エルヴィス・プレスリー〈上〉メンフィス・マフィアの証言

エルヴィスが母の次に愛していた従弟のビリー・スミス、メンフィス・マフィアの頭、マーティ・ラッカー、長年のメンバーでドイツ軍務にも同行したラマー・ファイク、この三人との5年に渡るインタビュー。

“メンフィス・マフィア” 

エルヴィスは二十世紀の最も重要な大衆のヒーローであったにも関わらず、自分のことについてほとんど話そうとしなかった(略)ただの一度も徹底したインタビューを許さなかった。

(略)

実は彼自身が自分のことを理解していなかったからだとする意見がある。つまり、本当のエルヴィスは実在せず、彼が歌うときに作り上げた神話上の人物のみが存在していたというものだ。この説によれば彼自身は空の容器でしかなく、そこに彼を非難する者たちは恐れを、そして彼に忠誠を誓う人々は愛情あふれる期待と夢を注いだ。確かにそうかもしれない。

 しかし、人間としてのエルヴィス・プレスリーを理解する最も近い立場にいたのは彼の内輪の友人やスタッフ――報道陣が“メンフィス・マフィア”と名付けた軍団(略)だった。その若者たちは、仲間として、あるいはボディガードのようなものとして、エルヴィスと一緒にどこにでも旅をした。

(略)

ロック・ライターのデイヴ・マーシュは(略)メンフィス・マフィアのことを「おべっか使いと間抜け……道化、家来、金目当てのばかな暴漢……偉大な男が知りえたなかで最も下等な相棒たちだった」と表現している。

 確かに、エルヴィス側近の一団に出入りした二十名ほどの男たちは、ビジネス力や、公私にわたるアドヴァイス能力を買われたわけではなかった。また、エルヴィス自身もそんなことは求めていなかったし、能力を確保する気もなかった。彼は自分と“同じ小さな世界” 出身として仲間を選んだだけだ。彼は仲間たちに緩衝ゾーンとしての役割を見いだしていた。このグループの中では彼はエルヴィス・プレスリーでいるプレッシャーから解放され、自分自身でいることができた。「中には馬鹿なやつもいたさ」と証言するメンバーもいたが、そういった鈍い輩はエルヴィスの配下として長続きしなかった。何より、少なくともマフィアの中心をなすグループのほとんどは報道陣が想像したほどの単細胞ではなかった。エルヴィスの日常のビジネス面を手掛け、頼りがいがあるマフィアの頭、マーティ・ラッカー。エルヴィスの移動の責任者(そしてエルヴィスのいちばんの苛められ役)で、後にパーカー大佐とともにツアーのアドヴァンスマン(先発し下交渉をする役割)として働いた、自在に身を裂けるラマー・ファイク。(略)

エルヴィスの不安定な人生の中の安定剤としての役割を果たし、晩年には相談役にもなったエルヴィスの従弟のビリー・スミス。エルヴィスに親友がいたとしたら、それはビリーをおいてほかにいなかっただろう。

祖先はフランス人とインディアン

ビリー エルヴィスがアイルランド系だったという話や、あの変わった綴り(ダブルs)とか……あれは全部でたらめさ。エルヴィスはスコットランド系だったんだ。

ラマー イレイン・ダンディの著書「Elvis and Gladys」を読むと、エルヴィスの母方の曾々祖父のジョン・マンセルは半分スコッツ・アイリッシュで、半分はインディアンだったことが分かる。(略)

[母]グラディス側の家系のルーツはインディアンだった。エルヴィスの曾々々祖母は生粋のチェロキー・インディアン。(略)

ビリー エルヴィスは自分にインディアンの血が流れていることは知っていたし、気に入っていた。高い頬骨はそこから来ているんだと、自分で言っていた。

ラマー グラディスは父親そっくりだった。彼女はあの大きくて広い肩のせいで男のように見えた。エルヴィスの体格は母親譲りで、[父]ヴァーノンのものではなかった。もちろん、あの短気な性格も母親譲りだった。

ビリー グラディス伯母さんはエルヴィスを理解する上での最も重要な鍵だ。

(略)

