ウッドストックへの道

 

 ジミ・ヘンドリックス

 いま月曜日の朝、10時だ。1969年8月8日。ジミ・ヘンドリックスは4万人の観客に向かって演奏している。もうすでに50万人ほどの人々が、昨日の晩に会場を後にしていった。(略)

ステージから見ていても、去っていく人の数がどんどん増えているのがわかる。ジミもそれに気づいたのか、マイクで会場にいる人々に声をかける。

「行きたければ行っていいぜ。俺たちはジャムってるだけさ。去るもよし、手を叩いてくれるのもよしさ!」

雲が切れて合間から陽の光りが差しこみ、彼は空を見上げる。ひさしぶりに見る光りだ。

「まだ空の教会が俺たちの上にあるぜ。見えるだろ」、つぶやくように彼は言う。

(略)

 ジミは曲の間にチューニングしなおしながら、「チューニングがしっかりしているのはカウボーイだけさ」と、言ってクスリと笑みをもらす。ジョークをとばしていたかと思えば、次は「そこの黄色いパンツの女の子!」、とゆうべからシッポリとつるんでいた娘に声をかける彼。そして行くぞ、とバンドを一瞥し、手を振ると、“ギターが俺を未知のどこかへ連れていくんだ”とでも言わんばかりに、新しいギター・リフの中にはまりこんでいく……。

(略)

「みんなよく辛抱したよな――でもこの3日間はその価値があったぜ! 少しの愛と理解と、ごきげんなサウンドがあれば、どんなイカしたことができるか、きみたちは世界に示したんだぜ!」。

(略)

フィードバック、そしてディストーション。ジミはアメリカ国歌をズタズタに切り裂き、思うがままに自分だけのバージョンに仕立てなおしていく。

 轟音が足元から爪先まで、まるで竜巻のように僕を、そこに居合わせたすべての人間を包み、どこかへ連れていく。電流のような感動が背骨を走り、そして僕は感じた。もう僕らの国歌は、これから先、二度と同じままではいられない、と……。

(略)

その「星条旗」は戦争に、社会的、人種的差別に加担する人々への激しい抗議であり、と同時に、この社会の至るところにできた亀裂を、今こそ修復すべき時だ、と呼びかけていた。

マイアミ・ポップ・フェスティバル 

 リック・オーバリーは僕の家の近くに住んでいて、知り合うとすぐ友だちになった。前の年にあったモンタレーで起こったことが刺激になって、フロリダで最初の音楽のフェスティバルをやろうってふたりで決心したのだ。(略)

僕の家のキッチンがオフィスになり(略)さらにドラマーや弁護士の友人が参加した。(略)

 あちこち見てまわり、会場はハランデールのガルフストリーム・パーク競馬場に決まった。(略)

マーシャル・プレヴィッツは「ニューヨークのウィリアム・モリスのブッキング・エージェント、ヘクター・モラレスに会うといい」、と教えてくれた。そこで 早速、僕は飛行機でその男に会いにニューヨークへ飛んだ。

 「たった3週間で、そんなでかいショーをやりたいって言うのか?」。2万5千人の観客を見こんでいて、それぐらいの客を満足させる6つか7つのビッグ・ネームのアーティストと契約したいんだ、と僕が言うとヘクターは繰り返した。「気でも狂っているのか!」

 でも時間をかけて話し、僕は彼から協力の約束をとりつけることができた。(略)

ジョン・リー・フッカーチャック・ベリーマザーズ・オブ・インベンション(フランク・ザッパ!)、ブルー・チアー、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン、そしてジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス!その春、彼らは全米ツアー中で、僕らのイベントはすべりこみでツアー最後のショーになった。

(略)

 5月18日は魔法のような日だった。開場すると2万5千人の客が次々と芝生の上に毛布を広げ、スタンドを埋めていったのだ。

(略)

