デヴィッド・ボウイ インタヴューズ

全671ページ中、179ページからは80年以降のインタビューと知ったら躊躇されるかもしれませんが、安心して下さい、全盛期の回想やインタビュー当時の音楽シーンへのコメント等があるので、最後まで興味深く読めます。

デヴィッド・ボウイ インタヴューズ

デヴィッド・ボウイ インタヴューズ

  • 発売日: 2016/12/17
  • メディア: 単行本
 

過剰な深読みは止めて欲しい、と懇願する

変わり種デヴィッド・ボウイ

『NME』69年 

「僕の曲はどれもみんな思いのままに書いたものばかりで、どれも非常にパーソナルなんだ。それについてはみんなにもそのまま、丸ごと受け止めて欲しい。

(略)

 ただ、僕の曲の題材が、単なる年頃の男女の惚れた腫れたじゃないってことには気づいていてくれてるよね。それが何故かと言えば、僕は女の子に対してトラウマは一切ないからなんだよ。

 僕は自分のことをかなりしっかりした人間だと思っていて、頭のいい女の子とは悪い関係になったことがない。で、知性の感じられない女の子とは、ハナから仲良くなりたいとすら思わないんだ」

(略)
[アンダーグラウンド・シーンについて]
「あのシーンが始まった時、僕は何かもの凄く斬新で、強い音楽的志向を持った連中が、何か意義深い音楽を携えて現れ、それを広めて行くんだろうと思ってたんだ。で、まあ確かに音楽は出てきているし、大部分は凄くいいんだけど、いわゆるアンダーグラウンドのグループの大半の連中に関して、僕がどうしても解せないのは彼らのアティテュードなんだよ。

 僕の目には、彼らが自分たちのごくちっぽけでパーソナルなシーンをある程度のところまで拡大したら、もうそこで止まってしまって、ただ自分たちの改宗者を相手にプレイしているだけで満足してしまってるように見えるんだ。そんなことじゃ、彼らに未来はないし、オーディエンスも彼ら自身も、いつも同じ場所で、同じメンツ同士で顔突き合わせてるだけじゃ、じきに飽きてしまうよ。 

Oh You Pretty Things

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  • Peter Noone
  • ポップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
Oh! You Pretty Things

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『メロディ・メイカー紙』72年

かの国では彼はたいそうな人気者なのだ。一方、アリス・クーパーにさえ目くじらを立てる人々が存在する故国UKでは、彼はまだ知る人ぞ知る存在である。彼の前作にして唯一のアルバム『世界を売った男』はアメリカでは5万枚を売り切った――だがこの国では今のところ売れたのはほんの5枚だけで、買ったのはボウイ本人である。

(略)

 ボウイの新作「ハンキー・ドリー」(略)

彼はパワフルかつシンプルでポップなメロディを、謎めいたダークな示唆を山盛りにした言葉とアレンジで膨らませるコツを心得ているのだ。

 例えばピーター・ヌーン(*元ハーマンズ・ハーミッツ)往年のヒット曲“ ユー・プリティ・シングス” (*作詞作曲はボウイ)は、表層的には(略)これから父親になろうとする心情を歌った歌である。だが、もう一段掘り下げてみると、そこで触れられているのはボウイの信じる超人類――高等人間――の存在であり、それについて彼は斜に構えてこう歌うのだ。「僕は来るべき世界に思いを馳せる/黄金の人々によって発見される書物/苦悩と畏敬の念に駆られて書かれた書物/僕たちが一体何のためにこの世に遣わされてきたのかを問いかけ、悩んだ人物の手による/おお、今日この地に客人がやって来た、そして彼らはどうやらこのまま居座る気のようだ」。ピーター・ヌーンがこんなにもヘヴィな内容のナンバーを歌っていたと知って、筆者は大いに興味をかき立てられた。

(略)

 また一方、ボウイには場違いなものを巧みに組み合わせる天性があるのだ。アルバム「世界を売った男」に収録されている“ブラック・カントリー・ロック”のエンディングには、彼の友人マーク・ボランのヴィブラート唱法をたいそう上手にパロディしている様子が聴ける。「ハンキー・ドリー」では、“クイーン・ビッチ”という曲をヴェルヴェッツに捧げ、ルー・リードのヴォーカルとアレンジメントをまさにそのまま再現して見せた上に、シンガーのボーイフレンドが別の男にたぶらかされたという、いかにもヴェルヴェット・アンダーグラウンド的ジャンルのストーリーラインまでパロディ化した。

