前回の続き。
藤竜也
何年かして、深刻さが分かってきた。大学を辞めて、このまま通行人の役ばかりやっていたらマズイんじゃないかって。
(略)
「映画はとにかく必死になって観ました。そうやって少しずつ学んでいったんだろうね。それで、オリジナリティがなきゃダメだっていうことに気づいた。切り口を、自分だけの切り口にしないとダメだっていうことね。
そんな時に出たのが『野獣を消せ』っていう映画。制作部の机に台本が置いてあったんですよ。(略)
物凄いと思った。それで、『これをやりたい!』とみんなに言っていたら長谷部さんの耳に届いたみたいで、やらせてくれたの。
ああいう不良性というか、異常性のある役はあれが初めて。直感的に、この男がどう動くのかがポンポン湧いてきたんですよ。だから湧いたものを全部やりました。ジープをバックする時に後を見るんじゃなくて、女の子とキスしながらハンドルを回す、とかね。『これでやらせてください』と言ったら、長谷部さんは『好きにやってくれ』って。
一本うまくいかないと次は来ないということが分かり始めていたので、必死にいろんなことをやりましたよ。
通行人の役をしなくても済むようになってからは、撮影所にアクションの道場があって、仕事がない時はそこで殴られる稽古をしていました。
(略)
[『ション ベン・ライダー』]
最初は断ったんだけど、相米さんが『とにかく引き受けてくれないと映画が始まらない』と。そこまで言われたら断れませんから。相米さんは尋常な人ではないです。風体から何から変な人ですが、そこが魅力的で。
あの映画は子供たちが主役で、彼らへの演技指導は緻密にやっていました。一つのシーンごとに、体育座りにさせて長々と話していました。相米さんの喋り方は物凄くパワフルで、話が終わった頃には子供たちの雰囲気も狂気になっている。もう芝居なんかじゃないんですよ。
だから、危ないシーンもありました。僕の役は麻薬を常習していて、日本刀を持って暴れ出すんですが、子供たちが三人でそれに攻撃をしてくる。その時、こっちはジュラルミンを振り回しているのに子供たちは関係なくガーッと来るんですね。監督は『藤さん、そいつらぶん殴ってください。斬り倒してもいいです。刺していいです』って。得物を持ってなくて子供たちを殴る蹴るする場面もありましたが、そこでも『本当に蹴ってください』って言うんですよ。そんなことできやしませんけどね。
橋爪功
一年の研究所生活を経て、文学座に入団することになる。
「野球のおかげで残れたんですよ。研究所と劇団の試合をやった時、同期の北村総一朗が、たしか監督で。ね。それで一試合目と二試合目を負けたんで、三試合目に総一朗の所にいって「俺に投げさせろ」って言ってね。相手のバットを一、二本折って、試合にも勝って。球も速いし、足も速いから劇団で『あれは誰だ』ということになって。
それで『芝居なんかどうでもいいから、あれだけは野球部に残せ』ということになったの。野球部には照明も美術もいて制作スタッフ丸抱えだったから、野球部の総意って一番強かったんだ。
役者にどうしてもなりたいというのではなくて、なんでもいいから演劇に関わりたかった。(略)
四十過ぎるまでちゃんと飯は食えなかった。でも、先輩の芝居を見ながら『俺にやらせた方がいいのに』とは思っていたけどね」
同期には寺田農、樹木希林らがいた。二人は早くからテレビドラマなどで活躍を始めている。
「ライバル意識とかは全くなかったですね。ライバルというより、敵わなかった。(略)
『俺は時間かかるぞ』と思いました。(略)若い頃は売れることは諦めていて、『もういいや』って(略)
『売れる』という意識よりは、『小商いを積み重ねていけばなんとかなるだろうな』って。
(略)
文学座では名優・芥川比呂志に師事する。63年の文学座分裂の際は芥川に従い劇団雲に参加した。
「世の中に天才という人がいますが、芥川さんがまさにそうでした。翻訳劇の読書量も、薀蓄の知識量も凄くて、演技指導してくれても知らないことばかり。芝居の面白さ、舞台の激しさを教えてくれました。舞台ではできないことは何もない、と。
(略)
74年、芥川演出の公演『スカパンの悪だくみ』ではフランス人のスカパンを関西弁で演じ、話題になった。
「芥川さんは電話魔で、文学座の頃から何かあると僕の所に電話をかけてくるんですよ。『今度こういう芝居をやるんだ。それでこういう役があるんだ。若い役でな』って。そうなると、『それは俺がやるのかな』って思うじゃないですか。でも、発表になると違うんです。それが三回くらいあって、家に火をつけてやろうかと思いましたよ。若い人間の心を惑わすようなことをして。
ただ、『スカパン』の時は電話じゃなかったんです。喫茶店に呼び出されて『今度な』って。こっちは『来た』と思いますよね。しかも『関西弁でやる』って。俺は出身が大阪ですから、『あ、これは近いかな』と思ったの。で、小一時間しゃべって『鈴木力衛さんの台本のスカパンのセリフを関西弁に直してくれ』と言うんです。この段階で『お前がやれ』とはまだ言われていない。それで、あとは演出部にいるもう一人の関西人に任せてあるって。『それなら、その人でいいんじゃないですか』って思わず言っちゃいましてね。そうしたら『そんな急にすねなくていいじゃない』って可愛い顔するんですよ。で、ようやく『スカパンはお前がやるんだよ』って。
(略)
多彩に演じ分ける基本は、準備段階で声を出して台本を読まないことだという。
