フィル・スペクター 甦る伝説 その3

前回の続き。

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

「ウォール・オブ・サウンド

マーシャル・リーブはそれが、ふたりでつくり上げたサウンドの発展形だと考えていたのだ。
「ヴォーカルとバックグラウンドとベースの質感がない、スケールの大きなミックスがしたくて、フィルとぼくはふたりでずいぶん試行錯誤した。透明な音楽をつくりたかったんだ」とリーブ。「ウォール・オブ・サウンドとは、透明な壁なんだよ。真似しようとした人たちは、みんなまちがっていた。どんどん音をつけ加えていったからね。でも実際には、たくさんのサウンドがあるわけでも、たくさんの人間がたくさんの音を鳴らしていたわけでもない。サウンドと言うよりは空気だったのさ。

キム・フォウリー、ステージに立つスペクターを目撃

フィルはようやく自分のヴィジョンに合ったグループを見つけだした。モダン・フォーク・カルテットである。(略)自分なりのバーズに仕立てあげようと考えた。(略)
 フィルがクラブ回りをするときは、いつもMFQが露払いを務めた。(略)
 ある晩、ザ・トリップで、ヒッピーの観客に影響されたのか、いつになくハイになったフィルが、カルテットの演奏中に席を飛び立ち、一二弦ギターを抱えてステージに立ったことがあった。この時、スペクターは(略)ギターをかき鳴らし、自分でマイクの位置を調整して、MFQをバックに五〇年代の曲を何曲か歌った。
 「不思議なながめだったね――ステージに立つフィル・スペクター!けどアナウンスなんてなかったから、客席には彼がだれだかわからない人もいたんじゃないかな」とディルツは語っている。
 運良くこの光景を目撃し、しかもスペクターであることを認めた人物のひとりが、たまたま居合わせたキム・フォウリーだった。巨体に黒いヴェストをまとい、不吉な雰囲気をかもしだしていたフォウリーは、このシーンの顔役で、フランク・ザッパのフリーキーな仲間たちとも強いつながりがあった。しかしそんな彼にとっても、ロック・バンドを従えて歌うスペクターの姿ほどショッキングなものはなかった。
 「すごかったぜ。残念ながら、あそこにゃなにがあったのかもわからないガキばっかだったけど」とはフォウリーの回想だ。「今もはっきり覚えてる。やつの歌を聞くのははじめてだったけど、これがまたイケるんだ。マイクの使い方もうまくて、声がよく通ってた。リード・ヴォーカルでもじゅうぶんやっていけそうな感じだったな」

失意

 一九六六年初頭(略)明らかに彼は、音楽から手を引こうとしていた。二五歳になったばかりというのに、疲労と苦痛の短剣が、その額を切り裂き、背骨を切断していた。
(略)
レーベルは空っぽになり――ボビー・シーンはキャピトル、ブロッサムズはスクリーン・ジェムズ、クリスタルズはユナイテッド・アーティスツに、それぞれ移籍していた(略)
 「世捨て人のようだったな」とヴィニー・ポンシアは語っている。(略)
[彼は〈ニューヨークは淋しい町〉を]スペクターのところに持ちこんだ。
 「『ヒットするとは思うけど、ぼくは出したくない』と言われたんだ。ガッカリしたよ。『どうして?』って聞いたんだけど、答えてくれなかった。たぶんフィルはあの曲がヒットしたら、こいつにはヒットがつくれるのに、自分はどんどんズレてるってことを、認めなきゃならなくなるのが嫌だったんだろう。(略)
[マスターをリーバー&ストラーに売り、トレイドウィンズ名義でリリースされヒット]
ポンシアとアンドレオリは、以後二度とフィレスでは曲を書かなかった。
(略)
 「DJ連中はたぶん、彼がかつての力を失い、落ち目になりかかってると思っていたんだろう」とポンシア。「なのにフィルは相変わらず傲慢だった。それでもDJは、おおっぴらには彼に対する嫌悪を口にできなかった――実際に彼が落ちてしまうまでは」(略)
 「六六年以前から、フィルはそろそろ終わりが近づいているのを感じていた」とジャック・ニッチェは語っている。「スタジオでロネッツの〈ボーン・トゥ・ビー・トゥギャザー〉をレコーディングしてたときのことなんだけど、ぼくの隣でプレイバックを聞いていたフィルが、『終わりだ。もうここにはなにもない』としきりにくり返すんだ。熱狂が消えてしまったのさ。何度も何度もやりすぎたんだよ。
(略)
離婚後もフィルは、慰めが必要なときはアネットに連絡を取っていた(略)決まって彼女にこう訊いた。
 「ぼくはディランくらいビッグだろうか?」
 彼女は「ええ、フィル、もちろん」と答えて、安心させようとした。
 「ぼくはビートルズくらいビッグだろうか?」
 「当たり前じゃない!ビートルズとディランとフィル・スペクターがいなきゃ、なにもはじまらないわ」
 「景気づけのようなものよ」とアネットはふり返っている。「でもしばらくすると、自分でも信じてなかったんじゃないかしら」
(略)
だが一九六六年の最初の数週間で、彼はこのぬかるみから抜け出した。