(略)

彼は14歳の頃から仏教やチベットに興味を持ち、ファースト・アルバムが鳴かず飛ばずに終わった後には、一旦音楽から完全に足を洗い、チベット/中国戦争のさなかに国を追われたラマ僧たちを助けるため、自分の時間を割いてチベット社会に支援を続けていた。この時期、ダムフリースにスコットランド修道院の設立が実現したのも、彼の助力があってこそだった。彼いわく、実のところチベット僧になってしまおうとすら思っていたのだが、それを止めたのがロンドンでパントマイム劇団を主宰していたリンゼイ・ケンプとの出会いだった。「あれはまったく、仏教と同じくらい魔法のような体験でね、僕はすっかり魂を売り渡して、街の生き物になったのさ。イメージに対する僕の興味が開花したのは多分あの時だね」

(略)

しなやかな手指の動きと言い、思わせぶりな言葉選びと言い、彼の立ち居振る舞いは思わず笑いがこみ上げるほど一目瞭然にホモホモしい。「僕はゲイなんだ」と彼は言う。「ずっと昔からだよ、デヴィッド・ジョーンズを名乗ってた時からさ」。けれど、彼の物言いにはどこか茶目っ気たっぷりの陽気さが感じられ、口の端には密かな笑みが浮かんでいる。彼はわかっているのだ、今は男娼のように振る舞うことが受け入れられる時代であり、そもそもポップの世界では遥か昔から常套手段だった

(略)

彼の性的にアンビヴァレントな表現は、魅惑的なゲームを作り出しているのだ――果たして彼は本当にそうなのか、それとも違うのか?(略)彼は抜け目なく男性と女性の役割にまつわる混乱を利用しているのである。

(略)

 では、親愛なるアリス(*アリス・クーパー)にはシンパシーを覚えるところはあるかと尋ねてみると、彼は嘆かわしいと言うようにかぶりを振った。「いいや、全然。彼のファースト・アルバムは買ったけど、興奮することもなければ衝撃も受けなかったね。彼は多分、頑張って破天荒を演じてるだけなんだよ。見ればわかるじゃないか、可哀想に、あんなに真っ赤な目をひん剥いて、青筋立ててさ。もの凄く一生懸命頑張ってるよ。

『NME』紙 72年

――ご自身をミュージシャンだとは思わないと言いましたね。

ボウイ:(略)ミュージシャンっていうのはその楽器における名手のことだろ?それはどう考えても僕には当てはまらないからね。僕のアルト(・サックス)は悪くないし、実際モットのアルバムでもちょっとばかりプレイしてはいるけど。

(略)

ギグで何度かジェームス・ブラウンをやったね。“ホット・パンツ”をプレイしたんで、ちょっとばかり吹いたんだ。モッズの連中がやたらと詰めかけて来たギグがあって、これはちょっと一発カマしてやるかなと思って。殆どアドリブで通したよ。

(略)

僕は元々ソウル・マニアだったんだ、ジェームス・ブラウンの大ファンでね、昔から彼の最高にファンキーなやつが大好きだったけど、自分がそれをやりこなせると思ったことは一度もなくて..……(略)

――でもホワイト・ファンクの中にも、他とは一線を画すスタイルが存在しますよね。例えばヴェルヴェット・アンダーグラウンド(略)あちらをファンクの基準として考えてみたら、あなたのやっている音楽も、ある種のファンクとみなすことは可能ではないですか?

ボウイ (略)僕たちが書いてるロックン・ロールの中で、あれは間違いなくヴェルヴェッツ系に分類されるものだよ、だって彼らはロックン・ロールにおいて、僕に最も大きな影響を及ぼした存在だから。元祖と呼ばれるチャック・ベリーよりもね。

(略)

――あなたが若い頃に影響を受けた特定のレコードを3、4枚挙げていただけますか?

ボウイ : いいとも、まずハリウッド・アーガイルズの“アーリー・ウープ”だね――単純にあの曲から醸し出される雰囲気がよかったんだ。(略)あの曲のフィーリングに共感したんだよ。それがあの滑稽な感じのせいなのか、何なのかは自分でもよくわからない。

――あの原始人の歌ですか?

ボウイ : そう、でもあれは実はキム・フォーリーだったんだよね。あの曲をやったハリウッド・アーガイルズっていうのは彼だったんだ。で、僕がパロディを好きなのは……。

――ザッパですか?