[ジミ]の熱演が海賊盤になってこの後、何年も出回っていた。今日でもインターネットには、「ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスの、もっともミステリアスで、もっとも魅惑的なライヴ演奏!」、「他のどんなプレイヤーもなしえなかった最高のセットを聴かせてもらった!」と新しいファンたちの熱狂的なコメントが並ぶ。ドキュメント映像以外にも、これまでヘンドリックスを追いかけてきたABC-TVがこの時の演奏も一部を撮影していた。ジミと仲良しだったロック・フォトグラファーのリンダ・イーストマンもエクスペリエンスのすばらしい瞬間をキャッチしている。ヘンドリックスのサウンド・エンジニア、エディ・クレイマーも(略)このフェスティバルの様子を自分のカメラにおさめていた。

 何十年も後、ロサンジェルスのピーターソン・ミュージアムでは、このフェスでジミが弾いたギターを展示したが、あの日このギターを持ち帰ったのは、誰あろうフランク・ザッパだった!「まんまと手に入れたよ!」とザッパは語っていた。「ヘンドリックスが叩きつけてネックをへし折ると、ライターの液体燃料をふりかけ、火をつけ、ステージからほうり投げた、あのギターをな」。ザッパは燃えて溶けたピックガードを取り替え、ネックを直して、ちゃっかり弾いていたのだ。

(略)

 土曜日のショーは豪華な花火の打ち上げで終わった。(略)

最高のフィナーレだった。すべてがこんなにうまくいったことが信じられない気持ちだった。だが、翌日はそうはうまくいかなかった……。(略)

[旱魃が続いていたので雨天中止時の保険に入らなかったのだが]

地方政府は土曜日にエバーグレイズの上空に科学薬品を打ち上げ、雲を集めて降雨をうながすオペレーションを実施していたのだ。かくして作戦が成功したのか、日曜日は風がやってきて、激しい土砂降りの雨に、あられ、かみなりが風速50メートルという強風をともなって、僕らを襲った。雨は昼も夜も降り続け、地上4インチ。おかげで客足は遠のき、入場者の数は前日から激減となった。このトラブルに加えて、偽造チケットが出回っていたことが発覚。二日間の売り上げに大きなダメージを与えた。

(略)

 フェスティバルが終わってしばらくすると、僕らはたくさんの未払いになっている請求書と格闘しなければならなかった。フェスティバルの演奏の録音テープや映像記録は、結局僕らのものにはならなかった。僕らが支払いをするまで、録音チームや撮影者の手元に保管されたまま。そして僕らはついに支払えずに終わったのだ。年月の流れとともに、それらの音源や映像はどこかに消えていってしまった。マザーズ・オブ・インベンションのあの時の演奏の一部は1969年に発表されたアルバム『アンクル・ミート』に登場した。

(略)

 僕らはといえば、弁護士のアドバイスを受け入れ、破産を宣告することにした。

ウッドストック 

 あふれる緑と青い山々の懐に抱かれた静かな山村。(略)

 町の人々は“オランダからの入植者の子孫たちと、工芸家、舞踏家、音楽家など(略)都市生活からの確信犯的ドロップアウトたち

(略)

そのユニークな歴史は1903年に3人のユートピアを夢見る人々――富裕なイギリス人ラルフ・ホワイトヘッド、作家のハーヴィー・ホワイト、芸術家のボルトン・ブラウン――が、哲学者、ジョン・ラスキンの“とどまることを知らない産業化が社会の非人間化を招く”という教えに感銘し、その思想を実践して、理想的小社会を作ろうとウッドストックに来たことに始まる。彼らはオーバールック・マウンテンの裾野にある1200エイカーの土地にバードクリフ・アーツ・コロニーを設立。アート&クラフト運動の理想を追求する実験場にしようとしたのだ。(略)

1912年にはNYCのアート学生リーグの支部がサマー・プログラムを始め、これに参加した画家、彫刻家の中にはプログラムが終わってもこの町に残り、居着いてしまった人たちもいたらしい。

(略)

 フォーク・ミュージックの収集家やアーロン・コープランドのようなクラシック音楽家も40年代からこの地域に暮らしていたが、ウッドストックにいきいきとした音楽シーンが生まれてきたのは、60年代の初めにアルバートグロスマンが、ここに別荘をかまえ、ひんぱんに訪れるようになってからのこと。

(略)

そのピンクの家が、まもなく『ベースメント・テープス』の名で世界最初の海賊盤として出回り、伝説にもなった地下室のある家だった。

(略)

