界」それ自体は客観的に実在するものとしての重みをもたない。革命であれ、戦争であれ、大地震であれ、それ自体としてはロマン主義者の関心をひかないし、そもそも「それ自体」というような発想がロマン主義には無縁だった。

 こうしてロマン主義者は事実上現実世界を回避しようとするわけだが、宗教意識の場合のように世界の「外部」へ出たり、あるいは世界を「超越」したりすることはなく、あくまでも実在の内部世界にとどまる。実在の世界は時に人びとに衝撃を与え、人びとを揺さぶり動かす力をもち、時には邪魔をし、否定することさえあるが、ロマン主義にとって現実世界はそうした強烈な力をもたない、棘を抜き去られた世界だったから、安全で無害な世界と安心して交渉できた。

 『政治的ロマン主義』の緒論でも述べられている通り、シュミットのロマン主義批判はプロテスタンティズムの批判をも含意している。カトリックの立場からなされたドイツ市民層のプロテスタンティズム批判であると言ってもよい。プロテスタンティズムが論理的に展開した先に生まれてくるのがロマン主義であり、ロマン主義の空虚な自我は、十九世紀以降の経済の時代に太刀打ちすることはできない。シュミット以前にも、プロテスタンティズムロマン主義の親縁関係に気づいていた者はいた。歴史家ゲオルク・フォン・ベロウやヘーゲル左派のアルノルト・ルーゲがそうであったし、シュミットの同時代であれば文学史家のヨーゼフ・ナードラーがそうであろう。シュミットによれば、ルーゲはすべてのロマン主義の根底に「不安定な反抗的心情」を読み取っているが、プロテスタンティズムが超越的な神を失い「自由な自己の原理」に立脚するようになった以上、それは不可避的な結果だった。ロマン主義者のうちフリードリヒ・シュレーゲルやアダム・ミュラーなど、少なからぬ人物がカトリックに改宗していることにシュミットは注目している。

 (略)

決定することを、すなわち、可能性の世界から現実の世界に出ていくことを、巧妙に回避しようとするのが、ロマン主義の根本的動機だった。シュミットにとって、それは政治的世界を回避することにほかならない。

(略)

ロマン主義者はできるだけ自己限定を避け、華やかで多彩な「可能性の世界」にとどまろうとする。ロマン主義は「永遠の生成」と決して完成することのない「可能性の状態」を「具体的現実」よりも高く評価した。

例外状況という破れ 

作家ロベルトムージルの研究者ハンス=ゲオルク・ポットも言うように(「文化と暴力」)、シュミットの「個人」のイメージは狭く硬直しており、「モデルネ」への不安、恐怖に怯えているのではないかとさえ感じられる。その意味でシュミットはロマン主義の問題意識と触れあわないだけでなく、同時代のモダニズム芸術とも基本的には無縁な思想家である、とさしあたりは言えるように思われる。

(略)

近代的個人主義に対置されるシュミット的「個人」は確固たる個人のようでありながら、そこには特有の〈破れ〉というべきものがある。それが「例外状況」の問題である。ロマン主義的個人を徹底的に批判したシュミットだが、意外なことに例外状況という破れにおいてロマン主義や同時代のモダニズムと接点をもつようになる。

(略)

カール・レーヴィットも言うように、そもそもシュミットの「決断」の概念は、ロマン主義者の「誘因」とまったく同様に、「規範へのあらゆる拘束」を否定するものだからである。

(略)

シュミットの政治理論においては、「決定」の内容、つまり、何のための決定かに関わりなく、「決定」という形式それ自体が絶対化されている。

「能動的ニヒリズム

 レーヴィットはこのようなシュミットの精神構造を、フリードリヒ・ニーチェに由来する「能動的ニヒリズム」と名づけ、エルンスト・ユンガーも含めた、ワイマール期からナチ期のドイツ精神に特有のものである、と述べている。

(略)

