ゴッドファーザーの血 マリオ・ルチアーノ

ゴッドファーザーの血

ゴッドファーザーの血

渡米、祖父

[マフィア取り締まりに]特に効果的だったのが、70年にニクソン政権が制定した組織犯罪対策法のひとつであるRICO法だ。
 私と父がアメリカに渡ったのは[その制定前年](略)
この年を境にマフィアの影響力は徐々に削がれ、より姿の見えにくい形になっていく。
(略)
 父と私が頼った祖父と伯父さんは、他のマフィア組織とも対等に渡り合うようなファミリーの人間ではあったが、私には優しかった。
(略)
 祖父は毎晩、仕事を終えて帰ってきた伯父からその日あった出来事の報告を聞くのが日課だった。誰と会って、どんな話をしたか。どんな相手だったか。仕事はどうだったか。お金がいくら入ったかを事細かに話すのだ。
(略)
 自宅や伯父さんのお店には、ファミリーを頼ってたくさんの人たちが相談に来ていた。信用できる仲介人の紹介がなければ相談どころか会うこともできなかったはずだ。(略)
相手が1時間近くしゃべり続けても、余計な口は挟まず最後まで聞き続け、最後に自分の考えを短く答えていた。
 人と会って相談を受ける時、祖父はいつも手に拳銃を握っていた。相手から見えないように机の下やブランケットなどで隠してはいたが、何かあれば即座に銃を抜ける状態だった。

タイガー戸口

一時期は本気でプロレスラーを目指したこともあった伯父さんは、アメリカのスポーツ界にもさまざまなコネクションを持っていた。特に近かったのが格闘技界(略)
伯父さんの仲間だった大物レスラー(略)伯父さんも私も、彼のことを「キムさん」と呼んでいた。(略)
72年にアメリカに渡ってきたそうだが、アメリカのマット界ですぐに超一流のヒールになり、名だたるスーパースターとタイトルマッチを戦うほどの人気を博していた。彼のアメリカでのリングネームは「キム・ドク」「タイガー・チャン・リー」、日本では「タイガー戸口」と言えば、プロレスファンにはわかるかもしれない。(略)
アメリカでの成功ぶりは日本以上だったはずだ。なにしろキムさんはプライベートジェットを所有して、全米のリングを飛び回っていたほどで、ある時、シカゴまで試合を見に行った夜、ちょうど祖父が倒れてしまったことがあったのだが、キムさんは私たちがすぐシカゴからニューヨークヘ帰れるようにプライベートジェットを用意してくれたこともある。それだけのギャラを稼ぐことができる一流レスラーだったのだ。
 ただし、キムさんは私たちの世界とは絶妙に一線を画していた。(略)
基本的にどの組織にも属さず、マネージャーも付けずにすべてを一人でやっていた。(略)
 キムさんはレスラーとしても一流だったが、プライベートでもクレバーな人だったのだろう。どこに行っても尊敬を集めており、メディアや芸能関係、政財界にも幅広い人脈を持っていた。(略)
キムさんはトランプと直通電話で話すことができる関係だった。裏の世界にも強く、チャイニーズ・マフィアやフィリピン、アフリカのマフィア、さらに日本のヤクザ組織ともトラブルになったが、すべて本人が出ていって話をつけていた。

