マッド・トラベラーズ――ある精神疾患の誕生と消滅

マッド・トラベラーズ――ある精神疾患の誕生と消滅

マッド・トラベラーズ――ある精神疾患の誕生と消滅

訳者あとがき

本書を読んでいくと、今日の精神医学が直面する根本的な問題の多くが論じられていることに読者は気付くだろう。(略)本書の事例のような遁走を医学的診断として可能にしたものは何か?それらかつての遁走者は何を患っていたのか?その時代の医師はヒステリー性の遁走を実在する精神疾患であると主張する根拠があったのか?ヒステリー性遁走は実在する精神疾患だったのか?今日の一時的な精神疾患についても同様な結論が引き出せるのか?
 [著者の]イアン・ハッキングは、今日流通する精神疾患についてもまったく同様な視線を注いでいるのが分かるだろう。彼は前著『記憶を書きかえる』において、20世紀末に流行した多重人格症=解離性同一性障害を俎上に載せ、徹底した批判を展開したことで知られる。本書ではさらに、論争喚起的にも、解離性障害が独立した障害として消滅する最後の会議が開催されることが希望され、さらには、実在の精神疾患とされた統合失調症も、その頃までに、複数の異なった疾患に分裂(細分化)していくだろうという予言がなされている。前者はそのようにはいまだなってはいないものの、後者の統合失調症に関しては、神経画像の技術的進歩で容易になったさまざまな認知症診断や、発達障害への広範な注目、さらには双極性障害概念の大幅な拡張、そして統合失調症の下位群とされてきたカタトニアの疾患横断的性質の再発見等によって現実化されている。
 こうした変化に富む領域において、精神疾患のどこまでが「自然種」なのかとハッキングは問うているのであろう。(略)ヒステリー性遁走とも徘徊自動症とも呼んでいいような一事例アルベール・ダダと、生涯を自転車や体育への関心に注いだその主治医の精神科医フィリップ・ティシエとの間の複雑なやり取りを、当時のボルドーの市街(や同時代のヨーロッパ全体)を背景に詳細に描きながら、究極の民族誌のように浮かび上がらせるのである。

アルベール

 アルベールは8歳の時木から落ちて脳震盪を起こし、嘔吐とそれに続き片頭痛にみまわれた。(略)12歳の時にガス器具の製造業者に弟子入りした。彼はよく働き、そして姿を消してしまった。彼の兄弟は、彼が近くの町で傘の行商を手伝っているところを発見した。肩を叩かれると、彼はあたかも深い眠りから覚めたようなようすで、もうろうとして混乱しており、自身がどこにいて傘を運んでいるのかに気づいて驚いていた。
 こうして基本となるパターンが始まった。彼はガス会社にコークスを買うため100フランを与えられ、パリ行きの乗車券を持って列車上で目覚めた。100フランとはどの程度の金額だろうか? 若き日のティシエが夜間に駅で働いていた時の月収は30フランだった。彼が医学部の図書館員見習いをしていた頃は年収1200フランだった。このように100フランは結構な額であったが、大金というわけではなかった。いずれにせよアルベールはパリのオルレアン駅にあるベンチで寝ているところを発見され、二週間拘留されたのちに家族のもとへ送り返された。しかし雇用主は家族に100フランを請求していたので、アルベールは途中で留まり、何か月か家事手伝いをして働いて、帰宅するまでに貯金をしていた。
 それが彼の旅のしかたであった。地名を耳にすると、アルベールは、旅に出発せざるを得ないような気持ちになった。いくつかの地点で、彼は自らがたどり着いた場所に驚いた――しばしば無一文であり、ときには捕らえられていた。彼は仕事を見つけようとし、片手間の仕事をし、金をせびり、何とかして家に帰ろうとしたが、ひどく困難な状態にあることがしばしばであった。このように、ひとたび誰かがマルセイユについて話すと彼はそこへおもむき、アフリカについて話していれば彼はアルジェリア行きの船に乗り、そこで彼は数多くの冒険をし、いくらかの危険な地では現地のズアーヴ兵に帰国するよう勧められた。彼はわずかな仕事をしてチップをもらい、船長に泣きついて、調理室で皿洗いをしてフランスヘ帰った。彼は刈り入れ時のエクスに到着し、身分証明書を持たない一時的な農業労働者として現地で逮捕され、一か月の強制労働をさせられた。
 彼の規模の大きな旅が始まったのは、彼が志願して第127歩兵連隊の兵籍に入った時であり、そこで彼は調理人の任務についた。
(略)
 ドイツでの大規模な放浪では、ニュルンベルクヘ至り、そしてドナウ川を下った。リンツに到着するまでに彼は身分証明書を失い、8日間刑務所に入れられた。その刑務所の医師は彼が重篤な病いであると考え、釈放している。彼はウィーンにたどり着き、そこでガス工場の職を得た(略)さらなる旅ののち、彼はフランス人脱走兵の一斉特赦のことを聞き、苦労して故郷へ戻った。彼は頭痛と下痢に悩んでいたのに、またすぐに出発してしまった。
 これらの逃走物語を読むと、たとえ旅が危険に満ちていたとはいえ、100年前のヨーロッパを動きまわることがこんなにも簡単だったのかと思うだろう。アルベールの標準的なやり方は、自分が見知らぬ場所にいることに気づくと、ちょうど四等の列車に乗って家に帰るだけの金銭を与えてくれるフランス領事に訴えることであった。アルベールはその頃、たまたま地名を耳にすると、その反対の方向に行ってしまうことがあった。彼はまた外地のフランス人から施しを受けた。学生たちは彼のために寄付を集めてくれたし、ユグノー教徒移民の末裔が住みつく村はフランス人につねに親切であったし、フランス人協会が彼に何スーの金銭かパンを与えたりすることも時々あった。
(略)
症例報告によれば、26歳までに、アルベールはその生涯においてたった三回しか性交渉をもっておらず、最初はウィーンにおいてであり、彼は「常習的な自慰者」であった。
(略)
正常の時、家庭や工場やあるいは軍隊で調理師をしていた時の彼は申し分のない働き手であり、気が弱く、礼儀正しく、女性に対して内気だった。酒を飲まず、遁走の際はアルコールに対して著しい嫌悪を示した。家庭での彼は規則的で平穏な生活を送った。そしておよそ三日間にわたるひどい頭痛、不安、発汗、不眠が襲い、一晩に五、六回の自慰をする。そうすると――彼は出発するのだった。たいていの場合、遁走はまったく準備がなく行なわれた訳ではなかった。彼は小金を集め、身分証明書をいくつか手に入れるのだった。最後に彼は水を数杯飲み、あるいはバーに立ち寄ってアーモンドシロップなどのソフトドリンクを二、三杯飲む。そして出かけるのである。
 何度もくり返し、彼は身分証明書を紛失した。
(略)
夜の自慰の際の幻想は、しばしば日中に見た女性に関わるものであり、そのふたりが一緒に大旅行に出かけるイメージを伴っていた。
(略)
 ジュール・ヴェルヌは、その地球の中心への旅、月への旅、海底への旅、そして(アルベールが13歳の時の)八十日間世界一周の旅で、あらゆる世代の心を魅了した。これが旅行ジャーナリズムの黄金時代。
(略)
 アルベールの強迫的で抑えがたい旅は徹底的に無意味なものであり、自己発見の旅路というよりも自己を消滅させる試みであった。