[ユンガーの]『冒険好きの心』を分析したレーヴィットは、その鍵概念を意欲と信念における「果断さ」に求めている。(略)
「果断さ」を求める心にとって、いままさに「教義」や「秩序」のためと称して舞台上で演じられている「闘い」は、所詮具体的生活から遊離した制度的な演技であり、戦ってはいても「擬戦」にすぎなかった。レーヴィットはこの文脈において、必要なのは「旗印でなくして戦士であり、秩序ではなく叛乱であり、体系ではなくして人間である」というユンガーの言葉を引用している。ユンガーにもみられる、何ものにも縛られない、無制約な「決定のニヒリスティックな根底」は、元来ユンガーよりは秩序好みと言ってよいシュミットの「政治的なもの」の概念において、いっそう明白になる。

 このように政治的には問題の多い「能動的ニヒリズム」だったが、シュミットのこうした発想は、『政治的ロマン主義』を執筆していた時期においてみれば、意外なことに、表現主義ダダイズムなど、「モダニズム」の芸術上の方法と対応している。シュミットはロマン主義批判にことよせて同時代のモダニズムを批判したが、シュミットの方法自体がモダニズムの方法と重なっているのである。

(略)

 ダダとシュミットを結びつけるのが「例外状況」の概念である。ダダ運動の創始者の一人とされるフーゴ・バルは、運動から離れた後カトリックに転じ、もともとカトリックだったシュミットと交流が生まれた。

独裁の正統性 

 独裁の正統性を保証するのは、自分は正しいという熱烈な、あるいは絶対的な確信である。シュミットにとって、独裁には本質的に決断が必要とされるので、独裁を正統化する思想は典型的な政治思想である。独裁の思想は、議会主義の媒介や調停の立場、つまり均衡の立場を、決断を欠いた偽りのものであり、根本的解決にはならないと否定し、それと正反対の立場に立つ。すなわち、媒介を、中間にあるものを排除した「直接性」の立場、複数の議論を尊重し互いに討論するのではなく、問答無用の一義的な「断定性」の立場を支持する。そのような立場は直接的なものだけに確実性の感覚は増大するものの、その立場を貫徹すると、「流血の決闘」にいたるしかなく、最終的には敵対者を断固として排除する独裁体制に行きつく。

 シュミットは議会主義と独裁の関係を以上のように理解し、独裁を議会主義に代わりうる体制として検討し、独裁は議会主義とは対立するものの、民主主義とは対立しないという重要な結論を下す。前章でも触れたように、民主主義が支配者と被支配者の同一性であるということであれば、自由主義的な議会政治と独裁政治を比べて、どちらかが原理的に優れているということは言えない。この点、議会主義と独裁は等価的である。それどころか、議会(媒介)を通さない、人民の歓呼(直接性)を基礎になされる独裁政治の方が、適切に同一性を実現していることも十分ありうるだけでなく、議会よりも重要な政治問題について迅速な決定を下すことができる。このような論拠に立ってシュミットは独裁政治を肯定し、議会主義の批判という観点から同時代の独裁思想に注目する。 

ホッブズの奇跡論

 ホッブズの社会契約論の特徴は、国家を人民(臣民)の契約によって自然状態という無から生じたものととらえる際に、一方で契約をすぐれて個人主義的に理解しながら、他方で契約の結果生まれた国家が人民(臣民)に絶対的な権力をふるう、と理解した点にある。

(略)

中世的共同体の場合には、違法な支配者に対する抵抗権が認められていたのに対し、ホッブズ的な近代国家は万物をその法律に服従させる「抵抗できないリヴァイアサン」であり、それに対抗する立場は原理的にありえない。国際法の場合も同様で、中世には存在した宗教戦争や内戦は消滅し、ホッブズ以降には国家間の戦争になる。国際法においては諸国家が「自然状態において」対峙していることを、最初に的確に論じたのはホッブズである。この状態において、リヴァイアサン像はすさまじい神話的迫力をもった。