ラマー ダンディの本には、グラディスにはユダヤ系の血が混ざっていたと書かれている。

(略)

ビリー それはまったくのでたらめだ。おれの祖母のドールはフランス人だったんだ。おれの祖先はフランス人とインディアンだ。確かにダンディの本はリサーチが行き届いているけれど、血筋にユダヤ人がいたことは絶対にない。

 黒人街と教会

ビリー エルヴィスが音楽に興味を持ったきっかけについては諸説あるだろう。始めはシェイクラッグだった。そこは、足を踏み入れることを禁じられていたテュペロの一角の黒人街だった。おれたちの住むサルティロは、シェイクラッグからほんの三、四ブロック先だったので、どこへ行くにもそばを通らなくてはならなかった。エルヴィスはブラック・ミュージックを聴いたことがなかったと言う人間もいるが、そんなことはない。聴かないわけにはいかなかったんだ。壁が薄すぎて中でやっている音が聞こえたし、建物の外でもよく歌っていた。そこで多くのことを吸収したんじゃないかな。

(略)

ペンテコスト教会も、エルヴィスの音楽に大きな影響を及ぼした。エルヴィスはブラック・ミュージック、ゴスペル・ミュージック、そしてラジオで流れる音楽ならなんでも聴いていたんだ。この地方のカントリー・ミュージシャン、ミシシッピ・スリムや、同じくミシシッピ出身のジミー・ロジャースも気に入っていた。でも、やはりゴスペル・ミュージックの近くにいたことが多かったな。エルヴィスが足の動かし方やステージ上の動きを、ファースト・アセンヴリー・オヴ・ゴッド・チャーチの牧師、ブラザー・フランク・W・スミスから学んだという話はでたらめだ。説教者はあんな動きをしなかったし、エルヴィスだってそうだ。彼が教会にいたときは、音楽に聞き惚れるようにただそこに立ち尽くしていたんだ。もちろん、後にゴスペル・グループに入ろうという意思があった。

 ブラック・ゴスペル

ビリー (略)デューイ・フィリップスがエルヴィスのレコードを最初にかけたDJだった。いちばん最初にインタビューしたのも彼だった。デューイはパイオニアだったんだ。彼は白人専門のラジオ局で黒人音楽をかけるための努力をしていた。彼が仕事をしていたWHBQ局は、数年前からブラック・ミュージックのマーケットに足を踏み入れていたんだけど、まだディーン・マーティンのような白人歌手を多くかけていた。〈ザッツ・オール・ライト〉を初めてかけた夜、デューイ は繰り返し繰り返しかけた。六回ぐらい続けてね。彼はエルヴィスに、どの高校に通っているのかを尋ねた。それはエルヴィスが黒人ではないということを人々に知らせるためだった。

 彼がどうしてそんなことをしたのか、おれには理解できる。おれでさえ、初めてエルヴィスのレコードをラジオで聴いたとき「あれはエルヴィスなんかじゃない。こいつは黒人みたいに聴こえるじゃないか」と思ったんだから。高校ではベーシックな歌い方しかしなかったんで、おれは混乱したのさ。(略)〈マイ・ハピネス)はどちらかというと、インク・スポッツを真似ているだけだった。だが〈ザッツ・オール・ライト〉で、エルヴィスは羽目を外したんだ。あれは本当にアップビートで、普段歌っていた数少ない曲とあまりにも違っていたので、おれは間違ったレコードをかけているんじゃないかと思ったくらいだった。

マーティー ジェイク・ヘス&ジ・インペリアルズやブラックウッド・ブラザーズといったホワイト・ゴスペルを卒業した後、エルヴィスが長年にわたって本当に愛した歌手たちはほとんどが黒人だった――ロイ・ブラウン、ジャッキー・ウィルソン、ブルック・ベントン、ビリー・エックスタイン、アーサー・プリソック、インク・スポッツ、ロイ・ハミルトン。エルヴィスはブラック・ゴスペルを心底愛していた。彼がディーン・マーティンに大きな影響を受け[たという話があるが](略)おれは、彼がディーン・マーティンみたいに歌いたいと言ったのは聞いたことがない。愛したのはほとんど無名の黒人歌手だった。

