アフター・リベラル その2

前回の続き。 

「負の個人主義」 

 西欧の六八年革命に批判的だった歴史家ジャットは、「『社会』を、私的個人同士の相互活動で出来上がる薄い膜のようなものへと縮小することは、今日、リバタリアンや自由市場主義者の野望になっている」と指摘していた。

(略)

 労働社会学者のロベール・カステルは、個人主義と賃労働が(一八世紀のように)結びついてしまった状況では「負の個人主義」が広がっていくと述べ、その分岐点をやはり一九六八年に求めている。すなわち、戦後の平等社会のなかで、個人の権利や安全は財の多寡に関係なく、雇用によって保障されるようになったため、良い雇用は個人主義と自立を可能にするが、反対に劣悪な雇用は個人を自立できない境遇に置くことになる。だから、「社会が個人主義化すればするほどに国家が必要になる」。

(略)

 こうした状況が雇用環境の劣化によるニューライト台頭や、民族・宗教的共同体からとを問わず承認を求めるテロの温床となる。

(略)

[この論点は]なぜワーキング・プアや没落する白人労働者(カステルの言葉では「この世に用のない者」)が、権威主義的な政治に傾斜しているのかを説明する。カステルが期待したのは、個人を生活リスクから守ることのできる「社会国家」の成立だったが、九○年代の社民政治が変質してそれを可能にしなかったことで、代わって台頭したのは個人をグローバル市場やテロから守ると一方的に約束する、権威主義的なニューライトの政治だったのだ。 

新自由主義とナチズム 

 新自由主義とナチズムは性格を大きく異にするもののようにみえる。前者は市場と個人への信頼から自由を尊ぶ思考である一方、後者は国家や民族を市場や個人よりも優先させるとみなされるからだ。

 もっとも、社会学者ル・ゴフは、個人を丸裸にして不安感で覆い、不安定な地位に追いやることで防衛的・受動的な存在に押しとどめ、他人や社会に対して振るわれる「悪」に対する警戒心を解除し、結果として悪に寛容な社会を作り出すメカニズムを内包している点で、ファシズム新自由主義は同質だとする。

 他人との共通性や紐帯が断ち切られ、個人が自分のみ(あるいは自分の問題のみ)に関心を集中させてしまえば、他人の問題や不幸は、自分との共通性を持たないかぎり、政治の対象とならない。他人との共同性(社会と言い換えてもよい)があれば、人は社会を良くすることが自分のみならず、他人の境遇を改善することも期待値として行動することになる。しかし、社会が喪失されてしまえば、自分にとって良いことは他人にとって良いこと、あるいはその逆を可能にする論理は失われてしまう。

 ナチスが教会やギルド、労働組合、地域社会といった中世からの伝統を持つ中間団体を解体して個人を孤立させ、そのもとでナチズムに依存せざるを得ない全体主義社会を完成させたことで、統治を貫徹させたことはよく知られている。

(略)

 結果として生まれるのは、人間間の直接の暴力的関係である。問題が個人的なものに還元されてしまえば、他人は関係ないと否定したり、攻撃したりするヘイトが可能となる環境が作られるからだ。

アイデンティティリベラリズム」 

 イギリス保守主義の大御所マイケル・オークショットは、個人にとっての自由は、「即自存在」ではなく「対自存在」であることから導かれるとする。(略)

個人は自らのアイデンティティをそのまま体現することで自由になるのではなく、自らのアイデンティティがどのように成り立っているのかを主体的に理解することでもって、はじめて自由になるのだ。

 オークショットと思想背景を異にする法学者サンスティーンも、自由とは好き嫌い以前に、好き嫌いやその根拠となる信念を形成することのできる自由として捉え直すべきという。自分の「好み」ではなく、「信念」を自分の手で作ることこそが自由だと定義されるべきだ、と。ここでいう信念とは、個人的なものではなく、社会的なものであることが条件となる。だから、そこにはじめて個人を超えた自由や正義がみえてくる。

 例えば、自分が性的な、あるいは民族的なマイノリティだとして、ではそのマイノリティとしてのあり方はいかにしてもたらされたのか、その社会でマイノリティであることは何を意味しているのか、マイノリティはマジョリティの目にどのようにみえるのか――こうしたことを知り、理解することは、自らがマイノリティであることを一度相対化し、マイノリティであるという属性から自由になったうえで、何を選択するのかという主体性を取り戻すことになる。それは「個人が王座につく」のではなく、「個人と主体」との差異を、自らの手で埋めることを意味する。

