ファンク 人物、歴史そしてワンネス

 

ファンク 人物、歴史そしてワンネス

ファンク 人物、歴史そしてワンネス

 

  ジェイムズ・ブラウン

 ソウルのゴッドファーザーことジェイムズ・ブラウンは、アメリカに衝撃の爆弾を落とした。(略)
[JBが]体現する力強さ、雰囲気、ファンキーさが、1970年代初めにおけるアフリカ系アメリカ人の存在そのものを肯定し、正当性を証明していたのだ。大多数の政治家や運動家が命を奪われたり懐柔されたりしていく状況にあって、黒人国家の将来への展望を理解して保っていくという大役を担うことになったのがゴッドファーザーであり(略)
ブラウンが象徴していたのは、政治的な黒人の男、成功をつかんだ黒人の男、性的な黒人の男であり、「黒人であることを誇りに思う」無情な黒い戦士であり
(略)
上から打ち下ろすビート──4拍子の1拍目──を強調することにより、ゴッドファーザーは新しいポップの流行を劇的に生みだすと同時に、リズムの面ではアフリカとのつながりを作った。(略)アクセントが「1拍目」にあるのだが、2拍目と4拍目を中心としてブルーズ風の太いドラムのビートが激しく鳴って常にリズムを感じさせるので、まったく隙間が残らない。
(略)
こうして驚異的なリズムが生まれたわけだが、そこにスライ・ストーン達がファズ・ギターとチョッパー・ベースを加えたとき、まったく新しい音が作リだされ
(略)
1拍目を強調するリズムのとリ方は、従来の2拍目と4拍目を強調するリズムのとり方よりもアフリカの太鼓のリズムとの相性が良かったため、ここに来て突然、ジャズやソウルを演奏するときには世界じゅうどこでもアフリカのコンガ演奏者が欠かせなくなった。(略)
[マイルスら]ジャズ界の巨人も「モダン・ジャズ」ショウをやめ、ベースや電気ピアノやジェイムズ・ブラウン風のリズムをさかんに使うように(略)
[これも]ブラウンが衝撃的な爆弾を落としたからだった。

ファンクとは

ジョージ・クリントンの言葉を借りれば、「腰を振らずにいられなくなったら、それがファンクなのだ」ということになる。(略)
[92年フレッド・ウェズリーは]基本的なファンクの曲作りの方法を語っている。

 

ベースのフレーズにシンコペーションをきかせて、そこへドラマーがとても強くて重いビートを裏拍子で入れ、ギターかキーボードがベースに呼応するフレーズを弾き、これらの音に合わせてだれかがゴスペル流でソウルフルに歌えば、ファンクになる。(略)

 

 ただし、ウェズリーは、ファンクを演奏するというのは「精神的なこと」で、特別なアーティストでないとちゃんと演奏できないのだとも言っている。単に揺れるだけでなくて、ぶんぶん揺れる強烈なグルーヴをびしっと作るためには、特別なものがなければ駄目なのだ。ミュージシャンは完璧に自分の楽器を弾きこなすことができて、お互いにぴったり息が合い、かっこよくて、なおかつ音楽の伝統を知り尽くしていなくてはいけないのだ。
 さらに、バンドの中のすべての楽器が欠かせない。リズム楽器が旋律を創ることもよくあるし、旋律楽器が打楽器のように力強く弾むこともよくある。ファンクでは、ベースもギターもホーンも完全に旋律といえるような一節を演奏していることが多いので、そのうちのどれをとっても、ソウルやR&Bの単純な曲の主旋律として立派に通用するほどだ