ボウイ : ああ、僕はザッパも尊敬してるけど、それより個人的にはチャーリー・ミンガスの方が好みなんだ。自分がパロディをやるなら多少ソフトな路線で行きたいんだよね、何しろ僕は生まれながらの平和主義で、たとえメンタルなレベルであっても、いかなる敵意も肯定するつもりはないから。もしかするとザッパは、自分がミンガスほど広く受け入れられず、自分のオーディエンスを自力で探さなきゃならなくて随分苦労したのかもしれないね。その恨みが忘れられずにいるんだろう。

(略)

当然ながら、“僕は待ち人”は挙げておかないとね。(略)この曲に彼の初期のソングライティングの大部分が凝縮されている(略)

“僕は待ち人”でのルーは、僕が思うに、他の誰よりも上手にニューヨークという街を表現している気がする。それも彼がかつて暮らしていた、ニューヨークのある特定のエリアのある時代の空気だね。

――我々世代にとって、ニューヨークにまつわるもうひとつ素晴らしいレコードと言えば、“サマー・イン・ザ・シティ” (ラヴィン・スプーンフル)ですね。

ボウイ : ああ、その意見には賛成だ。僕はスプーンフルの大ファンだったんだよ。彼らには夢中だったなあ。もう1枚のレコードはミンガスのアルバム「オー・ヤー」で、特に“イククルージアスティックス”からは大いなる喜びを与えてもらったよ。あれは凄く1990年代的と言うか、とても2001年的なアルバムだと思ったんだ、全体としてね。僕はそういうタイプのジャズに惹かれていた時期があるんだ。(略)

――ザッパのアルバムであなたに特に影響を与えたものはありますか?

ボウイ:「マザーズ・オブ・インヴェンションのおかしな世界」だね。僕はあのアルバムで、ザッパにあのテリトリーにおけるもの凄いポテンシャルを見いだしたと思ったんだ。ただ僕にはザッパは理解出来ないし、自分の苦悩や、その解決策を何とかして見つけようとしてるさまをオーディエンスに披露するっていうやり方にはあんまり感心しないね。 

Alley Oop

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  • ハリウッド・アーガイルズ
  • オールディーズ
  • ¥153
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MEETS THE HOLLYWOOD ARGYLES

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  • アーティスト:GARY PAXTON
  • 発売日: 2018/07/12
  • メディア: CD
 
Summer In the City

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  • provided courtesy of iTunes

さよならジギー、そしてアラジン・セインに丁重なるご挨拶を

『NME』紙 73年

 “スペイス・オディティ” は、言うまでもなくボウイの楽曲では初めて、「ここで(僕はブリキ缶の中に座っている)」と「(聞こえますか)私の声、トム少佐?」という場面転換の中で、語り手が切り替わるという巧妙な仕掛けが鮮やかに使われたナンバーだ。

 彼は率直に認める――「ああいう感じを作り上げたのには、間違いなくビートルズからの影響が大きいね。僕がジョン・レノンの書く曲に本気で憧れるのも、彼の並み外れたパン(定点にカメラを置きながらレンズを左右に振ること)の使い方の巧さゆえだよ。とにかく後にも先にも、レノンより上手にパンの手法を使いこなしてたソングライターはいないんじゃないかな。

ボウイ、自分の声を探し当てる

『メロディ・メイカー』紙 74年

 テープが終わると、ボウイのピリピリした部分は多少和らいでいた。彼は間違いなくこのニュー・アルバム[『ヤング・アメリカンズ』]に対して大いなる喜びを感じているのだ。(略)

 「多分これは、僕がレコードという形で世に出してきた中で、最も素の自分に近い作品だと思う。僕はずっと、これまでのアルバムの殆どで演技をしてきたって言ってただろ。基本的にはどれも何かしら役を演じていたんだよね。その点このアルバムは、恐らく『スペイス・オディティ』のアルバム以来、僕という人間に実際に会う感覚に一番近いんじゃないかな。あれは相当パーソナルな内容だったからね。そういう意味で、これを出すのが今からとても楽しみなんだ」

(略)

「『アラジン・セイン』はあの当時、僕が感じていたアメリカに対する被害妄想が造り出したものだったんだ。あの頃はまだそこと折り合いがつけられる状態じゃなかった。今はもう大丈夫だよ、自分にとってアメリカで一番過ごしやすいエリアもちゃんとわかっているから。

 自分に合うタイプの人たちもわかるしね。僕はここでもう随分長い時間を過ごしてるんだ(略)

