ファンク 人物、歴史そしてワンネス その2

前回の続き。

ファンク 人物、歴史そしてワンネス

ファンク 人物、歴史そしてワンネス

 

ジミ・ヘンドリックス

「If 6 was 9」という曲で、ジミは、自分が挑戦しようとしていた社会的/文化的な対立を見事に表現したのだ。


ワイシャツを着た頭の固い奴が通りをさっさと歩いていく
人形のような指で俺を指していく
あいつらは思ってる、俺みたいな人間は落ちこぼれて死ぬだろうと
でも、俺は変てこな旗を高く高く振りあげる
いつまでも振りつづける
山々よ、崩れろ。俺の上にだけは崩れてこないでくれ
ビジネス・マンさん、そのまま歩いていけよ。
あんたに俺みたいな格好はできないだろ。


 この台詞に合わせて流れるのは、まったく型に捉われない宇宙的なグルーヴで、やがてブルーズのリフが熱く始まるが、それさえも越えたものになっていく。(略)さらに広がりを見せる演奏に乗せて、ジミの囁く声が流れてくる:「俺が死ぬときに死なないといけないのは俺なんだ/だから、俺の人生を生きさせてくれ/俺の好きなように」
 1969年8月にウッドストックに出演した際の6人編成のバンドは(略)[ビリー・コックス、ミッチ・ミッチェル]アフリカ系ラテン人のパーカッション奏者が2人(ジェリー・ヴェレズとジュマ・サルタン)、黒人リズム・ギター奏者のラリー・リー(略)
3日間の最後を飾ったジミの演奏は、明らかにアフリカの多重リズムのエネルギーをはらんでいた。しかし、音響担当者達は、ジミとミッチェルの音つまりエクスピアリアンスの音だけを残して、パーカッションの音とジミ以外のギターの音はほとんど聞こえないようにミックスしてしまった。
 ジミが世界に発表したアフリカの合奏は、ミキシング・ボード上のすっとした手の動きひとつによって消えたのだ。ジミの自伝を書いたデイヴィッド・ヘンダースンが言っているように「アフリカの太鼓が出した音が消え、アクースティックな音すべてが空気の中に消えた」のだった。

アイザック・ヘイズ

[ディオンヌの「Walk On By」]を、男の苦悩を歌い上げる作品へと生まれかわらせている。合計4曲を収録した『Hot Buttered Soul』は、安酒場でのムーディーなライヴをヘイズ流に解釈[した感じで](略)滑らかなリズムのバックの演奏に乗せ、愛のために泣き笑いする人間模様をヘイズが延々と語る。(略)
 同アルバムは、2ヵ月間ジャズ・チャートにとどまった。間違いなくロックの部類に入る作品なのだが、この作品に合うジャンルが当時はまだ存在しなかったのだ。
(略)
ネルスン・ジョージが、次のように書いている。「アイザック・ヘイズは『Shaft』と『Black Moses』によって、黒人音楽のレコードが持つ経済効果の幅を広げた。官能的なテンポにのって流れるヘイズの長い曲を十分に味わおうと思うと、LPを買わなければならなかった。つまり、それまでシングルを買っていた黒人音楽ファンがアルバムを購入するようになるという変化が生まれたのだ」 

Hot Buttered Soul

Hot Buttered Soul

  • アーティスト:Isaac Hayes
  • 出版社/メーカー: Conco
  • 発売日: 2009/07/28
  • メディア: CD
 

 

Black Moses

Black Moses

  • アーティスト:Isaac Hayes
  • 出版社/メーカー: Stax
  • 発売日: 1990/01/05
  • メディア: CD
 

  