 その際、国家間の戦争を真理や正義を基準にして判断することはできない。国家の命令の正統性が保証されるのは、宗教的もしくは形而上学的に基礎づけられたその真理内容によってではなく、それが権威をもった国家によって決定されたためである。法律論のなかに他の真理観や正義観をもちこむと、新たに闘争や不安定さを生み出す。戦争を終結させるために必要なのは正義や真理を唱えることではなく、国家の決断だった。

 ホッブズ以降、十八世紀にヨーロッパ大陸は絶対主義の時代になる。この時代に性格の異なる二つの過程が同時に進行する。一方では絶対主義的な国家権力が封建的等族や教会の抵抗を排除していくが、他方では「内と外」あるいは「公私」の区別と対立が進行していく。ホッブズの思想にはこの両面が含まれており、とくに前者はよく知られているが、シュミットは後者の面に注目する。

 かれはホッブズの奇跡論を例にこの側面を解明する。(略)

ホッブズ の時代に、奇跡の問題は神学的問題というより、現実的な問題だった。当時、触手による病の治療は君主の仕事と考えられており、チャールズ二世の触手を受けた人はたった四年数ヵ月の間に二万三○○○名に及んだと言われている。奇跡信仰についてホッブズ自身は(略)

真理ではなく権威を信奉するという信念に基づき、「奇跡とは国家主権が奇跡として信ぜよと命じるものであり、逆に国家がそれを禁じれば奇跡は奇跡でなくなる」とみなしていた。国家は奇跡と信仰までも支配する圧倒的な権力をもっていたのである。

 しかし、主権の力がそこまで高まったまさにその時点で、ホッブズが「脇道」にそれてしまうことに、シュミットは着目する。ホッブズは牢固とした個人主義者であり、奇跡を論じるに際して、いかにも個人主義的な「留保」をつけた。鍵となるのがホッブズによる「内的信仰」と「外的礼拝」の区別である。かれは、奇跡とは「私的」理性ではなく「公的」理性の問題であるとしつつも、思想の自由を根拠に、みずからの「私的」理性により「内面においてみずからの信、不信を決定することができる」と主張した。シュミットはこのホッブズの見方をかれの政治論の「破錠」とみているが、ホッブズの導入した内面的信仰と信仰の外的な表現との間の区別は十八世紀に広く受容された。何が真理かはわからないので、その判断は諸個人の内面に委ね、国家権力は外面的問題にのみ関わるべきである、とされた。こうした理解が十九世紀以降の中立的で非干渉的な、自由主義的国家論の源泉になった。国家権力の強制は「内的信仰」にまでは及ばないというホッブズ個人主義的留保が、やがて強力なリヴァイアサンを内側から解体していく端緒になる。

 その際大きな役割を果たしたのがスピノザである、とシュミットは指摘する。(略)

『神学・政治学論』において、国家権力は宗教を規制できるが、その際規制できるのは「外的礼拝」のみであるという、一見ホッブズと同じような議論を展開する。しかしシュミット によれば、スピノザホッブズがうちたてた内と外の、あるいは公私の区別を「逆転」させてしまった。ホッブズ は「留保」によって信仰の内部にとどまろうとしたのに対し、「ユダヤ人哲学者」スピノザは宗教の外部から「留保」をもちこんだ。ホッブズにとって大事だったのは平和と主権であり、個人の思想の自由は背後の「最終的留保」にすぎなかった。しかし、逆にスピノザは個人の原理をかれの思想体系の構成原理にすえ、平和と主権を単なる留保に変えてしまったのである。

(略)

ヨハン・ゲオルクハーマンは(略)ホッブズの「リヴァイアサン」は外的には全能だが内的には無力な権力になっている、と論じた(『ゴルゴタとシェプリミニ』)。シュミットはこれに続けて次のような印象深い言葉をつらねている

