フィル・スペクター 甦る伝説・その2

前回の続き。

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

逆巻くエコー

〈キッスでダウン〉で、スペクターはついにシンフォニーの名にふさわしいサウンドを完成させた。(略)
 ミックスでは、ほかのすべてを圧する、逆巻くようなエコーが決め手となった。実のところ、これはまったくの偶然からはじまった。ただしそもそもの原因は、フィルが音量をもっともっとと上げつづけたことにあった。
 「コントロール・ルームで聞くプレイバックにも、ヴォリュームが必要だった」とラリー・レヴィンは語っている。「どれだけレヴェルを上げても、フィルは満足しない。それでわたしは、左右の両チャンネルに音を入れてダブルトラックにしようとした。フィルはモノラルでレコーディングしていたから、あとで片方のチャンネルを消せばいいだろうと考えたわけだ。ところが消したあとも、一チャンネルなのに右と左からエコーが聞こえてきた。エコーが本来のチャンネルに留まらずに、クロスしてしまったんだよ。本体の音は半分なのに、エコーだけダブルになったのさ。でもそれが吉と出た。フィルも気に入って、それからは、彼が望むだけのエコーが出せるようになった。ただ、あの時くらいひとつのレコードにエコーをつめこんだことは、それ以降もなかったと思う」

ベヴァリー・ロス

[レスリー・ゴア〈なみだのジュディ〉、アールズ〈リメンバー・ゼン〉のヒットで]フィルが彼女の信頼と愛情を裏切り、ひとりだけで大成功を収めたという辛い思い出を追いやることができた。(略)
[時折出くわすと]フィルは痛々しいくらい愛想がよかった。
「わたしのことが本当に好きだったから、自分のやったことにいくらか罪悪感を抱いていたのよ」とは彼女の見解だ。
(略)
[自殺寸前の鬱で、ヒル&レンジとの契約を更新せず、マイク・ストラーからの専属の誘いも断り]
 「そうしていたら、なにも考えずに仕事ができたと思うわ。だけどみんなフィルと深い関係にある人たちばかりだったから……彼のそばには近づきたくなかったし、蛇の巣窟に入るつもりもなかった。それくらい、人が信じられなくなっていたのよ」(略)
 「彼の道徳感というのは……彼が決めた自分勝手な規則を彼った人間は、罰せられて当然だというものなの」とベヴァリーは語っている。
 「共作していたころ、フィルが『ふたりが話しているところを見かけたら/そのまま立ち去れ』という歌詞を書いたことがあるんだけど、それが彼のものの考え方なのよ。ちょっとでも逆らったり、彼を傷つけたりしたら、もうそれでおしまい。彼はいなくなってしまう。そうやって自分を護っていたのね。だれにも傷つけられたくないものだから、相手のことを深く知るようになると、逆に憎みはじめるのよ」

飛行機恐怖症

 飛行機恐怖症のフィルをなだめ、空港まで連れていくのは、長いあいだソニー・ボノの仕事だった。そんな時、フィルはしばしば空港の壁のモザイク・タイルにしがみつき、飛行機のレーダーにもっと金をかけろと泣き叫んだ。ほとんどの場合、飛行機に乗せる方法は、立てなくなるまで睡眠薬を喉に流しこむこと以外になかった。
(略)
[なんとか飛行機に乗せ、家に戻ると、フィルから電話]
 「いったいどうしたんだ?」
 「滑走路で飛行機をUターンさせて戻ってきた」
 以下はボノの回想だ――「飛行機が離陸姿勢に入ったところで、フィルは急に怖じ気づいて、『この飛行機はいやだ!負け犬ばかり乗ってるから、絶対に墜落する!』とわめきはじめた。(略)で、規則違反だったけれど、飛行機はゲートに戻り、彼を降ろしたわけさ。以来、フィルは二度とアメリカン・エアラインに乗れなくなってしまった。航空会社はクレジット・カードから身分証明まで、ありとあらゆるものを彼から取り上げたよ。とにかくカンカンだったからね。たしか、飛行機を戻らせたパイロットもクビになったはずだ」