68年夏には、それまで長くハードな旅を続けてきた(略)ザ・バンドの5人のミュージシャンはウッドストック・コミュニティのあちこちに散らばって、自然の中のボヘミアン・ライフを満喫しながら、自分たちの音楽生活を続けていた。

(略)

ガース・ハドソン 俺たちは気に入ったね、木を切って薪をこさえたり、ハンマーで親指を叩いたり、テープレコーダーやスクリーンドアを修理したり、森の中を散歩したりっていう、このライフ・スタイルがね。(略)

(略)

 エレファント・カフェでは集まった客たちの間から、いきなり即興ジャム演奏が始まったりすることもあった。(略)

[ポール・バターフィールドや]ティム・ハーディン、などおなじみの顔をまじえて。カフェ・エスプレッソではリック・ダンコがチェッカーズに夢中になっている姿、ディーニーズでは赤ワインを飲んでいるリチャード・マニュエルの姿をよく見かけたものだ。彼らはみんな、1年後のフェスティバルに出演することになった。

(略)

 1968年の9月、この町は――後でディランが歌ったように――“嵐からの隠れ家”のように僕には感じられた。ベトナム戦争は拡大の一途を続け(略)キング牧師が、そしてロバート・ケネディがあいついで凶弾に倒れ、各地で人種暴動が起こり、町は炎につつまれ、反戦デモに参加する人々は警官隊に殴り倒され

(略)

 そんな混乱と混沌、まっ暗な嵐の中にいたアメリカ全土に比べて、ウッドストックにはなんと対照的な光景が広がっていたことだろう。あのサウンドアウトの会場では、子供たちが笑い声をあげて草原を駆けまわり、大人たちは寝転んでゆっくり西の山々を染める夕焼けを眺め……そこには平和と喜びと癒しの空気があった。

(略)

「こんな風にみんながキャンプできるような所で、週末の間続くようなでっかいコンサートができたらクールだと思わないかい?」、僕はソニアに訊いてみた。

 ウォールキルでの公聴会

「ありゃあ“ミスター・ラング”かね?“ミス・ラング”なんじゃないか。男かね?女かね?」人々があざけるように言う声が、演壇に向かって歩いている僕の耳に届く。ひそひそと囁く声と。ワーワー、ピーピー、かん高い口笛を背中に浴びながら、僕はもう一度自分がここに来た目的に意識を集中する。

(略)

ウォールキル市民ホールは満員で立錐の余地もない。人々は興奮状態。中年の主婦たち、田舎町の商売人たち、日焼け顔の農民たちは口々に、彼らが知っているヒッピー話を披露し合っている。「まあ、なんて恐ろしい!」長い髪の一団が嵐のようにやってきて、自分たちの町をメチャクチャにするのではないかと住民たちは本気で恐れているのだ。

(略)

「みなさん、僕たちはウォールキルのすべての方々にとって良きこと、利益となるであろう計画を持ってここへ来ました」、僕は切り出した。「僕たちは宇宙人でも、麻薬中毒でもありません。自分たちが何をしているのか、きちんと心得てこの領域で仕事をしているプロフェッショナルです」。こんな風に話を始めると、人々の間に驚きの声が広がる。“女のように髪の長いヒッピー野郎だと思っていたが、なんと、こいつ俺たちにも理解できるような言葉をちゃんと話せるではないか!”渋々とではあったが、人々の敵意は少しずつ後退を始めている。

(略)

話を締めくくろうと僕は一呼吸おいて、声をかける。「なにかご質問がありますか?」。

「あるよ!」高校のフットボール・コーチのような男が立ち上がって、僕に質問をぶつける。「有名なミュージシャンがたくさん来て演奏するって聞いたが、そういうミュージシャンを聴きに集まってくる連中はどうなんだ? 彼らはどんな人間たちなんだい?」。

「みなさんの子供たちのような若い人たちです」、僕はためらわずに言葉を続ける。「みんな音楽が好きな子供たちですよ」。公聴席にいた若い連中が喝采の声をあげ、背広姿の大人たちの中にも嬉しそうに笑う人たちがいる。