「事前に家とかで声を出して台詞を読んじゃうと、その音が耳に残る。それって意外と抜けにくいものなんです。『ここでこんな芝居やりてえ』という役者根性が出る時は、特にね。
でも、音が一度でも入ると、もう現場で自由がきかなくなる。監督から『今の台詞のところは間を空けて』とか、『もっとゆっくり喋って』とか言われたら、事前に準備していると何もできなくなるんです。組み立てていたものが壊れるわけですから。
だから、事前に役柄を組み立てることはしません。相手役と一緒にセットで芝居しながら、という感じですね。先に自分で芝居を作りあげていくと、相手役が入り込めなくなっちゃう。
芝居って、生ものなんです。劇団とかの稽古場で若い連中と一緒にやっていると、ある日うまく固まる時があるんです。でも、稽古が終わって次の日になると『昨日の流れはどこへ行ったんだ』ということがよくあるんですよ。それは、一人一人が家に帰って勝手にまた作り直すから。それを見ていると、下手な考えだし、やめた方がいいのにと思います」
(略)
師でもある芥川比呂志の作った演劇集団「円」の看板を守り続けている。
(略)
せっかく作ってきたものを俺の代で壊しちゃ申し訳ない。潰れかけた造り酒屋の三代目みたいなものです。野田秀樹には「いまどき、劇団なんて。やめちゃいなよ。一人になれば」としょっちゅう言われるんですよ。野田の言っている意味も分かるんだけど、僕には僕の想いもあるから、そうはいかないよっていうところがあるんですよね」
寺田農
「いろんな大スターとご一緒させて頂きましたが、一番好きな人は雷蔵さんですね。
最初に大映の撮影所に行ったら(略)紺色のスーツを着た信用金庫の職員みたいな人が座ってるの。演技課長に言われて挨拶したら、それが雷蔵さん。
現場に入ったら、扮装した途端に眠狂四郎になっている。さっきのあの人は何だったの、というくらい。素晴らしかった。色っぽいし、何より声がいい。
芝居を見る目のある人でもありました。雷蔵さんと恋人役の女の子と三人の場面があるんですが、監督が『ほな本番いきますわ』って言ったら雷蔵さん、『いや、あかん』って。『そんなんで本番に行けるんか。寺田さん見てみいや。ちゃんと芝居しとるやないか。お前は何もしとらんやろ。お前、もう一回』って、その女の子をもう徹底的に。自社の女優だったから、厳しかった」
(略)
実相寺[昭雄]とは兄弟分みたいな、一年三百六十五日ずっと一緒にいるような間柄。でも、それだけ仲良くやりながら映像の仕事は大したことはやってないんだよ。映像の方には岸田森がいたからね。(略)
実相寺の撮ったアダルトビデオにも出たな。それからそこの社長に言われて監督もやったことがある。(略)
クラシックから美術からAVまで。その幅の広さが実相寺の天才たるところだね。
でも役者にはまったく興味なくて、後半は俺がキャスティングディレクターをしていたんだ」
(略)
「吹き替えは何度からやったけど、これはつまらない。役者が芝居をすればするほど邪魔になるんだ。画面の中の芝居とダブるから。ノンキャラクターの声優さんの方が上手くいくと思う。
アニメも好きじゃないんだよ。『ラピュタ』は話の序盤は画ができていて、それに向かって芝居してたんだけど、それがだんだん線画だけになって最後はタイムコードだけ。『二十七秒でこれを言ってくれ』って。でも、声優さんは上手くやるんだよ。俺は何回も喧嘩して、その度に帰りたくなっていた。だから、上がりも見てなかったんだよね。
後になって大学で教えるようになった時、女子学生とかによく『先生、ムスカやって、ムスカ』とかリクエストされるんで、『人がゴミのようだ』とか『目が、目が』とかやらされたんだけど、こっちはそんなセリフは喋った記憶がないし観たこともないから『全然似てない』とか言われるんだよ。だからラピュタのことを話すのは嫌で、一時期は芸歴からも外していた。
ただ、ウチの嫁さんがラピュタが好きでね。それでテレビで放送した時に観たんだけど『おお、結構いいじゃん』と思えて。だから今は『人がゴミのようだ』って上手くモノマネできるよ」
西郷輝彦
大河ドラマ『独眼竜政宗』で西郷輝彦は(略)伊達政宗(渡辺謙)を支え続ける家老・片倉小十郎を演じた。
「あれは代役だったんです。でも、台本を読んで『これは面白い役だ』と思いました。常に政宗の側にいて、小十郎がいなかったら政宗は何もできなくなっちゃうわけですからね。(略)
ただ、最初は悩みましたね。これまで主役しかやってきませんでしたから、役をどうすればいいか分からなくて。『なんで、ここでアップが来ないんだ』と思うこともありました。勝(新太郎)さんが豊臣秀吉役で出ていたんですが、飲んだ時にそんなことを言ったら勝さんにこう言われたんです。『アップなんていらねえんだよ。お前は一生命やってりゃいい。政宗が秀吉に無理難題を言われて困った時、視聴者は《小十郎は今どう思ってんだろう》と思う。そうなればお前の役は大成功だよ』と。それで俄然やる気になりました。
森繁さんも同じようなことをおっしゃっていたんです。『舞台というのはテレビと違ってアップにできない。だから、お客さんは喋っている人しか見ない。その時、他の連中は死んでろ、動くな』と。動くと観客の目がそっちに行っちゃうんですよね。
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