公権力がいよいよ公的となり、国家が内的信仰を私的領域に押しやるとき、一民族の心は内面への「秘めたる道」を辿りはじめ、沈黙と静寂の力が成長しはじめる。内外の区別の承認の時は、内面が外面を凌駕する時であり、そこですでに私の公への優位は決定的となったのである。公権力は依然強調され、忠実に尊重されるが、それはもはや単なる公的な、外的な力であり、内面の魂は抜けている。

リヴァイアサンを壊滅させたスピノザ

 こうして国家の主権的人格としてのリヴァイアサンは、十八世紀以降に内側から崩壊していく。しかし、リヴァイアサンの創造した国家はリヴァイアサンより長生きをした。生きのびた国家は、実質的には、専門的に訓練され円滑に機能する、官僚制的に組織された、軍隊・警察、司法・行政機構を意味し、機械という比喩にいっそうふさわしいものとなり、絶対主義の権力国家もいまや法的拘束を受ける「実定法の体系」になった。こうして、十八世紀におけるヨーロッパ大陸の絶対主義的君主国は、十九世紀のブルジョア法治国家によって解体された。

(略)

 シュミットによれば、封建的等族や教会などの古い「間接権力」はいったん絶対主義国家によって圧伏されたが、十九世紀になると「間接権力」は政党や労働組合などの近代的な「社会的勢力」という形態をとって再び登場し、議会を通じて立法国家を占拠して、リヴァイアサン = 国家の崩壊を促進した。自由主義的な憲法体系がこれを正統化し、多元的で「自由な私的領域」を国家の及びえない領域として国家から切り離した。

(略)

 こうして奇妙な事態が生まれてきたのが現代である。元来は自由主義的だった、例えば、議会のような制度や概念が「きわめて反自由主義的な諸勢力」の「武器と拠点」に変わってしまうという事態である。言い換えれば、多党制が「国家の神話的象徴たるリヴァイアサン」を壊滅させたのである。シュミットはその思想的淵源が、「国家と個人的自由」を区別したスピノザにあることをあらためて強調し、次のような意味深長な言葉を記している

 個人的自由を組織した諸組織がメスとなり、そのメスをもって反個人主義的勢力がリヴァイアサンを切り刻み、その肉を分配した。かくて可死の神は再び死んだ。

(略)

「反個人主義的勢力」とは何をさすのであろうか。反自由主義的なところのあるカトリック政党や社会民主党(略)のような社会的勢力をさしているともみなせるが、ナチをさしているともとれる微妙な表現になっている。

シュミットの弁明

シュミットによれば、ドイツの国外に出るのは一つの選択だろうが、国外において生活の基盤を確保するのは容易でないし、幸い亡命して国外で「精神の自由」を得られたにしても、かれらのドイツ国内への影響力は低下してしまう。不自由な体制のもとでもいくばくかの隙間があって、多少とも精神の自由を確保できる道を探せるのではないか、それにナチス体制が長期に及ぶとは限らず、むしろ短命に終わると思っていたひとが多かったわけだから、いま少しの辛抱だと考えて国内にとどまるという選択をしたとしても、批難されるいわれはない。

 シュミットも精神の自由を求めた一人だったかのような語り口である。かれはドイツにとどまり、積極的にナチ支配の旗振り役を務めていたが、その際にも「精神の自由」を保持していたというのだろうか。シュミットがとくに言いたかったことは、一〇〇パーセントの全体的な支配が成立しているかにみえるナチの「全体主義的一党体制」だからといって、そこに「精神の無条件屈服」しかありえないとみるのは、「表面に表れたもの」だけにとらわれた安易な見方であるという点である。

 こと「学問」の場合、人為的に組織された「表面」だけの考察では不十分である、とシュミットが主張するとき、「表面」と区別された「内面性の領域」という、あやしげな魔術的言語が登場してくる。「表面」なり「外面」の徹底的な管理や支配が行われていても、内面と外面を含めた全体的な支配までが実現したわけではない。そもそも一〇〇パーセントの全体的支配など可能なのか、とシュミットは反問する。「精神の自由」を守るためには、ナチス・ドイツから亡命するという道しか残されていないわけではない。亡命した知識人に反発し、その批判から身を守ろうとしたシュミットは、ナチス・ドイツにおいてさえ、「ヨーロッパ精神」は「常に地下の隠れ家」を、「新しい形式」の、「新しい方法」による「隠れ家」を見出すことができたのだ、と主張する。これは教養市民層に根強く存在する見方で、エルンスト・ユンガーもこの「究極の隠れ家」に言及している。