だから今はこっちにいても結構ハッピーにやってるんだ。

(略)

ただ、『アラジン~』を作ってる最中に、僕は実に奇妙な妄想狂の人たちとうっかり近づきになってね。かなりイカレた連中だよ、それで僕は随分と精神的に混乱したんだ。その結果が『アラジン~』だったってわけで……あの当時は別にロックン・ロールに対して言いたいこともなかったしね。

 一方、『ジギー~』は作品を通して、自分がずっと言いたかったことをほぼ伝えられたと思う。『アラジン』は『ジギー』がアメリカに行ったら、っていう設定なんだ。とにかく周囲をキョロキョロしながら、自分の頭の中で展開していく物事を見て、伝えているだけなんだよ。

 『ピンナップス』のアルバムは楽しかった。バンド(スパイダーズ)はあそこでもう終わりだってわかっていたんだ。あれはある意味、彼らに対する最後のお別れだったんだよ。で、『ダイアモンドの犬』が事実上このアルバムのスタート地点だったんだ。

 “ロックン・ロール・ウィズ・ミー”とか“1984” は、僕がやりたいと思っていたことの萌芽期的な曲だ。とにかく色んなことを試してみたんだよ。コンセプト・アルバムとは違う。単に色んなものを並べてみただけでね。しかも、自分のバンドもなかっただろ。そんなところから何となくピリピリし始めたんだ。(略)

もう二度とああいう状況にはなりたくないな。バックを支えてくれる人間が誰もいない状態でアルバムを丸々1枚作るっていうのはとても怖い作業だよ。(略)これまでで一番苦労したアルバムだった。上手く行って本当にホッとしてるよ」 

アラジン・セイン<2013リマスター>

アラジン・セイン<2013リマスター>

 

 

ボウイ、スプリングスティーンに会う

『ザ・ドラマー』誌 74年

この記事が書かれた当時、ボウイはスプリングスティーンよりも格上のスターだった。(略)

ボウイがニューヨークのマクシズ・カンサス・シティでスプリングスティーンの演奏を見たというのは、ビフ・ローズの前座を務めた(略)73年2月5日のこと。RCAスタジオでツアーのリハーサルをしていたボウイは「ハンキー・ドリー」でカヴァーした“フィル・ユア・ハート”の作者であるビフ・ローズの公演を見に来て、前座のスプリングスティーンを発見。ソロの歌はボブ・ディラン風でいまひとつだったが、バンドとの演奏は別人のようにすばらしかったという。

(略)

ニュージャージー州アズベリー・パークから、長距離バスで到着したその足でここへやって来たのだという。ブルースはそこら中にジッパーのある、染みのついたブラウンのレザー・ジャケットと、そこらのチンピラのようなジーンズをスタイリッシュに着こなしていた。まるでバスターミナルに転がり落ちてきたばかりといった風情だったが、まさにそれが今夜の彼のありのままの姿だった。

 話によれば、ボウイが今回レコーディングした中の1曲に、ブルースの書いた“都会で聖者になるのは大変だ”があったのだそうだ。

(略)

 デヴィッドは初めてブルースを観た時のこと――2年前、カンザスシティのマックスで――を振り返り、そのショーにノックアウトされ、以来ずっと、いつか彼の曲をやってみたいと思っていたのだと語った。彼以外に誰か、アメリカのアーティストの持ち曲でレコーディングしたいと思う曲はありますか(略)と重ねて問うと、デヴィッドはしばし考え込み、他には誰もいないと答えた。ブルースの、くたびれてはいるけれど熱心に話を聞いていた顔から、笑みがこぼれた。 

Song for Bob Dylan

Song for Bob Dylan

  • provided courtesy of iTunes

 

今や僕は一人前のビジネスマンだ

『メロディ・メイカー』 76年

 ボウイは自分がこのところ、過渡期に差し掛かっていることを認めた。

「そう、確かにある意味、また新たなスタートを切ろうとしているような感覚があるね」。「ステイション・トゥ・ステイション」の大部分を満たしているように思われる再発見のイメージについて、彼はそうコメントした。

(略)

「今はある種の成熟が感じられると思う。アルバムを聴けばそれが伝わるだろう。これはずっと言ってきたことだけど、僕はライターとしては恐ろしく無防備でね。レコードを聴けば、それを作ってた時に僕がどんな気持ちでいたか、手に取るようにわかってしまうはずなんだ。

 アルバムを作ってから、それが自分自身にとってどういう意味を持っているのかを客観的に把握するのには、しばらく時間が必要だ。でも昔のアルバムを遡って聴けば、僕は自分にその当時何が起こっていたのかを、克明に思い出すことが出来るよ」

 例えば「ハンキー・ドリー」はどうです?