レイ・チャールズ

メイシオ・パーカーは、チャールズからこの上なく大きな衝撃を受けたようだ:「俺がレイ・チャールズから得たものは、レイの魂と優しさ、それからレイのやっていたことがどれだけ深くて意味のあることかっていうことだった。それはつまり、ある意味では、俺にとっては、レイのスタイルが持っている感覚だし、ソウルなんだ」。さらにジョージ・クリントンの言葉を借りると、チャールズは元祖「ファンキー男」で、レイ・チャールズという人物の中に初めてファンキーという概念を見出したのだそうだ:「おそらく『What'd I Say』は、この世で一番ファンキーなレコードのはずだ──あれが理想なんだ…。(略)」
 チャールズを手本にゴスペル方式の曲作りで魅力的な「世俗の」音楽を作るという伝統の幅をさらに広げたのが、ソウルのゴッドファーザーことジェイムズ・ブラウンだった。(略)
[その]ことを、ブラウンは自伝の中で認めている:


ゴスペルを歌うというのは、音楽全般ついて勉強するために役に立つ。ゴスペルには、一定の公式がある:様々なパートを習って、それを一緒にしていくという公式だ:第1テナー、第2テナー、バリトン、バス。楽器を組み合わせていくときも、同じことだ。それで、俺もピアノを弾く前からコードを知っていた。(略)とにかくゴスペルを山ほど歌っていたから、ピアノに触って、それまで聞いたコードを探しさえすればよかった。

 

 若い歌手やミュージシャンにとって、黒人教会で聖歌隊に入ったり演奏をしたりするということは、何時間も何時間も練習することを意味すると同時に、精神性と連帯感が豊かになるということでもあった。

1967年

[ジェリー・ウェクスラー談]
「僕の知ってるミュージシャン達は『Cold Sweat』からもの凄い影響を受けていた。とにかく興奮しまくってたよ。これからどうしたらいいのか、誰もさっぱり分からなくなったんだ」。さらに、1967年は、全米で最大規模かつ最も激しい暴動の起こった年でもあった。そして、オーティス・レディングとジョン・コルトレーンの死亡した年でもあった。他のものはすべてばらばらになりつつあったが、アメリカ黒人は、音楽という声を見つけたという感じだった。(略)
カーティス・メイフィールドとインプレッションズが、1967年後半にヒットした「We're a Winner」という曲の中で、当時の黒人音楽にあふれていた前向きな気分をうまく表現している:

 

我らは勝利者
この真実は誰もが知っている
ただひたすら突き進んでいく
リーダーが言うように
ついに、恵みの日がやって来た
きみがどんな過去を持った人間であろうとかまわない
皆でこのまま昇っていくのだから 

We're a Winner

We're a Winner

  • インプレッションズ
  • R&B/ソウル
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes

『What's Goin' On』 

アルバム『What's Goin' On』誕生の経緯について、マーヴィンは(略)次のように語っている

 

ウッドストックの様子を見て、ああ、まるごとひとつの世代が新しい道に足を踏みだそうとしてるんだと思ったんだ。自分の音楽も新しい道を進まなければとしみじみ感じた。モータウン側があくまで会社という姿勢をとっていたから、僕はあまり自由に息ができなかったけれど、気持ちがしっかりしてきていたから自分のやり方を始められると思えていた。ヴェトナムから帰ってきた弟のフランキーから色々な話を聞いたときは、血が沸きたったよ。何かをつかんだ、怒りとかエネルギーとか芸術的な視点とかをつかんだって分かった。もういい加減なことをしている場合じゃなかったんだ。

 

(略)レスター・ヤングの滑らかな旋律を聞いて感動を受け、途切れることなく流れるアルバムの良さが理解できたマーヴィンは、自分も勇気を出してやってみることにした。

ジャズとファンク

サン・ラは、電子楽器を使うジャズ・フュージョンの時代より何十年も先を行っていたし、即興音楽に宇宙への指向をとり入れたのもサン・ラだった。

(略)

[ポップスとジャズの融合(fusion)]