はじめてのおつかい

「わかってるだろうけど、絶対に中は見るなよ」(略)
 優しい大人の顔に、一瞬だけ凄味が浮かんで、すぐ消えた。
「じゃあ、頼んだぞ。俺は伯父さんの店にいるから、戻ったら一緒に飯でも食うか」(略)
 言葉の意味はすぐにわかった。おそらくこれはファミリーがらみの仕事なのだ。ならば何を運んでいるのか私が知る必要はないし、知ってはいけない。命令は絶対だ。
 仕事はあっけないほど簡単だった。指示された店に行き、持っていた男にカバンを渡す。男はカバンの中を確認して、もう行っていいと合図をした。それだけのことだった。
 店に戻ると、さっきのおじさんが待っており、仕事を完了したことを報告する。おじさんは笑顔になって財布を取り出し、20ドル札を1枚抜き取って私にくれた。ファミリーがらみの仕事で初めて手にした報酬だった。
 それから私は、この仕事を何度も頼まれることになった。カバンの届け先はだいたい決まった数ヵ所だけで、メインはユダヤ系とギリシャ系のグループがやっていた店だ。
 持った感触や重さから、たいていの場合、中に入っていたのは現金だったと思う。もしかすると時々はドラッグの類が入っていたかもしれない。
(略)
後からわかったことだが、私が荷物を運んでいる時には、必ずファミリーの一員である大人がそっと後ろから付いてきていた。子供だった私は得意げに荷物を運んでいたが、ファミリーの手により守られたうえでの仕事だったわけだ。
 もちろん、大人たちの側には子供を使う理由があった。ひとつは警察の目を逃れるため(略)万が一捕まったとしても、前科のない子供であれば罪も軽くなる可能性があったからだろう。
 もうひとつ、これは私も大人になってから知ったことだが、実はマフィアの大人たちは、ファミリーの縄張り内で暮らすたくさんの子供たちを日頃から注意深く見守っていたそうだ。その中から組織に入ってやっていける器量のある子供を見極めるためだった。腕っぷしの強さだけではない。頭の回転の良さはどうか、仲間からの人望はあるか、そしてなにより、ファミリーの掟を守ることができる男なのかを、長い時間をかけて観察するのだ。

「ソーシャルクラブ」

 マフィアはそれぞれ「ソーシャルクラブ」と言われる専用の会合場所を持っている。(略)
 外から見ただけでは一見して普通の店と何も変わらない。店内にはカウンターバーやテーブルが置かれ、食事もできればお酒も飲めるようになっている。
(略)
ソーシャルクラブに入れるということは、ファミリーの一員として認められたということで、それはアメリカに移り住んだシチリアの男たちにとって一種のステータスであり、誇りでもあった。
(略)
 ミーティングで話し合われる議題はさまざまだ。たとえばファミリーが新しい土地を手に入れたとして、ではそこでどんな商売をやるか、イタリア料理店なのか秘密カジノにするのか、誰と誰がどれだけ出資するか、責任者は誰に任せるのか、といったことを決める。大半はファミリー内でやっている者が多かった飲食店経営や建設関係ビジネスに関する調整で、別のファミリーが仕切るエリアで商売を始めたいという者がいれば、誰が話を通しに行くのか、そのための金はどうするのかといったことを決める。
 ファミリー同士で利害が対立することもしょっちゅうで、そこをまとめるのもボスの器量だ。私たちのファミリーは対外的なボスは祖父で、実質的に伯父さんが仕切っていた。祖父が口を開くのは、どうしても話がまとまらないような時だけで、たとえば出資の配分でモメたなら、双方のリスクとメリットがイーブンになるように調整し、現実的に不足してしまう資金を祖父が工面するという形で話をまとめていた。
 ファミリー内の序列は絶対だが、それでも自分の実力をアピールしたいがために、「俺のほうが金を集められるから、この仕事をやらせてほしい」「俺に任せてくれれば、トラブルの相手を黙らせてやりますよ」といったことを言い出したり、いきなり暴れだしたりする者もいた。
 また稀にではあったが、ファミリーを裏切る者が出ることがあり、そんな時のミーティングでは張りつめた緊張感が漂った。

ストリートファイト

映画に出てくるようなイタリアン・マフィア同士の縄張り争いになるようなことはめったになかった。(略)[ファミリー間で]棲み分けがきっちりできており、街ですれ違っても、「ヘイヘイ!」と挨拶を交わすような良好な関係を保っていた。
(略)
[例外は]チャイナタウンの中国系移民グループだ。新興勢力だった彼らは、自分たちの強さをアピールしたがり、縄張りを無視して暴れることが多かった。(略)
[ある日、大乱闘に]
ところが不思議なもので[その後、相手グループと親しくなり](略)まるで青春ドラマのような話だが、この中の一人とは兄弟のように仲良くなり、彼はのちに、私に会うために日本までやって来たほどだ。
 アメリカのストリートファイトは、ボクシング・スタイルが王道だ。私の場合は[空手をミックスした我流。当時、ブルース・リーが大ブーム。チャイナタウンのコックのリーさんから空手を習った]
(略)
幸いあの時代のアメリカの喧嘩では拳銃を持ち出してくる奴は一人もいなかったが、これはストリートにはストリートなりの暗黙のルールがあったということだろう。