プレッシャー

 フィレスのリリース数は減少していた。一九六四年の最初の三か月にリリースされたのは、クリスタルズの〈リトル・ボーイ〉一枚きり。フィルのペースが落ちていたわけではない。だが一〇〇〇万枚以上のレコードを売ってきた自分の新作がチャート入りを逃したときのことを考えると、なかなかリリースに踏ん切れなくなってしまったのだ。
 「プレッシャーがどんどんフィルを追いつめていた」とラリー・レヴィン。「ヒットを連発してはいたが、そのぶんプレッシャーが大きくなりすぎて、どうすればヒットをつくれるかわからなくなってしまったんだ。
 フィルはいつもわたしに曲を聞かせて意見を求めた。いいねと答えていたけれど、それは本気でそう思っていたからだ。一度だけそう言わなかったことがあって、その時、フィルはレコードを出さなかった。それからはかならず『すばらしいよ、フィル』と答えるようにしたよ。わたしのせいで、偉大なレコードが闇に葬られてしまったら大変だと思ったからさ。それぐらい彼は不安に思っていたし、毎回毎回、極めつけのフィル・スペクターのレコードをリリースしようとしていた」

ヴィニー・ポンシアとピーター・アンドレオリ

[グリニッチ&バリーと絶交し、ヒル&レンジのポール・ケイスの推薦でヴィニー・ポンシアとピーター・アンドレオリを後釜に]
 曲のアイデアを出し合っていたとき、フィルはポンシアが口にした「別れのいちばんいいところは仲直りができること」というタイトルに興味を持った。
(略)
いっしょにいるとくつろげた。ふたりともイタリア人で、体格に恵まれ、活動的だった。ほおが垂れたポンシアは、傲慢なところのある皮肉屋、一方やぶにらみでとがった顎のアンドレオリは、その顔立ちだけで犬や小さな子どもたちを怖がらせた。どちらも酒には滅法強く、腕っぷしにも自信がある――スペクターの考える、本物の男たちだった。新たに男らしさに目覚めたフィルは、このふたりならいっしょに街を練り歩くこともできるし、荒仕事にもじゅうぶん対応できると考え(略)専属のような形でフィレスの仕事をさせることにした。
(略)
フィルは彼らを仲間としてだけでなく、自分の身を護るためにも必要としていた。
 「ピーターとぼくは用心棒代わりってわけさ。彼は始終喧嘩をしてたからね。レストランで食事しているときも、隣のテーブルに『このクソッタレ、いったいなに見てんだよ?』って喧嘩をふっかける。空手を習って、自分のことをタフガイだと思っていたけれど、実際にはタマゴひとつ割れなかった。だからそんな時は、ぼくが礼儀正しく彼を外ヘエスコートしていったんだ。
(略)
 スペクター/ポンシア/アンドレオリの第二作は、ロネッツの〈恋しているかしら?〉だった。(略)
ロニーは、低い、より成熟したキイで歌い、「ウォッウォウォウォ」や「ウー・ウィー・ベイビー」はなくなった。ジャック・ニッチェのアレンジは、すべての空間を楽器で埋める代わりに、だれも演奏していない部分を残し、ラリー・レヴィンのエコー・チェンバーが、そのすき間に楽器や声の名残を留め、じっと想いにふけっているような雰囲気を鮮やかに表現した。
 「フィルはひとつところに留まるのではなく、踏み出そうとしていた」とヴィニー・ポンシアは語っている。「〈恋ししているかしら?〉からは、モータウンのホーンを使うようにもなった。彼は成長していたんだ」
(略)
二三歳のフィル・スペクターは、大人になろうとしていた。

