ジミ・ヘンドリクス 鏡ばりの部屋 その3

リンダ・キース

二十歳で、ひときわ美しいモデルのリンダ・キースは、ジミとは正反対だった。イギリス人でユダヤ教徒であり、裕福で教養があり、ロンドンの流行の最先端を行く群衆のなかでなくてはならない存在だった。(略)

リンダは一九六三年にキース・リチャーズとつきあい始め、ストーンズの結成当時を知っていたため、イギリスの音楽業界では王族のような存在だった。ストーンズが一九六六年、待望のツアーのためにアメリカを訪れる一ヵ月前だった。リンダはニューヨークのクラブシーンを楽しもうと一足先に渡米していた。音楽が、そして、ブルースが大好きなリンダは、お気に入りのシングルレコードをケースいっぱいに入れて持って来た。才色兼備で音楽にも詳しい彼女の存在は、それだけで男たちを夢中にさせた。

(略)

[五月の末、チーター・クラブの]二千人収容できる店内に、そのときは四十人もいなかった、とリンダは記憶している。(略)

「彼の手がギターのネックを動き回るのを見ているのはおもしろかった」とリンダは言う。「信じられないような手ね。彼の演奏に魅了されてしまったわ」(略)

ジミが、鑑賞力のない少人数の観客のために弾いているのを見て、リンダの正義感に火がついた。(略)

「あきらかにスター性をもっているのに、奇妙なルックスをしたスターで、奇妙な場所で弾いていて、こんなのはまちがっている、と思ったの」。セットが終わってバーでゆっくりと酒を飲んでいるジミを、リンダと彼女の友人たちはテーブルまで呼び寄せ、彼を褒めちぎった。それまでジミは、美しいモデルたちからこれほど注目された経験などなかった。リンダが、自分はキース・リチャーズの恋人で、リチャーズももうすぐニューヨークへ来るのだと言ったとき、ジミはどんな顔をしたのだろうか。 

初めてのLSD

リアリーは、LSDを体験するためには用量と同様に、“セット”と“セッティング”が重要だと言う。“セット”とは、使用者の心境、“セッティング”とは、薬物が使用されるときのまわりの環境を指す。ジミ・ヘンドリクスにとって、初めて経験するアシッド・トリップのセットもセッティングも、これ以上ないほど理想的だった。ロバート・ジョンス ンのことを知っている聡明なイギリス人モデルから褒めちぎられ、壁が赤い豹柄に塗られたおしゃれなマンションの一室でキースのブルースのレコードコレクションを聴いていて、ドラッグがなくても陶酔しそうな環境だった。言うまでもないが、トリップはうまくいった。

 のちにジミは友人に、初めてのアシッド・トリップで「鏡を覗き込んだら、自分がマリリン・モンローに見えた」と語っている。一九六六年五月以降、ジミはよくその鏡を覗くようになった。この後ジミが人生で作曲する音楽のほとんどは、リセルグ酸ジエチルアミドというレンズをとおして作られることとなった。すべての曲が、ドラッグでハイになっているあいだに作られたという意味ではないが、一度アシッドの世界に入ってしまうと、幻覚状態の思考がジミの演奏や作曲や作詞を特徴づけるようになった。ジミは親しい友人たちに、自分が弾いているのは音ではなく色だ、演奏しながら頭のなかで音楽が“見える”のだ、と言い張った。ジミの創造的プロセスの描写は、ホフマン博士が自身の初めてのアシッド・トリップのことを書いた描写に、不気味なほど似ていた。「聴覚(略)は、視覚に変換される」

 その夜ジミの人生を変えたのは、ドラッグだけではなかった。リンダ・キースは、その二週間前に発売されたばかりのボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』のレコードを持っていた。(略)

一曲目の「雨の日の女」でディランが「誰でも一発やられるべきだ」と歌ったとき、ジミはすでにLSDにやられていただろう。

ボブ・ディラン

ブルースに夢中だということが、ふたりの共通点だった。リンダはアメリカがルーツのその音楽に詳しく、それを証明するかのように、旅行鞄からあまり知られていないようなシングルレコードをたくさん取り出して見せた。ジョニー・テイラーの「リトル・ブルーバード」や、スヌークス・イーグリンの「ユアーズ・トゥルーリー」、そのほかのめずらしいブルースのレコードの多くはキース・リチャーズ の個人的コレクションから持って来たものだった。シングルを全部聴いてしまうと、ふたりは、まるでほうっておけないとでもいうように、何度でも『ブロンド・オン・ブロンド』にもどった。ジミはリンダに、ディランは憧れの人だと言い、ふたりともこのアルバムは天才的だと同意した。ジミは一晩中、レコードにあわせてギターを弾いた。