グルーヴ

オハイオ・プレイヤーズのジェイムズ“ダイアモンド”ウィリアムズは、「俺達がスタジオに入る目的は創ることだったけれど、複製するのが目的の連中が圧倒的に多かった。つまり、そういう連中は、どんなものを録音したいのかを頭に入れてからスタジオに入ってたんだ。俺達の場合は、スタジオに入ってジャムってた。それで、一番いいとこを曲にしていった」と説明している。アース・ウィンド&ファイアのモーリス・ホワイトも、同じ手順を踏んでいた。「曲の骨組みを作っておきはするけれど、スタジオに入ってから即興でやることが多かった。とてもフリーだったし、自然と出てくるものを大事にしたよ」

骨抜きにされる革新的な黒人音楽

作家兼活動家のアンジェロ・スターンズが、こういった現象の持つ不公平さを以下のように説明している。
 新しい黒人音楽が「危険なもの」になるのを防ぐため、革新的な黒人音楽はとりこまれ、薄められ、容れ物を替えた後、「洗練」されて「上等」になったポップスとして叩き売りされた。よく考えてもらいたい。ニューオーリンズの路上音楽はディキシーランドに骨抜きにされた。ビ・バップはクール・ジャズによって薄められた。ロックンロールは白人のロックとロカビリーによってはみ出しものにされた。ファンクはディスコにしっぺ返しを受けた。そして今日、何かと否定的なことばかり言いならべるギャングスタ/道化者ラップのせいで、そういう姿勢がヒップ・ホップという形を借りた黒人文化なのだと誰もが思いこまされている。どの例をとっても、目的と音楽的なまとまりがなくなってしまい、その音楽の強みが壊されてきたのだ。

ファンクの語源

 昔の英語辞典によると、ファンク(funk)という語は「ぞっとするような恐怖感」とか「憂欝な気持ち」とか「がっかりした気分」というように説明されている。このような概念は、フラマン語フランダース語で恐怖や失望を意味するフォンック(fonck)という言葉に由来を持つ。
(略)
 ファンキー(funky)の場合は(略)フランス語で黴臭い匂いという意味のフメール(fumer)が語源(略)
ラテン語で「煙」を意味するフムス(fumus)が語源になっている。(略)英国での古い定義は「強い匂い」あるいは「強烈な悪臭」に関連していて
(略)
体臭についての「匂いの強烈さ(funkiness)」という概念とつながったのが「ファンキーな音楽」で、この言葉を頻繁に使うようになったのは、ジャズ・ミュージシャンである可能性が高い。

シャッフルから均等なハットへ

「変わったことのうちで本当に大事だったのは、ハイ・ハットのパターンが『シャッフル』でなくなったということ」だった。少なくとも第二次世界大戦以降、R&Bドラムの基本リズム構造はずっとシャッフルだった。シャッフルとはジャズのスウィングのリズムから来た跳ねるようなリズムのことで、ドラム奏者はダダッ、ダダッ、ダダッ、ダダッと駆け足のように拍子をとる。が、ゴッドファーザーの手による「新しいやつ」は、ドンドンドンドン──ドンドンドンドンとハイ・ハットを均等に打たせていた。(略)[そのため]各ビートのリズムの緊張感が拡大することになり、何かを期待させるような穴があいて、足を鳴らすかのごときファンク・ビートが生まれることになったのだ。(略)
そして「シャッフル・ビート」は時代遅れの宣告を受けることとなった。
(略)
シャッフルのリズムは、ジターバッグ(=ジルバ)やリンディ・ホップなど(略)40年代から50年代にかけての素晴らしいダンス・ステップを作っていた要素なのだが、シャッフルというステップ/歩き方は、ずっと「ニグロ」のマイナス・イメージという残酷な側面を持っていたのだった。(略)
そもそもシャッフルは、植民地時代にアフリカのダンスの仕方を馬鹿にして誇張することによって作られたものなのである。(略)
人種分離の時代、世間で思い込まれていた黒人の姿とは、背筋をしゃんと伸ばして立つことも白人の目をまともに見ることも口答えすることもなく、威厳など失ってうつむいたまま、ひたすら足を引きずって歩く(shuffle along)姿だった。