ビリー なぜエルヴィスが黒人のようなサウンドだったのかと人が尋ねるたびに、おれはシェイクラッグのことを教えている。彼がWDIAという最初の黒人専用ラジオ局をいかによく聴いていたかということも。彼は高校の頃、ポップ・テューン(別名ボプラー・テューン、ポプラー通り沿いのレコード店)によく出入りして、黒人の歌手の歌に耳を傾けていた。

大佐、おおいにカモる

ラマー 大佐が次にやったことはジーン・エイバーバックとジュリアン・エイバーバック兄弟のところへ行くことだった。彼らは有能なウィーンのユダヤ人兄弟で、音楽出版社を経営していた。(略)

ふたりの協力があれば、簡単にエルヴィスのレコード契約をサム・フィリップスとサン・レコードからもぎ取ることができると考えたんだ。(略)

 五五年一月には、サン・レコードの負債は資産額の三倍にもなっていた。サムは破産を避けるため手を尽くしていた。(略)

[エルヴィスの契約をデッカに二万ドルで売ろうとしたが失敗]

(略)

マーティ アトランティック・レコードは当時(略)ブラック・レーベルを発足させたばかりだった。(略)エルヴィスを買いたがっていた。(略)

ビル・ヘイリーとは違って、黒人アーティストと同じフィーリングを伝えることができ、彼らと同じルーツを持っている。そして音楽の本当の意味を理解しているとは彼[アーメット・アーティガン]は感じたんだ。彼にはサム・フィリップスと同じことが見えていたのではないかと思う――黒人と同じ不安を心に抱き、彼らの抑圧に共感できたことがエルヴイスの音楽に反映されていたということが。(略)

 しかしRCAが勝利を収めた。アトランティックが二万五千ドルで降りたからだ。彼らには、もう金がなかったんだ。それから大佐は、ジーンとジュリアン・エイバーバックのところに行って「エルヴィスをRCAに連れていくために金が必要だ」と言った。そしてエルヴィスのサン(レコード)の契約は、RCAヒル&レインジによって買収された。この契約には合計五万ドルの金が動いたと言われるが、実際にはロイヤリティを含めて四万ドルだったのではないかと、おれは思う。RCAサム・フィリップスに二万ドル渡し、エルヴィスにサンから将来もらうはずだったロイヤリティの分をカヴァーするために五千ドルのボーナスを渡した。(略)

そしてひとつ大事な契約条項があった――エイバーバック兄弟には、プレスリーのシングルのどちらか一曲の出版権が必ずあるというものだった。言い換えると、エルヴィスはレコーディングをするときは、必ず彼らが提示する楽曲の中から選ばなければならなかった。そしてこの条件はエルヴィスが死ぬまで一生続くものだった。

 こういったことから、パーカー大佐のずるさが伺える。(略)

[エルヴィス・プレスリー・ミュージック以外にも会社を設立し]

エルヴィスより自分にとって都合のいいように組み立てた。例えば、大佐は、ミスター・ソングマン・ミュージックの権利を四十パーセント持っていたが、エルヴィスは十五パーセントしか持っていなかった。(略)

つまり大佐はエルヴィスの取り分とはまったく関係のないところで、しかもエルヴィスの商品やマネージメント業務とも関係のないところで金を儲けていた(略)

言い換えると、彼は二重に稼いでいたんだな。実際、いくつかの取り決めでは、エルヴィス以外の全員、彼と同額か、あるいは彼より多くもらっていた。パークヒルやディスキンのような、大佐が忠実な部下にしておきたい奴らが、褒美にもらっただけのことだった。

(略)

ラマー (略)レーベルでの最初の年、RCAは一億二千五百万枚のシングルを売り、二千七百五十万枚のアルバムを売ったんだ。(略)

エルヴィスがドアを蹴り破ったことによって、若者が自分の言葉を持つことができたんだ。エルヴィスは音楽版ジェームズ・ディーンだった(略)

