壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き

壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き

壁の向こうの住人たち――アメリカの右派を覆う怒りと嘆き

 

 まえがき

夫のアダムとわたしは、一九六〇年代後半にはすでにアメリカの文化に分断が生じていることを感じ取り、カリフォルニア州サンタアナにあるキングズ・カウアイ・ガーデン・アパート(略)に引っ越し、そこで一カ月暮らして、ティーパーティーの先駆団体であるジョン・バーチ協会の会員と知り合いになろうとした。わたしたちは協会の集まりに参加しては、できるだけたくさんの人と話をした。わたしたちが出会った多くのメンバーは中西部の小さな町の出身で、伝統的な価値観や社会的規範が崩れたかに見えるカリフォルニアの郊外で、深刻なとまどいをおぼえていた。その不安が高じて、彼らは、アメリカ社会が共産主義者に乗っ取られようとしていると信じるようになっていた。まわりを見わたせば、なぜ彼らが「乗っ取られる、と感じたのかがよくわかった。ほんの数年のあいだに、オレンジ畑がことごとく姿を消し、駐車場やショッピングモールが現れて、都市が無秩序きわまる形で拡大していったのだから。わたしたち夫婦もまた、何かに乗っ取られたような気がしていたが、その相手が共産主義だとは思わなかった。わたしは人生の大半を進歩的な陣営で生きてきたが、最近は、右派の人々をもっと理解したいと思いはじめていた。なぜ彼らはそうした考え方をするにいたったのか。共通項をいくつか見出して手をつなぐことはできないか。

マイク・シャフ 

話題は政治のことになった。「この辺に住んでいる者はほとんどがケイジャンで、カトリックで、保守派だ」と、マイク・シャフは説明し、楽しそうに付け加える。「わたしはティーパーティーを支持している」

 わたしがはじめてマイク・シャフを見たのは、その数カ月前、バトンルージュにあるルイジアナ州議会議事堂前の階段で開かれた環境集会の場だった。彼は聴衆の前に立って発言していた。込み上げる思いに、声がかすれていた。マイクは、米国で最も奇妙な、文字どおり地を揺るがす環境災害の犠牲になり、自宅もコミュニティも失った。(略)

この災害は、しっかりした規制を受けていない掘削会社が引き起こしたものだ。なのにマイクは、ティーパーティーの支持者として、ありとあらゆる規制の撤廃を訴え、政府の財政支出を──環境保護費もふくめて──大幅に削減すべきだと主張している。

(略)

背が高く、がっしりした体つきをしていて、茶色の縁の眼鏡をかけていて、いつもつぶやくように低い声で簡潔に話をし、悲しげに、ときに自嘲を込めてしきりと過去を振り返る。だがその一方、フェイスブックではたびたび堅い信念を表明していた。(略)

マイクの父は鉛管工の賃金で七人の子を育てた。「わたしたちはうちが貧乏だとは知らなかった」と彼は言う。その後、わたしが知り合った極右派の人々に、それぞれの生い立ちや両親の子供時代の話を聞かせてもらったときにも、これと同じ言葉を何度となく耳にした。マイクはエンジニアの目と、釣りや狩りを楽しむスポーツマンとして生き物を愛する心と、アマガエルの声を聞き分けるナチュラリストの耳を持っていた。わたしの知り合いには、ティーパーティーのメンバーなどひとりもいなかったし、そういう人と口をきいた経験もなかった。マイクもわたしのような者を多くは知らなかった。「わたしは人工妊娠中絶の合法化にも銃規制にも反対だ。他人を傷つけないかぎりは、自分の人生を好きなように生きる自由がほしい。それから、大きな政府には反対だ」マイクは言った。「この国の政府は大きすぎるし、強欲すぎて、無能すぎる。まるで既製品みたいで、もう自分たちのものだとは思えない。われわれは昔のアーメリーズ農園みたいな地域のコミュニティに戻るべきなんだ。そのほうがまちがいなく、暮らし向きがよくなる」

(略)

隔たりは広がってきた。それは左派がさらに左へ遠ざかったからではなく、右派がさらに右へ移動したからだ。共和党の三人の大統領、アイゼンハワーニクソン、フォードは、いずれも男女平等憲法修正案を支持した。一九六〇年に発表された共和党の政策綱領は、労使間の「団体交渉の自由」を容認していた。共和党員たちは、「最低賃金をさらに数百万人の労働者に広げ」、「失業保険制度の強化とその給付の拡大」をめざすと明言していた。アイゼンハワー政権の時代には、高所得者に91%の税率が適用された。二〇一五年には、これが40%まで引き下げられていた。

(略)

ロナルド・レーガン国債を発行し、銃規制に前向きな姿勢を見せたが、現在のテキサス州では、共和党過半数を占める州議会により、住民が装填ずみの銃を「公然と携帯して」教会や銀行へ行くことが認められている。現代の基準からすると、過去の保守派は穏健派かリベラル派のように見える。