 アイデンティティに基づく社会的承認を求める時、そのアイデンティティが承認されるに値することを証明するため、それはあえて美化されたり称賛されたりする。マーク・リラはそうした考え方を「アイデンティティリベラリズム」と呼ぶ。

 しかし他のアイデンティティとの差異や優位(あるいは劣位)を強調することで、それが他のアイデンティティと衝突することもあれば、個人がそのアイデンティティに囚われてしまう可能性も出てくる。これは第二章と第三章でみた、他人を否定することで自らを背定する「捕食性アイデンティティ」の供給源となる。『歴史の終わり』で有名になったフランシス・フクヤマは、アイデンティティを前面に押し出す政治によって、社会的・経済的不平等の問題が後景に追いやられ、理性的な対話を阻むばかりか、これによってアメリカのトランプ右派によるアイデンティ政治の逆襲を招いたと指摘している。 

 五つのリベラリズム

思想史が専門のイギリスのマイケル・フリーデンによる整理を借りよう。(略)

リベラリズムは大きく言って歴史的に五つの層(レイヤー)に分けられる。歴史的に最も古いリベラリズムのレイヤーは、ロックの社会契約論に代表される、王権に対する個人の抵抗権や所有権を守ろうとする潮流から始まる。イギリスでは一七世紀の権利憲章、フランスでは一八世紀の人権宣言に結実するが、この潮流はその後の権力分立や多数派支配の警戒など、日本でいえば立憲主義的な考えを重視するリベラリズムの源泉となっていく。ここでは、この流れを第一章で定義した「政治リベラリズム」と呼ぼう。

 ここから派生する二つ目のレイヤーには、商業や取引、貿易の自由を唱えるリベラリズムがある。ブルジョワイデオロギーと同一視されることもあるが、イギリスの帝国主義を先導したのは、こうした「リベラルな帝国主義」でもあった。市場を中心とした自由、という考えは新自由主義のような、経済活動や所有権を重視するリベラリズムと親和的である。このレイヤーのことを、第一章と第二章でみた「経済リベラリズム」としておく。

 第三のレイヤーには、個人の能力を信じ、それは開花されなければならないという、個人主義を擁護するリベラリズムの系譜がある。第一のリベラリズムが公的権力に対して私的領域を守ることに関心を寄せたのに対して、J・S・ミルに代表されるこのリベラリズムは、個人の能力はその個人によって自由に行使されなければならないとする、外向きのリベラリズムといえるだろう。これを、第五章でみたような「個人主義リベラリズム」とする。

 以上のリベラリズムは、二〇世紀に入って社会主義コミュニズムファシズムとの対立のなかで存在感を高めていった。それらはいずれも個人の私的領域を認めず、私的所有権や商業の自由を否定するものだったからだ。もっとも、戦後になってこうした対立から、リベラリズムは進歩的な概念としての立場を強めていく。

 戦後の新たなリベラリズムが作った第四のレイヤーは、社会は人為と人智でもってより良くすることができるという信念へと結実する。これは社会保障や教育の重視、市場の規制などの政策を生む一方、人権が守られる社会を志向する考えにつながっていく。アメリカの文脈でいう「大きな政府」をめざすリベラルの立場に近いが、ここでは「社会リベラリズム」としておく。

 最後の第五のリベラリズムのレイヤーは、一九六〇年代に生まれたもので、これが特に民族や宗教、ジェンダー的なマイノリティの権利を擁護し、寛容の精神を説く流れだ。個人のアイデンティティ(それ自体にはいろいろなものがあり得る)を核として、それが尊重されなければならないとするこのリベラリズムは、現代日本で想像される「リベラル」に最も近いかもしれない。第四章と第五章でみたこのリベラリズムを、「寛容リベラリズム」と呼称しておく。

 

 では、共同体・権力・争点の三位一体の崩壊は、この五つのリベラリズムとどう関係するのか。(略)

リベラル・デモクラシーは、自由を志向する政治リベラリズムと平等を志向する社会リベラリズムとの均衡を意味していた。しかし、非リベラルな民主主義と権威主義の台頭は、経済リベラリズムが過度に強化されたことで生じ、これは社会リベラリズムが後景に退いたことに対する反動として、政治リベラリズムが攻撃されたことを意味している。

