社会統合――自由の相互承認に向けて (自由への問い 第1巻)

 
社会統合――自由の相互承認に向けて (自由への問い 第1巻)

社会統合――自由の相互承認に向けて (自由への問い 第1巻)

 

社会統合の破綻で、市民社会から国家への移行

 市民社会は、自らを社会の一員であると感じることができず、むしろ自らに対する扱いを不当とみなす反社会的な社会層を必然的に生みださざるをえず、そのことにおいて社会統合の限界を露呈するのである(略)

ヘーゲル『法の哲学』では、この社会統合の破綻こそが、市民社会から国家への移行を必然たらしめる理由である

(略)

ロールズもまた、アンダークラスにおいて、貧困という物質的な側面以上に、社会とその制度からの謀反という心的な側面を重視する。ヘーゲルのいう「窮民」と同様、それは、社会統合への動機づけを失った社会層として定義されるのである。彼によれば、公正な社会的協働が成立しているならば、「最も不利な状況にある人々も、自らを政治社会の一部だと感じ、その理想や原理をそなえた公共的文化を自ら自身にとって意義あるものとみなす」ことができる。しかし、福祉国家資本主義には、そうした公正な社会的協働を成り立たせるための「相互性」の原理が欠落しており、そのため(略)平等な者として承認され、公正に扱われているという感覚を得ることのできない社会層を生みださざるをえない。

(略)

成員が自らの自由を享受しうる条件を損ない、「自尊」を取り戻す生の展望を与えることができない社会は、物質的な貧困を解消するために事後的な救済を行ったとしても、統合の力をもつことはできない。

制度への信頼としての愛国心と、感情に走るナショナリズムの違い

 『法の哲学』においては、社会統合は国家においてはじめて達成される。(略)

市民社会(市場システム)においては即自的なもの(無自覚なもの)にとどまっていた他者との相互依存の関係は、国家においては対自化され、国家の制度を媒介として互いが社会的に協働していることが成員によって自覚される。

(略)

ヘーゲルが描くのは、制度を離れた抽象的自由ではなく制度のもとでの具体的自由である。

(略)

 第二に、一般に「愛国心」とよばれる「政治的心情」は制度の効果として生じるものであり、制度の外部に求められるものではない。(略)

ヘーゲルは、制度への信頼としての愛国心と、法や制度を軽視し、感情に走るナショナリズム――文字通り「法外な愛国心」――とを明確に区別する。

(略)

近年力を得ているのは、「アイデンティティの共有」に訴えて社会統合をはかろうとする議論である。

[そこにある問題とは。共有されるべきアイデンティティが明確ではない]

(略)

一部のリベラル・ナショナリストは、その解釈が成員の討議に開かれた可塑的なものであることを強調するけれども、その解釈に深い溝が生じるなら、国民のアイデンティティは共有されうるものとはならない。(略)

[解釈の違いをある幅に抑え込むことで]リベラリズムナショナリズムを抑制するというよりも、逆にナショナリズムによってリベラリズム(自由な解釈)が制約される側面が顕わになってくる。

ハーバーマス

ポスト・ナショナルな社会統合を展望するハーバーマスは、デモクラシーという政治過程それ自体が連帯の資源を再生産することができると主張する。(略)

[そのための二つの条件とは]

意思形成過程にできるだけ多くの参加者を包摂すること。(略)

意思形成が討議にもとづいて行われること。

(略)

[ハーバーマスに対する二つの反論]

一つは、デモクラシーは社会統合のメディアとしては弱すぎるというものであり、もう一つは、デモクラシーは(略)排除のメディアにもなりうるというものである。

(略)

第一の反論について(略)

ハーバーマスは、歴史的なコンテクストを捨象する抽象的なコスモポリタニズムの地平を設定してはいない(略)

ハーバーマスのいう「憲法愛国心」は、具体的なコンテクストから離れた普遍主義的な正義原理(憲法原理)それ自体に対する忠誠や愛着を指すわけではない。

(略)

チャールズ・テイラーは、デモクラシーは濃密な政治的凝集性を必要とするがゆえに、排除はそれ自体に内在する傾向であるとしている(略)

テイラーによれば、民主的な市民は、重要とみなす争点についてかりに自らの意思が覆されたとしてもなお、その意思決定を受け入れる動機づけをもちうるのでなければならない。(略)

彼は、そのような動機づけは――ハーバーマスのように――民主的な意思形成‐決定の手続きの正しさだけに求めることはできない、と考える。デモクラシーは、手続き的な正しさだけでは連帯の資源を再生産しえず、高水準での相互の信頼を喚起するような市民相互のコミットメントが繰り返されることによってはじめて存続しうるものである。

(略)

既存の民主的手続きが実質的に現状の維持に奉仕するだけであり、それによって特定の少数派が排除されつづけるならば、デモクラシーによる社会統合を展望することはできない。それが可能であるためには、民主的な制度は、自らの規範的前提(略)を問い直す過程を有効に作動させていなければならない。少なくとも、それは、意思決定ないしその手続きへの異議申し立てを受けとめていることを少数派に対して明示していく必要がある。

(略)

人種差別、性差別などの歴史的経験が示すように、繰り返されるある種の要求の否認はしばしば承認要求そのものの否認をともなっており、そのことにおいて逆に、現行の制度の「規範的閉鎖」(正当性の欠損)を露わにしているからでもある。社会統合を可能にするのは、現状維持のためにひたすら抗争を回避することではなく、むしろ現状の正当性の擁護に挑戦する「承認をめぐる闘争」にその途をひらくことである。