この流れを作る大きなきっかけとなったのは、1965年にインストゥルメンタルの「The In Crowd」という曲をポップ・ヒットさせたラムズィー・ルイスだろう。身体を揺らしやすい転がるようなリズムに乗せて、旋律楽器の役目となる電気ピアノを大音量で使うのが目立ったこの曲の出現で、まったく新しいポップスが生まれたのだ。ジュリー・コリエルの著作『Jazz-Rock Fusion』の序文で、ルイスはみずからの作品の背景について、次のように述べている

 

無意識のうちに、それまでずっと耳に入っていた音楽の中からいくつかを合成して自分達の音楽を作っていた: それは、黒人教会の音楽(の聖歌のようなパターン)、リズム・アンド・ブルーズ(のメロディアスな反復リズム)とジャズだった。クラシック音楽も練習したことがあったから、ヨーロッパの和声や音楽的技術や理論の影響が編曲に出ていることもある。ミュージシャンや評論家やその他の連中からは、反則だと騒がれた。当時そういう連中は、他の種類の音楽、特にR&Bをジャズにとり入れるのは冒涜だと言っていた。 

1967年のマイルス

当時、評論家もほとんど気づいなかった事実なのだが、マイルス・デイヴィスは路上のリズム、特にジェイムズ・ブラウンのリズムから刺激を受けていた。(略)

 

ジェイムズ・ブラウンをよく聞くようになっていた。気に入ったのは、ギターの使い方だった。俺はずっとブルーズが好きで、ずっとやりたいと思っていた。だから、あの頃はマディー・ウォーターズやB.B. キングを聞いて、ああいう音調を自分の音楽で出せる方法を見つけたいと思っていた……。昔、毎週月曜日にシカゴの33丁目のミシガン通りあたりでマディーが演奏していたときは、俺もシカゴにいあわせたら、必ず聞きにいった。マディーのやってることを自分の音楽にとり入れないといけないと思っていたからだ。1ドル50セント払ったら聞ける音、ドラムとハーモニカとコードふたつしか使わない音をだ。それまで俺達のやってきたことはあまりに抽象的になりすぎていたから、あの時は、あの音に戻らないといけなかったんだ。

 

 しかし、マイルス・デイヴィスが考えていたのは、単にジェイムズ・ブラウンのリズムを真似することではなかった。マイルズの音楽はグルーヴを見つけると、そのグルーヴをひっくり返してから壊してばらまき、ふわふわ漂うように流れて、ごくたまにブリッジが入ったりテンポが変わったりするだけで延々とソロが続いていくのだ。

「ヒップ・ホップが新しいジャズなのだ」

ディジー・ガレスピーが自伝の中で明らかにしていることが、ひとつある:

「ジャズは、踊るためにできたものだ。したがって、ジャズを演奏したときに、聞いている人が踊ったり足を動かしたりしたい気分にならないようなら、ジャズの理想とするものから遠ざかっていっているということだ…。我々の音楽を聞いて踊りたくなるのは、リズムの感じが伝わっているからだ」。

 しかし、巨人と呼ばれるミュージシャン、それも特に若い世代のミュージシャンの中には、苦労して古典的ジャズの音を守ってきたため、電子楽器を使ったジャズやジャズにルーツを持つダンス音楽を断固攻撃する者もいる。1991年の「Goldmine」誌でウィントン・マーサリスがこう語っている。「僕の世代のミュージシャンは、子ども時代から大きくなっていく過程で、ブルーズとかそういう音楽を演奏したりしなかった。ファンクやポップをやったんだ。そこからジャズをやるところまでには長い距離がある。こいつは、ほんとうに長い。この上なく真剣にやりたいという気持ちがなかったら、スウィングを勉強したりスウィングできるようになるためにいつも頑張ったりなんていうことはできないんだ」。マーサリスが古典的ジャズを支持している点は尊敬に価するが、技術ではなく姿勢という視点からジャズを論じる者もいる。パブリック・エナミーの公認「情報相」であるハリー・アレンは、「ヒップ・ホップが新しいジャズなのだ」と断言している。