(略)

リンダはわかりきった質問をした。「なぜカーティス・ナイトと一緒にやっているの?」これに対して、ジミは単純で率直な答えを返した。「自分のギターを持っていないんだ」。

(略)

 リンダはギターを買ってやる約束をした。そのときには、リンダはジミを信じ、彼のためになんでもしてやろうと思っていた。(略)

リンダは、なぜ歌わないのか、と訊ねた。「だって、ほら、俺は歌はうまくないんだ」

(略)

 「あなたは歌もうまいじゃないの」その晩、数時間もプライベートコンサートを聴き続けたリンダ・キースは言った。リンダがさらなる説得の材料を必要としていたとしたら、それはレコードプレイヤーの上に載っていた。ボブ・ディランだ。もうなにも説得の言葉は必要なかった。『ブロンド・オン・ブロンド』のかすんだジャケットからジミを見つめている、ふさふさの髪をして、痩せた体にロングコートを着ている男は、肌の色以外、ジミ自身であってもおかしくなかった。その男の声を、ジミは頭から追い出すことができなかった。

(略)

ジミはリンダ・キースと一晩を過ごす二年ほど前からディランには興味をもっていた。(略)

ジミがハーレムのクラブのDJブースに「風に吹かれて」を持って行ったことがあった。(略)ジミはクラブの客たちから「店から出て行け。お前のヒルビリーミュージックを忘れずに持って帰れよ!」と怒鳴られ、店から追い出された。

 『ブロンド・オン・ブロンド』を聴いてすぐ、ジミはボブ・ディランの楽譜を買った。譜面は読めなかったので、歌詞が知りたかったのだろう。ジミは常に楽譜を持ち歩き、旅行鞄にそれしか入っていないこともたびたびだった。

ジミー・ジェイムズ・アンド・ザ・ブルー・フレームス 

[楽器店で15歳の家出少年ランディ・ウルフと、のちのドゥービー・ブラザーズ、ジェフ・バクスターを拾って、ジミー・ジェイムズ・アンド・ザ・ブルー・フレームスを結成]

(略)

[セットの核となる自作曲はなく]
ハウリン・ウルフの「キリン・フロア」や、ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」のカバーに自分らしい特徴をつけた。「その頃、流行っていた歌をやった」(略)

セットの時間を稼ぐために、バンドが演奏した「サマータイム」のヴァージョンは約二十分もあった。もうひとつのハイライトは、その夏のトロッグスの大ヒット曲「ワイルド・シング」(略)を十二分の大作に作りかえ、またすべてのセットでその曲をやりながらも、毎回違った演奏を披露することもできた。チットリン・サーキットでの制限されたセットから解き放たれ、ジミはブルースのハーモニーをロックの進行にあわせることも、ブルースの古典のなかにワイルドなロックのソロを入れることもあった。

(略)

 一九六六年六月には、ジミはファグスのメンバーがジミのために作った、初期の段階のファズボックスで実験をおこなっていた。このエフェクトボックスはギターとアンプのあいだに設置され、音をゆがめ、サウンドを豊かにする。細い弦の音を重くし、重い弦の音を強烈にした。このサイケデリックサウンドが、曲げた弦やオーバードライヴにしたアンプとあわさると、ジミがスパニッシュ・キャッスルで聴いたような、北西部の“汚れた”サウンドに近づくのだった。一九六六年にはジミのテクニックも上達していて、新しいエフェクトもすぐに音楽に取り入れることができた。ジミがこれらの未完成な電気装置を自由に操るのを見に多くのギタリストが集まり、彼が新しいテクノロジーを使いこなす姿に驚嘆した。(略)

「ジミがあのギターで鳴らすキーンという音は、芸術的だった」

(略)