 極右勢力はいま(略)連邦政府のありとあらゆる部門の縮小を求めている。二〇一五年一月には、共和党下院議員五八名が内国歳入庁廃止法案に賛成票を投じた。共和党の下院議員候補者の中には、公立学校の全廃を求めた人さえいた。(略)

一九七〇年には、大気浄化法に反対する上院議員は皆無だった。だが二〇一一年には、米国で汚染が最も深刻な州のひとつであるルイジアナ州選出のデイヴィッド・ヴィッター上院議員が、一五名の共和党上院議員と共同で、環境保護庁(EPA)の廃止を要求した。

給付を受けるティーパーティー支持者

 ジャーナリストのアレク・マクギリスは、ニューヨークタイムズ紙に寄せたエッセイ、「誰がわたしの青い州を赤に変えたのか」の中で、この大きなパラドックスに興味深い答えを出している。メディケイドやフードスタンプを必要とする赤い州の住民たちは、これらの仕組みを歓迎するが、投票には行かない。しかし少し上の階層にあたる白人保守派はこうした制度を必要とせず、必ず選挙に行く。そして、貧困層のために公的資金を使うことに対し、反対票を投じるのだ。

 この“少し上の階層”が鍵だとする見解は、答えの一部にはなるが、大部分ではない。そもそも、わたしものちに知ったのだが、政府のサービスに反対票を投じる当の富裕層が、そのサービスを利用しているのだから。わたしが本書のためにインタビューしたティーパーティー支持者のほぼ全員が、政府の主要なサービスの思恵を受けたことがあったり、肉親がそれを利用したりしていた。ある人の場合は、身体に障害を持つ高齢の親が民間の長期介護保険に入っておらず、メディケイドを受給するために、貧困者であるとの認定を受けていた。(略)

ある男性は、姉の不興を買いながらも──ふたりともティーパーティー支持者だ──フードスタンプの給付を受けている。また、狩猟シーズンのあいだだけ、失業手当を申し込む男性もいた。大半の言い分はこうだ。「あるんだから、使わない手はないだろう?」しかし多くの人は恥ずかしいと思っているらしく、名前を伏せてほしいと言った。(略)

だが公的サービスに賛成しない人も、恥だと思いながらそのサービスを利用しているのだ。

青い州の冷やかしがいかに赤い州を傷つけているか

 ルイジアナ南西部共和党婦人会のある会合では、ゴスペル歌手のマドンナ・マッシーに出会った。彼女はテーブルの向かい側の席からわたしに、「ラッシュ・リンボーが大好き」なのだときっぱり言った。以前のわたしなら、リンボーは独善的な人だと思っていたので興味も示さず、むっとして話題を変えていただろう。けれどもそのときはマドンナにこうきいた。「彼のどこが好きなのか、聞かせてもらえる?」(略)

「あの人が“フェミ・ナチ”──つまり、男性と対等になりたがって女性の権利拡張を過剰に訴えるフェミニスト──を批判するところ」(略)

わたしたちはリンボーが考え出したあだ名(“共産リブ[リベラルの仮面をかぶった共産主義者]”“環境過激派[原始の生活に戻るべきだと主張するゆがんだ環境保護主義者]”)のひとつひとつについて話をした。すると最後には、マドンナの心の底にある思いが見えてきた。彼女は自分がリベラル派の人々から侮辱されているように感じていたのだ。そして、そうした侮辱からリンボーが守ってくれていると思っていた。「リベラル派はこう思っているのよ。聖書を信じている南部人は無知で時代遅れで、教養のない貧しい白人ばかりだ、みんな負け犬だって。わたしたちのことを、人種や性や性的指向で人を差別するような人間だと思ってるのよ。それからたぶん、でぶばかりだってね」(略)

わたしは青い州の冷やかしがいかに赤い州を傷つけているかということに気づきはじめた。

(略)

わたしは、この大きなパラドックスの中心に、善良な人々がいることを発見しつつあった。あの心やさしいマドンナが、なぜ政府の貧困者支援に反対するのだろう。あのあたたかく明るくて、思慮深いマイク・シャフが、なぜあんなに連邦政府を目の敵にするのだろう。企業の不正行為や身勝手な破壊行為の犠牲になった彼がなぜ?