 これを飛躍した発言だと感じるむきには、ファンクがいいヒントになるだろう。アレンは、持たざる黒人という視点から、40年以上の歳月にわたって黒人の「民族自決の気持ち」が連綿と続いてきたことを言っているのだ。唯一の失われた輪が、ファンクの時代なのである。バップ・ジャズは、マルカムXを含む多くの人間にとって、1960年半ばまでずっと黒人民族主義を表現する音楽の中心的存在であり続けた。その後、1980年代にヒップ・ホップ文化が成長するまでのあいだ、1970年代を通じてずっと「民族自決の気持ち」を持ちつづけていたのは、(そもそもソウルと呼ばれていた)ファンクだった。マイルス・デイヴィスは、このことを理解したから音楽性を変えたのだ。「伝統的」ジャズを断ち切ったのは、ファンクに近づいていくためであり、人々に近づいていくためだったのだ。マイルスが最後に録音したのはヒップ・ホップ以外の何ものでもなく、人々のための音楽以外の何ものでもなかった。商業的にマイルスより成功したが、ハービー・ハンコックもまったく同じ方向に動いた。ジェイムズ・ブラウンのバンドをよくよく注意して聴いてみれば分かると思うが、ミュージシャン達は、リズムを加工せずに路上の雰囲気をぷんぷんさせてジャズを演奏している。これこそが、ファンクなのだ。

NATRA

大手レーベルが黒人アーティストに対して進歩的な空気を持つようになった原因のひとつには、NATRAの下部組織である「公正放送委員会」が強硬策をとっていたことが挙げられる。NATRAとは、黒人ラジオDJやレコード宣伝担当者による団体で(略)[最初は同業者の情報交換・人脈作りの場だったが]黒人DJの影響力が強まるにつれ、NATRA定例総会の運営方針も武闘色が濃くなっていった。

 1960年代の半ば、黒人DJは、行進や集会の告知をしたり(略)重要なニュースを届けたりというように、公民権運動において重要な役割を果たした。特にその影響力の大きさが発揮されたのは(略)[キング牧師暗殺の夜]規定を無視して深夜まで放送を続けたため、聴衆は絶えず最新情報を得ることができて平静を保った。(略)

[暗殺から数カ月後の第13回総会では]攻撃的な調子の演説が次々と行なわれた。(略)

 それまで「体制」にむかって脅しをほのめかしていただけだったのが過激になり、この日は出席していたレコード会社の重役に直接攻撃がしかけられたのだ。ピーター・ガロルニックの著作「Sweet Soul Music」によれば、アトランティック・レコードのプロデューサーとして知名度と尊敬を集めていたジェリー・ウェクスラーが槍玉に上げられた; その他、殴りあいの喧嘩があったという報告があるし、ピストルで殴られたり拉致や脅迫や殴打の被害を受けたりした人々が出たという報告もある。(略)

[アイザック・ヘイズの回想]

「俺もいたけど、あいつらはレコード会社の重役連中を拉致して船に連れていって、要求を並べたてたんだ。『おい、おまえらは、俺達の上前をはねてるんだ。今度は金を返してもらおうじゃないか』って言っていた……。あの後、レコード会社は前に較べると少しは黒人アーティストに対して気を使うようになったかな」

 が、実際には、レコード会社は以前より黒人アーティストをそつなく扱うようになっただけだった。NATRAや他の黒すぎる団体(やアーティスト)を支持することをやめる一方で、新しく黒人の宣伝担当者や仲介人をごっそり雇ってパーティーに出席させることによって厄介な人種問題をうやむやにし──仕事のほうは従来のまま続けていったのだ。その結果、音楽業界は「人種が融合した」ものの、実質的な力の持ち主が変わることなどまったくなかった。「もし俺達が成功していたなら、黒人ラジオの現場がすべて変わっていただろう。だが、レコード会社を持っていたのは白人だし、ラジオ局を持っていたのも白人だったから、俺達が変えることなどできなかった」とジャック“くちさきジャック”ギブスンは言っている(1960年代後期、黒人国家主義が最高に熱かったときでさえ、全米にある合計300以上のR&B系ラジオ局のうち黒人所有のものは8局しかなく、しかもそのうち3局はジェイムズ・ブラウンが持っていた)。

