筒井康隆、自作を語る

筒井康隆、自作を語る

筒井康隆、自作を語る

 

 江戸川乱歩

[家族で同人誌は話題になるだろうという戦略で〈NULL〉創刊。月収1万のころに印刷代3万6千5百円]
[江戸川乱歩に呼ばれ訪問、応接室に]
背の高い椅子があって、そこへ座れというんです。乱歩さんはスツールみたいな低い椅子に座って、下から見上げるようにして話しかけてくるので、ちょっと恐ろしかったですね(笑)。あの高い椅子を見たときは、これが人間椅子かと(笑)。あとで聞いたら、僕より前に大藪春彦さんが見出されて呼ばれてたんですね。
(略)
星さんが宝石社にやってきて(略)大坪さんと三人で銀座をうろうろして、喫茶店で長々としゃべったりして。今、ヒッチコックが「サイコ」という映画を撮ってるらしいけど、どんなんだろうなと言って。

一人称のきっかけ

眉村さんの『燃える傾斜』に触発されて「意識の牙」という長篇を書いたんですね。(略)
持ちこんだのが、今の出版芸術社の会長の原田裕さんのところでした。
――東都書房。これは講談社の内部会社でした。
見事に没になりました。(略)書きだしたばっかりで、一人称と三人称の区別もよくわからないで書いていたんですね。ただ、あるページに赤い線が引っ張ってあって、ここのところの文章は非常に乾いていていいじゃないですか、とおっしゃったんですね。じゃあ、乾いた文章がいいんだと思って(略)ヘミングウェイの全集を買ってきて読み直してみたら、一人称が多いわけです。(略)
それで一人称で書いてみたら、これがなかなか具合がいいんですね。もともと役者志望でしたから、自分が主役の視点で芝居をやっているようで、スイスイ書ける。だから、原田さんのサジェスションが非常によかったんですよ。

人物名

[「タックは健在なりや」のタックは]明らかに眉村卓のことです(笑)。眉村さんも、僕のことを何か書いていますね。
――ヤッシャ・ツッチーニは、筒井康隆さんです(笑)。ライバル心というか。
 そうですね。それから「時をかける少女」の登場人物の深町一夫なんていうのは、深町眞理子さんのことだし、浅倉吾朗というのは、浅倉久志のことだし。そういう風に、友達や他の作家の名前をつけたりすることが流行っていました。
――「時をかける少女」にはタイムリープの解説をしてくれる理科の福島先生や、でっぷりと太った数学の小松先生も出てきますね(笑)。クラスメイトの神谷さんは神谷(小尾)美佐さんですか?
筒井 そうですね。

生島治郎

このころだったかな、生島治郎氏の家が近所だったものですから、よく会っていました。あの人は以前(略)〈ミステリマガジン〉の編集長でした。僕の『48億の妄想』を、たいへん面白がってくれて。「あなたは鞭を入れれば入れるほど走る馬です」なんて手紙をくれた(笑)。(略)
で、長篇を書け、長篇を書けと言うんだ。何か、世話してくれるつもりだったらしいですね。で、こんな話はどうかというので、『霊長類南へ』の話をしたら、それは面白いじゃないか、書け書けと。で、ある程度まで書いたら、じゃあ講談社の知り合いの編集長に渡すからと言って、彼が持っていって、それから三年ぐらいそのままだった(笑)。聞いてみたら、編集長は机の引き出しに入れたままでちっとも読んでいない。ひどいものですよ(笑)。まあ、そういう時代だった。

『大いなる助走』

担当者が田嵜と言いましてね(略)
[長編を書けとしつこいので]文春の一番嫌がること書いてやろうと思いついた(笑)。だから最初のうちは、最後に選考委員みな殺しになるなんてことは、おくびにも出さないで[同人誌内幕ものとして]始まってます(笑)。(略)
三回目か四回目くらいまではどんな話になるか、たやき[田嵜のあだ名]にも分からなかったんじゃないかな(笑)。(略)
最後いよいよ殺して回るっていうときにですね、やっぱり文句がきました(笑)。田嵜のところにみんな行ったんだろうと思いますけども(笑)。(略)源氏鶏太なんてのは、そこで[文壇バー「まり花」]ぼやいてたらしい。色川武大氏が僕に教えてくれたんだけどね。「あれどう思いますか?あれはどうですか」って色川さんに尋ねるんで困っちゃったって(笑)。やっぱり、本当に怒った人は[タラコ唇の人](略)
これも名前は言いませんけれども、そのときの出版部長は僕をよく思っていなかった人なんです。この本あんまり売れなかったんだけれども、それは初版で止められてしまったからなんてすね。で、誰から聞いたんだっけな、彼にエレベーターかどっかで会ったら「あの本は本当はもっと売れるはずなんだけどねえ、イヒヒヒヒ」って悪党面で笑ってたと(笑)。