初めて、バンドをリードできる自由を得たジミは、今まで見てきたリトル・リチャードやソロモン・バーク、ジャッキー・ウィルスン、そしてジョニー・ジョーンズの動きをすべて取り入れ、黒人のステージを白人の観客に披露した。マイク・クアジーのリンボーダンスからスカーフとアクセサリーを借り、ジミはエキゾチックな格好をした。ショーが始まると、知っているすべての芸をやった。歯でギターを弾き、背中に回して弾き、脚の下で弾き、セクシーな脚つきでギターに腰をふり(略)

チットリン・サーキットで見てきたショーや、マイク・クアジーの“スパイダー・キング”の芸を、フィルターをかけてホアの白人客に紹介した。

マイク・ブルームフィールド 

何人かの熱心なファンができ、グリニッジ・ヴィレッジの多くのミュージシャンから注目されるようになった。ニューヨーク一のギタリストとして知られていたマイク・ブルームフィールドは、リッチー・ヘヴンスに勧められて見に行き、ショーが終わった頃にはもう二度とギターは手に取りたくない、と言っていた。「あの日、ヘンドリクスは俺が誰だかを知っていた。目の前でこてんぱんにやられてしまったよ」ブルームフィールドはインタヴュアーにそう語った。「(略)あの場所で、あのストラトキャスターでジミが出せる音、すべてを出していた。(略)彼がどうやってあんな音をだしたのか知りたいよ」。

チャス・チャンドラー

[リンダはまずストーンズのマネージャー、オールダムやサイアー・レコードのシーモア・シュタインに売り込んでみたが失敗、ストーンズにも観せたが]

ジミに注目したのは、自分のガールフレンドがこのジミという男のことばかり話していることに気づいたキース・リチャーズだけだった。(略)

[そこに現れたのがチャス・チャンドラー。66年のアニマルズ米ツアー後に]脱退するつもりで、プロデュースの機会を狙っていた。(略)

その夏、チャンドラーはティム・ローズの「ヘイ・ジョー」を聴いて、この歌をイギリスでカバーするいいアーティストが見つかれば、大ヒットまちがいなしだと確信していた。

(略)
チャンドラーが来るというのはヘンドリクスに伝えられていて、彼は最高のパフォーマンスを見せた。そして運がいいことに、ジミはティム・ローズの「ヘイ・ジョー」を学んだばかりで、ジミがその曲を演奏すると、チャンドラーはミルクシェークをこぼしてしまうほど興奮した。

(略)

[セット後に自己紹介し]

チャンドラーはジミに「ヘイ・ジョー」のことを訊き、独特のギターのパートをどうやって作ったのか訊ねた。運良く見つかったふたりの共通点――「ヘイ・ジョー」に対する愛情――が、ふたりの仕事上での関係の始まりとなった。話していくうちに、チャンドラーはジミがリトル・リチャードやアイズレー・ブラザーズのバックミュージシャンとして何年も旅をしてまわったことを聞き、ジミはスターになる素質があると確信した。(略)

「こんな男がいるのに、誰も彼と契約を結んでいないなんて、信じられなかった」。

(略)

ジミがイギリスで成功することを確信して、イギリスへ渡る気はないかと訊ねた。のちにこの話を語るとき、ジミはいつも、すぐにイエスと返事をした、と話しているが、ヴィレッジにいた多くの人たちの証言は違っている。イギリスへ行くという考えに、始めジミは不安を隠せなかった。イギリスについての知識がなにもなく、イギリスへ行っても自分のエレキギターは使えるのか、と訊ねた。それでも、ミーティングが終わる頃にはふたりの男は握手を交わした。チャンドラーはアニマルズのツアーがあと一ヵ月残っていて、それが終わったらさまざまなことを解決するためにもどって来る、とジミに約束した。(略)

ジミはアメリカで契約を結んでレコードを出すことを願ってヴィレッジで演奏し続けた。それから五週間後にチャンドラーがもどって来るまで、ジミはパスポートの申請さえしなかった。そのあいだにも、ジミはグリニッジ・ヴィレッジでのファンをひとりひとり増やしていった。