遁走の衰退

 どのように遁走それ自体が衰退していったのか、ここで簡略に述べたい。明らかに、浮浪に対する恐怖の終焉が顕著なものであった。
(略)
 何年かの後、ババンスキーは、ヒステリー理論へ攻撃をしかけ、遁走の医学的基礎を粉々に打ち砕いた。(略)
ヒステリーの古典的徴候[スティグマ]は、暗示の結果であり、時には医師から直接的に、より多くは文化的に吸収される、と彼は主張した。エディプス反応について語ろう。父なるシャルコーは殺害された、そして彼と共にその創造物であるヒステリーも殺害されたのである。有名なババンスキー反射は、神経学的障害をヒステリー性暗示から鑑別するための道具であった。
(略)
ヒステリーについての懐疑は当を得ていた。マーク・ミカーレによれば、懐疑を生む一つの原因は、新しいタイプの診断の流入であった。これには早発性痴呆のようなドイツからの輸入品も含まれていたが、これもしばらくすると統合失調症という名称によって置き換えられるようになった。ヒステリーは、「医学教科書の中の100にも及ぶ場所へと姿をかえて消えていった」と、ミカーレは書いている。彼が言わんとすることは、症状の寄せ集めが、新たな一連の疾患の中に再配分されたということなのである。これは、トーマス・クーンの晩年の著作に照らせば、科学革命の稀ではあるが決定的な例である。ある分類体系が他の分類体系に取って代わることになる。われわれはヒステリーが何であったのかもはや知らないというレベルに至る。クーンの考えによれば、種々の分類体系が変革の渦に投げ込まれる時、古い分類体系の中のある概念(もしくは言語的対象、辞書的項目)を新しい分類体系の中のある概念へ翻訳することは不可能なのである。こうして、古い観念と実践は新しい体系の思想家たちにとっては文字通り理解不可能なものとなる。
(略)
 新しい診断群が活動をし始めると、遁走はそれらと手を組むようになった。早発性痴呆が世紀の転換期にフランスで流行し始め、1906年にはしっかりと定着した。その診断のフランスの草分けの一人であるモーリス・ドゥコステは、ボルドー大学出身であった。彼はまず、早発性痴呆に遁走の現象があることを発見し、そしてその一年以内には、あらゆる種類の精神病における遁走の研究へと彼の分析を一般化したが、その用語はその時代において理解されていた。「遁走」という用語はどうしようもなくあいまいである、と彼は考えていた。(略)
ティシエの論文を十分に注意深く読みさえすれば、遁走は多くの精神障害に付随するひとつのエピソードにすぎないということをわれわれは知るだろう。
(略)
要約すると、遁走研究はぐるりと一周し、振り出しに戻ったのである。遁走はまだ独立した診断として見なされていなかったあの出発点に舞い戻ったというわけである。
 遁走の診断について懐疑的な現代の臨床医は、これらの古い時代の遁走者の大部分が、現在ならば、躁うつ病双極性障害)として診断されるのではないかと思うのではなかろうか。遁走は、「躁」状態の初期にたぶん開始されるだろう。
(略)
 フランスにおける遁走への関心の終焉の兆しが現れたのは、精神科医と神経料医が1909年の8月2日から8日まで、ナントで会議をした時であった。彼らの会議は、軍隊における精神障害と、遁走という二つの話題に捧げられていた。遁走に関する論文では、現在では統合失調症と呼ばれている早発性痴呆の男性の遁走が型どおり論じられていた。
(略)
 ヒステリーに関しては、われらが警察医師団である、ベノンとフロワサールが皮肉を込めてこう言及していた。「いわゆるてんかん性遁走や、いわゆるヒステリー性遁走の診断は、現在では出現する可能性は少ないように思われる、むろん現在までに刊行された報告によって判断すればのことであるが。」もしわれわれがナントの会議に出席していたとするならば、自分たちが精神医学の新時代に入っていると実感したであろう。ヒステリーは追放されたのである。シャルコーは事実上消滅していた。ドイツ語圈の精神医学がますます前面に出てきていた。遁走はすごすごと退場した。
(略)
なぜアルベールは、初期の自転車の未来の教育者であるフィリップ・ティシエの創造力を駆り立てたのだろうか?それは冒険が問題だったからである。われわれの中のロマンティストたちは、アルベールの真の苦悩に同情するものの、それにもかかわらず彼の悪漢小説風な冒険にある確かな歓喜をおぼえる