最後の戦い〈リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ〉

[過去のマジックを再現するため、〈愛のチャペル〉で確執のあった、ジェフ・バリーとエリー・グリニッチをしれっと起用]
 フィル・スペクターの将来を決める曲――〈リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ〉――は、ジェフとエリーがLAのフィルに合流した一週間後、一心不乱の作業の末に完成した。
(略)
[スタジオにやってきたティナ・ターナーは20人以上のバックシンガーにたじろぐ]
フィルは彼女を休ませ、一週間のリハーサル期間を設けた。ティナはこの奇妙な曲にまったく感情移入できず、家に帰っても、アイクに歌って聞かせることすらできなかった。(略)
 「今のは近かった」と彼はくり返した。「もう一回」
 彼女は少しずつ歌入れを進め、真夜中を過ぎると、汗でブラウスを着ていられなくなった。まっ暗やみの部屋でブラジャー一枚になり、頭と耳をズキズキさせていた彼女は、深く息をついてもう一度歌いはじめた。首筋の血管は今にもはちきれんばかりで、下腹には殴られたような痛みがあった。
 スタジオを出たとき、ティナは自分がフィルの思い通りに歌えたのかどうか、心もとなく思っていたが、それはフィルにしても同様だった。さらに一週間、ミックスとストリングスのダビングを重ね、この曲はようやく業界関係者に公開された。フィルの前では、だれもがナンバー1まちがいなしで、ティナは大スターになるだろうと断言した。だが背後に回ると、疑念を口にする者もいた。(略)かつては空間がムードをつくり出していたのに対し、ここではエコーが渦巻くようなノイズと合体していた。あまりに強大で現実離れしたエコーが、リスナーを吸いこんでしまいそうになる瞬間もあった。だがほとんどの部分は……ノイズだった。そうなると、ティナの精いっぱいの歌声をもってしても、感情面では平板なレコードにしか聞こえなかった。
(略)
ジェフ・バリーは、まとまりのない失敗作だと考えていた。(略)
 「フィルはいつもなにかを求めていた。そのやり方だってぼくにはわかる」とマーシャル・リーブは語っている。「どこを際立たせたいのか、どこまで考えてつくっているのかも。偶然の産物なんていっさいない。フィル・スペクターのレコードが混乱して聞こえるとすれば、それは彼がそう聞えるようにつくったからなんだ。
(略)
 〈リヴァー・ディープ〉は、フィル・スペクターが望む通りのかたちとなった。
 そして一九六六年のアメリカには、この曲を評価できる人間がほとんどいなかった。
(略)
フィルの天才をよく理解しているつもりのヴィニー・ポンシアですら、このレコードには頭を悩ませた。
 「あのレコードには悪いところなんてなにもない。ただ時機が悪かった」とポンシア。(略)
この手のサウンドには、みんな〈ふられた気持ち〉で満腹だったんだ。
(略)
 ダニー・デイヴィスにとっての問題は、〈リヴァー・ディープ〉がロックンロールと呼ぶにもラディカル過ぎる点だった。黒人音楽の流れからも外れていた。
(略)
あれぐらい、放送局でかけさせるのがむずかしいレコードはなかった」とデイヴィスはふり返っている。「絶対に忘れられないね。ハットフォードのWDRCで選曲してたバーサ・ポッターには、ただの騒音のかたまりだと言われたんだ。
(略)
だれにも本当の理由はわからないまま、この曲は失敗の同義語となっていった。
(略)
マーシャル・リーブは語っている。「フィルへの復讐心から拒まれたんだ。(略)それまで番組のディレクター連中にしてきた仕打ちのせいさ
(略)
あたかもこのレコードが、復讐の場に利用されたかのようだった。直接的、間接的にフィルに仇をなした人々が、団結して傷ついた獣をさらにいたぶったのだ。
(略)
「ただの八八位じゃない。キツい八八位だった」とダニー・デイヴィスは語っている。ここまでの失敗はもはや、石打ちの刑を受けているようなものだった。
(略)
 救いの手は、イギリスの友人だちから差しのべられた。ラディカルな〈リヴァー・ディープ〉をBBCはオンエアできないだろうと踏んだトニー・ホールは、英仏海峡沖から違法電波を送っていた「海賊」局にレコードを持ちこんだ。(略)冒険心あふれる若者たちによって運営され、その多くはスペクターのファンだった。
 「見事だったね」とホールは語っている。「みんなあのレコードを気に入ってくれて、BBCの助けなどいっさい借りずに、四週間でナンバー1にしてしまったんだ」――実際は、七月のなかばに三位まで上がったのが最高位だった。
(略)
〈リヴァー・ディープ〉が海外でしかヒットしなかったという事実は、スペクターにはらわたがねじれるような思いをさせた。自国での大失敗について話す彼を、トニー・ホールは慰めようがなかった。
 「(略)彼は怒り、傷ついていた。あのレコードがとてつもなくすごいレコードだってことがわかっていたんだ。自分がつくったレコードのなかでも最高の作品だと思っていた。当然だよ」

