ニール・ヤング自伝Ⅰ

全二巻だけど、二段組にして活字を小さめにしたら1冊にできる分量。

現在と過去がとりとめなく語られるので、物足りなく感じる人もいれば、うーん、さすが大物じゃと感じる人もいるのかも。 

「いや、もしかするとすべては頭のなかで考えた、想像力の産物なのかもしれない。その手のことが起きるのは、決して珍しいことではないからだ」というあたりに、ニール・ヤングの創作の本質があるような。

ニール・ヤング自伝I

ニール・ヤング自伝I

 

曲づくりの方向を決めてくれた曲

 自分ではしばらく曲を書いていないが、わたしにとって大きな意味を持ち、曲づくりの方向を決めてくれた可能性もある曲の数々を、ここにリストアップしておこう――J・J・ケールの〈クレイジー・ママ〉は大好きなレコードだ。嘘がなく、シンプルで、直接的で、うたいかたもとても自然だ。J・Jのギター・プレイには大きな影響を受けた。彼のタッチは筆舌につくしがたい。唖然とする。ボブ・ディランの〈ライク・ア・ローリング・ストーン〉は、トロントではじめて聞いた日と同じくらい新鮮だ――今もあの日の午後のことは忘れられない。そこからわたしの人生は変わった。あの曲の詩、態度、そして雰囲気は、わたしという人間の一部になっている。血肉と化しているのだ。ロネッツの〈ビー・マイ・ベイビー〉。わたしはそのサウンドを、いつまでも愛しつづけるだろう。魂に宿っているのだ。ロニーの歌はとにかく最高だ。グルーヴ、美しく鳴り響くバックグラウンド・ヴォーカル、オケ――そのすべてが一体化している。フィル・スペクターは天才だ。ジャック・ニッチェは天才だ。ロイ・オービソンの〈エヴァーグリーン〉は、レコード化された感傷のなかでも、とりわけ美しいもののひとつ。ロイの声を聞くと、今もガールフレンドの愛情を感じることができる。イアンとシルヴィアの〈風は激しく〉は、いつもわたしに語りかけてくる。わたしの心の一部を占めているのだ。そこにはひとつの気持ちがこめられている。平原、カナダ、カナダ人としての人生をわたしは愛している。もちろん、曲を書くのも大好きだ。きっとまたいつか、書きはじめるだろう。 

Crazy Mama

Crazy Mama

  • J.J.ケイル
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
Four Strong Winds

Four Strong Winds

  • イアン・タイソン & Sylvia Fletcher
  • カントリー
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 スクワイアーズは

わたしの自作曲と、〈おおスザンナ〉、〈トム・ドゥーリー〉、〈クレメンタイン〉といったフォーク・クラシックのロック・ヴァージョンをプレイした。そのアイデアは、やはり同じサーキットから登場したソーンズというバンドからいただいた。彼らがアレンジした〈おおスザンナ〉をマスターし、ほかの古いフォーク・ソングも同じように、そのテーマを発展させ、新しいメロディとロックするアレンジをつけてプレイしたのだ。ソーンズのリーダーだったティム・ローズは、のちにジミ・ヘンドリクスが大ヒットさせる〈ヘイ・ジョー〉に作者のひとりとしてクレジットされている。ソーンズはほんとうに最高だった。彼らがどうなったのかは知らない。

(略)

ソーンズとダニー&ザ・メモリーズは、どっちも大成功してしかるべきだったのに、消えてしまった最高のバンドだ。次になにが起きるのか、あるいはなぜ起きないのか、それはだれにもわからない。
 けっきょくスクワイアーズはウィニペグで3番手か4番手のバンドになり、腕もかなり上がっていた。オリジナル曲の多さでは、どのバンドにも負けていなかった。わたしはたくさん曲を書いたが、それは始終、音楽のことを考えていたからだ。最初はインストゥルメンタル、次には歌詞のある曲を書き、それはやむなくわたしがうたいはじめた。そのおかげでわれわれは、ほかのバンドと一線を画すことができた。それは、わかっていてあえてやったことだ。オリジナルの曲が、前に選んでいくための鍵だった。

(略)

わたしの場合、無理をして曲を書いたことは一度もない。アイデアが浮かんできたら、学校だろうとどこだろうと、すぐに曲を書きはじめなければ駄目だということをわたしは知った。ほかのことはすべてうっちゃり、聞こえてくる曲に注意を集中しなければ駄目だと。そういうやり方をすればするほど、聞こえてくる曲も増えてきた。

マイナー・バーズ、リック・ジェームス

[エレクトラのオーディションに落ち]トロントにもどったわたしは、けっきょくグレッチを売り払い、アコースティックの12弦を手に入れた。

(略)