 「火星のツァラトゥストラ

ちょうどツァラトゥストラブームがあって(略)それを茶化したわけですね。(略)
[『スーダラ節』のパロディとして]「ツァラトゥスーダララッタ、スラスラスイスイスイ」、これをまず思いついて、そこから全体のパロディを思いついた(略)
[ちょうどそのころ、小林信彦稲葉明雄と飲むことがあって、話をしたら]
二人がノッちゃって、いろいろとアイデアを出してくれた。あのなかで旗本ツァラトゥストラというのは稲葉明雄のアイデアですね。(略)
[発表後、小林信彦にあれは三人の合作だと書かれてしまった]
――作品の発想自体がその時に浮かんだものと思い込まれてしまったわけですね。
こっちは困っちゃってね。あんまり強くも言えないしねえ。(略)小林信彦は、まだあれは自分たちの合作だと思ってるでしょう(笑)。しかたないです、それはね。たしかにその旗本ツァラトゥストラというアイデアはもらったわけだから(笑)。

ドタバタ、SFと純文学の壁

東海道戦争」のときは疑似イベントものという骨格をはっきりさせてて、そのうえでドタバタをやったわけだけれども、「マグロマル」は、もうドタバタだけですよね (笑)。芯も何もない(笑)。
――なるほど。そういう点では、ある意味、このときに筒井さんのドタバタものが完全に確立したとも言えそうです。
 僕がそのことを平井和正に言ったら、「いや、ドタバタそのものが思想だ」なんてすごいことを言ったんですよ(笑)。それをまた福島(正実)さんの前なんかで言ったもんだから、福島さんが怒ってねえ。あの人、ドタバタが嫌いだから。それで彼、干されちゃったんだよね(笑)。平井君は僕に影響を受けてドタバタっぽい短篇も結構書いたんだけど、彼は向いてないんだよ、こういうのはね。やっぱり、情念の作家だから。よせばいいのにと思ったんだけど。
――福島さんは、笑い自体がお嫌いだったんですかね。
 さあねえ。SF作家クラブでみんなが馬鹿話して、大笑いするでしょう(略)すると、彼は笑わないんですね。フンという顔をして、まあ一応笑顔はつくるけども。(略)
――福島さんはSFを広めようという戦略的なものがあったので、真面目な路線で行こうというのがあったんですかね。
 いや、文学にしたかったんだ。
――そのわりにはエロチックSFのアンソロジーを編んだり……。
 食べていくためというのもあったし、そのへんがものすごく屈折してるんですよ。少年ものをいっぱい書いたりね。だから、小松さんがみんなの前で、少年もののことを「ジャリもの」という言い方をすると、福島さんはそれを怒ってたね。馬鹿にしてるって。でも結局、小松さんは、少年小説の傑作を書いてるんだよ。あれは照れて言ってるだけなんだけどね、福島さんは気にくわなかったんだよ。真面目な人だったんだ。
――そういう福島さんも、マンガのことを「ポンチ絵」と卑下して書かれていたのを見たことがあります。ご自分でもたくさん原作を書かれているんですけど。
 うーん、なんか屈折してますよね、彼はね。いつだったか、福島さんと星さんとがSF方で、純文学の人たちと討論をしたことがあったのね。純文学の人たちはもちろんSF否定派なんですよね。で、こういうすごいアイデアがいっぱいSFの方にはあるんだなんて、福島さんが出すでしょう。そうするとそれを純文学側の編集者が、「それが文学になりますか」なんて言うの。そうすると星さんが大声でさ、「これは驚いた、文学が想像力を否定するものとは思わなかった」なんて言うんですよ。あれは面白かったなあ。
(略)
[年配の新潮社編集者からも]「筒井さん、文学をお書きなさい。SFはやめた方がいい」って。SFと文学となんで切り離すのかわからない。
「じゃあ安部公房はどうなんだ」て言ったら、
「いや、あれはいいんだ」と。なんか、わけわかんないんだよ(笑)。
(略)
――その垣根を壊してこられたのは筒井さん……。
 いや、なかなか壊れなかった。〈オール讀物〉に書く場合でも、宇宙人とか宇宙船はやめてくれとしょっちゅう言われましたね。で、「この前載せてくださった作品、あれはSFだけども、あれはよかったんですか?」って訊いたら、「いや、ああいうドメスティツクなものはいいんです」だって。話が地球の話だからっていうんですね。なんか変な区分けだったなあ、よくわかんなかったけどね。

 

 

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