平等と自由の相克/相乗 宇野重規

 トクヴィルは、社会のなかの一部の人間が特権として自由を享受するという「自由の貴族的概念」に対し、すべての人間が等しく自らの運命を決定できる「自由の民主的概念」を対置し、前者から後者への移行を歴史の必然と見なした。すなわち、「平等なき自由」は、民主的社会においてもはや存立しえないとしたのである。他方でトクヴィルは(略)

なお人間社会には、すべての個人が等しく自由になる可能性と、すべての個人が等しく隷属する可能性が残されていると指摘したが、これを「自由なき平等」への警告として理解することができるだろう。

(略)

 バリバールに言わせれば、自由は平等を条件づけ、平等は自由を条件づけることで、両者は近代という歴史のなかで弁証法的に発展してきた。いわば、本来は異質であった平等と自由は、互いに結びつくことではじめて歴史のなかで具体化してきたのである。

(略)

 バリバールは自らの「平等=自由」には、先例があるという。すなわちトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の第二巻である。(略)

トクヴィルは、「人々は誰もがまったく平等であるがゆえに完全に自由であり、また、まったく平等であるがゆえに誰もが完全に自由」であるという、「自由と平等が接触し、渾然一体となる極点」なるものに言及しているが、これこそが「平等=自由」の理念を示しているというのである。

(略)

なぜ、このように独特な議論がフランスにおいて展開したのだろうか。

(略)

フランス革命の最大の意義は、「自由の革命」と「平等の革命」を一体のものとして実現しようとした点にある。
 このことは『人権宣言』の表題にも示されているとバリバールはいう。(略)

もしこの宣言がただ単にフランス人の自由と諸権利を唱えるものであったならば、「フランス人の権利の宣言」とすれば十分であったろう(実際、保守主義者たちはそのように主張した)。しかしながら、そこに人権という言葉を挿入することで、『人権宣言』は独自の意味をもつことになった。すなわち新たな政治社会において、その構成員たる市民の自由や権利は、特定の所属や資格によるのではなく、すべての人に等しく認められる権利に由来することになる。すなわち、人権は市民権に等しく、自由は平等に等しい。

(略)

 ここには『アメリカのデモクラシー』を貫くパラドクスがある。トクヴィルは、アメリカという実例を通じて、平等化社会の姿一般を描き出そうとしている。しかしながら、とくにその一巻において顕著なのは

(略)

アメリカにおいて平等と自由が結びつきえたのは、その特殊性ゆえであったと言わんばかりである。いわば、トクヴィルは平等と自由の結びつきが、いかに偶然性に依存しているかをるる論じているのである。

(略)

[「自由の革命」と「平等の革命」であったフランス革命だが]

人民主権の追求はジャコバン独裁をもたらし、その恐怖政治は個人の自由を極限まで脅かすことになった。

(略)

平等と自由の関係は、理論的にも実践的にもけっして調和的ではない。そうだとしても、両者はあくまで一体のものとして捉えられなければならないし、その課題は個別具体的な歴史社会において模索されなければならない。

社会統合の境界線 杉田敦

犯罪などの暴力的な行為を取り締まり、「外敵」からの攻撃に対抗して欲しいというのは、最も基本的な欲求であり、それだけを担当するのがいわゆる「夜警国家」である。これは、国家の最小限綱領である。これに対し、個々人の生存・生活の保障までを国家に求めた場合、出現するのが「福祉国家」である。
 国家が「正当な暴力を独占」するという考え方は、前者のような国家像により適合的である。そのため、国家の「本質」を暴力との関係に求める論者は、福祉国家のようなものを国家の逸脱形態、あるいはその本質を隠して温情主義的な粉飾を施したものと見なす傾向がある。
 しかし、国家に限らず、さまざまに展開を遂げてきた制度なり実践を、あえてその原初の「本質」に遡って定義することに、意味があるだろうか。たとえば、議会が本来は特権的な諸身分の間の調整機構であって民主政治とは無関係であったということから、議会制民主主義の不可能性を主張できるだろうか。確かに議会と民主政治とは元々は無縁であったが、その後の歴史的展開の中で結びつき、今日では切っても切れないものになっている。同じように、国家が元々は「夜警国家」的なものだったからといって、それが国家の本来のあり方であり、それ以外は逸脱だなどと考える必要はないであろう。
 むしろ注目すべきなのは、夜警国家よりも福祉国家の方が、批判が困難であるという点である。すなわち、そちらの方が人々の支持を調達する上で、より強力であり、したがって、国家は生き延びるために福祉国家になって行く傾向がある。そうであるとすれば、福祉国家に向かうような側面も含めて、国家について考えるしかないのではないか。
 しかしながら、福祉国家に対してもさまざまな批判が行われてきた。何よりもまず、国家が個々人の生存や生活の面倒までみるようになると、自由が失われてしまうのではないか。こうした懸念は、自由と権力とが対立すると考える人々(自由主義者)によって、繰り返し唱えられてきた。自由主義者といってもさまざまであり、一方には市場での経済的な関係を重視し、そうした関係を自由なものと見なす人々がいるし、他方には、国家と共に市場をも強制的な領域と見なし、その両方から自由な場を求める人々もいる。