トム・ウルフによるインタビュー

 「できの悪い音楽だと言われると、少し腹が立ちますね。この音楽には、ほかのいかなる音楽にもない自然さがあります。今、ここにあるものなんです。ロックンロールだからと貶めるのは、フェアではありません。使うコードは限られていますし、歌詞が陳腐だという批判もあります。コール・ポーターのような作詞家はいなくなったのか?と。しかしリンカーンのような大統領だって、やはりいないのです。そうでしょう?実際は、ブルースに近いものなんです。ポップ・ブルースですよ。とてもアメリカ的だし、とても現代的だと思います。現代の人々に呼びかける音楽です。子どもたちだけじゃありません。タクシー・ドライヴァーに到るまで、あらゆる人たちが聞いているそうですよ」
――トム・ウルフティーンの初代君主」「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」一九六五年一月三日号掲載

復活、ライチャス・ブラザーズ

 真の「ポップ・ブルース」のコンセプトとは、ロックンロールがレコード化された際になくしてしまったものを蘇らせることだった。フィル自身も、自分が当初のブルース・スピリットを失ってしまったのに気づいていた
(略)
 ビートルマニアの最初の波に襲われてからのポップ・ミュージックをじっくり見つめなおしたスペクターは、いかに売れていようとも、マージービートやモータウンはしょせんティーンエイジ向きの音楽でしかなく、ロックンロールの進むべき道はR&Bの魂に戻ること以外にないと思うにいたった。それで進化の環が閉じる。フィルが悔やんだのは、ロックが偉大な黒人ソウル・シンガーたちを業界から文字通り放逐してしまったことだった。(略)サム・クックは射殺され、ベン・E・キング、ドリフターズ、コースターズらはサパー・クラブで歌っていた。
 フィルがこのまちがった世界を正すために見つけ出したソウル・アーティストは、皮肉なことに白人だった。しかしそのアーティストは、だれが聞いても黒人としか思えない声の持ち主でもあった。現にビル・メドレーとボビー・ハットフィールドのステージ・ネームは、黒人が大半を占める聴衆が、ステージで歌うふたりに「ライチャス」――黒人のスラングで、正直で真実に満ちていることを指す――と声をかけたのにちなんでいた。LAの小レーベル、ムーングロウ・レコードと一九六二年に契約したライチャス・ブラザーズは、その地元で大きなセンセーションを巻き起こした。
(略)
 ぜひともメドレーとハットフィールドを獲得したかったフィルは、普段なら絶対に譲らない、利益を分け合うことになるのも覚悟の上で、自分からムーングロウに彼らを貸してほしいと持ちかけた。
(略)
スリムな体型で黒髪細面のビル・メドレーが、ライチャス・ブラザーズのソウルフルな支柱だった。彼のバス・ヴォイスには、ビング・クロスビーの歌声にディーゼル・エンジンをつけたような勢いと鋭さがあった。(略)ブロンドで団子鼻のボビー・ハットフィールドは、肉体的にも声質的にもメドレーとは好対照で、甘いソプラノに、ジャッキー・ウィルソンふうの甲高いシャウトを織りまぜていた。いっしょに歌うと、ふたりの堅牢なハーモニーは全方位に舞い上がり、一音一音が熱狂的に、そして時には怒りと見紛がうほどエモーショナルに響きわたった。
 そんな彼らには、情熱を肉挽き器にかけたようなマン/ウェイルのナンバーがうってつけだった。フィルとこのコンビは、愛の不条理をあからさまに描き出した〈ふられた気持ち〉という曲を共作した。(略)
「キスをしてもきみはもう瞳を閉じない/指先にも以前の優しさはない」(略)
 フィルは、贖罪的な性質を持つこの曲を文字通りに受け取っていた。このレコードは、彼の再生となるべきもの――〈恋の雨音〉よりもはるかに、彼の音楽が聖なる転換をとげたことを、はっきりと伝える作品だった。
(略)
 〈ふられた気持ち〉は全部で三分五〇秒にもおよび、当時の平均的なレコードよりたっぷり三〇秒は長かった。(略)ラジオ局のディレクターが敬遠するのを恐れ、レーベルには三分五秒とクレジットした。その心配は無用だった。当初はラジオ番組のスケジュールを混乱させたものの、意図的な誤記が判明したあとも、そのままオンエアされつづけたのだ。
(略)
 イギリスではアンドリュー・オールダムがこのレコードに打ちのめされていた。(略)
「メロディ・メイカー」に掲載されたその広告で、オールダムは次のように書いた。
 「この広告は、営利目的のものではありません。フィル・スペクターの偉大なる新作、ライチャス・ブラザーズの歌う〈ふられた気持ち〉について、なにかひとことあるべきだと考えて打たれたものです。すでにアメリカではトップ10入りしているこの曲は、スペクターの最高傑作にして『明日のサウンドを今日』の決定版であり、今日の音楽業界の凡庸さを暴き出してもいるのです」
 スペクターに心酔するオールダムは、のちにフィレスのスローガンとなり、いくつかのアルバムに印刷される「明日のサウンドを今日」というフレーズをこの広告ではじめて使った。またべつの広告では、曲の重要性を「フィル・スペクター音の壁」という新しい言葉で表現した。このキャッチフレーズはやがて独自の生命を持ち、世界中の評論家に、スペクターの仕事を評する際の決め言葉として引用されることになる。これらのフレーズが持つパワーを認めたフィルは、後日、商標として登録した。

