愛しのジャズメン2 小川隆夫

 
愛しのジャズメン〈2〉

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愛しのジャズメン2

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 ケニー・ギャレット

 [日本語を勉強して『君の瞳をタイホする!』というタイトルはおかしいと指摘してくるケニー。オフには日本語学校に通うために何度か来日。京王線の中でサックス・ケースを持った青年と意気投合]

西口公園に行って教えてもらったのが〈翼をください〉だった。

「高層ビルに向かいながらふたりでサックスを吹いたんだ。背中には夕陽があって、とても気持ちがよかった。その情景にこのメロディはぴったりだった。9・11の直後だったから、なんて平和な気分だろうと思いながらこのメロディを吹いていた」

 テオ・マセロ

 「わたしはプロデューサーと思われているかもしれないが、自分では作・編曲家だと考えている。コロムビアでプロデューサー業をしながら、テレビや映画のための音楽も書いていた」

(略)

 オフィスには、フェンダー・ローズが置かれている。オーディオ装置で自分がプロデュースしたマイルスのレコードを大音量で鳴らしながら、テオは身ぶリ手ぶりを交えて、一緒にフェンダー・ローズを弾いてみせる。
 「ここは、本当はこうやりたかったのにマイルスが認めなかった。こちらは最初こんなハーモニーだった。それに七度の音を加えてみたら、ほら、このハーモニーだ。響きが穏やかになったじゃないか。これはわたしのアイディアだ」
 まるで、いまもスタジオでマイルスを相手に「ああだ、こうだ」といっているような雰囲気である。ぼくは背筋がぞくぞくしてきた。
 「マイルスのイメージはわたしが完成させたと自負している」

 こう断言するだけのことをテオはやってきた。とくにエレクトリック時代の作品は、彼の大胆な編集作業によって完成したものだ。手を加えたことに対しては賛否両論あるものの、テオは動ずることなくこう話す。
 「マイルスは録音するだけだ。やりたいことをやったら、さっさと帰ってしまう。そのままの形では作品にならない。そこで、わたしが彼のイメージを考えながらテープを編集していくんだ」
 それだけに、最近次々と発表されているコンプリート・ボックスは許せない。
 「わたしがゴミ箱に捨てたテープまで、彼らは見つけ出して発表してしまった。あれは、せっかく高い完成度を求めて制作したオリジナル・アルバムを踏みにじる行為だ」
 この言葉に、テオのクリエイターとしての誇りが示されている。

 ビル・エヴァンス

[エヴァンス・トリオで最後のベーシストを務めたマーク・ジョンソンに、なぜ死の直前まで演奏し続けたのか問うと、病院へ行ってくれと頼んでも拒否され]

このままでは絶対に死んでしまう、と心の中で何度も何度も叫びながら一緒に演奏していた。(略)

指はもつれ、ほとんど満足にピアノが弾ける状態ではなかった。(略)

[最後はドラマーが車で病院に運んだが]医者が呆れるほどの手遅れだった」

(略)

[マークは]込みあげてくる悲しみをこらえるようにしながら《最後》のプレイについて静かな口調で語ってくれた。
 「気力を振り絞るようにして全身全霊で演奏に取り組んでいた。一音一音別れを惜しむような感じでね。(略)

テクニックがどうとかいう問題ではなく、スピリチュアルな世界にいたのだろう。ジョーとぼくはビルが弾くピアノについていくだけだった。最後に演奏した曲はいまでもはっきり覚えている。〈マイ・ロマンス〉。言葉ではいい尽くせないほど胸に迫る演奏だった。終わってしばらくは涙が止まらなかった――」

ベニー・カーター

 インタヴューをした時点で力ーターは八三歳になっていた。このときはフル・サイズのビッグ・バンドを率いていたことに加え、モダンな感覚の作・編曲にも驚かされた。しかしそれ以上にびっくりしたのが、狭い店内で大音量を発するビッグ・バンドの中に彼がいたことだ。

 一般に歳を重ねると、大きな音に体力が奪われることもあって、それを受けつけなくなる。しかしカーターはまったく平気で、それどころか大音量を楽しんでいる様子だった。

(略)

 「音の大きさはまったく苦にならない」
 こう語る力ーターは、驚くべきことにそのサウンドに身を任せながら微細にサウンドのチェックもしていた。休憩時間にインタヴューを受けつつ、楽譜の書き直しにも余念がない。その日のミュージシャンのコンディションに合わせ、少しずつ譜面を直すのである。こんなひとはデューク・エリントンギル・エヴァンス以外に知らない。そのエリントンですら、晩年はアシスタントに譜面を書き直させていた。それを、八〇歳がすぎても力ーターは当たり前のようにやっていた。この意欲も若さの秘訣だろう。

(略)

彼は日本に来るたび最新の補聴器を購入していた。そしてその話が、どこからか補聴器メーカーの開発者に伝わったようだ。
 あるとき、力ーターの楽屋に見知らぬ人物が訪ねてくる。(略)[取り出したのは]試作器で、ジャズ用に周波数が調整してあるという。この人物、相当なジャズ・ファンの様子で、これまでにも何人かのミュージシャンに頼まれたり、自分から申し出たりして、そのひとに合う補聴器を製作してきたそうだ。
 さっそく力-ターがそれらを試してみる。[高音低音を補正したもの、入力音量を抑えるもの等](略)

滞在中に何度かやりとりをして、力ーターは自分にぴったりの補聴器を手に入れる。もちろんくだんの開発者氏は料金など取る気はさらさらない。尊敬する力ーターが、これでさらに素晴らしい音楽を演奏してくれるなら、それだけで本望とのことだった。
 インタヴューを終えて、その補聴器を見せてもらった。形は不格好である。しかし、そこには手彫りで「for BC」と書かれていた。
 「音楽を知っているひとが作ってくれたお陰で、それまで以上に細かい音が聴き取れるようになった。日本は素晴らしい。熱心に耳を傾けてくれるファンもいれば、わたしの体を気にかけてくれる技術者もいるのだから」

ミロスラフ・ヴィトゥス

[フェス数日前に現地入りしてもリハーサルをしない。当日になってもせずに、釣りに出かける。ついにコンサート開始]

登場したヴィトゥスは、譜面の代わりに釣ってきたばかりの魚をアンプの横に置くではないか。相手のベーシストにも譜面は渡さず、本番が始まった。結局は即興でやろうということになったのだ。

 彼いわく、「音楽は魚の顔を見てイメージを湧かすに限る」

 この時代のヴィトゥスはどこかぶっ飛んでいた。

(略)

[インタヴュー場所に指定してきたのは多摩川べりの食堂]

 暖簾をくぐると、長身の金髪男が焼き魚定食を食べている。見れば、釣リびとの格好をしたヴィトウスではないか。日本に来ると、時問があればこのあたりで釣りをしているという。釣りが音楽的な創造意欲を高める話も本当だった。彼は釣り糸を垂れながら、作曲にいそしんでいたのだ。
 「釣りは孤独な遊びだ。作曲をするのと同じで、自分の世界に没入できる。気持ちを集中させるにはもってこいだ。自然の中で川の流れを見ていると、楽想が湧いてくる。だから、ぼくは世界中のあちこちで釣りをしながら曲を書いたり、アレンジをしたりしている」