 権力との関係で言えば、ドイツの教養市民層は一八四八年の市民革命における挫折以来、次第に弱体化し、その人文主義的理想主義はすでに大幅に後退して、ワイマール期を経てナチ期にもなると、瓦解してしまっていた。しかしシュミットによれば、ナチス支配の十二年間においても、「内面性」に基礎をおいたドイツ人の「個人主義」は根絶されずに存続していた。ドイツ人は組織される能力に優れ、画一化しやすいように言われているが、それはあくまで「前景」でのことである。その陰で「私的内面に隠遁しつつ、その時々の政府の命令は正確に順守するという隠秘な古き伝統」は失われてしまったわけではない。

(略)

こうして、教養階層の「外面的画一化」が円滑に進めば進むほど、その「内面の全面的把握」はますます困難になる。かつて「個人主義」を目の敵にしていたシュミットが、いつのまにか個人主義に拠り所を求めて、ナチ時代の自己を正当化している。

 

 戦後いちはやくシュミットのこの発言に注目した丸山眞男は、はたしてそれは精神の光栄なのか悲惨なのか、と疑問を呈している(『現代政治の思想と行動』)。研究者や芸術家たちも政治体制を自由に選べるわけでなく、他の人びとと同じように、さしあたってはその体制を受け容れるのが普通である。危険な印象はあっても、さしあたり「合法的に成立した」に従うのは不思議でない、とシュミットは弁明する。またもや「合法性」という魔術的な言語の登場である。

 しかし現実のナチがそうであったように、「異常事態」や「内部のテロ」に威嚇される事態が発生するようになると、体制への忠誠の限度を決めなければならない状況に追い込まれる。場合によっては「内乱」に立ちあがり、「サボタージュ」を行い、「殉教者」になるという選択肢を選ぶこともありえよう。だがそうした行動に出るのも、おのずと「限界」があるのだ、とシュミットの弁明は続く。

(略)

どうすべきであったのかは亡命者や外国人が決めるべきことではなく、「状況の犠牲者」に委ねるべきである。シュミット は亡命者を「犠牲者」から除外する一方で、「安全地帯」にいた亡命者に判断基準を求めてはならないと述べて、自分も「犠牲者」のなかに加えている。一時期は積極的にナチのイデオローグたろうとし、ナチス体制の内部においてであるにせよ「安全地帯」にいたシュミットに反乱者や「殉教者」にもなりえたかのような主張をする権利があるのか疑問ではあるが、一方「精神の光栄」のためというのであれば、丸山の場合、シュミットの望ましい選択としてどのような行動を想定していたのであろうか。

 こうした主張はいずれもナチス体制崩壊後にシュミットが行った自己正当化の試みである。

 「内面性」と「合法性」

 シュミットの議論展開の重要な箇所にしばしば登場する言葉が、「内面性」と「合法性」である。本書ではこれらの言葉を魔術的言語と呼んできた。「合法性」は法学の基礎概念ではあるが、「内面性」や「合法性」がみずからのナチへのコミットを正当化する文脈で登場するだけに、見逃しえない論点である。全体主義的支配体制のもとでも、ナチの思想や価値観に一元化されていたわけでなく、私的内面性の世界では自由で多彩な考えが抱かれ展開されていた、という主張である。はたしてそうであろうか。

 シュミット自身も示唆しているように、歴史的にみてドイツの教養市民層はしばしば肝心なときに私的内面性の世界に退却し、そこで限定された自由を享受した、とされている。政治領域を貴族によって掌握され、長らく政治から排除されてきた埋め合わせを内面性の世界に求めたのである。(略)