「Funky Broadway Part 1」

 60年代半ば、突如として、南部や中西部のバンドから一斉にグルーヴが生まれ、それがひとつになって全米を席巻したのだ
(略)
まず、1967年初めに、フェニクスを本拠にして活動していたダイク&ザ・ブレイザーズが「Funky Broadway Part 1」でダンス・ブームの口火を切った。この曲は、跳ねるベースと打楽器風のオルガンがうねるような感じのごつごつしたグルーブを作っていて、黒人がみずからファンキーと称した初のダンス・レコードだった

オーティス・レディングによるモータウンとスタックスの違い

モータウンは、重ね録りが多い。機械を使った録音だ。スタックスのやり方は(略)感じたことを演奏する。ホーンもリズムも歌も、全部一緒に録音する。3回か4回やった後、聞きなおしてみて一番できのいいのを選ぶ。誰か気に入らないところがあったら、また全員でスタジオに戻って曲の最初から最後まで演奏しなおす。去年まで4トラックのテープ・レコーダーさえなかったんだ。1トラックの機械では重ね録りできないだろう。

ミーターズ

微妙な裏リズムが終始鳴っていて、なおかつどの曲も緊張感が一番高まる瞬間にぽっかりグルーヴの穴に入り込むのだ。ドラムのモデリステとベースのポーターは年季の入った阿吽の呼吸で、それぞれのリフに「次はこういう音が来るぞ」という期待をずっと持たせつつも、実際にはその音を出さなかったり、匂わせたり、即興で変化をつけたり、そのまま弾いたり(略)
「音楽には穴があった。いつも隙間があった…。ずっと思ってきたことなんだが、何を言うかでなくて、何を言わないかが大事なんだ」と、ジョージ・ポーターは1994年にみずからの演奏法を評している。

ニューオーリンズ

[ドクター・ジョンは自伝で]「ニューオーリンズのルーツ音楽では、ドラマーが鍵を握っていて、絶対欠かせない。ドラマーが土台を作るから、その上にニューオーリンズ音楽の真髄、つまりファンクができあがっていく」と書いている。
(略)
[アール・パーマーは、リトル・リチャードのヒット曲ほとんどを演奏した、ファンク・ドラムの創始者]
締まったスネアと重い裏拍子を叩いて曲の最初から最後まで高いエネルギーを保つことができ、一緒に演奏するミュージシャンと呼吸を合わせてグルーヴを作ることができる能力があっため、パーマーは類稀なドラマーになったのだ。パーマーから影響を受けたニューオーリンズのドラマーとしては、(後にアイドリス・モハメドとして知られることになる)リオ・モリス、チャールズ“ハニー・ボーイ”オーティス、ジョー“スモーキー”ジョンソンなどが挙げられ、さらにこういう先輩から若いジョー“ズィガブー”モデリステが影響を受けたことが実を結んでミーターズというグループが成長していったのだ。
 ニューオーリンズのドラム奏法というのは音数が多く、主となるビートと同時に微妙な裏拍子のリズムを何層も叩きつづけていく。(略)
[黒人奴隷が]太鼓を演奏することが許されていたのは、合衆国で唯一二ューオーリンズだけだった。(略)
コンゴ広場で奴隷達が延々と太鼓を叩いてリズムのやりとりをしていた様子は、有名な「セカンド・ライン」に今でもはっきりと面影がしのばれる。「セカンド・ライン」のミュージシャンは、何世代にもわたって、カウベルやタンバリンをはじめとした打楽器を鳴らしながらパレードや葬式の行進の後についてニューオーリンズの町じゅうを歩きまわってきたのだ。
(略)
ジョージ・ポーターによれば「ニューオーリンズのファンク・シーンというのは、路上の音楽と伝統音楽を合成することに大きく関係していたし、このふたつがぶつかったときに生まれる隙間とも大きく関係していた」。