LSD

[妻がクラブで知らぬ間に飲まされパニックになり]
「ものすごく怒ってたわ。信じられないことだって」とはアネットの回想だ。
(略)
 フィルの唯一のLSD体験は、同じくらいおぞましいものだった。(略)
[自分の精神の根底を理解しようと]
「カプラン博士が処方したLSDに身を委ねたフィルは、その最中に、父親が自殺する光景を見てしまった」とダニー・デイヴィスは語っている。「フィルはいつも父親のしたことが許せない、安易な道を選んだのが許せないと言っていた。LSDはその嫌悪感、その苦痛の中枢を突いたんだ。それで彼は恐怖してしまって、それ以来、LSDにせよなんにせよ、ドラッグにはすべて反対するようになったんだよ。(略)」

〈インスタント・カーマ〉

 ヴィニー・ポンシアは、「フィルにはレノンやビートルズとのつながりが必要だった」と見ている。「ラヴィン・スプーンフルの時に気づくべきだったことに、ようやく気がついたんだ。たぶん、ジョン・レノンと組めば失敗なんてありえないと思ったんだろう。かならずしもいっしょに仕事がしたかったわけじゃない。ただ、そうせざるを得なかったのさ」
(略)
フィルはいつものように遅刻し(略)プラスティック・オノ・バンドを一時間ほど待たせた。ジョンがセッションをスタートさせ、到着したフィルが演奏をテープに収めた。しかし、それははじまりでしかなかった。彼はジョンにピアノ、ジョージとアラン・ホワイトにもう一台のピアノ、クラウス・フォアマンにエレクトリック・キーボードを弾かせ、オーヴァーダビングしてリズムに厚みを持たせた。つづいて彼は、マットレスを平手で叩いているような、こもったドラム・サウンドをオーヴァーダビングした。
 〈コールド・ターキー〉のようなぞんざいなつくりのホップ・ファンクを予想していたジョンは、スペクターがつくり上げた、幅のある、質感たっぶりなサウンドに感銘を受けた。この四人編成のウォール・オブ・サウンドで強調されていたのは、余分なノイズではなく、ブルースの生々しい要素――杭を打つようなリズムと、ジョン一流の荒々しいしわがれ声――だった。(略)ジョンは喜んだが、フィルは満足しなかった。彼はジョンに、テープをLAに持ち帰ってストリングスをダビングしたいと告げた。ジョンは断り、レコードは二月はじめにイギリスでリリースされた。しかしその数週間後にアメリカでリリースされたレコードは、サウンドがよりクリーンでタイトになっていた。ジョンの知らないあいだに、フィルがもう一度リミックスしたのだ。(略)
 ジョンはいっさい頓着せず、フィルの才能を賞賛してやまなかった。