ファミリー崩壊

ボスだった祖父が亡くなったことで、ファミリーの内部には不穏な空気が漂うようになっていた。(略)
祖父という要の存在がいなくなった組織は、長い間守り続けてきた鉄の結束を捨て去ろうとしていた。ファミリーのメンバーたちは、ファミリーのためではなく、自分たちのために金を稼ぐことを優先するようになり、激しく利害が対立したファミリー間のトラブルが目に見えて増えていた。
 そして決定的な出来事が起きてしまう。祖父が亡くなってから1年後(略)
 伯父さんは自分のお店で、遺体になって発見された。(略)事件の可能性もあり、当然、警察も調べたが、確たる証拠は何も出てこなかった。
 新しいボスになった伯父さんは以前と変わらずやっているように見えたが、私の知らないところで深刻な問題をいくつも抱えていたことは事実だった。(略)
赤字や使途不明金などは、内部の人間の仕業だったのではないかと思っている。ファミリーの誰かが伯父さんを裏切って、お金を自分の懐に入れてしまったのだ。そして、伯父さんの死には、いずれかの金銭トラブルが関係していたのではないかとも思っている。
(略)
 ボスの妻としてファミリーを長い間見てきた伯母さんにとって、伯父さんの死は「誰かの裏切りによって殺された」と映っていたようだ。[殲滅を恐れ、伯母の故郷コロンビアへ。数ヶ月後、迎えに来た父と、チェコナポリシチリア島と転々、そこで父と別れ、母達のいるギリシャへ]

テロ組織のリクルート

[パイロットになるためパキスタンに入国したら、経歴を怪しまれて空港で理由なく軟禁。偶然通りかかったPLOのVIPに助けられ自由に]
 アブーは私を連れて空港内のほとんどすべての場所をフリーパスで動き回っていたが、咎める人間は誰もいなかった。
(略)
職員の一人が教えてくれたのだが(略)アラファト議長のプライベートパイロット兼ボディガードのような仕事を務めているという。(略)
[アブーに連れていかれた学校はPLOが資金援助しているため年齢制限もなく世界一安い学費でパイロットになれるところだった]
 「この学校のことは聞いたよね?PLOが運営しているのは本当だ。でも、ここに入学したからといって、必ずしも組織に所属しなければならないわけじゃない。カリキュラムはあくまでパイロットになるためのものだし、学校で勉強だけすればいいじゃないか。俺も弟によく似ているおまえを組織には入れたくないよ」
 もとより私はPLOに入る気はない。(略)
 アブーの言葉どおり、学校では特別な思想教育のようなものはなかった。ただ、それも当然で、ほとんどの学生は自分のためではなく、信じるモノを具現化するためにここに来ており、最初からそのようなものは必要なかったのだ。(略)
ほとんどの生徒は20代半ばから30代の大人で、休み時間に冗談を言い合って青春を楽しむような雰囲気はまったくなかった。皆、優秀なうえに、勉強に取り組む真剣さが違っていた。
(略)
アブーを別にすれば、周囲の人間には警戒を怠らなかった。パキスタンにいる間、私は何度もテロ組織のリクルートを受けている。そのうちのひとつはアルカイダだった。(略)
[街をぶらついていると声をかけてきて、顔見知りになると、困ったことはない?英語を教えて、と距離を詰めてきた]
「(略)私たちの組織は資金が豊富ですから、学費も生活費も面倒見ますよ」「明日、セミナーがあるから来ませんか?」「マリファナ欲しくない?タダであげるよ」と誘われたこともあった。
 私はいつもニコニコと話は聞いていたが、誘いはすべてシャットアウトしていた。(略)
[知り合った優しい女性マリリンはしきりにアブーと手を切れと訴えてくる。カフェでウトウトしていたら突然銃口を突きつけられ「言え、仲間はどこにいる」と詰問され、そのまま刑務所へ。同房の親切な白人ファロックが出所後、手を回して助けてくれた。マリリンに会いに行くと冷たい態度]
学校の男性スタッフが息を切らせて追いかけてきた。
「マリオさん、マリリンから伝えるように頼まれました。『この国を出てください。あなたのことは心配だけど、ごめんなさい。あなたはリストに載っているから』って――」(略)
[ファロックがあちこち手を回してくれたが]
「残念だ。力になれなくて、本当にすまない(略)一番早いフライトに乗って、今すぐこの国を出ろ――」
 やはりアブーとの関係が問題視されていた。(略)完全にテロリストの仲間としてマークされ、監視リストに名前が載ってしまったらしい。
[ファロックから渡された500ドルで父のいるフィリピンへ。父はマルコス政権下でボロ儲け中。マルコス失脚でビジネスに影響が出、汚職捜査の手も伸びてきたので、父が親しくなった山口組幹部のツテで日本へ]