ティーンの初代君主

 このころようやくスペクターは、自国でもロック世代の代表選手としてスポットを浴びはじめたが、逆に、おつにすました体制側の攻撃目標にされることもあった。彼はデイヴィッド・サスカインドのTV番組「オープン・エンド」に出演(略)サスカインドはまず、〈ア・ファイン・ファイン・ボーイ〉の、ほとんどがタイトルのくり返しである歌詞を朗読し、自分の立場を明らかにした。サスカインドの朗読を聞いていたフィルは、コーヒー・テーブルを叩いてリズムを取りはじめ、「あなたに欠けているのは、ビートだ」と落ち着いた声で指摘した。ウィリアムズが、自分は「いい音楽」しかかけないと公言すると、フィルは今までにヴェルディを何度かけたことがあるかと反問した。ふたりの攻撃に耐えつづけたスペクターは、番組の終わりに、なんでわざわざTVに出て侮辱されなければならないのかと質し、「こうしているあいだにも、家で金儲けできたのに」と言い捨てた。
 フィルはジョニー・カースンの「トゥナイト」にもゲスト出演した。エラ・フィッツジェラルドがいっしょだった。彼女に、自分の会社でいちばんのアーティストはだれかと聞かれたスペクターは、ライチャス・ブラザーズだと答えた。エラは聞いたことがないと正直に言った。短気なフィルは「彼らもあなたのことなんて聞いたこともないでしょうよ」と言い返した。
(略)
[トム・ウルフによる]「ティーンの初代君主」と題されたこの記事は、かならずしも事実に基づいていない大雑把なカリカチュアで、フィルのことを(略)音楽版ドン・キホーテのように描いていた。記事はフィルが奇人だという風評を打ち立てた(略)
バロックの時代には、かならずその生活様式をもっとも華々しく表現する天才が花開くものだ」とウルフは書いた。「十代のアメリカでは、フィル・スペクターこそが真の天才なのだ」(略)
 「スペクターは新しい存在だ」とウルフは結論づけた。「十代初の百万長者であり、アメリカの十代という冥府のなかで百万長者となった最初の少年でもある。外部からロックンロールを窺い、搾取するというありがちなケースではない。彼自身もそのなかにいた。彼はこの音楽が好きだったのだ」

The Young Rascals (Original Album Series)

The Young Rascals (Original Album Series)