何度かライヴをやって悪評を浴びた。最初のレヴューはわたしの曲を、常套句だらけだと全面的に否定した。ああそうだろうよ!常套句のなにが悪いんだ?(略)〈オー・ロンサム・ミー〉をアレンジし、自分では大いに気に入っていたが、パロディかなにかだと思われて、笑いものにされてしまった。そのアレンジは《アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ》で使い、この時はうまく行った。(略)
デトロイトにいるあいだは、ジョニ・ミッチェルが夫のチャックと暮らしていた家に泊めてもらった。

(略)

 トロントでつらい日々を送ったわたしは、その後、マイナー・バーズに加入した。(略)

リード・シンガーはリッキー・ジェイムズ・マシューズ。それが当時の名前だが、ブラック・ミック・ジャガーとしても知られていた。彼はがむしゃらな歌を聞かせた。

(略)

 バンドはまちがいなくロックしていたし、やがてわれわれは、リックとわたしが共作した〈イッツ・マイ・タイム〉のような曲をやりはじめた。最初はおもに、ストーンズのカヴァーをやっていた。クスリで興奮したわたしがステージを飛び降り、自分のシールドを引っこぬいたこともある!

(略)

モータウンのヒッツヴィルUSAでやったセッションは、わたしにいわせると最高だった。スモーキー・ロビンソンが立ち寄ってわれわれの手助けをしてくれたし、フォー・トップスは歌入れをするわれわれのうしろに立って、ヴォーカルをバックアップしてくれた。クールなサウンドにする手助けをしてくれたのだ。もうなにもかもが最高じゃないか!モータウンは、大家族のような雰囲気に包まれていた。

(略)

きっと箸にも棒にもかからなかったはずだが、みんな、とてもよくしてくれた。衣装合わせもした。バンドは成功への道をひた走っていた!するとアメリカ市民だったリックが、ヴェトナム戦争の徴兵を忌避したかどで逮捕された。彼はなんの前ぶれもなく姿を消した。[バンドは解散] 

It's My Time

It's My Time

  • The Mynah Birds
  • R&B/ソウル
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 サン・グリーン

[牧場の隣のコミューンを見に行くと]

なかでも特に興味深かったのが、ケン・ホワイティングのツリー・ハウスだった。(略)

[ゴンドラは]木こりたちがあとに残した建物とケンの木をつなぐ、鋼鉄製のケーブルにぶら下がっていた。(略)ケーブルは、巨大なレッドウッドを100フィートほど登った位置にあるケンの家に向かってまっすぐ伸びていた。とにかくまっすぐだった。峡谷はレッドウッドの大木だらけで、ケンの家は、なかでもとりわけ大きい木の上にあった。
 ぜひともケーブルカーに乗ってみるべきだといわれ(略)少しためらいながら飛び乗った。メッキされた金属板でケーブルにぶら下り、わたしは進みはじめた。だがあと少しのところで「車」の動きが止まり、たるんだケーブルのまんなかに向かって、あともどりしはじめた。わたしは空中で、身動きが取れなくなっていた!するとケンがもともと設計に組みこまれていた命綱で、わたしを木のほうに引っぱりはじめた。金属板に手すりはなかった。

(略)

木にたどりついたとき、わたしは自分が、ケン以外ではじめてケーブルカーを使った人間だったことを知った。(略)

ケンといっしょにいた美しい娘は、木を登ってその家に来ていた。印象的な娘だった。名前はたしかサン・グリーンといって、何年もあとにわたしがつくった映画/アルバム『グリーンデイル』のヒロイン、サン・グリーンの部分的なインスピレーションになっている。いや、もしかするとすべては頭のなかで考えた、想像力の産物なのかもしれない。その手のことが起きるのは、決して珍しいことではないからだ。

チャールズ・マンソン

バッファロー・スプリングフィールド時代に知り合ったデニス・ウィルソンを訪ねていた。ビーチ・ボーイズと南部をツアーし、1日に3つの都市でプレイしながら、フロリダを転々としたことがあったのだ。デニスとわたしはかなり親しくなっていた。わたしは自分の書いた曲を、彼に聞かせるつもりだった。(略)

以前はウィル・ロジャーズが本宅として使っていた平屋の邸宅で、巨大なプールと最高のメイン・ルームがあった。とても優雅なデザインで、実に印象的だったのを覚えている。

(略)

彼はどことなくよそよそしい感じがする3、4人の娘と同居していた。全員が超然とした雰囲気をただよわせている。(略)