アルベールの観察記録

 《八月七日》、朝の訪室時、アルベールは通常の状態に戻っていた。彼は夜間眠った。多くの悪夢を見て、その夢で両親や見知らぬ人たちと言い争っていた。旅はしなかったが、狼やライオンなどを見た。一人の女性を見て自慰をした。その後、眠りに落ちた。
 彼は、その夜、三、四回、排尿のため起きたが、それはめったにないことであった。われわれの得た情報では、前日かなり水を飲んでいた。朝、アルベールの頭痛はもはやなく、すっきりしていた。彼は直ちに出発する必要性をもはや感じていなかった。しかし自由に道路を歩くことができたなら幸せな気分になれたであろう!
 「私は遠くへ、ずっと遠くへ行きたいです。私を見守る人がいて、必要があれば連れ戻してくれる人と一緒ならば。もし先生さえよろしければ、私はリブルヌヘ行って戻って来たいです。全部でたったの六四キロですよ」と、ピトル教授に語っている。
(略)
 《八月八日、日曜日》。アルベールは午前四時に起き、服をきれいにし、一切れのパンを食ベグラス一杯のワインを飲んで、五時に出発した。(略)
アルベールの話では、七キロまでは陽気そのものであった。(略)定期市は大砲の一斉射撃によって知らされていた。これらの予期しない出来事にアルベールは驚き、さらに陽気となった。彼は立ち止まることなく歩き続けた。しかし一キロほど過ぎて、突然、震えが頭から足まで走った。震えはとても激しく、大量の発汗を伴っていた。それで彼は道路の脇に座り込んだ。
 彼はこう言った。「私は見ました。木々の葉は色あせ、すべての自然は霧におおわれていました。道路には誰もいませんでした。力尽きて、痛みに襲われ、泣きました。惨めな母のことを思い、もし彼女が生きているなら、定期市に行ったのに、とつぶやきました。私がしているこの旅が私の悲惨の原因なのだど、自分に言い聞かせました。この時、ピトル先生のことはまったく考えなかったし、旅の目的や、みんなのことも、病院にいる人たちのことも考えませんでした。私の涙や苦悩を見かねて一人の親切な女性が、慰めようと家に招いてくれました。私は断リました。彼女は私に一杯の甘い飲み物をくれました。彼女に御礼を述べたのかどうか覚えていません。飲み干すと、顔をぬぐい、その場を去ったのですが、どこへ行くのか、旅の目的が何なのかもわからないままに、です。私は非常に不幸な気分でした。一キロを過ぎたあたりで、悲しみは突然消え去リ、また再び心は満たされ、歌い始めました、そして私はリブルヌヘ行くという約束を完全に思い出しました。」
(略)
 《八月二〇日》。廊下での強迫的な歩行。悲哀感、退屈。夜の幻覚なし。熟睡している。
 《八月二一日》。強制的歩行、悲哀感なし。というのも、翌日の日曜日、アルカション行きをわれわれが許可したからである。夜は良好。アルベールは嬉しさのあまリ不眠。幻覚なし。彼はその日が来るのを待ち焦がれている、一刻も早く出発したかったからだ。

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