ラスカルズ

 一九六五年のフィルは折にふれて新しいアーティストを見て回ったが、熱心とは言いがたかった。ライチャス・ブラザーズがいれば、一生安泰だと思っているふしもあった。(略)
ヴィニーはラスカルズこそ、フィルがより骨っぽいロック・サウンドに切りこむ絶好のきっかけだと考えた。
 「あのころが音楽の傾向の転換期で、つくられた巨大なサウンドよりも、もっと人間臭いサウンドが好まれはじめた」とポンシア。「この変化はフィルにぴったりだと思った。彼も、そういったR&Bやジャズ・バンドを聞いて育った口だからだ。(略)
彼はいつもビートルズのレコードのシンプルさに感心していた。『ぼくらもこうでなきゃ。ギターだけに戻らなきゃ』って――そう言いながら、実際には極端に大袈裟なサウンドばかりつくっていたんだけれど。
 自分の存在意義は、そこにしかないと思いこんでいたのさ。なにはともあれ、彼はスターだった。彼こそが音楽で、ほかの道に進むのを恐れていた。
(略)
 フィルはたしかにザ・バージまで足を運んでラスカルズを観た。バンドは彼の来場に発奮し、オマージュのつもりでスペクターのヒット曲を数曲演奏した。するとさして関心なさそうに聞いていたフィルは、ダニーをふり向き、「さっさと出てしまおう。こいつら、ぜんぜんオリジナルじゃない」と告げた。
(略)
バンドには、神のごときスペクターに袖にされたという苦い思いだけが残った。ほどなくアトランティックと契約した彼らは、ヤング・ラスカルズと改名
(略)
 「配給業者もふくめて、みんなが気づいていた。『ダニー、ほかのアーティストも探さなきゃ』って、しょっちゅう言われたよ。フィルだってわかってたさ。だから、次々に売りこみを受けていたんだ」
(略)
フィルはこのラヴィン・スプーンフルというバンドの演奏を聞いて、「名前がよくない。絶対にモノにならないよ」と断言した。しかしジャグ・バンドのスタイルで演奏される彼らのフォーク・ロックには、いくらか興味を引かれていた。
(略)
[送られた〈魔法を信じるかい〉のデモを気に入りはしたが、結局連絡は取らず]
 「フィルはたしかに契約を考えてはいたんだ。やめにしてしまったけどね」とポンシア。「新しいグループに手を出すだけは出すんだけど、本格的にことをはじめる前に手を引いてしまう。あれは手痛い失敗だった。フィルにはああいうグループが必要だったんだ。ラスカルズラヴィン・スプーンフルと契約していれば、彼が夢見ていたとおり、もっと大きく手を広げられただろう。あのときもう少し本腰を入れていれば、モータウンベリー・ゴーディのようになれたはずなんだ」
 いちばんの問題は、自前の曲とサウンドを持つグループとの仕事を、フィルがよしとしなかった点だろう。ベリー・ゴーディと異なり、彼の場合はそのふたつが仕事の眼目だった。
 「アーティストはみんな、自分の作品に口をはさみたがる」とポンシア。「ラスカルズやスプーンフルの作品は独特なもので、彼のキャラクターには合わなかった。言い換えれば、彼のインプットを必要としていなかったんだ。彼はプロデュースに専念し、レコーディングだけに集中することになっただろう。昔のようにスペクター印をつけるわけにもいかない。彼はそういうのが嫌だったのさ。(略)
それができなかったわけじゃない。ラスカルズのレコードをつくるほうが、よっぽどか楽だったはずだ。ただ、エゴの問題があった。スポットライトを分け合うなんて、彼にはとうてい我慢できなかったんだ。