ブラックスプロイテイション

[黒人アクション]映画音楽のアルバムは、突きつめて言うと、非常に重要な機能をふたつ果たしていた:第一に、映画全体に関して同じことが言えるのだが、けっして有名とは言えないアーティストの場合、単独ではレコードを発表して配給するのが難しくても、映画音楽アルバムという形でなら仕事になるということ。第二に、そしてこれが重要な機能なのだが、映画音楽には幅があるので、映画の中の様々な雰囲気すなわち自分達黒人の様々な気分を追及──して描写──しているということだ。映画音楽のアルバムが生みだした多様さと持続力は、当時一線のファンク・バンドと肩を並べられるほどであったし、何百万という人々が映画音楽のファンキーなリズムに合わせて踊っていたのだ。

 手強く奇想天外なイメージの黒人が映画の中で活躍するようになるとともに、それに輪をかけて口が達者で路上叩きあげの黒人コメディアンが津波のような勢いで登場し、全米に嵐を巻き起こした。(略)

アル中、ポン引き、娼婦、黒人の「フォンキーさ」をネタにしたつまらないお笑いは、ずっと以前から売れないコメディアンが黒人ナイトクラブでやっていたが、本当の意味で成人向けのお笑いが商品価値を持つようになったのは、1970年代になってからだった。「ドウルマイト」ことルディ・レイ・モアは、多彩な活動で徹底的に下世話な笑いを売りにしていて、1970年に『Eat Out More Often』というお笑いアルバムを出し、「アメリカ初のX指定レコードを出したコメディアン」とみずから称した。スーパーヒーローの主人公が麻薬の売人から町を救うという内容の映画「Dolemite」は(略)黒人の闇社会を文化遺産として残した名作と呼べるのだ。

(略)

リチャード・プライアーが脚光を浴びて数年のうちに、成人向けのお笑いはいい儲け口になった。フロリダでは、R&B歌手であるクラレンス・リードがブロウフライという変名を使い、X指定の性の亡者というとんでもない別人格を作りだして非常に生き生きと演出した。(略)

卑猥な語りを満載したアルバムが出た結果、マイアミ音楽業界の暗部は活気づき約10年後に2ライヴ・クルーを世に送りだすことになる。卑俗で非常に下品なスタイルの露骨なファンクをあえてやれば、儲かるのだった。こうして汚い言葉を使うコメディアンのネタの数多くが今日のギャングスタ・ラップの曲の土台になっているようだが、最近のラッパーは昔のコメディアンと較べるとまったく面白みに欠けている。

(略)

ジョージ・クリントンは、1970年に、あるジャーナリストにPファンク人気の理由をこう説明している。「今、黒人がかっこいいんだ。リチャード・プライアーは、ラジオでかかってないのにレコードが百万枚も売れている。俺から見たら、リチャード・プライアーは幼なじみの連中そっくりだ。公民権運動、つまり自由のための大きな運動があったから、それまで抑えられてたものが外に出てきたんだ」

 黒人であることが美しくなったのとほぼ同じように、ファンクも良い意味のも、のへと変わっていったのだ。(略)

ファンクは汚くて臭い。けれど俺達のものだ。そして、音楽の主流へとじわじわ進んでいったのだ。 

次回に続く。

Dolemite

Dolemite

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Relapse
  • 発売日: 2006/06/27
  • メディア: CD
 

  

ドールマイト絶体絶倫!! コレクション DVD-BOX

ドールマイト絶体絶倫!! コレクション DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: ナウオンメディア株式会社
  • 発売日: 2006/12/22
  • メディア: DVD
 

  

On TV

On TV

  • アーティスト:Blowfly
  • 出版社/メーカー: Essential Media Mod
  • 発売日: 2012/08/08
  • メディア: CD