ヒッチハイクをしているところを、デニスに拾われた娘たちだった。かなり強烈なヴァイブを放っていたが、わたしには魅力的とは思えなかった。しばらくするとひとりの男があらわれ、わたしのギターを手に取って、次々に曲をうたいはじめた。チャーリーという名前だった。娘たちの友人で、今ではデニスの友人でもあった。彼の曲は成り行きででっちあげていく適当なシロモノだったが、同じ曲が2曲つづくことは決してなかった。ディランに似ていなくもないが、真のメッセージをくみ取りにくいという点ではちがっていた。けれども曲は魅力的だった。なかなか大した男だった。
 わたしは彼に、レコーディング契約はあるのかと訊いた。まだないが、レコードはつくってみたいという答えが返ってきた。わたしはリプリーズのモー・オースティンにこの男の話を聞かせ、リプリーズでチェックしてみてはどうかと薦めた。(略)

テリー・メルチャーはすでにチャーリーをチェックしていたらしく、その上で手を出すのはよそうと判断していた。
 その直後にシャロン・テイト=ラビアンカ殺人事件が起こり、チャーリー・マンソンの名前は一気に世界中に知れわたった。自分たちが彼といっしょにプレイしていたことが信じられなかった。

フェスティヴァル・シーティング

 わたしについて、いっしょに仕事がしづらい相手だという評判が立っていると聞かされたこともある。わたしの決断は、音楽を念頭に置いて下される。たとえば、わたしは集中している聴衆を相手にプレイするのが好きだ。前の席に座った人たちが、携帯電話で話しているのはたまらない。むろん、そういった連中が座っているのは、いちばん高価な席だ。たぶんダフ屋か、でなければチケットの市場を独占しているそれ以外のサーヴィスを通じて手に入れたものだろう。このエリアでは資本主義と音楽がぶつかっているわけだ。駆け出しのころはまったくちがっていた。最前列にいるのは音楽狂、ほんものの音楽ファンばかりで、あらゆる曲、あらゆる歌詞、バンドに関して手に入るかぎりの、あらゆる情報を知っていた。ステージ前にいられるだけでワクワクし、いつでもロックする準備ができていた。だからあの携帯電話や、最上級の席に大枚をはたく金持ち連中を見ていると、自分のやっていることに集中できず、博物館の陳列物になったような気がしてくるのだ。これはよくない風潮だろう。音楽というのは多くの場合、観客のエネルギーを糧にしているからだ。ステージ前に椅子を置かない、「フェスティヴァル・シーティング」という方式がある。そこでは立って観られるわけだ。入れる人数には限りがあるが、価格は高くない。いわゆる自由席なので、ステージからの距離に関していうと、早い者勝ちでいいポジションを取れる。少し前に、わたしは屋内でやるショウのすべてで、フェスティヴァル・シーティングのチケットを売ることにした。そうすればほんとうにバンドを見たい人たちがそばに来て、自由に動きながら観ていられるからだ。経済的な打撃はある。通常なら高い値段がつけられる席が、このやり方だとなくなってしまうからだ。それについては、とにかく断固とした姿勢を取る必要があった。フェスティヴァル・シーティングにすると、どのショウもぐっとフィーリングがよくなった。バンドもわたしも、その変化を心から喜んだ。

(略)

[ツアー告知寸前]

会場はすでにブッキングされている。土壇場で、わたしは今回もフェスティヴァル・シーティングなのかどうかを確認した。ちがっていた。屋内のショウではそうするのがわたしの好みだということは、すでに周知の事実だったはずなので、わたしは今回もそうしてくれと主張した。おかげですべての契約を、最後の最後に結び直す羽目になった。口でいうのは簡単だが、実際にやるとなると大変だ。すでに一度こういうことを経験していたわたしには、わたしがいたくフェスティヴァル・シーティングを気に入っていることを、だれも覚えていなかったことのほうが驚きだった。もしそのせいでいっしょに仕事がしづらい相手という評判が立ったのだとしたら、たしかに自業自得だろう。

作曲

曲を書く作業には、どんなものが投入されているのだろうと考えてみたことはないか?(略)