ブッキング

マイアミでやったいろいろなコンサートの体験からどんなステージングが聴衆を喜ばせるのか、どんな形がだめなのか、僕は多くを学んでいた。マイアミ・ポップではブルース、クラッシック・ロックンロール、アシッド・ロック、ポップ、フォークなど、実験的にたくさんジャンルの違う音楽をやったが、観客はそのすべてを喜んでくれた。カウンターカルチャー世代の若者たちは、音楽の好みの枠にこだわらないオープンハートの人たちだったのだ。そこで僕は、ジミ・ヘンドリックスからジョニー・キャッシュまで、多種多彩なジャンルの希望出演者リストを作ってみた。

(略)
 僕はウィリアム・モリス・エージェンシーのヘクター・モラレスのオフィスで多くの時間を過ごすようになった。彼がマイアミ・ポップの出演者のブッキングに協力してくれて以来、僕らは友だちになったのだ。

(略)

まず、僕はビッグネームのアーティストの数人に、彼らの信頼を得るべく、かなりのギャラで出演のオファーをした。たとえば向こうが7500ドルと言えば、僕は1万ドルをオファーしたのだ。こうして数人のビッグ・アーティストが出演を快諾してくれると、僕は他のエージェントやマネージャーが僕をいいかげんなプロモーターではなく、真剣に受けとめてくれるようになったのに気がついた。そして、交渉はとても楽に、また。ギャラもよりリーズナブルになっていった。ジェファーソン・エアプレイン、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、キャンド・ヒートが真っ先に出演を承諾してくれた。(略)クリーデンスは1万ドル(略)キャンド・ヒートは1万2500ドル、ジェファーソン・エアプレインは1万5000ドルで契約ができた。

 クロスビー、スティルス&ナッシュ(CSN)はデビュー・アルバムが出る前に出演が決まった。ある日、彼らのマネージャー、デヴィッド・ゲフィンが、完成したばかりのテスト・プレス盤を持ってヘクターのオフィスにあらわれ、「これを聴くまで待てよ!」と叫んだ。そして僕らはその素晴らしさに打ちのめされた。(略)

 ゲフィンはグループの最初のツアーを始めるのにふさわしいベニューを探していた。そしてそこにいたみんなでウッドストックこそ、その場所だと意見は一致。僕はその場で彼の言い値、1万ドルを支払って、出演契約を決めたものだ。

ビル・グラハムの恫喝

「 おまえが予定している出演者をかたっぱしから出せなくしてやる!この業界からおまえなんか締め出してやる!」

 テーブルを挟んで僕の向かい側にはこの業界で一番パワフルなプロモーター、ビル・グラハムがいて、今にも掴みかかろうかという剣幕で、大声でまくしたてているところだ。そう、そもそもこの業界のすべてを作りだしたのは彼なのだ。

「俺が買い上げて、おまえとの契約なんか反古にしてやる!」。

(略)

 この数日前、ビルはジョン・モリスに電話をかけ、脅しの文句を並べた。フィルモアでグラハムの下で仕事をしているジョンは縮み上がり、弱りきった表情で、僕のオフィスに飛びこんできた。

「やばいぞ、俺たちは終わりだ! ビルがプラグを引っこ抜くと言っている!」

(略)

「これは俺のビジネスだ!」(略)

「どこまでやる気なんだ、若いの。俺をやっつけるつもりかい?」

(略)

「まず、第一に僕らはこれをやっています。誰も止めることはできないでしょう、例えあなたでも」。まっすぐその眼を見ながら僕はビルに言った。

「僕たちの何が問題なんでしょう? 僕たちはあなたと競いあうつもりなんかありません。100マイルも離れた所でやるんですよ」。

「貴様は俺の春のショーの出演者のほとんど全員をブッキングしてるじゃないか」。彼は言う。「出演するスターたちをウッドストックでいっぺんに見られるのなら、客たちはフィルモアの個々のショーのチケットを買わずに待つだろうぜ」。説明する彼の口調は前よりソフトになっていた。