《レット・イット・ビー》

フィルの仕事ぶりに満足したジョンとアラン・クラインは、見捨てられた《レット・イット・ビー》のテープの手直しを彼に依頼した。いっさい外部から制約を受けないという条件で、彼はアップルの地下スタジオに入った。二月から三月にかけて、彼は連日、何十時間にもおよぶテープの山と苦闘し、芸術のきざしとなるものを探し出そうとした。(略)
 「フィルがイギリスにいたことすら知らなかった」とイギリスで彼ともっとも近しかったトニー・ホールは語っている。「まったくの極秘だったんだ。彼が来ているのを知ったころには、アルバムの大半が終わっていた」
(略)
 フィルは《レット・イット・ビー》を、ビートルズの進歩から外れたものにしたくなかった。音楽新聞には、このアルバムが「ボツ」になったビートルズの曲を集めたもので、新作というより企画ものらしいといううわさが掲載されていた。そうした印象を与えるのを嫌ったフィルは、アルバムから〈ラスト・ダンスは私と〉などのオールディーズを外し、ビートルズのオリジナルだけに限定した。ビートルズの多彩さを打ち出すために、荒けずりな部分がいくつか残され、ほかの部分とシャープな対比をなした。
(略)
[自分の〈ロング・アンド・ワインディング・ロード〉が原型を留めない、安っぽい曲になったという]ポールの怒りは前奏曲でしかなかった。《レット・イット・ビー》が五月五日にリリースされ、スペクターがこのLPにおよぼした影響が知れわたると、〈リヴァー・ディープ〉をほうふつさせる批判の渦が巻きおこった。「ローリング・ストーン」誌のジョン・メンデルスゾーンは、そのとりわけ辛辣なレヴューで「スペクターはこれ見よがしにお得意のオーケストラとコーラスを駆使し、ビートルズひさびさの大傑作となるべきアルバムの荒けずりな宝石たちを、模造品に変えてしまった(略)フィル・スペクターの大失策」と書いた。(略)
 もとより困難な仕事だった上に、当初のレコーディングに参加していなかったこともあって、フィルは自分が責められるいわれはないと感じていた。彼を咎める声が高まると――ジョージ・マーティンによる厳しい批判もあった――フィルはイギリスのジャーナリスト、リチャード・ウィリアムズに怒りの声をぶつけた。

《オール・シングス・マスト・パス》

 ハリスンの楽曲は、基本的にマントラのくり返し(略)
フィルの躍動感あふれるベースとドラムが(略)インドの苦行をダンス・ミュージックに変えてしまったのだ。
(略)
 「やり方がユニークだった」と[ビリー・プレストン](略)「何台ものキーボードに同じコードを弾かせて、ビッグで力強いサウンドをつくろうとするんだ。ぼくらは何度もちがうオクターヴで弾かされて、死ぬほど退屈な思いをした。でも彼はそうやって、フィル・スペクターサウンドをつくろうとしてたのさ。ぼく自身は彼のサウンドのファンとは言えない。ロネッツの曲ではうまくいってたけど。合う曲と合わない曲があるんだよ。でもジョージの曲には、ぴったりハマってた」
 共同作業は最初から最後までうまく進んだ。
 「笑い声が絶えなかった」とプレストン。「フィルはずっとジョージを立ててたし、彼が話しだしたりすると、こっちとしてはもう笑うしかなかったんだ。まるでマンガだったからさ。おかしな声でしゃべるおかしな小男って感じで、変わってるんだけど、とびっきり笑える。しかも彼は優秀だった。いまだにああいうエコーをどうやって出したのか、ぼくにはさっぱり見当がつかない――その場でエコーをかけてレコーディングするんだ。あんなの二度とお目にかかったことがない。全部の機材をいっぺんに回して、しかもそれぞれがどう作用し合っているかを把握してる。サーカスだよ。むろん、団長は彼さ」
(略)
ジョージのシングル〈バングラデシュ〉をプロデュース
[そして《バングラデシュ・コンサート》]
(略)
フィルはパワーに酔い痴れていた。ロック界の王者ふたりに二年間仕えた成果が、歴史的なバングラデシュの大成功だった。[打ち上げでロックのスーパースター達がジャム・セッションを始め](略)
フィルもピアノを弾いた。フィルが人前で演奏するのは、ザ・トリップでモダン・フォーク・カルテットと共演して以来だった。あの時の彼は、新しいロックの波に飲まれそうになっていた。だが今の彼は、そのミキサー卓を手中に収めていた。