ジョン・ハモンド・ジュニア

ジョン・ハモンド・ジュニアのギグのまっさいちゅうに友人が駆け込んできて、むかいの店で演奏している男が、ハモンドが最近出したアルバムの曲をやっている、と教えた。その前の年に、ハモンドはのちにザ・バンドのメンバー[やマイク・ブルームフィールドらと](略)

「ソー・メニー・ローズ」をレコーディングしていた。ホアへ行ったハモンドは、ロビー・ロバートスンと同じリックを彼よりもうまく弾いているジミを見て驚いた。セットが終わると、ハモンドは自己紹介をした。「ジミはシアトル出身だと言った」とハモンドは言う。「彼はとても率直で、愛想がよく、才能があった。彼の演奏を聴いたり見たりしたことがある人なら誰でも、彼がスターになるとわかっただろう。それはあきらかだった」。ふたりは親しくなり、ハモンドはカフェ・ア・ゴー・ゴーでの二週間の公演に、ジミを参加させることを約束した。その週のうちに、ハモンドは彼の有名な父、ジョン・ハモンド・シニアにジミを紹介した。ハモンド・シニアは、すでにビリー・ホリデーやボブ・ディランと、そしてのちにブルース・スプリングスティーンと契約を結ぶことになるのだが、またひとり、ジミ・ヘンドリクスには興味を示さなかった業界の伝説の人物が増える結果となった。

ジュニア・ウェルズ

ジミの評判があがるにつれ、客も増えていった。

 だがその次の週、本物のブルースプレイヤーがア・ゴー・ゴーに登場すると、ジミはナッシュヴィルで負かされたときと同じような屈辱を味わうことになった。ハモンドやエレンのバンドに参加させてもらったときと同じように、ジミは伝説的ハーモニカプレイヤー、ジュニア・ウェルズにも、バンドに参加させてもらえないかと訊ねた。セットが半分終わったところでウェルズは客席にむかって言った。「客席のなかに、演奏したがっているワイルドな男がいるって聞いたんだ」。ジミがステージへ上がると、ウェルズは楽屋へもどって行ってしまった。戸惑いながらも、ウェルズがもどって来ることを期待しながら、ジミは三曲演奏した。ウェルズはもどって来ると、ジミを怒鳴りつけた。「この若僧め!二度と俺のバンドを横取りするような真似をするな!」ウェルズはジミをステージから押し出した。始め、ジミは混乱して、ウェルズが今のは冗談だと言うのを待っているような表情をしていたが、それが冗談でないとわかると、ジミの顔は青白くなった。「がっかりして、泣き出しそうだった」とビル・ドノヴァンは言う。「そのあと、二日ほど姿を現さなかった」

(略)

 八月になると、ブルー・フレームスはカフェ・ア・ゴー・ゴーに二週間出演することが決まった。(略)

ジー・リンハートから、ア・ゴー・ゴーにディランが来ることがあると聞くと、ジミは自分のアイドルの有名な顔がないかと、毎晩客席を見回した。

(略)

 リンダ・キースは相変わらずジミのショーによく行っていて、八月の終わりにはキース・リチャーズと別れた。怒ったリチャーズは、腹いせにリンダの両親に電話をして、ふたりの上品な娘はニューヨークで“黒人の麻薬中毒者”とかかわっている、と告げ口した。

マイケル・ジェフリー

[ジミを]アメリカから来た正真正銘のブルースマンとして売り出す[のには労働許可証が必要だった]

「それを成し遂げられるのはマイケル・ジェフリーだけだった」とエリック・バードンは言う。ジェフリーはどの糸を引けばいいか、どの役人を買収すればいいか、知っていて、イギリスのクラブチェーンの出演契約を担当している人間を知っていた。犯罪組織との繋がりがあるとの噂もあった。

(略)

 実際は、ジェフリーはフランク・シナトラというより、ジェイムズ・ボンドだった。いつも小声で話し、らくだの毛のコートを着ていた。ジェフリーはニューキャッスルにクラブ・ア・ゴー・ゴーを経営することから音楽業界の仕事を始めていた。「ジェフリーは人を騙すのがうまかった」とバードンは言う。店が不審火で燃えてしまうと、それで入った保険金でニューキャッスル出身のアニマルズをオープニングのショーに契約し、それがチャンドラーとの出会いとなった。

(略)