曲は経験と、状況のコズミックな配置によって生みだされているように思える。それはつまり、自分がどういう人間で、ある瞬間に、どう感じていたかということだ。

(略)
 2011年1月にハッパを止めて以来、わたしは1曲も新曲を書いていない。つまりわれわれは今、偉大な化学実験の渦中にいることになる。
 わたしが書く曲は、フィーリングからスタートする。頭のなかでなにかが聞こえたり、心でそれを感じられたりするわけだ。ふとギターを取り上げて、そのまま弾きはじめることもある。多くの曲は、そうやってはじまる。そんな時のわたしはなにも考えていない。考えながら曲をつくるのは最悪だ。だから単純に弾きはじめ、すると新しいなにかがあらわれる。どこから?そんなことはどうでもいい。とにかくその流れに乗っていく。それがわたしのやり方だ。決して出来栄えを評価したりはしない。わたしはその曲を信じている。それは楽器を手に取ったときに天からさずかり、楽器を弾いていくうちに、わたしを通って出てくるものなのだ。コードとメロディは自然にあらわれた。その瞬間は、尋問や分析をするべき時ではない。曲を知るべき時だ。まだ知りもしないうちに、変えるような真似はするべきじゃない。曲は野生の動物、生きもののようなものだ。怖がらせないように注意しないと、逃げられてしまう。それがわたしの手法、少なくとも手法のひとつだ。
 わたしはちょうど、曲を書くようにと、自分にプレッシャーをかけすぎているんじゃないかと思っていた。そのやり方では絶対にうまくいかない。曲はウサギのようなもので、見ていないときにかぎって穴から出てくる。だからその前で持っていると、穴を掘ってどこか遠いところ、こっちの目が届かない新しい場所にあらわれるのだ。だから今のわたしは、曲の穴をのぞきこんでいるような感じがする。それでは決していい結果が生まれないだろう。この件に関しては、話せば話すほど悪循環にはまっていくようだ。

《今宵この夜》、ジョニ・ミッチェル

《今宵この夜》のセッションは、SIR、スタジオ・インストゥルメント・レンタルズでおこなわれ、デイヴィッド・ブリッグスがグリーン・ボードで録音した。(略)

 あのLPはわれわれがホセクエルヴォのテキーラで完全に酩酊しているあいだにレコーディングされた、いわば音楽版のシネマ・ヴェリテだった。レコーディングはわれわれが泥酔し、ほとんどまともに歩けなくなる深夜を待って開始された。ある晩、ジョニ・ミッチェルがあらわれて、〈陽気な泥棒〉のとびっきりセクシーであけすけなヴァージョンをうたった。彼女はいまだにリリースを拒んでいる。われわれの仲間に入ってあの曲をうたったとき、彼女はいったいなにを考えていたのだろう?(略)

彼女がレコーディングしたどの曲よりもファンキーだった。逸品だ!

(略)

アルバムはリスキーでリアルだった。混乱しきったレコーディングで、技術的な側面は完全に無視されていたが、デイヴィッド・ブリッグスの有能なプロデュースのおかげで、爆音でかけると神様のような音がする。オリジナルのラフ・ミックスは最後までわれわれの満足が行くかたちにならず、アルバムは1年以上棚上げにされた末に、すでに別のアルバムを1、2枚やり終えたあとでリリースされた。

(略)

ベン・キースとわたしがザ・バンドのリック・ダンコほかのミュージシャンたちにテープを聞かせたとき、《ホームグロウン》はレコーディングずみ、そして《渚にて》はリリースずみだった。まず《ホームグロウン》、次に《今宵この夜》を聞いたあとで、リックが「絶対にあれを出すべきだ!あれはいったいなんなんだ?」といった。わたしたちはいわれた通りにした。あのアルバムを生き返らせたのはリック・ダンコだ。《ホームグロウン》も傑作だと思うが、いまだにリリースされていない

 グリーン・カード

わたしは長いあいだカリフォルニアの運転免許を持っていなかった。わたしは不法移民だった。グリーン・カードが必要だった。グリーン・カードがないと国を出ることもできない。一度出たら、また忍びこまなければならないからだ。(略)

 ありがたいことにわたしは資本主義に救われ、グリーン・カードを買うことができた。本物を!弁護士経由で!移民局にコネがある、ぴったりの弁護士をニューヨークで見つけるまでには長い時間がかかったが、60年代が終わる前に、わたしは本物のグリーン・カードを手にしていた!アメリカも、資本主義も最高だぜ!(略)

かかった経費は5000ドルだった。

(略)

 カリフォルニアで最初の免許書を手に入れたときは、解放感のあまり、宙に舞い上がりそうだった!始終警官に目を光らせることも、車を止められてパクられ、国外退去になったりしませんようにと心配することもない。免許を手に入れる前のわたしは、パラノイア状態だった。2、3年は、肩越しにふり返る日々がつづいていた。自由は最高だ[フリーダム・ロックス]!おい。今のが曲じゃなかったらなんだ?もしかしたらわたしは、突破口にさしかかったのかもしれない……。  

Teach Your Children

Teach Your Children

  • クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

ジェリー・ガルシア

[アルバム《デジャ・ヴ》]

 なぜか、わたしはあの一連のセッションを鮮明に記憶している。ある日、CSNがわたしぬきで完璧にうたった〈ティーチ・ユア・チルドレン〉をレコーディングしたあとで、わたしがコントロール・ルームに残っていると、ジェリー・ガルシアがやって来て、スチール・ギターのパートを弾きはじめた。たしか、通常のギターをスライドで弾いていたと思う。彼はコントロール・ルームのスピーカーの下で、ギターをひざに乗せて、あのパートをダビングした。 あの曲はCSNYの傑作のひとつだが、聞くたびにそのことを思い出す。

 次回、第二巻に続く。