「あのアルバムにはあの当時の僕の考え方にあった、楽観主義と情熱が反映されてるね」とボウイは応えた。「何しろ“ボブ・ディランに捧げる歌”なんて曲まであるんだから――僕がロックの世界でやりたいと思ってたことをそのまま書いた曲だよ。あの時僕は宣言したんだ、『OK、ディラン、もし君にその気がないなら、僕がやるよ』って。僕にはリーダーの席が空いているのが見えたんだ。あの曲自体はアルバムの中で必ずしも最も重要な曲ってわけではないけど、僕の中ではある局面において、あのアルバムを象徴する曲になってる。ロックン・ロールを利用しようとする人間がいないなら、自分がやろうじゃないかって、あの時の僕は本気で思っていたんだ。

 ジギー・スターダストは、『もし僕がそいつを引き受けるとしたら、どんなアティテュードで臨むべきだろう?』って言っていた。(略)

 そして『アラジン・セイン』のアルバムは、ジギーの視点から見た、『ああ何てこった、実際やってはみたけどこいつは狂気の沙汰だ、一体これをどうまとめたらいいんだろう……』ってやつだ。あのアルバムの中には自己疑念がいっぱい詰まってる。半分はまだ演技(ジギー・スターダスト)だけど、本音の部分では、元の世界に戻った時に果たして今より幸せかどうかはわからないって言ってるんだよ」

「ダイアモンドの犬」の頃は、ボウイいわく、若い頃の楽観主義が粉々に砕かれるのを目のあたりにしたような気分だったと言う。アルバムは表向きは社会問題を扱っていたが、実際には彼の内なる葛藤の反映だったのだ。

(略)

「ヤング・アメリカン」の制作に入る頃には、ボウイは絶えずプレッシャーから脱出する計画を練っており、それが以前のマネージメント会社との関わりに緊張状態を産むことになっていたと言う。

「『ヤング・アメリカン』はそこを乗り越えたことに対するお祝いだったんだ」と彼は言う。「“フェイム”はハッピーな歌だろ。メロディの感じといい、すべてが能天気でさ。僕は『ヤング・アメリカン』は殆ど聴かない。あれは僕がこれまでに作った中で、最も鑑賞に堪えないアルバムのひとつだ。ただ、踊るにはいいね。ダンスのBGMとしてはおあつらえ向きだよ。

ステイション・トゥ・ステイション』? まだ客観的に振り返るには近すぎるな。でも、あれは言ってみれば「さあ、新たなスタートを切ろう」ってアルバムだよ。

(略)

ただ、先のことは誰にもわからないからね。

 ある意味、綱渡りに近い感覚なんだ。(略)

状況は絶えず変わるんだ。どんな時も、必ず危険の芽はあるんだよ」

(略)

『地球に落ちてきた男』(略)は要するに、最初は純粋主義的な考えを持った人間が、目的を遂げようとするうちにやがて堕落していくという物語なんだ。とても、とても悲しい映画だよ」

(略)

 最終的な目標は何かと彼に訊ねた時(略)独特のイタズラっぽい調子でこう言った。「僕がひとつわかってるのは、いつかイングランドの首相になりたいってことだけだね」

(略)

 けれどしばらくして、ボウイはもう一度政治の話題に立ち戻った――今度はもう少しシリアスなトーンで

(略)

僕がもう少し年を取って、自分の政治的スタンスもきちんと話せるようになったら、あの国の政治に関わりたいね。僕にはいまだに偉大な王様願望が抜けないんだ。きっとこれは死ぬまで続くんだろうな。何しろ僕は超がつく山羊座だからね

(略)

 これは人が自分のペルソナに対して、何をどこまで出来るのかを確かめたいっていう試みでもあるんだよ、自分のエゴをどれだけ実体から膨らましていけるのかをね。僕の音楽はこれまでだって、単なる音楽として見られたことは一度もなかったはずだ。

 そこにはデヴィッド・ボウイに対する自分自身のアティテュードも入ってくるんだよ。何だかとてもマクルーハン的な話だね、そう思わないか。僕は自分で自分をメッセージ化しようとしてるんだ、いかにも20世紀らしいコミュニケーションの方法じゃないか」

次回に続く。