内国歳入庁の検査官を混乱させ、会計検査をごまかすために、帳簿はロシア語で書かれていた。

メンバー募集

 ジミのバンドの最初のメンバーは、[メロディー・メイカー誌の募集記事を見てオーディションにやってきた]ノエル・レディングとなった。二十歳のギタリストは(略)

「ベースは弾けるかとチャンドラーに訊かれた。弾いたことはないけど、やってみる、と答えたんだ」とノエルは言う。ノエルはその場で初めてベースを持ち、ジミとジャムセッションをした。ふたりは「ヘイ・ジョー」と「マーシーマーシー」をやった。

(略)

チャンドラーとジミの思い描くバンドのイメージはくい違ってきた。それまでキャリアのほとんどをレヴュースタイルの大きなバンドで弾いてきたジミは、R&Bの伝統どおり管楽器も揃った九人編成のバンドが必要だと確信していた。チャンドラーはギャラが安く済むのと、ジミをセンターにしたかったという理由から、少人数のバンドを望んでいた。

(略)

 おそらく、キーボードプレイヤーを望むジミを満足させるために、チャンドラーはブライアン・オーガー・トリニティという、ブルースを基本にジャズの影響を受けたロックをやっているバンドのリーダー、ブライアン・オーガーに電話をし、過激な提案をした。「アメリカからものすごいギタリストを連れて来たんだ。君のバンドのフロントマンにぴったりだと思う」。(略)

提案に気を悪くしたオーガーは、その時点ではジミのことをなにも知らなかったが、チャンドラーの話を断った。代案として、チャンドラーはその晩のトリニティのショーにジミを参加させてもらえないかと頼み、これにはオーガーも同意した。

トリニティのギタリスト、ヴィック・ブリグスがショーの前に機材をセッティングしているところへ[ジミらが登場]

(略)

ブリグスは初期のマーシャルのアンプの試作品を使っていた。十五センチのスピーカーが四つあり、のちのマーシャルのスタックよりも小さかったが、それでもものすごい迫力があった。ジミはギターをアンプにつなぐと、ブリグスが驚いたことに、アンプの音量を最大まで上げた。「僕は五より上にしたことはなかった」とブリグスは言う。恐怖におののくブリグスの表情を見て、ジミは言った。「心配するなよ、ギターの音量は下げてあるんだ」。ジミはブライアン・オーガーに四つのコードを指示し、演奏を始めた。

 出てきたのは、大音量のハウリングとゆがんだ音だった。店内にいた全員の注目を集めたが、それはジミがマーシャルのパワフルなアンプと恋に落ちた瞬間だった。ジミが難しいパートを難なく弾きこなすようすは、そこにいた人たちを呆然とさせた。「みんな、開いた口がふさがらなかったよ」とオーガーは言う。「クラプトンやジェフ・ベックアルヴィン・リーなどのイギリスのギタリストとの違いは、彼らの場合、例えばクラプトンやベックの演奏が誰の影響を受けているのかがわかった。(略)

だけど、ジミは誰の影響も受けていないんだ。まったく新しいサウンドだった」。

神を打ちのめす

[チャンドラーに頼まれ会うだけのつもりでクリームのショーにジミたちを呼んだクラプトンだが、参加させてくれないかと言われ驚愕]

ジャック・ブルースがようやく返事をした。「ああ、もちろん。僕のベースのアンプにつないだらいいよ」。ジミは予備のチャンネルにギターをつなげた。「ジミはステージに上がって、ハウリン・ウルフの『キリン・フロア』のいかしたヴァージョンを弾き始めた」と客席にいたトニー・ガーランドは言う。「(略)ジミが弾いたのはアルバート・キングの三倍も早くて、エリックがあっけにとられているのがわかったよ。次になにが起こるのか、予測もできなかったんだろう」。クラプトンはのちにイギリスの音楽雑誌、アンカット誌のインタヴューにこう答えた。「まるで、バディー・ガイがアシッドでハイになったみたいだ、と思ったよ」

(略)

その夜観客のなかにはロンドンで当時人気絶頂だったもうひとりのギタリスト、ジェフ・ベックもいて、彼もジミの演奏から警告を受け取った。(略)

ジミはロンドンに来てからたったの八日で神に会い、彼を打ちのめした。

次回に続く。