 政治の対立軸変化についてはどうか。戦後の階級政治の基盤を提供していた社会リベラリズムが揺らいだために、政党の対立軸は個人主義リベラリズムと経済リベラリズムをベースとするかたちで展開していった。すなわち、それまで経済リベラリズムの統御と社会リベラリズムの防御を歴史的使命としていた社民政党は六〇~七〇年代の社会変容と冷戦崩壊を経て経済リベラリズムの極に接近する一方、個人主義リベラリズムと寛容リベラリズムへと軸足を移したためこれに敵対的な、権威主義的な「ニューライト」が生まれることになった。

 歴史認識問題は、寛容リベラリズムの失敗に起因する。寛容リベラリズムは、本来はその社会のマイノリティにマジョリティと同等の権利や、それを行使する自由の付与を目標にしていた。しかし、これが社会リベラリズムや政治リベラリズムと共闘せず、個人主義リベラリズムと結託して、特定の集団や民族の属性のみを寛容の基準としたため、マジョリティによる不寛容を生み、敵対性を強めていく。

 この個人主義リベラリズムと寛容リベラリズムとの不整合は、ポスト世俗化とヘイトクライムへと帰結する。社会リベラリズムのように、個人を社会に包摂できる原理が貫徹されていれば、個人主義リベラリズムがもたらす文化的分断や孤立は回避されただろう。しかしその欠落は、個人による寛容リベラリズムへの敵対心を呼び起こす。個人の社会的な属性の空白を埋め合わせるためにラディカリズムが呼び寄せられるからだ。例えば、個人主義リベラリズムのもとに、宗教はいとも簡単に操作されてしまう。

 一九六〇~七〇年代の社会運動は、個人主義リベラリズムと経済リベラリズムが結びつくきっかけを作った。個人主義リベラリズムは、集団的な抑圧からの解放によって個人を基礎とした社会への再編成を志すものだったが、そのまま寛容リベラリズムへと転化することなく、代わりに同時並行して進んだ経済リベラリズムと癒着してしまったために、むしろ結社なき原子化社会を許してしまった。

(略)

 フリーデンは、リベラリズムを「複数の大きな部屋を備えた家」に喩えている。しかし、その組み合わせによって副作用が生まれ、それぞれのリベラリズムがめざしていたところのものとむしろ正反対のものを招き寄せてしまった歴史的皮肉は、重く受け止めなければならない。

リベラリズムの「弁証法」 

哲学者ホルクハイマーとアドルノは、終戦直後に『啓蒙の弁証法』という難解な本を著し、啓蒙された近代がなぜ新たな野蛮に陥ったのか、という問いに挑んだ。

(略)

野蛮が生まれたのは啓蒙の弁証法によって目的と手段が入れ替わってしまったからだとする。

(略)

結局何のために自己があるのかという問いを忘れてしまえば、自己そのものは空虚なものになってしまう。それが、社会の過度の規律や機能だけに繋ぎ留められる人間存在、つまりファシズムという野蛮を生み出してしまったと指摘したのだった。

(略)

啓蒙主義と同じように、リベラリズムもまた、人間という個性、進歩という観念への信頼があってはじめて成り立つ考え方だ。

 他方で、リベラリズムは、抵抗と闘争の思想を出自としてきた。先にみたリベラリズムの第一と第二のレイヤー(政治リベラリズムと経済リベラリズム)は、王権や教会という絶対的な権力に対する自由の主張であった。第三のレイヤーである個人主義リベラリズムは旧い慣習、さらに時間や空間といった人間活動を制約する要因を取り除こうとするものであったし、第四の社会リベラリズムと第五の寛容リベラリズムは、不平等や差別、貧困と戦うために存在してきた。

 リベラル・デモクラシーも、マルクス主義社会主義陣営と対峙するなかで、自己を鍛えてきた。しかし、一九八九年に冷戦が終わり、政治リベラリズムが支配的原理となって、それまで囲 いこまれていた経済リベラリズムによって不平等が生み出されるようになると、リベラリズムは空転するようになる。さらにそれまで政治リベラリズムと協働するかたちで蓄積されてきた個人を核心に置く個人主義リベラリズムは、アイデンティティ政治やステイタスの政治を呼び込んだ。個人主義リベラリズムを抑制的なものにするはずの社会リベラリズムの不徹底は、テロを呼び込み、国家の次元に留まるものであったはずの寛容リベラリズムは、歴史認識問題を争点化することによって絶え間ない分断と対立を社会にもたらすようになった。こうした相互的な均衡関係にあった五つのリベラリズムの不整合が、共同体・権力・争点の三位一体を解体せしめたのだった。