ジェイムズ・ブラウン

[メイシオ・パーカー談]「頭の回転を早くしないと、ついていけない。たとえば、ソロも即興でやることが多かった。ジェイムズに名前を呼ばれたら、とにかく何か演奏しないといけない。」
(略)
[JB談]「一度もR&Bのアーティストだったことはない。ただ、そういう分類をされてきただけだ。俺の音楽は、ずっとゴスペルとジャズから来ていて、それがファンクとソウルというふうに呼ばれている。ファンクもソウルも、実はジャズなんだ」
(略)
楽器のみの演奏はスマッシュ、歌の入った曲はキングと作品が見事に二分されてしまい、ブラウンは苦況に(略)何とかこの時期を持ちこたえ、契約内容の変更を要求してキングに復帰することになる。この件については、「力がないと自由は手に入らない……。(そして)自由がないと創作ができない」と本人が振り返っている。
(略)
俺の強みがホーンでなくてリズムにあるということには気がついていた。すべての音、ギターまでもドラムの音として聞いていたんだ。そう聞こえさせる方法も見つけていた。録音した演奏を再生したときにスピーカーが独特の調子で震えて跳びあがっていたら、うまくいったということだった。音を救いだせたということだ。スピーカーを見れば、リズムがうまくいっているかどうか分かった。
(略)
[キング牧師暗殺後]
全米をくまなくまわって、「冷静に(Stay Cool)」や「学ぼう、暴動はやめよう(Learn, don't burn)」といったメッセージを発した。また、「教育を受けて、しっかり働いて、ものを持つ立場になれるように努力しよう。それが、ブラック・パワーだ」と人々に言った。
(略)
ブラウンは、[武力闘争による黒人革命を唱えていた]H・ラップ・ブラウンと交わした議論を自伝の中で回想している。(略)
JB:「ラップ、きみのやろうとしていることは分かっている。俺も同じことをしようとしているんだ。ただ、きみらは別の方法を見つけないといけない。銃を捨てないと。暴力を使うのはまずい」
ラップ:「いや、分かっていないんだ。あなたは、街から街へ旅をしているだけで(略)俺は街に出て、住人に接している。あなたが知っているのは、舞台から見えることだけだ」
JB:「かもしれない。けれど、舞台から結構よく見えるものなんだ。何が起こっているか分かっているし、その理由も分かる。たぶん、きみよりも貧しい育ちなんだから」
ラップ:「なら、皆の気持ちを分からないと。ゲットーであなたを応援している人間がどれだけいることか。あなたの力で行動を起こさせるべきだ」
JB:「銃を持てとは誰にも言わない…。それに、もし革命を起こしたとしても、黒人は損をするだけだ。銃の数も人の数も負けている」
(略)
マネージャーをしていたアラン・リードによると「ジェイムズは、楽屋で毎晩毎晩会議を開いて、黒人社会についての考えやアメリカの当時の状況についての考えを皆と話しあっていた」そうだ。
(略)
[ヴェトナム・ツアー後、「機関銃を持ったブラックパンサー」から脅される]
「Say it Loud」は、黒人音楽に転換をもたらした曲だった。これまでの黒人大衆音楽では、黒人が白人に対して抱いている敵意や恨みがこれほどあからさまに表現されたことなど一度もなかった
(略)
ブラウンにそれができたのは(略)完全に自分の思いどおりに音楽制作のできる立場の人間だったからだ。
(略)
あの曲が原因で、白人の聴衆をずいぶん失った。あれ以降、コンサートに来てくれるのは、ほとんど黒人ばかりになった。だが、あの曲が誤解されたとはいえ、録音したこと自体は後悔していない。当時どうしてもそうする必要があったから。アフリカ系アメリカ人全体のためになった(略)自分でも誇りに思っている。
(略)
 ブーツィーは、俺のところで色々勉強したはずだ。最初に会ったときは、やたら音を弾いていた――別にファンクに関係のない音まで、あれもこれも。そこで、ファンクでは(略)1拍目が大事なんだということを分からせた。1拍目の前や後ろでずっと音を鳴らしっぱなしにするのではなくて、動きのある1拍目に集中させた。そうすれば、ひとつめの後で──つぼを外さずに他の音も入れられるというわけだ。