ラトーヤ・ジャクソン

[80年代に入り]彼は音楽界における自分の役割を、確実に金になる伝説、すなわち六〇年代のスペクターのカタログの門番としか考えていないらしかった。(略)彼の昔の曲は、映画、TV、コマーシャルで次々に使用され(略)じゅうぶんビジネスになっていた。
(略)
 「信じられない話だけど、わたしのところに毎日、彼と接触を取りたがっている人間から電話がかかってくるようになったんだ」とデイヴィス。「彼が会った人間に、『あんたがここにいられるのは、ダニー・デイヴィスのおかげなんだ』とはっきり言ってくれてるおかげだよ。
(略)
 八〇年代もなかばになると、プライヴェート・アイ・レコードでプロモーションの仕事をしていたデイヴィスは、スペクターの伝説が自分の利益にもなりうることに気づいた。彼はフィルの人生をもとにした映画やブロードウェイの舞台の企画――いずれもダニーがエクゼクティヴ・プロデューサーを務めることになっていた――を次々と彼の下に持ちこんだ。(略)
[86年暮れ]フィルを口説きラトーヤ・ジャクソンプライヴェート・アイでプロデュースさせようとした。(略)
 「彼女は歌えないんだ。スタジオでなんとかしてくれる人間が必要なんだよ」とデイヴィスは訴えた。
(略)
 ラトーヤをひと目見るなり、「彼はすっかり魅了された」とデイヴィスはふり返っている。「完全に参っちゃったのさ。で、彼は、不安症につきものの症状にはまってしまった。とてつもなくシャイな男だからね、彼女にどう話しかけたらいいかもわからなくなっていたんだ。
(略)
 帰りの車のなかで、ラトーヤが『ダニー、気が進まないわ。あの人、ちょっと変なんだもの』と言いだした。だから言ったよ。『ラトーヤ、よく聞くんだ。彼は変だし、おかしいし、普通じゃないし、マトモでもない。だけど彼と仕事をすれば、まちがいなくほしがってたヒット・レコードをものにできるんだ』とね」
(略)
[だが二日後ラトーヤから緊急メッセージが入り前夜フィル宅を再訪したさいの恐怖体験を告げられる]
[フィルは]鍵を手に押しつけてこうつぶやいた。
「ぼくといっしょに行きたいかい?」
ラトーヤは、鍵に刻まれた文字を読んだ――「ベイツ・モーテル」
[エホヴァの証人で映画にも行かないラトーヤには意味が通じない](略)
 「これがなんだかわからないのかい?『サイコ』に出てくるモーテルだよ、若い女の子が次々に殺された」
 フィルは明らかに酔っており、ラトーヤには彼が笑わせようとしているのか、それとも怖がらせようとしているのか判断できなかった。
 「彼女は必死で逃げ出そうとした」とデイヴィス。「それから四時間、彼のもとでもがきつづけていたんだ。フィルの言葉づかいはだんだんと乱暴になり、彼女がそこに来ていることとはなんの関係もないのに、『おまえのクソッたれの弟なんてどうでもいい』などと言いはじめた。彼は一五分ごとに彼女を責め立て、部屋を出るとまた新しい顔で戻ってきた。陰鬱だったり、明るかったり、邪悪だったり、愛想がよかったり……一度ならず、けしからんふるまいにもおよぼうとしたらしい」(略)
叫び声を上げる寸前で、ラトーヤは逃げ出した。するとフィルはひと晩中エンシノの彼女の家に電話をかけつづけ、ついには一族の厳格な父親、ジョー・ジャクソンがたまりかねて代わりに電話に出た。いつもの伝でフィルは、彼を侮辱するような言葉を吐いたらしく、以後数時間、ジャクソンとスペクターのあいだで緊張したやり取りがつづいた。

次回に続く。


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