レニー・ブルース

 一九六五年の秋、フィルがもっとも関心を持っていた人物は、レニー・ブルースだった。当時この毒舌家のコメディアンは、猥褻罪と麻薬使用による逮捕をくり返し、長年彼を支持していたニューヨークのリベラルな知性派にすら、自己破滅的にもほどがあると見放されていた。ヘロインとメセドリンの中毒で、破産寸前だったブルースは、ほとんどの時間、ハリウッドヒルズの自宅に引きこもっていた。たまに仕事が回ってきても、コメディのネタはやろうとせず、退屈なメモを読み上げるだけ。レニーはもはや自分のことを、表現の自由を求めるゲリラとは見なさず、社会に潰された殉教者だと思っていた。若者文化と個性の表現が盛り上がっていたこの時期に、彼は古代の遺物としか見えず、あとは自殺するしかない、哀れな過去の存在だった。
 サンセット・ストリップで何度かレニーと顔を合わせたフィルは、彼がかもし出すアウトローの悲哀に魅力を感じるようになった。いずれもニューヨークのユダヤ人ならではの強大なエゴの持ち主で、フィルのほうはふたりとも、同じ体制に反逆するシンボル的存在のつもりでいた。レニーに友だちが少なかったことも、フィルに同胞意識を抱かせる一因となった――彼にも友だちがいなかったからだ。レニーは本物の、大リーグ級の反逆者で、血管には実際に麻薬が流れ、逮捕歴は両手で数えても足りないくらいだった。フィルはそんな彼をたまらなくヒップだと思い、まともな人々を怒らせたかったら、レニー・ブルースとつるむのがいちばんの方法だと考えた。
 当のレニーは、フィルにもロックンロールにも馴染めなかった。(略)ジャズ・クラブでたたき上げた当年四〇歳のレニーにとって、ロック文化は異質なもので、脅威とすら思っていた。髪をのばして腰をゆする子どもたちや、なくなったも同然のスカートは、あまりにも自由すぎるように感じられたし、どう見ても異様だった。ロックに関する講釈をフィルに聞かされたときも、レニーは興味のあるふりをしていただけだった。
 レニーは最初から、フィルを金づると見なしていた。食費にもことかいていると言えば、フィルはいそいそと自分のポケットを探った。ふたりの関係がつづいていた数か月間、フィルは数千ドルをはたいてレニー宛ての請求書を支払い、彼の要求に応えてやった。
(略)
 アイデアマンのフィルは、レニーを怪しげなナイトクラブではなく、格式のある劇場に立たせることにした。(略)
フィルが資金を出した一〇日間のショウは、「フィル・スペクター・プレゼンツ・レニー・ブルース」と銘打たれ[たが](略)
惨憺たる結果に終わった。
(略)
 「あの彼ですら、レニーは変だと言ってたよ」とスペンサーは語っている。
 もはや手を引けないところまで来ていたフィルは、レニーの状態をひどく懸念していたが、できることといえば、ほどこしをつづけることくらいしかなかった。その一方で彼は、レニーのむさ苦しいあまのじゃくなイメージを、自分でも採り入れはじめた。ラコリーナの邸宅は、うすよごれた詩人のアレン・ギンズバーグを筆頭に、グリニッジ・ヴィレッジ時代からレニーを信奉する人々の溜まり場となり、フィルはギンズバーグの詩をアルバムにしたいと口にした。時にはそのポーズが恐ろしいほどリアルになることもあった。彼がスタジオの片隅で「ヘロインがほしい」と叫ぶと、人々は戦慄した。ただし本当に彼を知る人間は別だった。
 「彼はジャンキーだったって説があるけど、ぼくには信じられないな」とヴィニー・ポンシアは語っている。「フィルを知らない人間の言うことだよ。針を見るだけで気絶するような男なんだぜ。マリファナをやってるときでも、ハイになったところは見たことがない。素のままでじゅうぶんクレイジーだったのさ。あと、フィルにはカメレオンぽいところがあって、たとえば煙草を吸う人間といっしょだと、『ぼくにもくれ』と言うんだけど、実際には吹かすだけで吸いこまない。だからレニー・ブルースとつき合ってるうちに、自分も苦しんでるような気になってきたんだろう。注射なんて一度も打ったことがないのに、ヘロイン常習者の気分になってしまったんだ」

次回に続く。