 その瞬間、僕の頭に解決の名案が浮かんだ。

「OK、わかったよ。(略)この問題を両方にとって上手く解決する方法がひとつあります。僕はフェスティバルが開かれる週まで出演者を追加するつもりでいます。だから……」、僕はまっすぐ彼に向かって言う。「これから8月いっぱいのそちらのスケジュールを僕の方に送ってください。そうしてもらえれば、僕は彼らがあっちで出演する後まで、フィルモアに出演するアーティスト名は一切アナウンスしませんよ」。

 しばしの沈黙があった。彼がこの新しい提案でギアチェンジをしているのが見て取れた。僕らのやっていることは気に入らないのだろうが、本当のところ、彼には本気でそんな戦いをするつもりはなかったのだ。「OK、それならやれる!」。

 グラハムは自分のショーのほとんどで司会をしている。出演者の紹介をするのが彼は好きなのだ。そこで僕は彼をフェスに招待して、一日MCをしてもらおうと思いついた。僕の申し出を聞くと、彼は少し照れたような、嬉しそうな表情を見せたが、辞退した。

「会場には行かせてもらうが、司会はお断りだ」。彼は言う。

「きみがプロデューサー。こいつはきみのショーなんだ。同じ日にふたりの神が登場するわけにはいくまい」。

最後の仕上げ 

 6月初めまでに、僕はできるだけのブッキングをして、最後の仕上げに取りかかっていた。まずフェスティバル・ウィークエンドの始まる金曜日はフォークの日。そして土曜日は主に西海岸からのアーティストをメインにしたプログラム。日曜日は世界的な大物ロック・バンドの登場。8月15日金曜日のブッキングはほぼ完了。それもリーズナブルな値段で決まっていった。ティム・ハーディンは友人でもあったから2000ドル(略)インクレダブル・ストリング・バンドは4500ドル(略)ラヴィ・シャンカールも4500ドル(略)アーロー・ガスリーは5000ドル(略)ジョーン・バエズは1万ドル。どうしても出てもらいたかったドノヴァンとジョニー・キャッシュにも出演を依頼したが辞退されてしまった。(略)ローラ・ニーロも候補に上がったが、ステージで上がり性の彼女は、僕らのオファーを受け入れてくれなかった。

 

 土曜日の出演ラインアップにサイモン&ガーファンクルが加われば最高だと思っていたが、この年の初めにツアーを終えたばかりのふたりは少しお互いにも疲れていたようで、夏は演奏したくないという返事。僕らのリストのトップにはドアーズの名もあったが、ジム・モリソンは3月にマイアミで逮捕されて以来、極度のパラノイア状態。自分のエージェントに「ウッドストックに出たら、ステージで暗殺されるかもしれない。やりたくないよ!」と語っていたそうだ。

(略)

ビル・グラハムはグレイトフル・デッド(7500ドル)の出演を確約してくれた。僕はアルバートグロスマンに掛けあいジャニス・ジョプリン (1万5000ドル)をブッキングしたが、グロスマンはさらにザ・バンド (1万5000ドル)もつけてくれた。

(略)

 もちろん、できることならビートルズにも出演してほしかった。でもそうなれば彼らは他の出演者を圧倒してしまうだろう。それにどっちみち彼らはもうツアーをやめていたし、解散の寸前だった。

大バーゲン価格でサンタナ

 最後にブッキングしたバンドはサンタナだった。(略)

ビル・グラハムは「自分がマネージメントを始めたベイ・エリアのバンドをリストに加えないと、デッドの出演をキャンセルするぞ!」、とまた、脅しのグラハム に戻っていたのだ。イッツ・ア・ビューティフル・デイサンタナ――どちらのグループもまだレコードを出しておらず(略)「テープを送ってくれ!」と僕はリクエストした。(略)僕はどちらのグループも気に入った。特にサンタナは脳天をぶち抜かれるような気がした。(略)

 「サンタナをやるとビルに伝えてくれ!」、僕はジョン・モリスに言った。「日曜日のショーの皮切りに彼らに演ってもらうんだ。すごいバンドだよ」。ビルは彼らの出演料を1500ドルにまけてくれた。フェスティバルのハイライトとなったバンドを、僕はこうして大バーゲン価格で手に入れたというわけだ。

次回に続く。

 

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