総会屋

[レストランで偶然知り合った紳士]
「さて、マリオさん。今日から私と働きませんか。仕事は教えてあげます。今から一緒に行きましょう」
(略)
星さんから「帝国ホテルのラウンジに集まっていたビジネスマンたちは、それぞれが会社の経営者や幹部だ」と教えられた。彼らが持参していた現金の“意味”は教えてくれなかったが、とにかく、星さんは私にこの集金の仕事をしないかと誘ってきたのだ。
(略)
 集金そのものは難しい仕事ではなかった。行く会社はおおよそ決まっており、多くても1日に5、6社。それも日本人なら誰でも知っているような有名企業が多かった。そのうちのひとつが老舗映画会社で、こうした大きな会社からは月に一度まとまった額を、小さな会社からは月2、3回に分けて集金していた。金額は会社によってまちまちだったが、一度集金に出ると合計で500万円を超えていたから結構なものだ。この集めた金を銀行に持っていき、新札に替えて星会長に届けるまでが私の仕事だった。
 事前に給料の交渉は一切しなかったものの、星会長は毎月十分な額をくれた。会長からは「もし誰かに給料のことを聞かれたら『50万円しかもらっていない』と言いなさい」と釘を刺されていたのだが、実際にはその何倍もの金額をもらっていた。
 費用もすべて出すからと星会長に行われ、逗留場所もサンシャインシティプリンスホテルから帝国ホテルに移ったため、私は会長と1年間ほどほぼ毎日会い、休日も一緒に過ごすことが多くなった。
[星会長の兄弟分の出所祝いで仙台へ。その席にいた岡村吾一](略)
 後で自分でも調べてみたが、岡村さんは関東地方の博徒を統合した北星会で会長を務めるなどした、有名な大親分だった。もともとは戦後最大のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫氏が設立した「児玉機関」では右腕的存在であり、戦後は芸能や興業の世界の顔役としても活躍したらしい。あの力道山が刺殺された赤坂のクラブ、ニューラテンクォーターで顧問を務めていたほか、宝塚歌劇団東宝にも強力な影響力を持ち、有楽町の日劇地下に事務所を構えていたという。
 私はフィリピンから日本に来て、東京で星会長と出会い、その数週間後には日本の大親分たちが居並ぶ席に座らせてもらっていた。ルチアーノ家の血を引く私が、見えない何かの力によってこの場所に吸い寄せられたとしか思えない出来事だった。
(略)
 星会長のもとでは3年近く働いたが、そのすごさはひと言では言い表せない。
 たとえば、記憶力の良さだ。会長は数百件にのぼる仕事関係の電話番号をすべて暗記しており、電話帳を開く必要がなかった。かける電話がまた魔法のようで、いかなるトラブルもたいてい数本の電話で話をつけてしまった。
(略)
頭の中には都内の道路が事細かに入っており、どんな裏道でも、会長が知らないルートはなかったと断言できる。
(略)
 めったに怒らなかったが、一度だけ(略)恐ろしい場面に遭遇したことがある。相手は金銭がらみのトラブルを起こした男で、物的証拠もウラも取れていたにもかかわらず、あれこれ嘘をつき続けた。会長はいつもと変わらないゆっくりとした口調で、「本当のことを言いなさい」と論したが、男は下手な言い訳をやめなかった。
 「本当のことを言ってください。これが最後ですよ」
 一瞬の間があった後、会長はゆっくりと手を伸ばし、向かいに座っていた男の髪の毛をつかむや顔面をテーブルに叩きつけた。男の額が割れ、赤い血がダラダラとカーペットに流れ落ちた。
 「いいですか。私は怒っているんですよ」
 会長の表情や声のトーンには何の変化もなく、それが一層、凄味を感じさせた。男は恐怖におびえた顔で素直に自分の非を認めた。