スライ&ザ・ファミリー・ストーン

ラリー・グラハムは、「Thank You」によって路上ファンク創始者の位置を確立した。(略)
サンフランシスコの東で育ったグラハムは(略)母親を含む3人組で地元のクラブで演奏をしていた頃は、ギターを弾きながら歌い、低音で打楽器風の効果を出すために舞台の上でオルガンの足元のペダルを踏んでいた。が、オルガンが壊れたのでベースを借りることになったところ、リードとベースのリフを両方うまく弾きこなせたので、ドラム奏者なしで母と二人で演奏するようになった。「その頃、ベース・ドラムの穴埋めをするために親指で弦をはじくようになった」とグラハムは言っている。当時KSOLで番組を持っていたスライは、しょっちゅう電話をかけてくるファンからグラハムのことを聞いて演奏を見に行き、当初の予定ではファミリー・ストーンのべースは自分が弾くことにしていたのだが、グラハムを加えることに決めた。
(略)
[グリエル・マーカスの分析]
「スライは『Riot』で、聴く側──特に白人──がいらないと思っている、まさにそのものずばりを表現した。彼らが望んでいたのは前向きな明るさであって、風変わりな黒人スーパースターがアルバムのジャケットでにやりと浮かべている笑顔のむこうに何があるのかを描いてほしいなどとはおもっていなかったのだ」
(略)
[『Small Talk』]「Time for Livin'」という曲で、スライは音楽の最前線から身を引くことを冷静に歌っている。
(略)
[79年]クリントン軍団と一緒に何箇所もツアーをしたのだが、舞台恐怖症に悩むことが多かった。いくつものショウで、スライは舞台の袖から客席をのぞくように顔を出し、ほんの数小節で引っこんでしまうということを繰り返すのだった。
(略)
 1981年、スライとクリントンは一緒にいるときにコカイン所持で逮捕され、それ以降、袂を分かつことになる。

マディ・ウォーターズ

ただ、いいかい、ブルーズの音色は──重いビートのある深い音色で…。いいブルーズを歌える人間は、教会から出てきているはずだ。俺も、牧師になろうと考えたこともある。ブルーズは、本当に教会の説教に似ているから。俺の演奏では、いい歌もいいギターも教会から来ているんだ。
(略)
ドラムのビートの後をがつんと落とす、これが俺のブルーズの基本を作っている。何も変わったことをやってるわけではない──ストレイトで重いビートがあるだけだ」(略)(とにかく「Electric Mud」を聞かれたし)。
 ウォーターズは、B.B.キング、ボビー“ブルー”ブランド、ハウリン・ウルフなどと同様、1960年代の電気ブルーズ復活期に活躍した。一種独特な社会変化の中──当時衝動的に人種融合の気運が生まれたという理由があり、さらには、ネルスン・ジョージ言うところの「白人ギター・ヒーロー達から賛辞が寄せられた」という理由もあって──いつの間にかブルーズの巨人達は国内でも指折りの大きなクラブから出演を依頼され、正面玄関から店に入り、「気紛れな白人客が突如としてブルーズを聞くようになったため、前後のミュージシャン人生を通じて最高のギャラを手に入れる」ようになった。
「気紛れな」白人客が60年代の黒人ミュージシャンのソウルフルな音にひたるには、西海岸が旬な場所だった。(略)
[混成バンドがいくつもあり]黒人と白人との活動が成熟していたのだ。人々が多様で、他の地域に比べると寛容で、複合文化が存在していたため、新機軸の音楽を演奏するのに適した地域だった。

次回に続く。 

エレクトリック・マッド

エレクトリック・マッド

  • アーティスト:マディ・ウォーターズ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2013/12/11
  • メディア: CD
 

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