 リー・シャーマン

 リーは、石油化学工場の配管工として、苦しみ、その目で見て、命じられたことのせいで、熱心な環境保護主義者にもなった。

(略)

 しかしリーは最近、ティーパーティーのジョン・フレミング下院議員を支持するプラカードを自宅の芝生に立てることを決めた。(略)

なぜ環境保護主義者のリーが、環境保護庁の廃止を訴える政治家を支持してプラカードを立てるのだろう。(略)

[海軍造船所勤務時代]には、市民権と人権の擁護に力を尽くした冷戦時代のリベラル派、民主党のスクープ・ジャクソン上院議員の選挙運動を手伝っていたという。シングルマザーだったリーの母親も同じ造船所で働いて、男性と同等の仕事に対し同等の賃金を支払うよう求めて闘った。その彼女に育てられたリーは、自分のことをERA[男女平等憲法修正案]ベビー と呼んでいた。しかし一九六〇年代に仕事のために南部へ移り住んだあと、彼は共和党支持者になり、二〇〇九年以後にティーパーティーに加わったのだ。

(略)

[南部に移り板ガラス工場に勤務]

リーは工場であやうく命を落としそうになったこともあった。(略)

ある日の勤務中、手違いから、低温の塩素が摂氏五〇〇度の高熱にさらされ、たちまち気化してしまった。そのとき工場には一六人の従業員がいた。リーの上司は、会社に十分な数の防護装備がないことを知っていたので、彼に退避するよう命じた。「おれが外へ出てから三〇分後、工場が爆発した。逃げ遅れた一五人のうち、五人が犠牲になった」(略)

[見つからなかった]三人のうちひとりの遺体が、酸に分解されてばらばらになった状態で、バイユーディンドに注ぎ込む下水道の中から出てきた。

(略)

一九六〇年代のピッツバーグ板ガラス社では、最低限度の安全対策しかしていなかった。「(略)化学薬品を扱う仕事なのに、防毒マスクも着けなかった。鼻から息を吸わないようにして、口で呼吸することを覚えたもんだ」

 「会社は危険性についてあまり警告してくれなかった」

(略)

 事故はたびたび起こった。ある日[オペレーターの操作ミスで](略)

高温の有機塩素化合物液がパイプに流れ込み、リーはそれを頭から浴びてしまった。「熱かったよ。全身にかぶっちまった。(略)ひどい火傷を負った。とくにわきの下や脚の付け根、尻の割れ目が最悪だった。そういうところへ薬品が入り込むんだな(略)着ていたものが全部きれいに溶けてなくなったんだ」

(略)

[会社から衣服の弁償代として着用による劣化分を差し引いた]八ドルの小切手を渡たされたんだ」と、リーは苦々しげに言った。「現金化はせずじまいだった」

(略)

酸を浴びた事故からしばらく経ったある日、彼はまたもや、不気味な作業を命じられた。一日に二回、夕暮れどきに、しかも必ず内密でやれというのだ。(略)

[鋼鉄容器の底から回収されたタール状の有機塩素化合物の残渣が入ったタール・バギーを牽引したトラックを夜陰に紛れて走らせ]

「誰にも見られていないことを確認」して、つねに風上にいるように気をつけ(略)「かがんでバルブをあけた」。圧縮空気によって有毒物質が噴射され、どろどろの沼に向かって「七、八メートルほども」飛んだという。

(略)

[ある日]廃棄物を捨てていたら、一羽の鳥が煙の中に飛び込んできて、すぐ落ちてしまったんだ。まるで銃で撃ち落とされたみたいだった。

(略)

「自分がまちがったことをしていたのはわかっている」(略)

リー自身もあの鳥と同じように被害者になった。化学物質に曝露して具合が悪くなったのだ。炭化水素による火傷を負い、「両脚が棍棒になったような感じがして、膝を曲げることも、立ち上がることもできなくなった。

(略)

[障害者医療手当を払いたくなかった会社はリーを常習的欠勤を理由にクビにした]

(略)

[1987年汚染が問題化した際、説明会で「投棄したのはわたしです」と証言]

リーの人生で最も勇気ある行動は、会社の汚れた秘密を公表し、政府に憤りを感じていた一〇〇〇人の漁師たちに、責められるべきはピッツバーグ板ガラス社のような企業だと伝えたことだった。

 しかしやがて時が経ち、リー・シャーマンは左派から右派に転じた。

(略)

リー・シャーマンというひとりの男性の人生の中に、わたしは大きなパラドックスの両面を見た。支援を必要としているのに、それを拒否する姿勢を。自身も有毒物質の犠牲になり、公共用水域の汚染に加担したのちには、環境汚染を憎むようになり、いまでは環境保護主義者だと胸を張って言う彼が、なぜ、反環境保護主義のティーパーティーと運命をともにしようとしているのだろう。

(略)

  ティーパーティーの支持者は、三つのルートを通じて、連邦政府ぎらいになるようだ。ひとつ目は、信仰(彼らは政府が教会を縮小したと感じている)、ふたつ目は、税金への嫌悪感(あまりに高すぎ、累進的すぎると思っている)、そして三つ目は、これから見ていくように、名誉を失ったショックだ。

次回に続く。