チャック・ベリーシェリー・リーが全国的にブレイクし(略)ロックンロールが全開したんだ。(略)

二年の間に、エルヴィスがひとりでカントリー・ミュージックを地球上から抹消してしまった(略)

エルヴィスはポップ・チャートを一度バラバラにしてから、再び組み立てたんだ。彼は様々なタイプの音楽を融合させた。

 (略)

ラマー エルヴィスの最大の、そして命取りになった欠点は彼の(大佐への)忠誠心だった。(略)
彼にとって幸いだったのは、エルヴィスがあれほど従順だったことだ。大佐は本当にラッキーなマネージャーだった。彼の好きな言葉は「有利な立場から操縦することができないのなら、操縦するな」だった。

マーティ 始めから、大佐はエルヴィスに礼儀正しく、感じのよい人間になる大切さを吹き込んだ。大佐は常に「波を立てるな。プロモーターを怒らせるな」と言っていた。後に映画の仕事を始めたときは、ハリウッドの人間を怒らせるなと戒めた。彼は「連中の言うことは何でもするんだ。契約書にサインしたなら、どんなことをされても彼らの要求通りにしなさい。何か逆らえば彼らは君のキャリアを台無しにして、君はただの貧乏人に逆戻りだ」と忠告した。

 もちろん、大佐はカーニヴァルでの経験から、ほとんどの人間はカモだと考えていた。誰に対しても特別な思い入れなどなかった。その人間が自分のために役立つかどうかによって、相手を判断していたんだ。

(略)

ラマー (略)彼はあらゆるいかさまを知っていた。カーニバルでフットロング(約三十センチ)のホットドッグを売るためのスタンドを設けると、大佐は両端に二センチくらいのウィンナーを挟んで、途中は野菜の千切りで埋めるんだ。そして、両端を切り落としたウィンナーをスタンドの前に落としておく。もし、誰かが戻ってきて、騙されたと文句をつけるようなことがあれば、大佐はふくれてみせ、そんなことはしていないと言い張る。それから地面を指さして「ほら、そこで落としたんだろう」と言うんだ。

 実はオランダ国籍だった大佐

ラマー (略)

一度目は十七歳のときで、一年後、一九二九年にアメリカの陸軍に入隊するために再び家を飛びだした。(略)

 ほとんどの人間は、大佐がトム・パーカーの名をポニー・ショウの経営者から名づけたものと思っている。ダーク・ヴェレンガが言うには、大佐が自分を孤児だと主張してアメリカ陸軍に入隊したとき、彼の面接をしたのがトーマス・パーカーという陸軍大尉だったそうだ。当時まだアンドレアス・ヴァン・クーイック、またはドリースを名乗っていた大佐はパーカーの名を拝借し、「自分の過去を代表する“アンドリュー”を間に入れただけのことだったらしい。

 カーニヴァルのスタッフとなったのも除隊後だった。彼は南部の無数の小さな町で宣伝マンとして働いていた。(略)

四〇年代に彼は落ちついた。タンパの動物保護施設を運営していた――つまり野犬狩りをしていたわけだ。それから彼は町にデパートが新しく開店するたびに、象や舶来の動物たちを借りてきた。彼はどうすれば集客できるかを知っていた。多分時期を同じくして、彼はデパートでサンタクロースに扮して働いた。だから、彼は後にエルヴィスのクリスマスカードでサンタの恰好をするのが好きだったんだ。

(略)

彼はアメリカ国籍も、市民権も取得していなかったので、国のない男だったわけだ。

マーティ 本当の疑問は、なぜ彼があれだけ長い間事実を隠せたかだ。アメリカに何十年も住んでいたのに。

ラマー 大佐が何に怯えていたのかは分からない。彼は税金も期限内にきちんと納めていたし、初期のころにIRS(国税庁)が一度彼をつるし上げて以来ほとんど控除も受けなかった。彼はエルヴィスにも同じことをさせていた。彼らの税金対策は実にひどいものだったよ。大佐はオランダに送り返されるのが怖かったのかもしれないな。帰りたくなかったんだと思う。

次回に続く。