ユダヤ人が次から次へと身のまわりから消えてしまうナチス体制下の日常において「内面性」が蒙る傷に関し、セバスティアン・ハフナーが『ナチスとのわが闘争――あるドイツ人の回想一九一四-一九三三』で鋭い考察を残しているのに比べて、獄中におけるシュミットの「内面性」に関する考察は真実を語っておらず、貧困であると言わざるをえない。

 「合法性」という言葉もまた、ナチス体制との関わりで使われる。イデオローグとして体制の「合法性」を主張するのは当たり前としても、戦後の『獄中記』においてさえ「合法的に成立した」政権(ナチ政権)に従うのは当然だ、と述べている。ナチ党が選挙によって第一党になったこと、全権を掌握する根拠とされた授権法を国会の議決により採択したことは確かである。だが授権法の成立に向けては、共産党を非合法化し、諸政党を解体に追い込み、中央党や社会民主党にも露骨な威嚇を加えたなかでなされた採決までを「合法的」であると言うのは難しい。それ以前のワイマール時代末期には、憲法に基づく合法性を無視してまで、ナチス政権の阻止が可能な論拠を苦心して模索していたシュミットが、今度は安直に「合法性」を切り札にナチス体制を正統化する議論には違和感を覚える。

 このようにシュミットは「合法性」の擁護者を自任しつつ、「合法性」には限界があることを身をもって示すことになった。「合法性」を超えた例外状況において、共和国の危機を大統領内閣により克服しようとしたシュミットが、その直後に成立したヒトラー政権を「合法性」の観点からも支持するにいたった。カリスマも果断さもない卑小な権力者などより、カリスマ的指導者の人物と手法に魅了されたのであろうか。シュミットが法学者として合法性を重視していただけに、きわめて疑問の残る選択である。

「例外状況」と「場所確定」 

 シュミット はヴェルサイユ体制や正戦論を批判する際に、しばしばその普遍主義を攻撃している。普遍主義はその抽象性のゆえに具体的な場所を喪失し、空虚な議論になっているという批判である。これに対しシュミットが対置するのは、個別具体的なもの、具体的な場所(空間)、具体的な場所との密接な関係、などである。とくに後期には「場所確定」の重要性が指摘される。それは西欧に対するドイツの自己主張の意味で用いられる場合もあるが、それを超えた意味をもつ主張でもある。だがシュミットの立場は一貫しているのだろうか。シュミットの理論の鋭さと迫力は、その多くを例外状況の方法に負っている。「主権者とは例外状況において決断をする者である」とシュミットが言う場合、極限状態と決断する状況は同じようにみえるかもしれないが、実は大きく異なっている。極限状況がどんな状況であるかは原理的に学問的に規定できる現実の状況である。決断する状況はあくまで極限的な現実の状況であるという意味では、両者の間に違いはない。しかし決断する状況において重要なのは、決断する主体にとっての状況であり、「例外」においては、科学的な状況認識や倫理的価値判断といった、およそ決断の根拠とされるようなものがすべて無力化し消え去ってしまう瞬間、つまり、あらゆる制約から解放された瞬間において決断がなされる。

 しかし現実世界において生きるということは、制約されて生きるということであり、人間としての能力や人間関係など、諸々の制約のもとでしかわれわれは生きられない。決断が下される例外状況においては、決断する主体にとって現実は制約とならず、現実としては消去されている。一方において西欧的な普遍主義であれ、世界革命の共産主義であれ、あれほど普遍主義的思考様式を嫌悪し、個別的なもの、具体的な場所に定着すること、すなわち、「場所確定」を重視したシュミットではあるが、他方では例外の方法を重視することによって、つねに最終的場面では「現実」が消去され、確定された場所も消去されることになってしまうという根本的な矛盾を、おのれの思想体系のなかに抱え込んでいた。「例外状況」も魔術的言語にみえてくる。